第30話 公介、帰還!

「お出迎えの花道はお気に召したかな?」


 白く波打つ髪が美しい。

 恐ろしいほどに引き込まれるような紅い瞳をたたえた美女はその形のよい唇を動かし始めた。

 あれを花道というか、この女。


「そこにいる冬馬は私の大事なスペアだ。 ゆめゆめ傷つけてくれるなよ」


 せせら笑っている女の深紅の瞳には道理などない。

 冬馬という肉体に着替えて、こいつはまた生きながらえると宣言するのか。


「そこにいる咲貴でも構わない。 どちらかを差し出せば、せいぜい50年、いや100年はおとなしくしてやってもいい」


 心の奥底から人生最大の怒りの声が飛び出しそうだ。

 自分でもコントロールできそうにない激情が身体の中を暴れ回っている。

 饒舌に語る唇を今にも焼き切ってしまいたい衝動に駆られたが、一心が私の肩に手を置き、幾度も幾度も乗せられるなと制止してくれた。


「まだ黄泉問答できないのかい?」

「いつまで前口上が続くのかと思って待っていただけだ。 弱い犬ほどよく吠えるというから。 怖いのは貴女の方なのではないか?  自慢の黒髪はどうした? 瞳は何色が正解かご存じではないようだ。 教えてやろうか?」


 私は自分の目のあたりを指さし、これだよと吐き捨てるように言ってやった。

 私が持っている物のすべてが彼女の求める物だと知っている。


「話が早いな。 では、君がスペアになってくれるというのか?」


 余裕たっぷりに彼女は綺麗にととのった笑みを浮かべた。

 ちゃんちゃらおかしいわと笑ってやる。


「君は私に手をかけられないよ。 だって、これでも生身の人間なのだから?」


 女はあざ笑ってから、やってみろというように手招きする。


「やってみようか? 本当にできないかどうか?」


 一心の待てという声を無視して、私は駆けだした。

 以前なら怯えていた泉にもズブズブと身をひたすことすらいとわない。

 だって、この世界は私の敵ではないというのだろうと思いきることにした。


「天叢雲、来い!」


 願えば手に届く。私の右手の中にずしりと重量感のある硬質の物がある。


「大剣かよ、私は槍使いだって!」


 ぼやくとその形は緩やかに千鳥十字槍にかわる。

 泉の真ん中あたりは丁度肩ほどの水深だった。

 暑かったのと、血糊を流したかった。しゃがみ込み、頭の先まですべて水の中へしずめきった。  

 一心があきれた声をあげていたが、もうそれは聞こえない。

 水の中は静かだ。

 静か故に自分自身の鼓動がよくわかる。

 泉の底をけって、勢いよく自ら頭を出す。

 そして、泉の水を一瞬で干上がらせるほどの紅蓮の炎を準備する。

 宗像をなめるなよと指をパチンとならすと、我ながら恐ろしいほどに一瞬で水が気化する。

 爆風のみで、水蒸気にもならないほどの勢いだ。

 女の横にいる壮馬の表情が曇り、眉間に深いしわが刻み込まれる。

 声は聞こえないが、口はこう動いていた。


「化け物が」


 声にして唇の動きのままに読み取って笑って言ってやる。

 化け物、結構。

 強けりゃ問題ないのだと、公介が言っていた意味がよく分かった。

 勝ちさえすればいいだけだ。

 敗者に言葉はない。


「なぁ、そこにいる憑依師殿のご本体は本当に無事なのか?」


 何だと壮馬の顔色がかわっていく。

 人は大切な誰かをそばにおくと、予想以上にその本音がたやすくこぼれてしまう。 

 壮馬が女の体に無意識に手を伸ばした。指先でその感触を確かめている。


「あなたもたいがい間抜けだな」


 ありがたいまでの参考情報が私の手のひらに転がり込んできた。

 壮馬はたった今、この瞬間に致命的なミスを犯していることにまだ気が付かない。

 よっぽどこの女が大切なのだろう。冷静さが半減している。


「冬馬も咲貴も、もちろん、私もくれてやるつもりはないし、穂積も護る」

「穂積を護る? 愚かな。 穂積が真実何を隠していたのかを知っているのか?」

「それがどうした?」


 壮馬は宗像のお前が何故そんなことが言えるというように眉をひそめた。

 真実を知った冬馬は穂積を憎んでいるかもしれない。

 これまで咲貴が津島を憎んできたように穂積を憎んだかもしれない。

 だが、己の代でその家の罪を贖おうなどと考えるのは馬鹿すぎる。


「枯れずの王樹、あなたも探していたのでは?」

「枯れずの王樹などあるはずがない。 数百年かけても見つけられなかった物をお前如きがみつけられるはずがない!」


 壮馬の表情にごくわずかであるが陰りがおちた。

 壮馬には確実に迷いがある。

 突拍子もない会話へ切り替えたには理由があった。

 壮馬の後方わずか数メートルのところに、今頃かとぼやきたくなる男の姿が大きくなってくる。

 圧倒的な戦力を持っていながら、こうした小ずるいことをあっさりとやってのけるその人だ。時間稼ぎはもう十分だったろうか。


「どうも、お久しぶり!」


 壮馬が異変を察知して振り返ると同時に振り下ろされる大剣の刃先は、壮馬の左腕を確実に落しきっていた。


「やられたらやりかえす主義なのよね」


 汚いことも平気でやってのける男といえばその人しかいないだろう、そう公介だ。

 へらへらと手を振る公介に脱力しそうになるが、そろそろ本番だ。

 公介とアイコンタクトをした直後、女のそばにいる壮馬をまずは切り離す作業にかかる。

 片腕のない者同士とは思えない死闘が始まったのを横目にみて、私はじっくりと女に向けて槍の先をむけ、来いよと挑発をする。

 消えない悲しみも綻びもすべてを受け入れる覚悟はできている。

 一心が盾になろうと前に出ようとするのを制し、私が前に立つ。

 確認作業が必要だ。

 この女が本当に生身の人間であるのかを確かめるには私が直接触れる他ない。

 壮馬がフェイクをしかけているとしたら、まだ切り札をきることができない。

 壮馬が公介の剣劇を受けながら絶対に動くなと女に警鐘を鳴らすが、女は唇をぺろりとなめると私にむかってとびかかってきた。

 好機到来。

 この一撃をかわすことさえできれば私はこの状況を一変させることができる。

 女があっという間に私の間合いに入り、長く伸びた爪をふりあげる。

 これで決まるとそう思ったのに、公介を振り切った壮馬が女の体にタックルするように入り込み、私に触れさせることを拒んだ。


「もっとびっくりしてやらんとばれるぞ、志貴」 


 公介が私のすぐ背後にきて意地悪な笑みを浮かべた。

 口の端にこぼれおちそうになる笑みを私自身も止められそうにない。

 チェックメイトだ。

 総攻撃の合図はあらかじめ決めておいた。


「梅をなめるな」

  

 私のこの言葉に一心が、時生が、公介が一斉攻撃を開始する。

 壮馬はこれでもかというくらいに目を見開いてこちらを見た。

 壮馬の狡猾さを私の狡猾さが上回った結果だ。

 己の行動の結果が何を意味したのかを今頃悟ったのだろう。

 壮馬がうなり声をあげ、女を後ろ手にかばいながら退避しようとする。


「人でないということが証明できさえすれば私はそれだけでよかった」


 壮馬は女と私が接触することだけは避けたかった。

 理由は簡単だ。

 王樹を知っている者は真理を見抜く。

 壮馬は私が王樹を知っていると誤認した。

 そして、真実が暴露されることを恐れた。


「何よりも恐ろしい武器は言葉だ」


 梅の絆は絶対だ。

 宗像約定もまた絶対。

 梅である以上、理に抵触することは絶対にできない。

 それを逆手にとられていた。


「うまくやってきたつもりだろうね。 対象が人であれば、宗像の主は絶対に剣をむけられない。 だけどね、梅の中には私みたいなろくでもない奴もいるんだ」


 相手が生身の人間と言い張るのなら、私は王樹を知っていると言い張る。

 言葉を巧みに利用した壮馬同様に私も言葉を以て嘘発見器を身に着けた。

 女を直に私に触れさせれば生身の人間。

 女を何としても私から引き離しにかかれば生身の人間ではなかったということだ。

 理を順守する梅を背負う長の誰もが聖人君主だと思っているのは壮馬自身がまっとうな宗像の思想の持主として育ってきてしまったからだ。

 悲しいかな、宗像の当主はいつもまっすぐで誰かをだますようなやり方はできないはずだと壮馬が思い込んでしまったのが敗因。

 私はまっとうな主ではないし、私の父も伯父も違っていた。それだけのことだ。


「あなた自身の手でその女が生身の人間でないということを証明してしまった気分はどう?」


 私は人差し指で小さなサークルを描く。指先に蝋燭の火程度の炎をともす。

 ふうと息を吹きかけると私の小さい炎たちが梅の絵を描くように地上に広がり、ついには壮馬とその女を取り巻く。描かれた梅の花の炎の色が徐々に濃くなり、種火程度から薪程度へとなっていく。


「あなたは、どうやってこいつの時間を制御する方法を知った?」


 壮馬は答えない。この男にはこの男なりの信念があったはずだ。簡単に口を割ることはないだろう。でも、聞きだす必要がある。


「質問をかえる。 何と引き換えにした?」


 ふっと壮馬が笑い、引き換えにせねば、誰もこの苦しみから逃れて生きることなどできないとつぶやいた。


「毎度毎度、宗像の主が倒れる度に黄泉使いの存続の危機が訪れるなんて不安定なシステムをどうして冥府が許してきたのか。 その本当の理由を知っているか?」 


 壮馬は体中の息を吐きだした後、ゆっくりと私の目を見た。


「冥府にとって目の上のたん瘤は宗像の主だ」


 鴈楼蘭が言っていた。

 冥府の役人が最も毛嫌いするのは黄泉の王の資格保持者が生れ落ちることだと。

 つまりは、私や楼蘭の存在ということだ。

 ここまでくるといっそ笑いがこみあげてくる。

 天は私にどうせよというのだろう。

 壮馬に傷つけられた胸の傷が痛む。

 生温かいものがじわじわと流れ出してくる。

 宗像の主だって無敵じゃない。

 身を切られればこうして血が流れる。

 ほうと息を吐く。

 以前の私ならきっとうじうじして天を恨み、親を恨み、神の獣達をうらんでいたことだろうが、それがいかに阿呆くさいかを悟った今となっては、たいして気にならない。

 これは仕方ないことだ。

 私が王に選ばれたことなんて、たまたま程度の意味もない。

 この肉体と魂をたまたま預かったのが私だったというだけだ。

 だから、私が好きにしていい。

 壮馬とその背後にいる化け物の女にじっくりと目をやる。

 どんなに心を打つようなエピソードがこの二人にあろうとも、私はそれに同情はしない。同情してはいけない。あまりに奪われた者が多すぎる。許してはならないとぐっと拳をにぎりしめた。


「過去のお涙ちょうだいエピソードは私の代ですべて消去してやる」


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