第33話 奥義 花の宴
宗像泰介がここに居る。
私の父がここに居る。
希代の黄泉使いの父が共に槍を握っていてくれる。
私は奥の手でJokerのカードを切ることができたのだ。
静かに、静かに、父は頷いた。
行こう、そう言われた気がした。
「宗像槍、花の宴」
私の声と父の声が重なる。
体の真ん中を何かぐっと熱いものが走る。
「春を寿げ」
視界が一気に薄桃色に染まる。
美しい桜だ。
桜の花びらが吹雪いている。
春告げ鳥の美しい声までもが耳に届く。
幻術だとわかっているのに、思わずみとれてしまう。
見送るのだから、最大の敬意を添えましょうと静かな声が頭上から降ってくる。
すべてがスローモーションのように見える。
泰介と私が今この時間を支配しているのだ。
相手が完全に静止して見える。
「縛!」
任せろというように父が私を見て、私は槍を手放した。
泰介が槍の切っ先で糸を切り離し、まるでそれを編むようにして目の前の女をからめとった。
私はひたすらにそれを目で追う。
何というスピード。
幼い時にみた父ももちろん強かったが、こうして今の私が父の動きを見るとそれがいかにとんでもない速さであるかがよくわかる。
「終宴」
急に耳に目にいつも通りの光景と音が戻ってきた。
一瞬にして時間の流れがいつも通りになる。
これが終の型。
これをみてしまったら、私がしようとしていた型はまるでおもちゃだ。
数秒、数コンマの時間を止めてやっとの私とは雲泥の差だ。
これほどまでの技が使えたならどうして、と疑念が沸き上がった。
泰介が敗れることなんかありえなかったはずなのに、どうしてと苛立ちに似た感情が芽生えた。
終の型は悪鬼以外に使用しても許されていたはずだったのにと、泰介を見た。
私の言いたいことを汲み取れたらしい泰介は困ったように笑った。
「やりたくともできなかったんだよ。 いくら技術があったとしても、僕には彼女を縛りきれるほどの糸を準備することができなかった。 この終の型は千年王が紡ぐ糸があってこそなんだよ。 だから、花の宴は本来は千年王の赦しというんだよ」
「千年王の赦し?」
それを口にして、はじめて私は自分自身の手を見た。
「千年王、つまりは志貴、君だよ」
君の糸はとんでもない威力を持っているのだよと泰介は静かにうなずいた。
終の型に使用する108の糸はすべての能力を無効化してしまう。
そして、動けば動くほどに糸はからまり、締め付けも強くなる。
108をかけられた者はもう何もできない。それは誰一人として例外はない。
それがわかるのか彼女はもうぴくりとも動かない。いや、動けないのだ。
この目の前の人をからめとった段階でもう壮馬には闘うすべはなかった。
音もなく崩れ落ち、ひざを折ったままの壮馬。
私が万が一にも終の型にたどり着いていたとしてもそれを完成形に持ち込める泰介がいなければまだいくらかは勝算があったのだろう。
だからこそ、泰介の登場が何よりもの誤算だったのだ。
壮馬は呆然として泰介の顔をみあげてから、何もかも察したように肩を落とした。
もう彼に状況を覆すだけの手はない。
「泰介、お前、どこから仕組んでいた?」
壮馬が頭を抱えるようにして乾いた声で笑った。
その問いに、泰介はさてねと肩をすくめて見せるだけで答えなかった。
壮馬と登貴が生き抜くための未来には何よりも宗像泰介が一番の邪魔者だった。
終の型を繰り出せる技術をもっている泰介と糸を編み出すことになるであろう私がそろうことを避けたかったのだ。だから消したのにと壮馬の口から言葉がこぼれおちた。壮馬は喉の奥でくくくと笑って、天を見上げた。
「志貴、お前は何をした?」
壮馬がこちらをゆっくりと見た。
答えるつもりはない。
だが、私がしたことは、いつかデメリットとなって返ってくるかもしれない。
後先考えることもせずに、とんでもない決断をしたことを目だけで答えることにした。
私の目を見た壮馬は悟ったのか、瞠目した。
禁じ手にひよりもしない、本当に脳みそ腐ってるなと壮馬は吐き捨てるように言って、憎らしいと私をにらみつけた。だが、一心が私の前に立ち、壮馬から私を隠した。
「桁違いの決断を息を吐くように簡単にできてしまう、だから本物なんや」
一心が壮馬に言葉を投げつけた。
「千年王になれるのはごくわずか。 どの王も選ばれるまでは同じだが、決断を誤り戦力外通告を受けることなんかざらにある。 だが、確実に千年王になる宿命の者もいるんや」
「それが志貴だと言いたいのか?」
「あんたの方がよっぽどそれをわかってるんやろう? だから、必死で屠ろうとしたんやから」
壮馬は苦虫を噛み潰したような顔をした。
一心はゆっくりと壮馬のそばに歩み寄り、その首筋に槍の刃を押し付けた。
「本物は間違わん。 たったの一度も間違わん。 いや、正確に言うのなら本物には間違った道を歩ません。 そのために俺がいる」
朔同士のにらみ合いは続いていた。
泰介が私の体を支えるようにして立ち上がらせてくれたが、どうにも一心と壮馬のにらみ合いが気になる。
「朔には朔にしかわからないことも多い。 君が今向き合うべきは、王であった彼女の方ではないの?」
確かにと私は息を吐いた。
糸にからめとられている宿敵は私をじっとみつめている。
雌雄は決した。だけれど、私は彼女をどう裁くべきか迷っている。
足に力が入らない。
私の体はとうに限界だった。
「何が勝負を分けたんだろう」
泰介が私のこのつぶやきに静かに笑った。
天の運だよと泰介が小さくうなずいた。
「まさか王玉すら不要の王がいるとは考えもしなかった。 偽物の私は何もかもに裏切られ、この様だというのに、本物の君には目を見張るほどの幸運がこれでもかと言うほどに降り注ぐのだな」
舞い散る花びらを静かに目で追っている登貴が口を開いた。
夢で見たこの人はそんなことを思ってはいなかった。
皆をちゃんと愛していた。その上で、自分が最後だと皆のために自らのその胸を刃で貫いたはずだ。
「あなたにとってなくちゃならない人はずっとそばにいたはずだ」
理を司っていた狼がその理を曲げてまでもそばにいた。
朔は誇り高い狼が愛のために手を汚した。
間違っている愛情だったのかもしれない。それでもそこには誰にも入り込める隙のないほどの絆がある。
どうしてか私の方が泣きたくなった。涙が零れ落ちる。
なぜ泣くのだと登貴が私に言った。
私はわからないとかぶりを振った。
「こんなに子供のような君が本当にこれから千年の王となれるのか?」
登貴の目の色が赤色から琥珀色へとかわっていく。
壮馬がそれに気が付き、一心を振り切って駆け付けてくる。
「壮馬、ようやくちゃんと逢えた気がするな」
登貴の声に壮馬はそのまま言葉なく彼女を抱きしめた。
彼女の真っ白だった髪がじわりじわりと黒色に戻っていく。
「あれほど戻るなと言ったのに、お前は戻ってしまったのだな。 だから、こんなことになってしまった。 私では千年王に届かないことはわかっていたはずだ。 お前は本当に馬鹿だ。 新しい王を待てばよかったんだ。 私を捨て置けばよかったのだ。 お前は聡明で、理に従う。 お前なら生きて、皆を護り、まっすぐに正しい道へと導くことができたのに。 こんなに怨を身に浴びる必要などなかったのに」
「お前を見捨てることなど選択肢にない。 俺には他の王など必要ない。 王はお前一人だ。 お前が罪を犯してしまったのなら、それを背負う。 お前の消滅など、俺が受け入れられるわけがないだろう?」
壮馬に抱きしめてもらっている登貴は幸せそうだ。
良かったなんて本当は思っちゃいけない。
この二人がしてきたことを帳消しにはできない。
どれだけの命が奪われてきたことか。
ジレンマだ。
どうして、私はもう少しだけ待ってやろうとしているのか。
指を鳴らせば、煉獄の炎で彼らはその魂ごと砕かれて次の世で逢うなんてこともできず無となる。そうすべきだ。
「この国は花を愛でて春を寿ぐ。 春を寿ぐ時を与えるのは悪いことではないと思うけれど?」
泰介がちゃんと生きているとわかる。そのぬくもりが背から伝わってくる。
本当に夢ではないらしい。
「差しのべられた手をつかむよりも、その手を差し出せるかが大切なんだよ」
そうか、今、この時間を許しているのは、私が彼らに救いの手を差し出したということで良いんだ。
一心がこちらへ戻ってくる。
その顔を見ると、張り詰めていた糸が切れた。
アドレナリンだけで支えていたこの肉体は限界の限界を迎えていた。完全に膝の力が抜け、倒れこんだ私の体を一心がとっさに抱きとめてくれた。
一心の頬にも、首にも、肩にも、腕にも深く刻まれた傷があった。
これは本当に勝利といえるのだろうかと眉をひそめた私を見て、一心がそれはこれからだというように視線を壮馬と登貴へ移した。
これは私たちにとってもありうる、おこりうる未来の最悪の情景だ。
深い深い闇と傷を抱えたのならば、同じ道を歩むかもしれない。
暗くて冷たい場所に1人で閉じ込めれたのなら、私はきっと耐えられない。
今更、登貴が感じていたであろう恐怖が私を襲ってきた。
「教えておいてやる。 理に反するなんてことは、自分に限ってないはずだと思っていた。 だが、その恐ろしく高く見えた壁はあっさりと吹き飛ぶぞ。 奪われるというのはそういうことだ」
壮馬の目はまっすぐに一心に向けられた。私を支えてくれている一心の手にわずかに力が入った。表情に出すことはないが一心が緊張しているのが伝わってくる。
「望には永続が与えられているのに朔にそれがない理由は、朔とは己の王のそばでないと息ができない生き物だからだ」
それを言い終わると同時に壮馬は急激にむせこんだ。そして、片手いっぱいの血液を口から吐き出した。
一心はそれを瞬き一つせずに見ている。
登貴がゆっくりとこちらを見てひとつうなずいた。
もういいということだろうか。
指を鳴らそうとするが手が震える。
この二人ははもう人ではない。悪鬼の類と認定されている。
なのに、息ができない。
どうしてこうも息継ぎができないほどに緊張しているのか。
私は記憶を見た。
この人達がかつて皆のためにどれほどまでに闘ってくれたのかを知っている。
その後の転落と容赦ない殺戮は許されるものじゃないが、私は知ってしまっているのだ。
「志貴、かわろうね」
代わりに指を鳴らそうとする大きな手を私はおさえた。
宗像泰介は不思議そうにこちらをみてくる。
「泰介さん、これは違う。 違うんだ」
彼らは煉獄の炎で焼き尽くしてはならない。
私の中の炎が違うと言っている。
「王樹。 そうだ、王樹へ連行する」
それは樹齢数千年。いや、もっとかもしれない。
見事な幹をし、しっかりと大地に根を下ろし、はりめぐされた枝が天をあおいでいるように手を伸ばしている姿をしている。
いつでも主の還りを待っているはずだ。
よく知りもしないのに私の口は言葉を紡いでいた。
「泰介さん、公介さんとみつけてきてくれたんでしょう?」
私の言葉を待っていたように、泰介が満面の笑みを浮かべた。
王樹ならば、きっとこの人たちを受け入れてくれる。
「主が戻りたいと言ったらどうなるの?」
泰介が静かに片ひざをついて、わざとらしいまでに頭を下げた。
「お連れしましょう。 おおせのままに」
一心がその様子にあきれたとため息を漏らした。
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