第39話 番外編 Happy Valentine「咲貴の場合」

 あのとんでもない戦いから2年が過ぎ、大学生になった。

 私は津島のおじい様のいる京都府立医大、冬馬は天下の京大に入った。勉強嫌いの志貴は一心のスパルタのかいもあり、何とか後期滑り込みで大阪大学に入った。

 しかし、このところ、志貴は大学を休みがちで、直に休学するのではないかという噂も耳に入っていた。

 本当に出雲の道反からほぼ出ないようになってしまった志貴。何かおかしいと思って、連絡はするがこれといって欲しい回答は与えられないままで居る。

 日中は大学、夜間は黄泉使い。淡々と続いていく私の日常。

 女王が立つと冥府は私たちをこれまで以上に厳しい目で監視したい様子で、そのやり口はトップ2を激怒させるに至った。

 トップ2とは志貴と一心だ。彼らがその気になれば袂を分かつことは簡単なことだった。志貴は冥府に帰属させていた黄泉の鬼をあっさりと解体してしまったのだ。


「寿命がどうしたって? そんなもの、私がくれてやるよ」


 姉は黄泉の鬼だけでなく全黄泉使いの寿命、輪廻に至るまでの魂の回帰を冥府から引き離し、古の形に戻してしまった。

 今や冥府が『紅王府』と呼ぶほどに、その存在は大きくなり、黄泉の鬼の在り方も同様に大きく変化した。

 宗像泰介、宗像公介、宗像時生の3名が志貴から全ての黄泉使いの魂籍の監理監察を預かり、これまでの最高会の上部組織としての位置づけで存在していることから、紅王府と呼ばれるに至った。

 解体された黄泉の鬼は女王のためにある組織としてリニューアルをして、その首座には宗像時生が就いている。時生の方針で、選抜対象の基準が大幅に変わった。

 年齢は25歳以上と引き上げられ、槍術は型と舞を8つ以上、封術は『治癒術』か『炎術』のどちらかを必ず獲得している者という厳しい基準に変更された。さらには選抜条件に血統の明記がないゆえに、純粋に強い者であれば誰でもよいということになっている。

 選抜に名をあげられたとしても、最終選考は泰介、公介、時生の誰かから1本とることが必要となる。その一本の取り方は特殊な条件で行われる。全能力を封じて、素手で行うらしい。すべてを封じられても勝てるのかと問うようだ。

 時生の設けたこの基準を満たすことのできる者は現時点では紅王府の3人以外にはほぼ皆無。何とか滑り込めたのは津島の現当主に格上げされた聡里くらいのもので、その聡里ですら、時生から1本とるのに1年を有した。

 冥府と完全に袂を分かつ以上、女王死守は絶対である。縁故だからとそれだけではそばに寄せない方針となったのは仕方のないことだった。

 聡里の話では、志貴からの1本でも良いと時生に提示されたみたいだが、志貴はとても闘えるような氣をしていなかったという。だからこそなのか、背後に控えている一心や泰介、公介の表情は厳しく、わずかな妥協も許さないという意思が見えたと話してくれた。

 黄泉の鬼は『鬼衆』と名を変えているが誰がそれの選抜をクリアしているのかは明かされていない。

 当主であっても、後継であっても、クリアできなければ鬼衆には属せない。

 選抜基準外の私は熊野預かりを外され、当然ながら黄泉の鬼からも除籍された。

 いつかはクリアして、姉のそばに行ってやりたい。でも、それにはこれまで以上に過酷な稽古を仕事の合間に組み込んでいくしかない。

「冬馬も同じだな……」

 冬馬もまた選抜外であり、志貴の元相棒で、幼馴染だからといっても許されることはない。選抜基準を耳にした時のあの冬馬の絶望感たっぷりの顔は簡単に忘れることはできない。

「25歳以上というのは冬馬や私を外す基準だからなぁ」

 時生の意図していることがわからなかったが、私が思ったということは冬馬も同じように認識しているはずだ。年齢以外の基準は満たしているのに、年齢で戦力外通告されたのだから。

 ベッドの上でねころがって天井を見上げる。

 冬馬は相変わらず穂積を背負って生きているが、彼の心の傷の根っこは絶対に癒えてはいない。

 志貴は穂積壮馬の最期を教えてはくれなかった。それは一心も泰介も同じだった。

 闘いを終えて戻ってきた志貴は、壮馬を屠ったのは自分であること、穂積の家の者には壮馬の裏切りを秘匿することを命じた。その最後には自分を憎んでくれて構わないと伝えていた。

 冬馬は静かに志貴の前に膝を折って、命尽きるまで仕えると誓いを立てて、それ以降、彼はもう父親のことを口にしなくなった。

 志貴に仕えるって誓ったのに選抜外とはと冬馬が道場で背を丸めてうつむいた時、年齢なんかすぐにクリアするさって励ましてみたけれど、彼は笑いもしなかった。

 

『俺に良いところなんか一つもないな』


 冬馬はそう言って、槍を手にして立ち上がった。

 実力では最終選考は問題なくクリアできる冬馬の敵は年齢だ。

 公介さんに年齢基準がある理由をきいてみようかなと思ったが、答えてくれそうにないなと諦めた。

 志貴のために作り上げられた特別ルールにおいて、聞いてはいけない、知られてはならない何かがあるから、私や冬馬をはじいている感覚がいなめない。だけれど、著しく傷ついている人間がいることを知って欲しいと思ってしまう。


「良いところなら、たくさんあるじゃんか……」


 今になって振り返ると、冬馬と私の関係性がかわったのは、最後の闘いの1年ほど前からだった。

 双子の姉である志貴の心がやみ切っていた頃だったと思う。

 私や冬馬の言葉がどこか彼女には届かない、そんなどうしようもない気持ちが互いにシンクロしたことがきっかけだ。

 冬馬はずっと一番近くで志貴を見ていたし、私は冬馬は志貴と共に生きることになる男だと思っていたから、永遠に私の片思いだと諦めていた。 

 志貴と付き合わないのかと、冬馬に聞いた時、彼は苦笑いをした。その苦笑いの意味が当時の私にはよくわからなかった。津島の連中からも、志貴の夫は間違いなく冬馬一択だろうと言われるほどに、がちがちの許婚の椅子にすわっているのに、冬馬の反応は芳しくない。

『あいつに好きだって言っちゃいけないんだ』

 冬馬が初めて苦し気に言った日のことをよく覚えている。

『いずれ泰介さんを凌ぐことになる一心や鴈楼蘭の方があいつを死守できる。 俺はどうして穂積なんだろうなって思うよ』

 穂積ではだめだ、護れないと冬馬はうなだれた。何度も、何度も、自分ではだめだと言ったくせに、大好きだと全身で訴えていた。

 志貴はうといあまりに、冬馬のこの心の機微には気づかない。

 関係があまりに近すぎて、冬馬のこの切ないほどの想いを感じ取ることができないままでいた。

 鴈楼蘭や一心にはできて、冬馬にはできない意味がわからなかった私はどうして最後までやってみないのかときつく言ったと思う。すると、冬馬が『いずれわかるよ、穂積はダメだ。 穂積を志貴のそばに置きたくない』と力なく笑って、世界中のため息を集めてもこんなことにはならないだろうというくらいの絶望てんこもりのため息をついた。

 後になって冬馬の父の真実を知り、あの頃の冬馬の絶望の意味をようやく把握することになったけれど、理由が何であれ冬馬は逃げたと私は思った。

 一心にも楼蘭にも挑まなかった。一番勝つ可能性が高かったのに、彼は敵前逃亡をしたと、どうにも私はそう思ってしまった。

 確かに、志貴は昔から馬鹿がつくくらい一心を好きだと追い続けてはいたが、当時の志貴のそれはどこかアイドルのおっかけのような感覚と同じでリアリティが乏しいものだったように思う。だから、冬馬がちゃんと仕掛ければ一心ではなく、彼が志貴のそばにいた未来があったと、私は今でも思っている。

 だから、冬馬の襟首をつかんで、『鴈楼蘭の方が潔い。 それでも男か!』とドストレートに言ってしまった。

 鴈楼蘭は志貴に好きだと告白したら、志貴に私も楼蘭は好きだよと言われ喜んだのも束の間、『仲間として好き』という評価であったらしく秒で撃墜されたらしい。

 言わないと伝わらないけど、言っても伝わらなかったと鴈楼蘭は豪快に笑っていた。彼はすっきりとした顔で、これからは王同士でしかできない愛し方をすると公言し、自分を愛してくれる一人をみつけるとも言っていた。

 それに比べて、お前は何なのだと怒鳴りつけた私に冬馬は『お前に何がわかるんだ』と冷静沈着を投げ捨てて大声をあげた。

 やればできるんじゃないかと思った。おりこうさんなままで、スマートに言い訳をして、闘おうともしなかった彼より幾分よかった。

 ちゃんと負けて来いと私は冬馬の背中を押した。

 あの最後の戦いが終わってから、冬馬は一生懸命に、志貴に近づいたが、その心には届かなかった。当たり前のことだ。一番可能性のあった段階で冬馬は逃げて、その隙間におさまったのは無双の一心だ。一心が冬馬のように隙を見せるわけがない。

『ちゃんと敗北どころか、撲殺されてきたぞ。 俺をまたフルボッコにするか?』

 冬馬はそう言って、すっきりした顔で笑った。

 あまりにボロボロな冬馬をそっと抱きしめた。

 そして、その冬馬との関係はそれ以降、不思議な感覚のままだ。

 私にとっては大好きな人が目の前にいて、その彼に手を伸ばせるところにいられるのは自分なのに、どうしても手放しで喜べない。傷だらけの野良犬を拾ったようなもので、大丈夫か、大丈夫かとなでてやるだけの関係。

 冬馬があまりに不憫で、仕事でたまたま顔をあわせた一心に八つ当たりしてしまったこともある。本当は冬馬がその場所にいるはずなのに、うまくやったなと言った気がする。

 一心は少しだけ驚いたように私を見て、意地悪な笑みを浮かべて、こう言い返してきた。


『もっともらしい理由をたてて、戦線離脱した段階で選ばれるわけがない。 どんな事由があったにせよ、あいつより優先される事由なんかない。 そういうことだよ』


 悔しかったが、一心が本物で、冬馬が本物になり切れなかった分かれ道がはっきりとわかってしまった。

 双子なのに姉は私とは全く違う生き物だ。冬馬がそばにいながら、どうしてこの一心だったのかと彼を見上げて唇をかんだ。


『タイミングも何もかも、俺は天に委ね切った。 俺よりも冬馬の方がうまく護ってやれるのなら、俺は手を引いていたと思う。 だけど、そうは思えなかった。 冬馬では荷が重いと判断した。 一ミリたりとも譲る気はない。 悪いな』


 一心は大人の男だ。身に纏っている空気も何もかもが、冬馬より『男』だ。

 リミッターをはずした姿の志貴のそばに一心がいる絵面は腹が立つほどに美しい。

 どうみてもお似合いだなと冬馬が背を向けた気持ちがわかるほどにしっくりときているのはわかっている。

 冬馬は良い男だから、まだわからないぞと気が付けば一心に向かって言っていた。

 一心はそうまで言うのならお前がつかまえとけと笑って帰って行った。


「つかまえとけかぁ……」


 大学からの帰り道にカフェによったりして、時間を共にすることが嫌なわけではない。むしろ、楽しい。  

 幼い頃から知っているし、自分に優しいのも間違いないと思う。

 でも、彼が双子の姉である志貴のそばにいる時間があまりに長かっただけに、確認するにも何だか恐ろしい気もする。

 宗像本家で冬馬が稽古するのはごく当たり前の事らしいが、こうも頻回に顔を合わせるのが日常的になってくると緊張しっぱなしだ。

 ほんの少し前の私は宗像本家で暮らすようになる未来が来るとは思ってもみなかったから、今ある毎日は想像できていなかった。

 姉である志貴が本来はここに居て、皆に号令を出すのが当たり前だと思ってしまうが、伯父の公介に言わせたら、『無理無理、似合わない』だそうだ。

 女王なのだからと言ってみても、伯父は笑うだけだ。

 志貴の荷物は片づけられ、さっさと出雲へと送られた。

 そして、その空き部屋が今は私の部屋になっている。

 母方の津島で育つしかなかった私が、こうして父方の宗像家の本家にいる。

 昔はどこかで志貴がうらやましかったが、いつもやかましい津島家の大所帯と違って、宗像は静かすぎて落ち着かない。

 離れから居間へ向かって歩いてみるが、本当に雑音ゼロだ。

 本家ってこんな感じだったんだなと、志貴のこれまでを想像してしまう。

 後継、王、獣付きと言われて、ここで暮らしてきた双子の姉。

 背負わされてきた家の重さを痛感した。


「冬馬と志貴は似すぎだ……」


 宗像本家の唯一を命懸けで護ることが役割だった穂積家。

 穂積冬馬はそれを生れ落ちた時から義務付けられて生きてきた。

 あの闘い以降も穂積家という大きなしがらみを背負い生きて、苦しんできたはずだ。それなのに、彼はいつも微笑みかけてくれる。

 彼がほほ笑む先は本当は姉の志貴のためにあるべきものではないのだろうかと、縁側で悩んでいた時に、公介が隣に座ってこう言ってくれた。


『冬馬にとって志貴は確かに特別だ。 でもな、お前も特別なんだと思うぞ』


 本当に特別なのかなと不安になることもある。

 これまでなら志貴を口実に、会話をしたり、でかけたりもしていたが、もはやそれはできなくなってしまった。宗像本家と離れているから、なんて言い訳ができなくなったし、私が本家の跡取りである以上、穂積家の冬馬とは嫌でも一緒に行動することが増える。

 おまけに、冬馬と生活圏が同じになってわかることがあった。

 冬馬はおそろしいほどにもてる。

 居間では公介がのんびりと昼寝の体勢に入っていた。ソファの下にすわり、はぁと息を漏らした私の方にちらりと目を向けた公介が小首を傾げている。

 何でもないよと手を振り、ポケットからスマホを取り出した。

 志貴にもてるから心配だとLINEしたら、悪い顔をしたクマのスタンプが送られてきて、『今更か』と短く突っ込まれた。


「確かに、今更だな」


 あぁもういやだと深いため息しかでてこない。

『明日のValentineにチョコおくれ! あいつ、チョコ好きだぞ!』

 志貴から暢気なLINEがまた届いた。冬馬はそもそもあんたを好きなんだぞと言ってやりたくなるのをこらえた。

「チョコ、好きなのか」

 どんなチョコが好きかと送り返すと、速攻で返事が来た。

『安いので良いぞ! 高いチョコは食わん! そこいらに売ってるコンビニので十分だから。 ま、しらんけど』

「最終、他人事じゃないか……」

 志貴の冬馬への評価に苦笑いだ。 

 背後のソファに寝転がっていた公介が、何だと画面をのぞき込んできた。

「Valentine、明日か。 青春だなぁ、咲貴」

 にやにやと笑ってみてくる公介に、舌打ちした。

「自分で作れ、それで解決だろうが?」

「間に合わない! 料理できんのわかってるでしょ?」

「まぁなぁ」

 公介がいひひと笑いながら、憐れむような眼でこちらをみてくる。

「公介さんが異常なんだから!」

 公介ときたらプロの料理人顔負けの腕前だ。

 母の料理しかしらない私は当然のように同人類だ。

「うまい、下手じゃないんじゃねぇか? お前が作ったんなら、冬馬はうれしいとおもうが?」

 冬馬ならきっと喜んでくれるが、それは本心なんだろうか。

「なぁ、咲貴、ひとつ面白いことを教えてやろうか? 冬馬はな、一度だけ、志貴をほっぽらかして飛んで行ったことがあるんだ」

 公介がコーヒーを喉に流し込んで笑った。

「まぁ、俺が半径200mにいると踏んでのことだったようだが、ペアリング違反だわなぁ。 それも、宗像の『唯一ちゃん』を悪鬼の坩堝に置き去りにした。 どうしてだと思う? 思い当たる節があるだろう?」

「ひょっとして、それって古宮の時!?」

 血相をかえて冬馬が熊野へ来てくれたのは一度きりだ。

 古宮とは幅約42m、高さ約34mの大鳥居がある熊野の大斎原のことだ。

 まさかのS級悪鬼と対峙して、何とか退けたまでは良かったが、大けがで動けなくなってしまった。その上、孤立無援で、さすがにヤバイと生命の危機を感じた瞬間に、冬馬が現れて、あっという間にけがをした私に群がろうとしていた悪鬼を一掃して、私を抱えて逃げてくれた。

 どうして冬馬が察知できたのかとかまで、当時の私は背に大きな傷を負って、かなりの血を失っていたから考える余裕がなかった。

「後で、どういうつもりかと聞いてみたらな、何て答えたと思う?」

 公介の問いに私は首を振った。


『志貴には庇護者である貴方があの場にはいた。 貴方は俺よりも強い。 何の問題もないでしょう? 俺もたまには俺をひいきにしてくれる人間を助けたくなっただけですよ。 それに、咲貴に何かあったのなら、津島に志貴がまた嫌われる。 俺は賢かったと思いませんか?』


 冬馬はそう言ったそうだ。

「言うよね~」

 公介は自分の手作りのアップルパイをほおばりながら、ニコニコしている。

「公介さんは怒らなかったの?」

「どうして怒る必要があるんだ?」

「志貴より大切なものはなかったはずなのに。 冬馬は穂積一族に怒られなかったの?」

「穂積家には灸をすえられただろうよ。 お前は何しとんじゃと。 それでも、冬馬は知らんぷりしていたけどな。 お前はこれでもまだ冬馬を疑うか?」

「疑いはしないよ。 だけど、二番煎じな気持ちになるんだよね。 卑屈根性むきだしなんだけど」

「お前は志貴じゃねぇし、あれと同じにはなれんよ。 冬馬は一心にはなれんと痛感して、冬馬は冬馬として一生懸命に手を伸ばそうとして、常に贔屓にしてくれるお前をみたんじゃないのか? それに、そもそも、志貴を大切に想う冬馬を好きになったのは誰だ? 泰介がそういうところがあるからお前の方が見る目があるって言ってたぞ」

「父さんがそんなことを?」

「泰介はお前も志貴もかわいい。 本来ならお前達ふたりとも津島で育ててもらうはずだったんだ。 宗像のしがらみは泰介が一番よくわかってるからな。 だが、志貴が獣付きだとわかり、外へ出してやる選択肢がなくなった。 宗像にお前たち二人共を置かなかった理由は簡単だ。 お前ももれなく護るため。 津島は悪い家じゃない。 情に厚く、大所帯。 咲貴だけは何物にも縛られず、自由で朗らかに育ててやってくださいって、あの泰介が頭下げに行ったくらいだ」

「そんなことをしてたなんて知らなかった」 

「意外とお前たちは愛されてんのよね~。 いい加減、受け入れろよ? それから、お前、本気で宗像本家の跡取りだからな。 本腰入れろよ? 志貴以上の重責だぞ?」

「わかってるよ、ちゃんとする」

「そうか、わかったなら早々に冬馬を夫にしろ。 俺は出来が良い孫が早く欲しいぞ?」

「何を言ってんのよ! 自分こそ、いい加減、結婚しろ!」

「こんなおっちゃんに誰が来るんだ?」

「ほら、冬馬のお姉ちゃんとか? 相当ガチで公介さんのこと、大好きでしょう?」

 公介の顔色がかわった。冷や汗をかくほどに、わかりやすく焦っている。

 冬馬の姉の柚樹はそれこそ志貴が一心に一筋のように、公介一筋なのだ。

 大怪我をしてから黄泉使いは引退しているが、宗像本家の手伝いにここ最近ずっと来ているのを知っていた。

「ありえん!」

「黄泉使いって便利よね。 黄泉の鬼と同じ格となれば老けないから」

「だからってな、あんなひよっこ勘弁だぞ!」

「私達より7個上なんだし、ありでしょう?」

「なしなし!」

 公介は怖い怖いといいながら、居間を出て行った。

 小説に集中しているのか、その日はもう書斎からでてくることはなかった。

 

「朝かぁ、静かだな」


 誰の声にも起こされない宗像の朝は何かと寂しい。

 せっかくの休日だったのに、なかなか寝付けずにうとうとしはじめたら、すぐに朝が来てしまった。

 津島であれば、『朝ごはん!』と騒いでいる声や『食わないなら無くなるぞ!』という脅しまで聞こえるのに。

 ここでは公介の丁寧な朝ごはんが何物にも脅かされずに待ってっているのが不思議な感じがする。


「コンビニのチョコはなぁ。 どうするかなぁ」


 Valentineなのに、チョコレートの準備がない。

 このままでは本当に志貴のいうようにコンビニチョコレートになってしまう。


「甘い匂い?」

 

 伯父の公介は天才的な料理の才能があるが、片腕になってしまってからは三食以外のオプション料理は休みがちだ。でも、目覚めてすぐに、甘い良い匂いがしたから、離れからあわてて着替えもせずに台所をのぞいてしまった。


「何を作ってるの?」


 公介はにひひひと笑いながら、湯煎しながらチョコレートを溶かしている。

 

「手伝え、お前、才能ないんだろ?」

 

 溶かすならGhanaだと言い張る公介は手際よく、赤と黒のパッケージをあけて、次々と溶かしていく。

「混ぜるだけ?」

「そう、丁寧に混ぜるだけ」

 私はパジャマのままで、これまたパジャマのままの公介とチョコレートづくりがはじまった。

「シンプルでいい。 冬馬はそういうのが好みだ」

 ゆっくりと公介が準備してくれていた型にチョコレートを流し込んでいく。

 ほいと渡されたパッケージをみるとベリー系のドライフルーツが入っていた。

「そのままでも良いが、ちょっとだけ刻んでやれ」

「刻む!? どうやってやんの?」

 恥ずかしながら、包丁使いもあやうい私に公介が丁寧に教えてくれる。

「こういうのって、母親とやるよね?」

「まぁ、うちは黄泉使いの一族だからなぁ」

 何の理由になるんだと突っ込みそうになるが、なかなかの見栄えだ。

 ラッピングまできっちりと手伝ってもらい完成したものをみると自然に笑顔になってしまう。

「これ、喜んでくれるかな?」

「当たり前だ、俺が手伝ってるんだぞ? そこいらのパティシエに負けねーぞ?」

「そりゃそうだね。 味見したけど、本当に美味しかった」

「そうだろう? あ、言い忘れてたけど、今日の午後一番に冬馬が来ちゃうからよろしくね」

 公介が台所にあるデジタル時計を指さした。

 慌てて時計を見ると12:30のデジタル表示。

「早く言ってよ!」

 公介は意地の悪い笑みを浮かべてみているだけだ。

 あわてて、顔を洗い、着替えに徹する。

「時間がない!」

 冬馬の午後一番は13時。彼の性格はさらにその15分前には来る。

 大学にいるきらびやかな女の子たちのような化粧はできない。

 薄くファンデーションを塗って、眉を整えた。いつだったか、志貴に似合うよって言われたSUQQUの焦紅のリップを引く。アイラインもアイシャドウも軽くするだけで、それほど変わり映えのしない化粧だ。

 髪はささっと編み込みをして、首の後ろでまとめておいた。

「時間がない。 どうすりゃいいの!?」

 洋服選びなどしている場合じゃない。

 クローゼットの前でもう大パニックだ。

 頭がまわらない。おしゃれは苦手だ。

 冬馬はいつもモデルさんのような恰好をするから、近寄りがたい時がある。

 猫の手も借りたくて、志貴にLINEするが志貴は一心がたいがいコーディネートするらしく、よくわからんぞという返信のみだ。

「役に立たない……」

 いっそ、公介に一緒に選んでもらおうかなと意を決した瞬間、すっと背後から伸びてきた手がワンピースをつかんだ。


「はい、これで良いんじゃ?」


 うん、ありがとうと白のニットワンピースを受け取り、振り返ったら、冬馬がいる。私は大絶叫だ。今世紀最大級の悲鳴だった気がする。

「うるさいなぁ。 ちゃんと声かけたぞ」

 あまりの衝撃にパジャマのままで腰が抜けた。

 冬馬は平然としており、早く着替えろよとリアクションなしだ。

 いや、おかしくないかと私は冬馬を見上げた。

「なんだ? 志貴なんか、俺が布団からひきずりだしたことなんざ、ごまんとあるぞ? よだれのあとまでばっちりのも見たことあるしな」

「志貴のド阿呆……」

 双子の姉にふつふつと怒りが湧いてくる。

 志貴が冬馬にこうもおかしな習慣を身に着けさせていたのだ。

「普通は、準備できるまでは入ってこないもんだよ?」

「志貴も咲貴も似たようなたようなもんだ。 気にするな!」

「気にするわ! それよりも、志貴と同列に並べるな!」

「そんなに怒る必要あるのか? じゃあ、とりあえず、謝る? でも、マジで急いでるんだからな。 この様子じゃ、公介さんから何も聞いてないだろ、咲貴」

「何の話!?」

「やっぱりそうか。 あのな、公介さんがさ、出版社からプレゼントもらったらしい。 東京ディズニーランドとシーの特別ペア招待券。 ミラコスタ付き」

「ディズニー? 誰が行くの?」

「俺とお前が行くの。 わかった? 新幹線、13時半な。 ほら、準備マケ!」

 まだ状況が飲み込めていない私を見るに見かねた冬馬が、ニット帽とマフラー、コートを流れるようにセレクトして、私の手を引いていこうとする。

 それをとりあえず振り払って、一度障子をしめて、ささっとお出かけ用下着とワンピースに着替えた。

「まだー?」

 2分も待てないらしい冬馬がまた障子をあけて入ってきた。

 ちょっと待ってと言うよりも早く、冬馬が手を引いていくので、私は呆然とする他ない。

 居間に到着すると、公介がこれ荷物ねと笑顔で冬馬に私の旅行鞄を差し出している。

「いや、待て待て待て! いつ準備した!?」

「あれが固まるあいだ?」

 公介が馬鹿にしたように言う。

 私がずっとチョコレートが固まるのを見て待っていた間のことだとわかると腹が立った。

「ほら、咲貴、これが一番大事だろう?」

 小さな紙袋を私の手に握らせて、公介がひらひらと手を振っている。

 とにかく、せっかちに歩く冬馬と玄関にたどりつくと、冬馬がほいっと私のムートンブーツを取り出していた。

「なんだこれは……」

 私は思考する間もなく、玄関を飛び出していくしかない。

 穂積家の車に押し込められて、息を切らして京都駅到着。

 穂積家の準備さんにお弁当までいただき、手を振られた。

「冬馬、なんだこれは!?」

 悠然と隣の席でくつろいでいる冬馬の横顔に苛立った。

「まだ言ってんの!? もう小田原だぞ」

「そりゃそうだろ!」

「で、いつくれんの? それ」

 にぎりしめたままだった紙袋を指さされ、はっとしてそれを無言で冬馬に差し出した。冬馬はその様子がツボにはまったようで、大爆笑している。

「はい、どうも」

「ご査収ください」

「ご査収って」

 涙を流して笑う冬馬にさらに腹が立って、私は窓にもたれた。

 ド緊張が続いていたから疲れた。 

「つきあってんのかどうかもわかんないし、彼女とか調子に乗っても良いかわかんないし、ディズニーってなんだよ、わけわかんないよ」

「面白いぐらい心の声もれてんぞ?」

「うるさい!」

「はいはい」

 冬馬は袋の中から今朝一生懸命作ったチョコレートを取り出して、パクパクと食べている。

「感想は?」

「うまいよ。 公介さん監修なんだろ?」

「まぁ、そうですが……」

「質問な。 お前は俺が一番か?」

「何をいきなり!」

「ここ大切なところだからな! お前は俺が一番なの?」

「異性では一番のつもりだけど!?」

 はぁと大ため息をついた瞬間、冬馬の顔がぐっと近づいた。

 なんだと身構えるより先に冬馬の唇が触れた。

 ちょっと待てと考える間もなく、息ができないほどのキスだ。

 ようやく離してくれた冬馬はにやりと笑んでいる。

「俺は付き合ってるつもりだし、とっくに彼氏彼女だしな。 責任とれよ、お前。 俺はそこそこに寂しがりやだからな。 2番はもう嫌なんだ。 わかってる?」

 私はうんうんとうなずいた。

「素直でよろしい」

 と、私の口にもチョコレートを放り込んで、冬馬がポケットからスマホを取り出し、眉間にしわを寄せた。スマホの画面の表示は『宗像泰介』だ。

「新幹線では電話に出られません!」

 冬馬は見ないふりをした。

「もう一回、わからせとく。 だめおしな」

 冬馬はもう一度と顔を近づけたところで、くそうとスマホに目を落した。

 今度はLINEが矢のように届いている。

「本当に何なのでしょうか?」

 冬馬がスマホの画面のロックをとくと、泰介からLINEがラッシュのように届いている。

「なんて書いてあるの?」

「見なくて良いよ」

 冬馬はLINEの画面を私に見えないように隠して、はぁとため息を漏らした。

「冬馬、私を選んでくれてありがとう」

 今度は私がほっぺに口づけした。

「こちらこそ。 お前が俺を一番にしてくれたんだろ? 俺こそ、ありがとう」

「あんなに死にそうな冬馬を一人にはできなかったからね。 まぁ、私の片思いも無駄ではなかったということで」

 まだ矢の如くLINEが届いている。

「俺、せっかく一番にしてもらえたのにこれかよ……」

 冬馬は泣きまねをして見せて、チョコレートを口に入れている。

「私がお父さんに抗議するから」

「やめて、それだけはやめて。 あの人、本気で怖いから。 俺、ちっこい時から嫌って言うほどに知ってるから、本当にやめてくれ」

 冬馬は苦笑いだ。

 今度は私のスマホへ父からのLINEラッシュが始まる。

 私もそれを見て苦笑いだ。

 ふうっと二人で息を吐いて、チョコレートを互いの口に入れた。


「Happy Valentine」


 隣で百面相している冬馬の顔をみると自然と笑みがこぼれた。

 何だよとこっちを向く、冬馬は泰介への対応に困り果てている。

 始まりはどうだって良かったかとここにきてようやく思えた。

 さて、志貴に告げ口しよう。泰介への一番の制裁は双子の姉からの鉄拳のはずだ。


「冬馬、笑っててよ?」


 何だよ、それと冬馬が笑う。

 私がつかまえておいてあげるから、自信をもって生きて欲しい。

 一心なんかよりもっと良い男になってやれと思った。

 25歳になったのなら、二人で選抜を受けに行こう。

 その時に志貴の前でも冬馬と堂々と一緒にいられる自分になっていたい。


「なぁ、『孫くれ』って書いてあるけど、これ何?」


 冬馬が紙袋から、付箋を一枚取り出して首をかしげている。

 私は軽く悲鳴をあげて、それをとりあげた。

「公介め!」

 付箋を掌でぐしゃりつぶして、なかったことにすることを決めた。

 冬馬が何なんだとしきりにきいてきたが、私はもう無となり窓の外を見た。

 おいと冬馬に何度も揺さぶられるが、私は無だ。

 帰宅したら、絶対に公介に飛び蹴りをすると私は心に決めた。

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