第29話 血の涙と覚悟

 黄泉という世界は王という存在にはことごとく服従しつくす世界のようで、望む場所へ簡単にたどり着ける。

 一心がどこでもドアでももってんのかとからかってきたが、とりあえず、私は四次元ポケットレベルの仕事ができるらしいので鼻で笑ってやりすごした。

 いつぞやの泉がこの丘を下ればあるのだと、すぐにわかった。直感というより、表現に困るが脳内Google mapが正しく起動している感じだ。

 黄泉にいると私の五感がやけにさえすぎる。

 気づきたくはなかったが、吹き上がってくる風に嫌な臭いが混ざっている。

 血の匂いだ。

 私以外の誰もが首をかしげているが間違いない。

 数分前から臭いは濃くなっている。

 強烈な悪鬼の死臭に紛れてはいるが確実に血の臭いがする。

 これは人間の血の香りだ。たった一人の血ではこんなにはっきりと臭いがするはずがない。

 複数が危険な状態に巻き込まれているのは間違いなさそうだ。

 黄泉で戦闘できるのは戦闘特化の時生、一心、壮馬に加えた8名きり。

 その内の一人は壮馬であるから、残りは7名。

 ここに一心、時生、咲貴がいるのだから、先に戦闘をしていたのは残り4名ということか。

 生きていてくれと願いたいが、方々に見える悪鬼の群れをみてその望みがかなり薄いことがわかった。悪鬼の姿形が黄泉使いのそれだということは、いくら黄泉の鬼であっても無傷では済まない。

 時生と一心が盛大に顔をしかめた。

 屠られた穂積一族が悪鬼に転化させられている。

 悪夢を通り過ぎたゾンビゲーム。

 脆弱な首を落せばそれで終わる。だが、それは見知った顔ばかりという苦しみが付属する。

 幾度となく、切り捨て、なぎ倒し、燃やし尽くし半時ほどした時だった。

 冥府に天寿を返し、ある意味で死から最も遠いはずの黄泉の鬼。だが、首をたたれればさすがに役割を果たすことなど出来ない。

 何かに気がついた咲貴が突然駆けだした。

 すぐにそれを追って、彼女から数秒遅れて私は眼前に広がるさらなる絶望を見た。

 胴体と首がつながっていない遺体を咲貴は躊躇せず抱き起こしていた。

 その声は苦しみに満ちた絶叫だった。熊野の黄泉の鬼だったのだろうか。

 名も顔を知らないその人を私が焼き尽くしてやるほかない。

 呆然としている咲貴に退けと小さく声をかけた。

 咲貴は身体を震わせたまま、ゆっくりと立ち上がり、その場を譲ってくれた。


「この人たちを二度殺してはならない」


 現世にいるよりもたやすく炎を呼び出せる。

 指先をパチンとならし、紅蓮の炎を呼び、一体目の遺体を燃やしながら、周囲を見渡した。あれだけの血の臭いだ、絶対に一人のはずがない。

 視界に違和感。赤黒い何かがある。

 そちらへと歩むと背の高いとがった葉をもつ雑草が赤黒く変色している場所をみつけた。

 さらに足を進めていくと、黒色の着物を着ている人影をみつけた。

 指先が震える。その背には梅の紋がある。

 うつ伏せになったままの背に指を当てるとまだあたたかい。

 声にならない声がこぼれ落ちるのを私はもう止められなかった。

 梅の家紋を身にまとってくれていた血族を私は救ってやれなかった。

 私が後少し早くたどりつけていれば救えたかもしれない命がここに倒れている。

 3人が互いを庇い合うように重なるようにして果てている。

 梅の家紋の部分を握りしめるとその拳の上に涙が落ちてくる。

 何だ、私だってこんな気持ちになれるんじゃないかと自嘲気味に笑う。

 悔しいを通り過ぎてもう何の感情なのかがわからない。

 一心がその遺体達をそっと抱き起こし、それぞれに仰向けにしてくれた。

 そうか、あなた方が残りの3名の黄泉の鬼だったのか。

 見開いたままの瞼に手を触れ、そっと閉じてやる。

 いつだったか出雲へ出向いた時に、ガイドだなんだと世話を焼いてくれていた。

 まさか、この人たちが残りの3名だったとは。

 遅すぎた。

 痛かったろう、苦しかったろう。

 もう闘わなくていい、今助けるという気持ちでパチンと指を鳴らした。

 火柱があがっていく、無情にも彼らを家族の元へ返すことなく焼き尽くさねばならない。


「絶対に許さない」


 この弔いの煙はもうあいつらにも見えているはずだ。

 この人達が簡単に屠られるはずがない。でも、それが可能だったとしたらその相手は限られる。


「信頼していた者にやられたってことだよね」


 壮馬だ。壮馬しかいない。

 皆、壮馬を見て安堵したんだ。

 青天霹靂だったろう。

 ただの悪鬼になどやられるはずのない彼らがあっさりと背を斬りつけられ、首は薄皮一枚残すまでに断たれている。


「笑顔で挨拶されたのだろうね」


 彼らが抜刀する間もなく、絶命しているのだ。

 微塵も疑っていなかったのだろう。


「どうして、この人達を裏切った?」


 壮馬以外の相手ならば彼らは不意を突かれて背を斬られることはなかっただろう。

 壮馬は確実に石橋をたたく。

 黄泉の鬼に選ばれただけある彼らの戦力はいずれ邪魔になりかねない。

 だから、確実に屠った。


「どうせなら、私一人を狙えよ!」


 荒魂は最も本質に近い、その人の荒ぶる側面という。

 私を心底切れさせて、どうしたかったというのだろう。

 仲間の遺体を見て、茫然自失状態だった咲貴の横顔をみて、自分との違いを痛感したはずだったのに、私も同じだったようだ。

 咲貴のように私は心が優しくはできていない、遺体を見ても、この悲しみを表現できるだけの心がないと思っていたのに、驚きだ。

 私にも王としてすべての黄泉使いを護りたいという思いは一丁前にあったらしい。

 私は燃え行く彼らの亡骸をじっと見つめていられる時間がない。

 悲しみにひたり、嘆くばかりで動けないような私でいてはならない。

 涙をふいて呼吸を整えた。

 咲貴はまだ立ち上がれないでいる。

 咲貴はずっと強いと思っていたけれど、意外と私の方が図太いらしい。

 だから、正気に戻すために冬馬を探せと咲貴に命じた。

 冬馬の名前は彼女の心に火をともすには十分なはず、そう思った。

 咲貴ははっとしたように顔をあげ、静かに頷き、走り去っていく。

 時生が一人で行かせて良いのかと言いかけて、あぁそうかと頷いた。私のそばから望の姿がなくなっているのを確認したらしかった。


「望が無茶はさせない」


 わかったと言って、私より少し前を歩き出す時生の背を眺めながら、すぐ横にいた一心がぼやいた。


「もはや誰もが無茶しかしないの間違いやろ」


 確かにと苦笑いを浮かべる。そうだな、もう無茶するほかない。

 エレガントに戦う方法などどの教術書にも書いていない。


「道反はどうなっていると思う?」

「穂積の亡骸だらけやろうな」


 一心は淡々と言ってのけているようにみえて、その頬には涙の筋ができていた。

 黄泉の鬼ですらこの状態。

 穂積一族が道反で粘っていたとしても考えられる未来は一つしかない。

 廃棄された人形の山のように、遺体が山積する未来。

 絶望的な景色をこの先にしっかりと自分の目でみることになるに違いないのに、今、目の前に広がっているのは有名画家が描いたような美しい景色。どこまでも済んだクリアブルーの湖に、鮮やかな緑の木々。

 眼前に広がる泉は天国じゃないかと思うほどに美しい。反吐がでるほどにいらだたせる景色だ。


「さすがに同じというわけにはいかないみたいだな」


 見た目は優雅であろうと、漂う死臭は隠しきれていない。

 少し先を行っているはずの咲貴の声がした。

 必死に冬馬の名前を呼んでいる声だ。徐々にその声が悲痛な叫びにかわっていく。

 ここからはまだ咲貴の姿はみえない。

 この小高い丘の先にいると直感した。

 膝ほどの高さもある生い茂った雑草の壁に足をとられる。

 かけつけたいが、身体が思うように動かない。痛みはもう麻痺してきているものの、やはり痛んだ。

 先に行ってくれと時生と一心を促したが彼らはダメだと首を横に振った。

 苛立ちの声をあげようとした瞬間、ふいに身体が持ち上げられた。


「置いていくことが出来ない、それだけや」


 一心が私の身体を肩にかけるようにして抱き上げてくれた。

 視界が高く持ち上がる。

 後方にはまだ煙が見えていた。同胞達の亡骸を悪鬼などにくれてやるかと迷う余裕すらなく燃やし尽くしたが、やはり胸が痛い。

 彼らを護るのが私の仕事だったのに、任務不履行とはこのことだ。

 泣くな、歯を食いしばれ。この痛みを私は忘れちゃ行けない。

 逃げるな、見ろと目をそらさずにその煙が立ち上っている方角をみつめた。

 どんなに私がクズでネガティブ馬鹿でも、こんな私が生きていてごめんなさいなんて口にしない。

 私の玉座が血塗れの椅子だというなら、それでも構うものかと座ってやる。

 しばらくして、一心がポンポンと私の背をたたいた。

 おろすぞという合図だ。

 地に足をつけて、振り返る。


「あそこだ」

 

 一心が指差した方へと目をやる。 

 咲貴が血まみれの冬馬をかばうように立ち、抜刀していた。

 冬馬は片膝をつき、刀で身体を支えながら肩で息をしている。

 激しい攻防の跡は、その着ている装束をみれば一目瞭然だ。

 黒色の布地がさらに重々しい黒にかわっている。

 咲貴の長くさらさらとした綺麗な髪が血に塗れていた。背に大きな傷痕をつけられ、津島の桜紋が真っ二つに裂かれている。

 だが、2人ともまだ無事だ。

 そう思うと、ほんの少しだけ勝った気になる。

 時生が私の意をくんでくれたかのように、風の壁をつくり、一心が2人の身体を抱きあげて私のいる場所まで退避させてくれた。

 冬馬が私を見上げる目は怯えなのか、罪悪感なのか、どうにも緊張しているようだ。いつもの幼なじみの彼の目ではない。

 近くに顔を寄せてみると、さらにその目に緊張が走る。

 見れば見るほどにボロボロ、傷口は深く、布で縛るくらいのことをしなければ出血もただではすまないほどにやられている。

 わずかに目をそらした後、まだ戦えると立ち上がろうとする冬馬。

 最後の最後まで粘って、それでもダメなら相打ちとでも考えていそうだと思っていたが、冬馬はまだ自分自身を諦めず、投げ出すつもりはなかったようだ。

 私はそれが嬉しくて、無意識に冬馬を抱きしめていた。


「俺は穂積だ」

「いいや、お前は宗像だ」


 冬馬の体が震えている。大丈夫だとしっかりと抱きしめる。


「今、決めたことがある。 私の代では津島も穂積も白川もない。 皆、宗像だ」


 いちいち線をひくことはしない。

 線を引くからこうなった。

 王1人を護り、それが何になる。

 王というものはそれを王と呼んでくれる多くの仲間がいてこそのものだ。


「これまでの穂積が何をしていようと、津島が何をしていようと、白川が何をしていようと私は知らない。 ただし、私がおかしいと思うことはすべて覆していく。 そう決めた」


 穂積が何をしてきたのか。

 津島が何をしなかったのか。

 白川が何をみようとしなかったのか。

 そして、宗像が一人で何を背負おうとしてきたのか。


「泥を飲むのはそもそも大将のやることなんだそうだよ」


 古の血族であり続ける必要性はある。

 だが、維持方法が間違っていたのだ。

 ゆっくりと立ち上がり、視線をあげる。

 あの時と同様に泉を挟んで立っている。

 彼女の横には壮馬、私の側には一心と時生。そして、負傷してはいるが冬馬と咲貴がいる。


「冬馬、やると決めたなら最後まで勝ち切るしかない」


 一人では闘わない。

 私は皆で闘う。

 

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