第11話 敵が人では手が出せない

 お前ならどうするかと朔は私に問うた。

 どうするかときかれても今更どうしようもないだろう。

 ゆっくりと立ち上がったなら、私は私がすべきことに集中するだけだ。

 正解なんてわからないから、真っ向勝負しかない。

 抜群の運の悪さと勘の良さに嫌気がさす。

 本能は抜群のレーダーというわけか。

 奴は私と対峙することを選択したらしい。

 冬馬がほんのわずかの差、何かを察知してこちらへ踵を返すのと同時だった。

 ぴちゃりと水を踏む音がした方向へと顔を上げた。

 

「この穴をどうやって開けた?」


 私は貯水槽の裏に立っていた人影に向かって言葉を投げた。

 冬馬の判断より、やはり私の勘が勝っていた。


【毎夜毎夜、生き血を捧げれば簡単に開くさ】


 しわがれた声でもなく、少年少女の声でもない。

 狂気が感じられるような声を心のどこかで期待していたのに、正面から返ってくる声はごく普通の男の声。

 一定の距離を保ち、すぐには近づくことはしないようだ。

 互いに相手の力量を推し量っている。 

 とんでもないことをしでかすわりに、奴は緻密な印象を与えてくる。

 サイコパスのような、狂気の破壊王のような印象ではなく、とんでもなく繊細で巧妙。

 声にも息にも乱れはなく、感情の起伏などない、そんな感じだ。


「生き血をどうやって獲得した?」


 自分でもよくわからないが、どうしてか普通のトーンで普通じゃない会話を続けていた。


【死にたいと願う奴の手助けをした。 するとこの場所は格好の狩りの場となっただけだ】


 今度は女の声。


【ようやくお前を丸裸同然で引きずり出せた】


 今度は幼い子供の声。変幻自在と言うわけか。

 いよいよ化け物だな。

 敵ながらあっぱれの狩場探しだと思い自嘲気味に笑うしかできなくなり、私は暑苦しく感じたフードをそっと外した。


「殺気だけは順調にこちらへ届いてくるわりに、動けないのは何で?」


 とびかかろうという勢いが感じられたのに、実際には動いてこない。

 姿を現さないのは、冬馬が張った捕獲用サークルに確実に足を取られている証だ。

 ターゲットを見過ぎて、足元の罠に気づけていなかったのだろう。


「お前のミスは冬馬を侮ったことだ」


 冬馬はこうなることも想定内だったのだ。

 万が一、私が向かう方が当選だったとしたら、自分が駆け付けるまでの確実な時間稼ぎができる檻を準備する。

 横目に冬馬がもう数メートルのところまで駆け付けてきている姿を確認した。

 冬馬の檻は次の衝撃には持たないだろう。

 次は確実に、奴は動ける。確実に動いてくる。

 だから、こうする。

 私はもう一度指先に血をにじませた。そして、自分の唇にそれを押し付ける。

 チャンスは1回。

 槍の重さが増してきているということはもう時間切れが近い。

 冬馬とアイコンタクトをし、その意図をはかる。

 彼がすっと裏手へまわり、挟み撃ちにする格好となった。


「私を喰いたいなら罠などしかけず、私のもとへ来い!」


 何も考えることなく息をするように言ってみて、はっとした。

 泰介はひょっとしたら同じことを言ったのかもしれないと思ったのだ。

 言霊は現実になる。


【親子そろって、私を招くのか?】

「なるほど、お前がうちの結界をやすやすと超えられた理由はこれか」


 腑に落ちた。この言葉そのものが召喚の言霊になったのだ。

 実に笑えるが、泰介はこれをきっとわざとしたのだ。

 巻き込まれる人間を減らしたかったのだろう。


【お前の父親が死んで無効になっていたのに、今度はお前がまた私を宗像の中核へ招くとは】

「私が決着をつけてやる。 ただし、狙うのは私だけにしろ!」

【それはどうだろうな。 お前が大人しく喰われるのなら約束してやっても良い】


 馬鹿馬鹿しい提案に対し断ると大声を張り上げてやった。

 確実に敵をホールドする封術の陣が冬馬によって敷かれるのを待つ。

 数秒で良い、確実に足を止めてくれさえすれば勝機はある。

 ようやく冬馬が後方に飛びすさったのを視認した。

 私はその人影に向かって、千鳥十文字槍を投げ込んだ。

 槍が作り出した紅蓮の炎が冬馬の封陣をなぞるように広がる。


【浅いな、未熟!】


 とんでもない威力の粘着質の白い炎の壁が現れ、冬馬の封陣は吹っ飛ばされた。


「志貴、避けろ!」


 冬馬の声より早く、こちらへ向かってくる白い炎の矢を、寸手のところで身をよじって避けたもののマントがわずかにかすった。

 急いでマントを脱ぎ棄てると直後に一気に燃え上がってしまう。

 恐ろしいほどの威力だ。

 そして、確かにその炎の中にあった人影の瞳の色を見た。

 猛り狂う炎のような赤、血の涙を流しているのかと目を凝らした。

 朔は生きている人間だと言った。

 ならば何故、こんなことになっているのだ。


「生きている人間ならばまだ引き返せる!」

【同じ説教だな。 その甘さが死を引き寄せるぞ】


 とっさに逃げられると察知して駆け出そうとしたが、人型になっていた狐男にそれを全力でとめられた。

 羽交い絞めにされたままで、私は離せと叫ぶことしかできなかった。

 顔は遠すぎてわからない。ただ、恐ろしいほどの赤い瞳が印象に残りすぎた。

 あの時と同じだ。

 あの白い炎を前にして、私はこうして狐の腕の中にある。

 悔しいなんて感情じゃない。激情だ。

 唸り声をあげて、私は仮面をはぎとり、放り捨てた。

 狐は一向に力を緩めようとはしなかった。


「お前だけは理を曲げてはいけない!」


 私が理を曲げるというのか。

 ただ敵を倒すことが理を曲げるってどういうことか理解できない。


「アイツは人間だ! お前は生きた人間を断罪することはできない!」


 狐の悲痛な声に私はようやく我に返った。

 一気に背筋を寒いものが駆け抜けた。

 私たちの敵は悪鬼だ。この手にある力は悪鬼を退けるために与えられた能力。

 それを生きた人間に向ければそれは理を曲げたことになる。

 ひどい眩暈がした。

 最強と謳われた泰介が最後の最後までおしきれなかった理由。

 命を落としてしまった理由が今わかった。


「泰介さんは理を曲げられなかったから死んだ?」


 狐は私を抱きしめてくれながら、静かにそうだと頷いた。

 退けることがめいいっぱい、封じることがめいいっぱいだったのだろう。

 声にならない声ってこんな声なんだなと叫んでみて思った。


「なんでアイツがのうのうと生きてる! 悪鬼に堕ちやがれ! そうしたら叩ける!」


 誰かを呪うなんて初めてだった。

 昔から教えられていた。簡単に死んだらいいなんてことを口にするなと。

 口にした言葉は現実になり、そして、それが成就するとお前にも返るのだと。

 声が震える。

 どうやったら涙を止められるのかもわからない。

 どうしてこんなことが許され、理不尽なことがどうしてこうもまかり通る。

 それがこの世界だと知っているじゃないかと言い聞かせてみるがどうにも呪ってしまう心が生まれてくるのを止められそうにない。


「朔!」


 呼びかけに応じた白銀の狼は試すような琥珀の瞳でこちらを見上げてくる。


「わかっていて何も言わなかったな」

『お前ならどうするかときいたはずだ』

「消し去るに決まってる! 泰介さんの仇だ!」


 怒りのままに大声を上げた私をあざ笑うように朔は鼻先で笑った。


『ちっとは梅の誇りをみせてみやがれ』

「梅の誇りならある!」

『憎いから討つ。 汚いから消す。 それのどこに誇りがある?』


 朔は鼻筋にしわを寄せ、牙をむいた。

 朔が正しいのだと頭ではわかっていても、感情がついてこない。


『まんまとのせられ、自己破壊的な行動をとらされた愚かさをちっとは自重しろ』


 のせられただと、私ははめられだというのか。

 朔の言葉にその場に膝を折ってしまった弱い自分を認識した。

 すべてがアイツの計画通り。

 私がアイツをこの場で仕留めていたら、私は理を曲げたものとして処分される。


『どれだけの大義があろうと人間を屠ることは理に反する。 やってしまえば、お前はアレと同じだ』

「言い過ぎだ、朔!」


 狐が私を包み込むように抱きかかえると、どすのきいた男の声で怒鳴った。


『お前は甘いんだ。 ひっこんでろ!』

「ひっこめるか! 強引にたきつけたのはお前だろうが!」

『もう17だ! 父親の抑えが効くのも限界だ』

 このやりとりは確実に狐には分が悪いらしく、頭上で歯ぎしりが聴こえた。

 朔に完全に言葉を奪われた狐は、私を抱く腕の力をより強くする。

 護ってくれようとしているのがひたすらに伝わってきた。

 この狐男は小さい頃からそばにいる。

 だから、私のこの心の弱さを嫌と言うほどわかっているのだ。


『人間を殺してはならない。 他人であれ、自分であれ。 これは理だ』


 確かに、朔の言う通りどんな高尚な理由があったとしても、どれほどの大義があったとしても人間を殺すということはそれだけの代償がある。

 代償とは終わらない夜、星がない空、季節のない世界にあって、もがく苦痛をいう。

 罪を犯した人間がのうのうと生きていたとして、それを許すまじと行動した人間も同罪。言われなくたってそんなこと知っている。

 理不尽すぎる。言葉通りの、それしかないだろうというように心が闇に転がり落ちた。


『その人間が良い人間か悪い人間かなど関係なく、死は誰にでもたまたま訪れる。 お前はたまたま生きているだけなんだ。 それだけの違いしかない』


「死を、生を、馬鹿にするな!」


 一生懸命に生きていても、退廃的に生きていたとしてもそれが同じだと言うのか。 納得なんかできるはずがない。


『馬鹿にしているのはお前の方だ。 良く生きたから良く死ねるのではない。 たまたま来る死の時に、己が何であるかを答えられるかどうか、それだけだ。 最初から時間は平等になど与えられてはいない。 生も死も平等ではない』


「どうしてそんなことをお前が言うんだ! お前は理の狼の癖に!」


『生も死も、他人と比べるものじゃない。 すべて一人なんだよ。 他人と比べるから平等を望み、理不尽だと嘆くんだ。 自分の生は自分だけの軸で全てが成り立っているのだと悟れば見える世界は変わる』


「それじゃあまりに孤独すぎる」


 自分一人。

 世界に一人だと認めて孤独を愛せというように聞こえる。


『お前は他人には成りえない。 その逆もしかりだ。 だから、お前はお前として独立し、その上で他と協調するんだ。 お前の言う平等はお前の物差しで評価させてくれという我儘だ』


 頭が大爆発しそうだ。朔との問答は自責しか生まない。

 わかれと言われてわかるくらいなら苦労なんかしない。

 でも、あの時、アイツに向けた自分の殺気は確実に汚いものだったと思い知った。 自分のとった行動や決断が間違ったものだと心の中では気づいている。

 自分の知らなかった自分がいた。自分の中にいた殺人者と同等になりえた自分。

 憎い、殺したいほど憎いアイツと私は違う人間だ。だから、私の理でアイツは裁けない。

 アイツを裁くのはアイツの理でしかない。このへ理屈のような縛りに苛立ち、唸り声をあげた。

 泰介さんはどうして最期に笑えたんだろう。

 私は笑うどころか、鬼の形相だ。


『お前が梅の主だ。 でも、理を護らんのならばお前の梅の木を俺が食い散らかすのみ』


 悔しい、むかつく、いらつく、腹が立つ。

 この感情の先にあったそれを凌駕する感情は、言われっぱなしで済ませるもんか、負けてたまるかという小さな意地だけだ。


「もし、私が理を壊す時が来たら、遠慮なく、梅の木を食い散らかして良い」

 

 私は宗像志貴だ。泰介の娘だ。泰介から託されたものを護らなくてどうする。

 だから、このムカつく朔を絶対に使いこなす。きっとそうしなければならない。


「そのかわり、私が歯を食いしばっても理を遵守したのなら、その力を余すことなく私に差し出せ。 お前の意志など関係なく、私のやりたいように手を貸せ」


『お前がその器に値するかどうか、常にはかっておいてやる』


 膝を折ったままの私の頬に朔がそっと鼻を寄せてきた。

 言葉とは裏腹にそれが癒しだとわかってしまい、地面に視線を落とすしかなかった。

 朔は本当の意味で私を護ろうとしてくれているとようやく悟った。

 アイツに真実引っ掻き回される前に、私に汚い自分を把握させ、それを自覚させたかったのだろう。予防接種みたいに、痛みと引き換えに抵抗力を得る。つまり、今回のマッチアップはそうした類いの準備体操だということ。

 本番はまだ先ということかと気づくとがっくりと肩を落とす他なかった。

 しかも、すべては朔の手のひらの上だったのだから、どこからが緊急事態で、どこまでが仕組まれたことなのかわからなくなる。


「腹減ったし、眠いし、戻ろうぜ?」


 冬馬が仮面を頭の上にのっけたままで、腕を回しながら歩いてきた。

 よくみると涼しい顔をしているが冬馬はものの見事に傷だらけだった。


「ひどい顔だな、冬馬」

「そりゃ、お前の方だ。 嫁入り前が頬に傷ありとか、売れ残るぞ」


 冬馬に言われてはじめて、右の頬に切り傷があることに気が付いた。

 いつだ、これ。触ると結構痛いと言うことはそれなりの傷だ。


「避けたつもりだったのに」

「アイツ、鎌鼬みたいだな。 風をどうこうして一気にたたみかけてくる、そんな感じだ。 俺も避けたつもりだったが、ざっくりやられかけた」


 冬馬も左足をかすっていたらしく、15㎝程度の切り傷ができたとみせてきた。


「何度もチャンスはあったのに当たった感じがまったくしなかった」

「それも同感」


 ほんの数秒間の沈黙。


 憑依師。


 ほぼ同時に同じことを口にしていた。

 憑依師とは自分の身体を一切使用せず、魂魄だけを飛ばし、その場で適切な人間や動物の姿を形づくり戦うことができる者を指す。

 本体は眠っていて、魂魄だけを飛ばして、その都度、形を変えて戦う。

 肉体を使わないことはハイリスク、だけれど実はハイリターンでもある。

 限りなく悪鬼の世界に近いことは、限りなく人間から遠ざかることを意味するが、その自由度は恐ろしいほどまでに高い。人間の肉体という制限がないことは能力をあますことなく使用できることを指す。

 だが、憑依師は絶対に一人では戦えない。その本体の息の根を立たれればすべて終わるからだ。至極安全な場所と守護してくれる仲間が絶対条件のはずなのだ。

 冬馬は頭が痛いなと眉間にしわを寄せた。

 私も面倒なことになったとうなだれるしかない。

 理由は簡単すぎる。

 宗像の系譜では私のように武器となる物をいかなる場所にでも呼びだせる召喚師と冬馬のように空を飛ぶもの、海に沈むものすべての生き物の目を借りデータを収集することができる偵知師にほぼ二分されている。つまり、宗像一門に憑依師はいないといっても過言はない。

 対して、津島の系譜には召喚師と偵知師の数はほぼ皆無。その代わりに、幻影師と憑依師という特殊な能力者がいる。

 とどのつまり、この報告で何を伝えようとも面倒事しか起こりそうにない。

 公介はきっとこれを知っていたはず。

 敵が憑依師であること。さらにその疑惑が津島に向けられ大混乱を招くことを。

 憑依師は声色さえかえられる。相手が男なのか、女なのかさえわからない。

 この受け入れられそうにない現実を悪夢だと振り払うように、私と冬馬は白々と明けてくる中、全力で帰途に就く。

 本部屋敷の入り口にたどり着くのが精一杯で、玄関先で睡魔に襲われ二人そろって死んだように眠ってしまい、結局、その翌日まで目を覚ますことはなかった。

 



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