第31話 礎も犠牲も何もいらない

 宗像の主はその特殊性から黄泉の王と君臨することが許され、冥府に罪あればその罪状を明らかにし、冥府に帰属している者を裁いてしまえる。

 無論、冥府は人を裁くことも制御することも許されているが、生まれながらに人ではない黄泉の王にだけは手を出すことができない。

 黄泉の王に故意に手を出せば、冥府に帰属していながらも一足飛びに悪鬼に堕とされてしまう罰則まである。 

 生まれながらに人ではない黄泉の王になりうる真の王は数百年に一度か、最大千年に一度の頻度でしか生まれない。

 人の生き死、天寿などを操作できるはずの冥府がこの王の誕生だけは察知することができず、その人生の時にも関与することができない。

 冥府は数百年に一度、千年に一度、知らず知らずのうちに喉元に刃をつきつけられて監視されることになる。

 それを黙って見過ごすはずがないと壮馬は話した。


「冬馬、お前が教えてやれ。 穂積が何をしてきたのかを!」


 壮馬の声には凄惨たる怒りがあふれていた。  

 胸の奥に隠してきたであろう怒りは壮馬の唇を震えさせるほどのもののようだ。

 冬馬は苦虫を嚙み潰したようにうつむいた。

 何度も口を開こうとするが、冬馬は声が震えてうまく話せない。

 咲貴がそれを案じるように冬馬によりそった。

 深呼吸ひとつして冬馬は咲貴の肩をかりて、ゆっくりと立ち上がった。


「後世までの千、万を護るのならば一を殺しても仕方がないことだったと言い訳をして、穂積一族は宗像の血を死守するために一人を犠牲にし続けてきた」


 壮馬はえぐい。穂積の罪の暴露を自分自身の息子にさせるのだ。

 冬馬がしてきたことではないのに、徹底的に傷つける。


「王族の中から誰か一人を選抜し、黄泉使い存続のための王樹の礎にしてきた。 黄泉使いはその一人の犠牲をもって古からの能力をつないできた。 これは王ですら知らなかった事実だ。 だが、ある時を境にそれはかわった。 冥府と取引をした奴らがいたんだ。 黄泉の王として生れ落ちた者を眠らせ、礎とするならばそれと引き換えに、黄泉使いは冥府の干渉を受けない。 黄泉使いがおさえる領域すべて同様に干渉されない。 真の王を生贄にすることで皆の自由を勝ち取ったんだ」


 冬馬の言葉に、壮馬の横にいる女が気味の悪い声を上げて笑い出した。


「宗像の王は殺されるために生まれることになったんだ。 皆のために千年の眠りにつけと言われる。 信じていた仲間に裏切られ、獣を遠ざけられ、最後は動けぬようにこの胸を貫かれる。 そして、どうなると思う?」

 

 女はふいにしゃがみこみ、土を手に取る。

 そして、私にそのつかんだ土を突き出すようにして見せる。


「生きたまま、死ぬことも許されず、次の千年を待ち、土の下に埋められる」


 狂わずにおれるかと女は私に問うた。


「君は夢をみただろう? この私が千年前の女王にとらえられた様をみただろう?」


 眩暈がする。

 あの夢はこの女の記憶。

 この目の前にいる女があれだけ懸命に皆を救っていた女王だというのか。

 あまりに悲しすぎて涙がこぼれおちた。

 この女の感情と思考に少なからずリンクしただけでなく、違和感なく受け入れていた自分が確実に存在していたことに鈍い痛みが走る。


「あんなに皆を救ったのにどうして?」


 私は迷ってはならないのに、迷う。頭をかかえ、その場にうずくまるしかない。

 なんでだ。どうして、こうなった。


「一心、お前はどうするつもりだ?」


 壮馬が私のすぐ後ろに控えていた一心に言葉を投げつける。

 わずかに振り返ると一心の表情に明らかに迷いが浮かんだ。


「望! お前はどうするんだ?」


 壮馬があさっての方向をむいて言葉を投げた。

 それに応じるように望が私の足元に現れた。


「お前たちはこれからそこにいる志貴を礎にされるんだぞ? 死んだ方がマシだと思うほどの千年を志貴がくらう。 あの時、どうして邪魔をした?」


 壮馬が私を殺そうとした本当の理由はこれだったのだ。

 顔をあげると壮馬がわずかに目を伏せた。


「千年の孤独を愛せなど、夢物語も良いところだ。 そんなものを耐えられる魂などいない。 だから、俺は黄泉の王として生まれた者をすべて葬るためにここにいる。 どんなに魔に堕ちようとも同じ苦しみを与えることのないように阻むために存在し続けなければならない」


 壮馬は冬馬にこいと手を伸ばす。


「冬馬、穂積の代償はお前だ。 お前は俺の血をひいてる。 この人の新たな器となるに一番ふさわしい。 志貴を礎にかえたくないのならばお前がこの人の器となり次の千年を待て」


 咲貴が一歩踏み出そうとする冬馬の腕をつかんだ。

 それは間違っていると冬馬の顔を見上げて首を横に振った。


「私は己の宿命に最期まで逆らった。 ゆえに不完全なままで封印された。 500年過ぎたころからこうして動けるようになったが、己の体は不完全ゆえに朽ちようとする。 この魂に刻み込まれた礎としての呪縛は解けることがないのに、朽ちようとする。 この魂だけでは何もできない。 だから、冬馬、その肉体をくれないか?」


 女が冬馬に優しく手を伸ばす。

 冬馬はその女の差し出した手からわずかに目をそらした。そして、一つだけ問うた。


「俺の体を差し出したとして、志貴は殺されずに済むのか?」


 冬馬の声色は冬の朝のように何の混じりけもない静寂の中にあって体の芯に届いてくるような響きがした。

 壮馬が冬馬の問いに間髪入れずに切り返す。


「例外なく、王の者として生まれてきた志貴は殺す。 ただし、痛みは与えない」


 冬馬はふっと顔をあげた。

 その表情にはわずかばかりの期待を打ち砕かれたかのような苦笑いが浮かんでいた。

 何のメリットもないんだなと吐き捨てた冬馬がゆっくりと天を仰ぎ見た。

 スローモーションのようにゆっくりと冬馬が視線を戻し、ため息をこぼした。


「梅をなめるんじゃねぇぞ」

 

 冬馬の口から出た言葉に、私は思わず笑ってしまった。


「もっともらしい言葉を吐いてるつもりだろうが、父さん、あんたは結局負け犬なんだよ。 戦いもしないで何やってんだ。 その背中の梅はお飾りか?」


 冬馬の言う通りだ。

 

「そもそも苦しみから逃れさせてやるために殺すってなんだ。 どうして、誰も冥府とやりあおうと思わなかった?」


 冬馬が今度は私をちらりとみて言った。


「どうして、自分たちの真の王を奪われているのに平気でいられた?」


 ここにきてようやく私が鴈楼蘭と出逢った意味がわかった気がした。

 彼は冥府にとって不都合な動きしかしないからある意味でお尋ね者となったと話していた。

 その理由はおそらくこれだ。

 冥府の要求を彼はぶっ壊したと言っていた。

 なるほど、こういうことか。

 辛酸をなめた壮馬とこの最後の女王がどれほど苦しんできたとしても、それはこの二人の苦しみであって、私やこの時代に生きる黄泉使い達のものじゃない。


「王は冥府を裁けると私はきいた。 だったら、あなたたちの闘い方は間違っていると私も思う」 


 私は壮馬を軽くにらみつけた。

 壮馬は平静を保っているようにみえて、でもその実は違っているような気がした。

 本当はわかっている。だが、それを認められない。そんな気がした。


「あなたたちの言葉には真実がない。 宗像約定はそもそも不安定でしかないものだ。 そんな不安定なもので黄泉使いを維持しようとは当然のことながら汚い仕事を背負ってくれていた穂積一族は考えなかったはずだ」


 私は必死に頭の中を整理する。

 理屈でいけば千年の眠りの者がいるのならば本来は宗像約定は必要ない。

 それが現状では宗像約定が必要となっている。


「志貴、答えはシンプルだ。 穂積一族はこの手を汚してでも千年の眠りの者を復活させ、宗像約定から宗像の主を解放したい。 それを悲願としていた」


 冬馬が世界中の絶望をいっきに飲み込んだような顔で私を見た。


「穂積は千年の眠りの者を一人選ぶ制度を復活させたい。 ただしそれは千年王をささげるという意味ではない。 宗像の肩にのしかかるものを軽減させるためであれば穂積からで許されるのであれば穂積から選出すると形として変えたかっただけだ」


「お前も阿呆だ。 尊い犠牲だからありがたく思えってか? はい、そうですかって思えってか? 宗像約定が穂積約定にかわるだけの問題のすり替えじゃないか。 礎になる一人には目をつぶれ。 どうせ、千年に一度の犠牲だ、仕方ないってか? ある意味で穂積も壮馬さん達と同列だな。 一人を礎にして護るべきものなどありはしないし、苦しむ前に葬ることが最善とも思わない」


 腹が立つのを通り過ぎて、もう怒りすらわいてこない。

 冬馬が自分は違うと言いかけたが、自分自身の血族のしてきたことを彼は一切合切継承したことを思い出したのだろう。冬馬は言葉半分でうなだれた。


「千年の眠りの者に同じ痛みを味合わせたくないからとかなんとか。 それ、あなたたちが絶対にしなくてはならないものなのか?」


 私はもう一度壮馬の目を見た。

 千年の眠りの者の苦悩を取り除くのが正解などと到底思えない。

 あまりに筋がなく、支離滅裂な行動理念でしかない。

 その後ろにある本音は違うだろうと思った。 


「さがれ、志貴」 


 なかなか口を開いてこなかった一心がすっと前に出ると、私を自分の後ろへさげさせて、壮馬をにらみつけた。


「これだけ多くの命を好き勝手にして、王となりえた人間すら器にして生き延びる。 これほどまでにルール違反を犯し続けているのに、冥府はあんたたちを排除しようとしないのは何故か。 あんたたちが千年の王、黄泉の王を屠ってくれるから好都合だったんだろ。 その上、王を輩出しかねない宗像一族は約定で縛られ、大博打がうてない状況に追い込む形で維持できる。 冥府にばかりメリットがある。 そんな中でもあんたたちにも恐ろしいほどのメリットがあるとすれば何か?」


 一心はちらりと私を振り返り見て、これしかないだろうなと苦笑いした。

 そして、もう一度、ゆっくりと壮馬へと視線をうつした。 


「どれだけもっともらしい言葉を並べても、あんたのやりたいことはそこにいる自分の女王をただ消滅させたくない。 それだけがあんたの奇行の理由だろう?」 


 一心の瞳の色がゆっくりと琥珀色にかわる。


「時を司る望は常にかわらないが、朔は違う。 王と同じく代替わりする。 新しい世代の王と朔がそろうと先代はその資格を失う」


 一心の髪が朔の毛並みを思わせる銀糸のような美しい色にかわった。


「狼が不義理のように言われるのは、俺たちは真の王のそばにしか生れ落ちることができないからだ。 生れ落ちた時から己の王だけを待つ。 あんたもそうやって待ってきたはずだ。 自分の主は一人しかいない。 今上の朔はこの俺だ。 この俺が自分の王をやすやすと奪わせるとでも思うのか?」


 一気に場の空気感が緊迫したものにかわった。

 壮馬と一心がきつくにらみ合う。

 野生動物が互いに威嚇しているような強烈なやりとりだ。


「一人一人道理は違う。 お前の理屈が俺を助けるわけじゃない。 腹が空いたら飯を食う。 逢いたければ逢いに行く。 護りたければ護る。 見たくなければ見ない。 触れたくなければ触れない。 必要ないものは切り捨てる。 欲しいものだけを手にれる。 それと同じだ。 何が悪い?」


 淡々と口にする壮馬の言葉に私は小さく息をのんだ。

 ほんの少し前までの私の思考過程だ。

 そうか、これほどまでに勝手な思考を私は行ってきたというわけか。自嘲気味に笑う他ないな。


「誰かの命と引き換えにして護るなんてことに理はない」


 一心は静かに言葉を発した後、わずかに逡巡した。

 ふいに、私と同じポイントに一心もはまり込んだのだ。

 誰かの命と引き換えにして護る大義を宗像の直系は知っているからだ。

 宗像約定。

 私が護っているスタンスと壮馬が護っているスタンスがどれほどの違いがあるのかが実のところはわからない。


「王の者を除いたとしても宗像の直系であるお前達こそが一番狂っている世界で生きているんじゃないのか?」


 壮馬の的を射る言葉に私は目を伏せるほかなかった。

 宗像約定は宗像の王を縛る呪いだ。

 一番狂っているシステムから逃れられないのは確かに私達だ。


「志貴は違うぞ。 他者に背負わせることだけはしない」


 一心のめいいっぱいだった。

 そして、一心の言葉は私のめいいっぱいの想いと同じだった。


「どうだろうな。 黄泉使いは皆、罪人だ。 背負う者にすべてを委ね、殺す。 だから、こうして望まぬ永久を与えられる者がでる。 俺の痛みを取り除くには継続しかない。 奪われたのなら奪い返す、すべてを取り返して何が悪い?」


 壮馬はすぐそばにいる女の柔らかい髪に指先をからませつぶやいた。


「次の千年の貴女の器だ、誰でも良いはずがない」

「君は本当のところ誰でもよかったろう? 犠牲の数さえ抑えることが出来るなら。 違うのかい?」


 壮馬は答えない。目を伏せたまま唇をかんだ。


「獣は悪魔になりきれんから仕方あるまい」


 女は壮馬の頬に手を触れると、にっこりと笑んだ。耳元でお前の罪ではないよとつぶやいた。


「どうして、私を器として狙わなかった?」


 もっとも欲しい器はこの私だろうに、どうして私を器にしないというのか。

 女がゆっくりと私を見た。


「君に私が喰われるとわかっていて、器に選ぶような間抜けではない。 ああ、でも王玉だけは返せ」


 王は一人で良いのだと女は言った。

 次世代が生まれたのなら、生れ落ちた段階で自動的に先代が持っていたものすべてが流れ込む。古の王から脈々と続くこれが宗像が世界で唯一といわれる強さの秘訣だ。だが、受け継ぐ人間は必ず1人。各時代に1人だけ。先代は後継がでた段階で己のもっていたものをすべて失うということだ。


「あんたは自分のものを奪われたくないだけじゃないか」


 私が今持っている物はすべてもとはこの目の前の女のもの。

 返せと言われると、まるで泥棒扱いされている気分だ。

 以前も返せと言われたな。

 ふと、この目の前の女ではない、もう一人の白い髪をした女のことを思い出した。

 実体はなかったが、魂だけはそこにあったように思った。

 彼女も王としてのすべてを返せと私に言った。


「あなたが一番初めに器としたのは誰だ?」


 答えはわかっている気がした。

 王と名乗ったもう一人の彼女に、私はどうしてか同情していた。

 咲貴と似通った魂の色をしていた。そして、切ないほどに優しい魂の色。


「双子の妹だがそれがどうした」


 あまりに予想通りの答えに天を仰いでしまった。


「あなたの前に立ちふさがったのが双子の妹だったからか?」

「何を言ってる、アイツはどこぞで温存されていたんだよ。 私を差し出した後に黄玉を得て、玉座を与えられるためにな」

「双子の妹が最後の敵ではなかった!?」

「私をはめたのは先の千年王だ。 それをわかっていながら見ないふりをしたのが私の周囲の者達だ! それなのに、後に現れて、私を助けたいと、助けたかったのだと嘘ばかり。 信じうるだけの証拠をよこせと言ったら、肉体を差し出すと言うから、喰っただけだ。 だから、私は土の下から解放され、ここにいる」


 私はやはりこの女に同情などできそうにない。

 私が咲貴を喰うことなどない。

 例え、咲貴が差し出すと言ったとしてもありえない。


「あんたはやっぱり間違ってる」


 もう解放されても良いのに、彼女はまだこの目の前の姉のために思念だけで私を殺そうとした。それほどまでに愛されているのに、この目の前の女は信じうる妹の肉体を取り上げ、妹を屠った。

 わずかな時間でもこの女に同情した自分を責めたい気分だ。


「双子の片割れが罪を犯したわけじゃなかった。 それが分かっただけで良い」


 私はゆっくりと咲貴を見た。


「宗像の双子は不吉どころか、最強じゃないか!」


 咲貴の頬を一筋の雫が流れ落ちていく。


「事実を捻じ曲げた奴が腹の中にも、冥府にもいるってことだな。 よくわかった! 一切合切まとめて始末してやる」


 敵が内外にもいるとはっきりとわかった以上、この泥仕合に時間を割く必要がない。


「肉体を乗り換えて生きて、それに何の喜びがある? 面倒なことばかりだろうし、もうここで終わりにしよう」 


 公介、時生、冬馬、咲貴に離れているようにと手で合図を出した。

 私の術式はコントロールができない。

 追い詰められて、思う存分、血の恩恵を行使したとしたら、彼らを危険にさらしかねない。


「頼む。 私のためにここから離れろ」


 私は彼らに道反、熊野を援護するようにと新しい指示を出す。

 四人は一瞬躊躇したが、公介が決断を下し、率先してこの場を後にした。


「行ってくれ。 戻る場所のない王など滑稽だから」


 信じてほしいと力を入れて声にした。すると、残りの三人が渋々公介に追随した。

 頼もしいほどの戦力を自ら遠ざけるほどのバカは私くらいだろうな。

 でも、これがやるべきことだ。

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