第34話 王の器と未来

 公介が姿を消した当初、私は公介が探しているものは白い炎の女の本体なのではないかと考えていた。

 憑依師であることを何らかの形で把握した公介は、本物の肉体の安置場所を探るため、身内にも何も話さず、姿も見せずで隠密行動に及んだのではないかと思っていたのだ。

 生身であるのに寿命が来ない理由は宗像の濃い血を引いているだけでなく、時を止める作用をもつ何かに護られている可能性があることも、つたない私の知識ですら思いつくくらいだ。

 公介ならばもっと何かをつかんだのではないかと思いながらも、私ができることをするほかなかった。

 時を止める作用のあるもので、一番に脳裏に浮かんだのは桜だった。

 時を司る望を象徴とする木は本来なら桜だ。

 桜を堂々と掲げている家は津島か白川くらいだ。

 しかし、望に津島と白川を探らせたが空振りだった。

 でも、その時にわかったことが一つだけあった。

 桜の木に命を託している黄泉使いは津島、白川だけでなく、穂積の血筋からも出ていたことだ。

 穂積は頑なにそれを表に出そうとはせず、梅だと言い張った。それは冬馬も例外ではなかった。

 穂積の桜は地下にあり、夜桜、つまり門外不出の秘匿扱いとなっていることまではつかんでいた。

 だから、私は穂積に桜はないのかと、冬馬に直接尋ねることにした。

 しかし、冬馬は長年の相棒である私にもそれを隠した。

 それ故に、穂積が宗像に知られたくない大きな何かを隠していることはその時点でわかってしまった。むろん、私は冬馬に欺かれるのかもしれないという不信感を覚え、心はより頑なになってしまっていたのだが。

 そんなネガティブ全開の中で、父と公介の言葉を思い出した。

 真実、梅以外を信じてはならないという言葉には『己以外は皆、疑ってかかれ』という意味があったのだ。

 宗像だけを信用しろという意味ではなく、泰介や公介を含むすべてを疑ってかかれ、真実を吟味せよという指示が隠されていた。 

 それを教えてくれたのは狼で登場した朔の『梅はお前ひとりだ』というその一言だった。

 梅の絆の本来の意味は宗像一族の結束をいうものではなく、王と朔の絆を指すものだと知ったからだ。

 超絶独りぼっち地獄の中、私は冥界に突き落とされた。

 私の見る夢がこれまでの王の記憶の貯蔵庫のようなものだと気がついたのは楼蘭と出逢ってからだ。

 彼は私に多くのヒントをくれた。

 私達は古からの唯一の血族だと、何もかもがそのままで引き継いでいると彼は言った。

 宗像は古いしきたりも壊していないとも彼が教えてくれた。それで、失われたはずの王樹は必ずあるのだと確信でき、自分の判断は間違っていなかったことにも気づく事ができた。

 公介が私を1人にしてでも見つけたかったものが王樹だと確信したのはほぼ同じ頃だった。

 公介の部屋にあった一枚の写真を思い出したからだ。

 その写真は父が持っていたものだった。 

 小さい頃、私は夢で見た大きな木の話を父にしたことがある。

 高く険しい山の中腹から続く洞窟をひたすらにひたすらに下る。

 エメラルドグリーンの美しい泉の中央には大昔からただ1本だけ何があっても枯れることのない木があった。

 だが、あるのがわかっているのに誰もみつけることができないし、近づくことも許されない。

 夢の中で、私はその木のたもとを掘ろうとするのだが、誰かにそれを拒まれる。

 私の物なのに邪魔をするななんて大声を出していつも悔しくて目が覚めるのだ。

 父はそれをきいた時に、山の写真をいくつも、いくつも並べて、それは躍起になるほどに私にきいてきた。

 だけど、どの写真の中の山も該当せず、父がひどく残念がっていた。

 しかし、数か月後、父が私にみせた一枚の写真があった。その写真は夢の中のそれそのものだった。

 ここだと言った私を父は嬉しそうに抱き上げて、『これで勝てる』と言ったことを私は思い出した。

 その木があの噂話の中の王樹かもしれないと気づいてから、行方不明になった公介がそれを探しに行ったのではないかと私は思った。


「おい、時の狐」


 赤い狐みたいに言うなと小言をいわれたけれど、考えを改めるつもりはなかった。


「そもそも時を操作できる権利がどうして与えられている?」


 この問いにだけは望は答えなかった。

 宗像の主は人生において一度だけならば時間を操作して良いという権利がある。

 もちろん、それが神の獣の許可が下りる内容であればの話だけれど。


「望、私の人生において一度だけの権利を行使したい」


 望は静かに駄目だと首を振った。

 時間を操作することは全てを狂わせるから駄目だと。

 歴史は意味があって、必然があって作り上げられてきた時の流れだとも。

 滅びこそが必然であるのならばそれに逆らうなとも言われた。

 時を遡り、ある地点に杭を打ち込めばここにいる全ての人間の時が失われてしまうかもしれない。 

 その責任をお前が魂で贖うつもりかと、絶対に頷くことはなかった。

 今を生きている私達の存在が消え失せようとも、現状で死体の山を築くよりはマシだと、私は啖呵を切った。

 望は静かに目を閉じてしばらく考えてからこう言った。


「真実、お前が王の器であったなら時代のうねりを最小限にとどめられる」


 本当は得心などしていないんだぞと言いながら、わかったと頷いてくれた。

 あれから壮馬にぼこぼこにされ、傷だらけにされ、黄泉に向かう途中で望が私の元へ戻ってきた。 

 間に合ったと思うと望は言った。のちに合流した公介ももう大丈夫だと言った。

 流れをかえられると信じて、私は突き進んだ。

 そして、九死に一生を得るタイミングで宗像泰介がカムバックした。

 王樹を知っており、尚且つ、終の型を唯一正確に繰り出せる人間である宗像泰介。

 これが私ができる宗像の主として手に入れたかった最終兵器だったのだ。 

 間に合ってくれて、本当に良かった。 

 

「さっき、幸運って言っていたけど、私には幸運なんて何もなかった。 だから、幸運を自ら作るしかなかったんだ」


 登貴が瞠目した。

 私には幸運と呼べるものなど何もない。

 むしろ、針の筵の中で生きて来たみたいなものだ。


「宗像だから愛されるというのは間違いだよ。 王だから愛されるのも間違いだ。 運命や宿命、幸運が味方してくれたこともない。 だけれど、それらを全部、自分で良いように作りかえることはできる。 覚悟一つで世界を変えることはできるんだ」


 思考は現実になる。

 言葉が現実になるように。


「私は未熟だ。 泰介さんや公介さんのような戦闘はできない。 同世代の冬馬や咲貴のようにもできない。 一心や時生のようにもなれない。 だから、私は違うということを嫌というほどに思い知ったんだ」


 自分が違うと知った。

 同じにできないことが悔しいのは比べているからだ。

 同じことができるなら共にいる必要はない。

 違っていることに意味があるから共に立っている。

 それに気が付いた。


「槍を振り回すだけが才能か? 武術、呪術を極めることだけが才能か? そう、考えるようになったんだよ」


 思考の果てに至り、宗像約定が実は敵ではないことを知った。

 世界で一番優しい約束なのかもしれないと思考を転換できたのだから。


「宗像約定は皆のために死ぬなと言ってくれていた。 ただ生きていてくれるだけで価値があるんだぞ、死なない限り、何をしたってかまわないからって言われている気がしたんだ。 ポジティブすぎるけれどね。 取り方次第で良いんだと思った」


 泰介と一心が驚いたようにこちらを見た。


「強くなくても、下手でも未熟でも構わない。 この血が武器になることも、それはそれで捨て置いた。 生きていることそのものが、敵であるあなた方にとっての最大の嫌がらせになるとわかったから、私はこうして腹をくくってここにいる。 負けなければいい。 死ななければいい。 そうすれば、自分がどうすべきかわかってきただけなんだよ」


 道が見えた。

 だから、決断することも怖くなかった。

 だって、決断することのできる権利が自分の目の前に転がっていたのだから。

 配られた手札を使わない手はない。

 

「ただ待っているだけではJokerを手に入れることもできないとわかった」


 登貴は私の顔をさらにゆっくりとみつめ、自嘲気味に笑った。


「君は強いな。 壮馬が焦ったわけだ」


 登貴は横にいた壮馬の顔を見上げた。

 壮馬は静かに目を伏せた。


「壮馬は正確に君の器を見極めた。 だから、急いた。 君は本当に格が違うんだな。 私に君のような器があれば変えられていたかもしれない」


「違うよ。 場が人が作る。 私の唯一の幸運は周囲にいた人間の器が大きかったんだ」


 私はふうっと息を吐いた。

 さすがに足に来た。

 額を脂汗が流れ落ち始める。

 一心がすぐにかけつけて、私の身体を抱き上げてくれた。


「結局、信じたもん勝ちなんだよ。 裏切られても、裏切られても、自分が裏切っていないのならそれで良いんだって信じるだけ。 他人を信じるんじゃない、自分を信じる。 他人に期待せず、自分に期待してやるんだ。 自分を信じず、自分に期待しないような人間の周りに人は集まらない。 人が集まるのなら、私にはまだ価値があるってことだ。 人が集まれば知恵が倍になるだけじゃなく、災厄を除ける力も増える。 人という貯金があるのなら、私は何度だってカードをきれる」


 貴方と私に違いがあるのなら、今、この時に自分の周りにいる人間の数だと思うと付け加えた。

 登貴は壮馬を見上げて、綺麗にほほ笑んだ。


「そうかもしれないな。 でも、一人いれば私は満足だ」


 登貴のこの言葉は私に深く突き刺さり、何かを切り裂いた気がした。

 どうして、こうも負けた気がするのかわからない。


「君も最期は一人いれば十分になる」


 登貴が私を見て、にっこりと笑った。

 屈託のない笑顔だが、ほんの少しだけぞっとした。

 一心の胸元を手でつかみ、ぐっと力が入った。


「私は欲張りだから、一人では満足しない」


 意地を張ってでた言葉だったが、言ってみて虚しくなった。

 本当の一人を私は知らない。

 愛されてみればわかると登貴は言った。

 返答に窮する私にかわって口を開いたのは一心だった。

 

「志貴とあんたは別物や」


 同じにしてくれるなと一心は一瞥して歩き出した。

 そして、私に一言つぶやいた。


「退くな、阿呆」



 

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