第12話 神の獣は心を救う

 幼い頃の記憶はある場面を除いてはとっても曖昧。

 父泰介のかけた魔法、いや封印術をもって、父の最期の日の記憶だけは映画のように鮮明に思い出せるしかけになっていた。

 それも特定の時期に、絶妙のタイミングで記憶にダイブできる仕掛けだ。

 泰介はすべての事態を予測して、あのとんでもない戦いの中で私に魔法をかけ、しかるべき時期に私が武器をもてるように仕組んでいたというわけで、今更ながらに天才という名を欲しいままにしていたその偉大さに脱帽だ。


「天才が子煩悩」


 母が妊娠した時、父はとんでもなく大慌てをしたらしかった。

 当時の宗像は男所帯、だから手厚く育てられる津島で子供を育てることに何の迷いもなく同意していた。

 生まれてすぐの私を初めて抱き上げた時、泰介は可愛いと大喜びした次の瞬間、津島ではなく宗像で育てると意思を翻したのだと、狐は教えてくれた。

 若くして元締めに上り詰めた泰介の方が優位であることを利用し、この子は宗像の子だと断言し、津島の子となる一歩手前で、祖父や母に有無を言わせず取り上げたことも知った。

 そして、あの神経質でどこか他人行儀な祖父が実は津島で育てることを楽しみにしていたらしかったことも併せて知った。

 どんな時も目が覚めると、いつも通り丁寧に傷が治療されていることが当たり前だったのだが、そこに祖父の思いが隠されていたなんて気づきもしなかった。

 祖父に距離を感じていたのは私の方なのかもしれないとほんの少しだけ情けなくも思った。

 母にしても、あの会議をさぼったのは母としてかばえば私の今後に影響するからなのだと知った。

「止めてくれてありがとう」

 手毬サイズで省エネ中の狐はわざとおでこの上へのぼってくる。

 何も言わないけれど、許してくれているらしい。

「朔の気配を感じていたから、あんたは冬馬について護ってくれたんでしょう?」

 狐はあくびをして何も答えない。

 もふもふの毛並みを指先でいじりながら、苦笑いするしかない。

『くすぐったいからよして』

 こいつは本当に私のことをよくわかっている。

「白ちゃん、もう望って呼んだ方がいい?」

 おでこの上の毛毬がピクリと身体を震わせた。

『よく気が付いたわね』

 狐こと、白ちゃんは大嘘つきだ。

 白と言う名前は神狐の分身である天狐のものだ。

 だが、コイツは神狼の朔に対して同等の物言いをした。神の使いのヒエラルキーは恐ろしいほどに厳格であり下剋上などあり得ない。同等に接するということは格が同じ。つまり、こいつは朔の対岸に居る神狐の望ということになる。

「どうして白のふりを?」

『都合良いから』

 全く悪びれもしない口調にさすがに脱力する。

「私は朔と望をどうやって使い分けたらいいの?」

『それはその時に考えればいい。 あんたは賢くないんだから。 それとも私が別の誰かにつくことを望むのかしら?』

「そうは言ってない。 ただ、それを考えるタイミングが来た場合、それを決めるのは私じゃないんじゃないかって思うからさ」

『それは他を選ばないでってこと? どこにも行かないで欲しいってきこえるけど?』

 図星だ。ずっとそばにあったコイツがある日突然、お前じゃないのでさようならと言われては、なかなかにショックだろうなと考えてしまった。

 しかし、私は本能でわかってしまった。戦う時にはきっと望ではなく朔を呼んでしまう。


『志貴、私はあんたが護りたいものを護りたい時に護る。 護る対象があんたの心であるならばそれを護るし、冬馬であれば冬馬を護る。 朔を護れというなら朔を護る。 意味がわかるかしら?』


「どうして我儘だって怒らないの?」


『護りたいものを護れる力があるからよ』


 力強い言葉すぎて、もう頬が緩んで仕方がない。


「あのさ、朔や望が主を決める時の基準って何?」


 ちょっと感動しすぎて言葉につまりそうで、話題をかえようと必死だ。


『ただの趣味よ。 運命とか言って欲しかったかしら?』


 あっけらかんと答える狐。

 こいつがあっけらかんとした口調になる時はごまかしたい何かがある時と決まっている。運命論は信じないが、何かとんでもない爆弾が自分の中にあることは今回のことで自覚したところだ。笑い飛ばせるものならそうしてしまいたい。

 敵が危険を冒してでも狙ってくるにはそれだけの理由がある。ただ喰いたいでは納得できない。私を喰えばどうなるというのだろう。ただうまいとかそういう問題ではないということだけはわかる。

 では、私を堕とすことが理由なのか。自分自身を殺させて、堕として何になるというのだ。

 朔や望の行動パターンを振り返ると、きっと私があの輩に喰われること、もしくはあの輩を排除してしまうことが、この神狼と神狐にとっての大打撃となるはずなのだ。

 これから先に何があるというのだろう。

 私が知らない何かが待っているのは確かなのだ。


「おい、百面相やめろ」


 はっとすると、冬馬が隣の布団でこちらを向いて片眉をあげていた。


「起きてるなら早く言え!」


 会話をきかれてしまっていただろうか。

 あれも欲しい、これも欲しいと欲張りすぎる自分の弱さを知られたのだろうか。

 冬馬はむくっと起き上がると、私のおでこの上に居る毛毬サイズの狐に手を伸ばす。ぴょこりんとその掌に飛び乗る白い塊は、またゆっくりとこっちをみつめた。

「お前と同等に戦うなら、俺にはこいつが時には必要かもな」

 ねーとわざとらしく声をそろえる冬馬と白い塊のやり取りに、自分のちっさな世界が完全にぶち壊されていく。

「主人が一人なら、どちらかが矛になり、どちらかが盾になり護るんだろ? 矛は名実ともにお前の刃だ。 盾はお前の盾になりうる人間を強化して盾の如く動かす。 どちらが矛になるか、盾になるかは、その時の主人の性質にあるだけで大した問題にならんのだろ?」

 良い線だと白い毛毬は心地よさそうに体を震わせた。

 かっかっかっと笑っている冬馬がやけに大人に見える。

 毛毬のままで、面白いわねと高揚した声を上げる白あらため神狐の望を軽くにらみつけた。

「だけど、一人がどでかい武器を持っているとなると、敵からするとわかりやすく的が一つってことだ」

 冬馬がふいに表情を硬くしてじっとみてくるのが心地悪くなり、目をそらした。

「二人とも、正坐!」

 望に促されて、しぶしぶ互いに布団の上で正坐してみる。

「喰われない、喰わせるはずがない、堕とされない、堕ちるはずがない。 はい、復唱!」

 突然何を言い出すのかと望の顔を見ると、ぎろりと睨み返された。

「復唱!」

 心の弱さを吹き飛ばせと言いたいのだろうか。

 私と冬馬は十数回復唱させられ続け、うんざりしてまた互いに布団で二度寝をすることに決めた。

 全身筋肉痛はしばらくはとれそうにない。

 報告せよとせっつかれるけど、今はもう少し眠ろうと思った。

 ふいに私の梅の木は今頃、弱ってるのだろうかなんてとりとめもないことを考えてしまった。

「冬馬、変なことをきくけどさ。 穂積の梅の木ってどこにあるの?」

「梅の木? うちの春の庭にある」

「穂積に桜の木はあるの?」

「いいや、ないよ。 穂積は梅の一族だからな。 津島や白川じゃあるまいし」

 ふいに思い立ったことがあったが、もうやめようと目をつむった。

「もう少し休む」

「それには大賛成だ」

 優等生の冬馬も悠々と惰眠を貪っているんだしと言い訳をすることにした。

 黄泉使いの世界でもっとも強いものは力ではなく言葉だ。

 言霊ほど恐ろしいものはない。 

 本当にこれから私は一体どうなるんだ。

 間違いなく危険的状況にあるというのに、どうしてこうも眠いのは何故だろう。

 そうか、これが本気の現実逃避という奴か。

 ならばそれに素直に従うとするか。


 

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