第32話 Jokerのカードをきる
「大勢でやりあう必要はない。 私とあんたでやり合えばいい」
私は白い髪の女を指さした。
これで舞台は整った。
新旧の対決だ。ここで雌雄を決する他ない。
「志貴が尽きれば、一心、お前も尽きる。 その逆もしかり。 どちらかが倒れたらそれで終わりだ」
壮馬が一心に来いよと視線をなげた。
「そういうことなら、俺とあんたでやりあえば済む話しやな」
一心は私をさがらせようとした。
「いいや、私が自分で勝ち取らないと意味がない」
壮馬にえぐられた胸の傷はそのままだ。
黒装束の胸元から左側腹部は湿気をはらんでいる。
一心がよせと目でいうが、私は首を振る。
「お前がやられたら終わるんやぞ?」
「自分の命を他人に委ねるのは違う」
私は一心を見上げる。彼は苦しそうな顔をした。
「稽古通りにできるか?」
「やるしかない」
本当は得心などしていないからなと言いながらももう止めはしなかった。
ふうと息を吐いて、私は槍を左手に持ち替えた。
そして、重心を低く構える。
例え、傷口が左よりにあったとしても、利手なのだから仕方ない。痛みに耐えろともう一度だけ息を吐いた。
先代は美しい日本刀、対して私たちは千鳥十字槍。
一心があれだけ呼吸をそろえろ、リズムをそろえろと演舞のように繰り返し繰り返し稽古させてくれた意味がわかった。
いざという時に、互いの動きが読める。
一心と私では雲泥の差ではあるのだが、そこは潜在能力でカバーする他ない。
槍を振るうたびに大きく風を斬る音が心地よい。
壮馬が一心に近づこうと一歩を踏み出そうとする。
私の準備した炎の方陣など怖くないといわんばかりだ。
侮られたことで私の最後の理性の糸がぷつりと切れた。
「なめるなよ」
気持ち悪いほど生ぬるい風。
作られた花の香りは死んでいる。
私は王として1年にも満たない。
対峙している相手は数百年だ。
歴然とした力量差は自覚している。
だけれど、王は私だと覚悟が定まっている分、退くという感性もない。
「君は未熟すぎるのだよ」
女はそう言って、瞬き一つ許さない速さで一気に飛びかかってきた。
身構えていたのに、私の身体は背後に引き倒されていた。
一心が咄嗟に私の襟首をつかみ、地面に私の身体をさらに荒く引き倒すことで第一撃をくらうことを防いでくれた。
見上げると一心がその刃を槍の刀身で受け、にやりと笑んでいる。
私にとって驚愕でしかないレベルの女の俊敏さを物ともしていない。
「私を殺すなってお前の命令やからな。 方法には文句いうな」
倒れて受け身一つとれず後頭部を乾いた大地に打ち付けられた私と言えば手でじんじんする部分を押さえてよろよろと身を起こすのがめいいっぱいだ。
壮馬はまだ動こうとしない。
一心が女とつばぜり合いを続けながらも器用に逆の手を私に向かって差し出してきた。立てと言うことだろう。
まだ後頭部に痛みが残りガンガンしたままだったが、しぶしぶだがそれにつかまりしっかりと立ち上がる。
緊迫した状況であるにもかかわらず全く危機感のない自分に呆れる。
一心もまた危機感がなく、どこか楽しんでいる様子すらある。
「戦闘特化の今の王も悪くないやろ? あんた程度じゃ、身震いひとつしてないで?」
一心の身体ごしにでも十分にわかる女の殺気に拍車がかかった。
こういう要らないことをするなよなと、一心の性質に辟易する。
確かに身震いはしていないし、敗北するというイメージなどさらさらない。
ほんの少し前の私なら逃げ出していたであろう局面にあっても、ここから立ち去る気もない。
刻一刻かわっていく自分自身の性質に笑みがこぼれてくる。
一心がわずかに身体をひねるようにして隙間をつくり、そこから私がひょいと顔を出すようにして女の腹部に肘を入れる。
確実に当たった感覚があった。これは幻影ではない。
「本体だ」
一心が私の言葉ににやりと笑んだ。
本体であるのならば行ける。
この衝突にわずかに遅れて、一心と壮馬が火花を散らした。
最初から話し合いなどできるわけがないことはわかっていた。
わずかでもまだ期待を残していた私がばかだったと思い知った。
王は王、朔は朔で向かい合う。
汗なのか傷から流れ落ちてくる血液なのかわからないものが首筋を背を流れ落ちていく。
不用意に深呼吸すると肺がすぐに音をあげてしまいそうだ。
浅い呼吸を繰り返しながら、間合いを見極める。
歯を食いしばりながら、一心に教えてもらった型通りに槍をふりまわす。
隙ができたのなら、汚いといわれようとも体術を使う。
幾度かつばぜり合いをすると、おかしなことに目が慣れてきた。
稽古で向き合い続けてきた一心の方が圧倒的に動きが速い。
だから、女の動きがゆっくりに思えるのだ。
ドンと女の肘が私の左胸の傷をつく。
絶対にわざとだ。
こらえきれず小さなうめき声をあげたが、歯を食いしばった。
こんなことで、一心の手を煩わせるわけにはいかない。
一心と壮馬の攻防は間違いなくえげつないはずだ。
金属がぶつかる音と風を斬る音が混じり、一心がこらえるような声をあげているほどだ。横目で必死にその動きをとらえるも、一心がおしているのか、追い詰められているのかもわからないほどに速い。
壮馬の強さを知っているだけにどうしても気になる。
「阿呆、よそ見をするな!」
一心が壮馬と向き合ったままで怒鳴りつけてきた。
はっとして、自分の目の前の敵をみる。
わずかなこの隙をついてくるように女の腕が私の腕に伸びてくる。
「志貴、どうして血を使わない?」
私は答えない。答えてやるかと思った。
その腕を振り払い、口の端からにじみ出てきた血を手の甲でぬぐった。
「あんたこそ、使ってみろ。 ぶったぎってやる!」
「私はあんたではない。 登貴という名がある」
「その名前はあんたが使うべき名前じゃない!」
宗像登貴。この名前は宗像で格の高い名前だ。
「気高く、美しく、愛されるべき方の名前をやすやすと名乗るな!」
静かなる梅の女王。
その尊い名前だ。
私が志貴と名付けられたのは静梅の女王のように志高くあれと父が決めたときいた。
悔しい、悔しいんだ。どうして、こうなった。
「絶対に認めない!」
千鳥十字槍を両腕でつかみ、一心に教えられた通りの軌道をとる。
ただやみくもに振り回しているのではない。
登貴に悟られないようにわずかに指先を槍の刀身にはわせてから軌道を描いでいる。血をつかわないのかと彼女は私にきいた。私は答えなかった。手の内をみせるわけにはいかなかったからだ。
時々、軌道を誤ったかのように地に刀身をぶつけて、また、八の字、次に右、左。幾重にも幾重に丁寧に動かしていく。
攻撃をかわしながらも、一定のリズムを崩さずにひたすらに続ける。
これを宗像槍という。
その中でも終の型はすべての罪を浄化し、その者が善であった時間へ戻し、悔い改めさせるという最終奥義。
しかも、黄泉使いは悪鬼以外には関与してはならないというルールがあるはずなのに、この終の型だけはそのルールから外れている。
数千年前の宗像の主がはじめてこれを行使した際に、冥界のお偉いさんが罪を悔い改めるための奥義であるのなら何も傷つけまい、むしろすべてに盛大に使用せよと太鼓判をおしたというとんでもない技の一つでもある。
冥府の役人でさえ、この終の型を繰り出せる人間を恐れたという。
この終の型にはまったものは皆、己の罪から逃げられないからだ。それは悪鬼であれ、冥府の役人であれ、人であれ同じ。
これまでの宗像の主でも習得できた人間は指で数えるほどしかおらず、その一人が私の父親だった。
ゆえに、父が存命の頃に冥府に大きく干渉されたことがなかったのはひとえに父が彼らにとっての恐怖の対象だったというわけだ。
今となっては流石としか言いようのない先見の明であったのだが、その終の型を私の父は何故か一心に口伝していた。つまり、希代の黄泉使い宗像泰介は保険をかけていたのだ。
壮馬なら見抜けていたかもしれないが登貴にこれを見抜くことはできない。
何故なら、生粋の女王として育てあげられた登貴は終の型の使い手ではないからだ。
知られていたらドボンだったが、一心の読みは正しかったらしく、気づいていない。
私の血液で練った目にはとらえることのできない108本の細い糸を張り巡らせるように槍をふるう。
黄泉に潜る時に、私を背負ってくれていた一心にきつく釘を刺されていたことがある。
終の型をやるのは1回きりだと。万が一、途中で勘付かれた時は完遂させずに必ず退けと。
幾重にもめぐらせた糸で相手を縛るということは、相手もその糸を引き、私の体を引き寄せることができてしまう。
108の段階をふめたのなら、その糸をこの身から斬りはなせるが、途中ではこちらが逆にからめとられてしまう可能性がある。
悲しいかな一度たりとも成功したことはないこの終の型。
私は父のように優れた技量もセンスもない。あるのはこの血と獣付きとして与えられた潜在能力だけ。
一心が遠目にも壮馬に悟らせないように、壮馬の視線をこちらへむけさせないようにしてくれているのがわかる。
額に汗が浮かび上がる。目の前がチカチカとしてくる。
血を失いすぎている。早く、早く軌道を描き切るしかない。
終の型でなければ、この目の前の女をとらえきることはできない。
かつて王であった魂を縛るにはこれしか方法がない。
これが敗れたら、もう後がない。
後3巡。
終の軌道を急げと心がさらにはやる。
顔の輪郭をなぞるように汗がしたたり落ちてくる。
その雫があごの先から手に落ちた。汗と思っていたが色が赤い。
そうか、私はどこかをこの目の前の女に傷つけられているのか。
もう、痛みがわからない。
「登貴、目の前の糸を引け!」
壮馬に気づかれた。
一心が壮馬の声にかぶせるように槍を放棄しろと声をあげた。
私には一度きりしかないチャンスを放棄せざるを得ないのか。
わずかに槍を離すタイミングが遅れた。
そして、登貴に糸をひかれてしまった。
ここに父さんがいてくれたのなら、勝てたのに。
私は登貴によって引き寄せられていく糸に逆らうように身を引くのがやっとだった。
「大丈夫」
槍を離せなくなった私の手の上から握る手がある。
懐かしい声がした。
終の軌道をとるよと登貴の糸を引く力をものともしない力が槍に加えられる。
「間に合ったね」
その声は私の涙腺を完全に崩壊させた。
夢じゃない。
振り返り、見上げる。
逢いたかった顔がそこにある。
唇が震える。
望と公介がやってくれた。
もう私には槍を振り回すだけの力が残されていなかった。
それがこうも簡単に振るうことができる。
一心が遠くで遅いと怒りの声をあげていたが、私の背後にいてくれる温かい手の人物はほんの少しだけ眉根をさげて、これでも全力だよと苦笑いしている。
彼は宗像泰介。
私の死んだはずの父がここにいる。
私が取り戻してほしかったのはこの人だ。
「やられたら、やりかえすのが僕の流儀なんだよね」
泰介がそう言って穏やかな表情の中に、恐ろしく鋭い刃をのぞかせた。
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