第10話 朔と宗像の子

 激しい光に包まれ、思わず目を閉じた。

 そして、再び、まぶたを持ち上げ、そこにあった景色に言葉を失った。

 夜闇に火花がとびちっており、金属音と肉を断つ鈍い音が繰り返し耳に届く。


「どこにいたんだ!」


 冬馬のこの台詞に、私自身がびっくりする他ない。

 ずっと同じ場所に居たつもりだったが、どうにも違っていたらしい。

 冬馬はとびかかってくる悪鬼を蹴散らすことに手一杯で振り返りもしない。


「見てみやがれ、お前がぶち込んだ餌の結果だ!」


 視線を右に移すと黒い塊が目に入った。

 異様なまでに悪鬼の数が膨れ上がっている。

 屋上はまさにぎゅうぎゅう詰め。満員電車も真っ青。

 小物でもここまで増えすぎれば簡単には片付かない。手古摺れば手古摺るほど、悪鬼は同種を呼びよせる性質だ。これはその負のスパイラル中。

 私はさらにぐるりと見渡した。

 気配は確かにあるのに、どうしてもつかみきれない。

 敵の気配は確かにここにあるのにここにはないそんな感覚だ。


「冬馬、こいつらの処理方法は一応みつかった」


 なんだよとようやくこちらをみた冬馬が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ私から身を離すようなそぶりをした。冬馬の指先はおびえているように私の手の中にある槍を指す。

 盛大なまでに理解できない様子の冬馬に苦笑いだ。


「冬馬、私が悪鬼の中へ突っ込んでいる間に探して欲しいものがある」

「あの中に突っ込むなんてありえん!」

「やるしかないんだって! その間に悪鬼がいない隙間を見つけて欲しい」

「そんなもんどっこにもねぇわ! ゾンビゲーム以上の密度だぞ?」

「絶対に隙間があるはずなんだ!」

「もっと簡潔に、ちゃんとわかるように説明しやがれ!」

 半分この提案を受け入れた様子の冬馬がようやく一歩足を引いた。

 半身だけ振り返り、プランをきかせろと一つ頷いた。

「コントロールしている奴は生きた人間。 悪鬼に混じるわけにはいかない。 だけど、近くに居ないとコントロールもできない。 つまりどこかでこれを見ているはずだ」

 冬馬はわかったと苛立ち紛れに声を上げると器用に柵の上にとびあがって片膝をついて、目を凝らす態勢をとった。

 私にはない冬馬のこの才を疑ったことはない。冬馬には冬馬にしかできない芸当があるのだ。幻術や封術の類は冬馬の前では一切効力を発揮しない。それこそが彼の武器だ。

 鷹の目を利用して、この場に掛けられた術のほつれを探るのが私からのオーダー。

 冬馬はそれを請け負うと決めたらしい。

「これをしだすと丸腰同然なんだから、こっちに一匹たりとも寄せるなよ!」

 わかっていると大きくうなずいてみせる。

「危なくなったら即刻中止だからな!」

 それもわかっているとうなずき、私は悪鬼の渦の中へ飛び降りていった。

 今はとにかく、向かってきてくれる悪鬼たちだけでも斬ってやる。無我夢中で、悪鬼を斬る。いや、これは浄化していたのだと知ったからこそ斬る。できる限り救ってやりたい。


「悪鬼たち、頼むから、こちらへ来い!」


 冬馬はこの私の言葉をきっと奇妙に受け取っていることだろう。

 内省する時間も心も奪われた地獄に縛り付けられるしかない悪鬼にもわずかな安らぎがあっても良い。堕ちたことが罪であっても、次がなかったとしても、永遠の地獄など元が人間の魂に耐えられるはずがない。安らぎが消滅だったとしても、この苦痛は終わる。これが手前勝手な発想だとしても、構うもんか。

 千鳥十字槍の刃に重い振動が幾度となく伝わってくる。

 悪鬼達の哀しい声をもう聴くなと言い聞かせるがやはり聞こえてしまう。

 泰介はこれをどうやって乗り越えてきたのだろう。


『花吹雪が得意だっただけだ』


 私の心を読んだように朔の声が聴こえた。

 このゾンビゲームの真っ只中に花吹雪といわれてもピンとこない。


『この国は花をめでて春を寿ぐのだからと、花の宴だと言っていたぞ』


 何を言い出すのかと思いきや、朔は舞い散る花びらが吹雪いているイメージを見せてくる。

 次いで張り巡らされた枝をめいいっぱい手を広げるように伸ばしている大樹の幹のイメージが飛び込んでくる。その大樹のようになれと言うのだろうか。

 泰介は一体何をどうしてきたのだろう。 

 あの父のことだ、きっとド派手に大きく包み込んだに違いない。

 確かに美しい花がそこにあれば人間は足を止める。悪鬼達の世界には枯れ木しかない。そんな寂しい世界に花があれば。

 宗像にしかできない芸当が今まさにここにあると悟った。待て、これを見て、己を省みろと止めてやれる。


「吾は望む、時を静やかに」


 悪鬼の動きがぴたりとやむ。

 そうだ、足を止めて見たらいいんだ。そして、これを見上げて、最後に微笑むがいい。


「汝、何であるかを悟れ。 悟れぬ者は……」


 紅蓮の炎は轟音をあげて悪鬼を飲み込むものだと思っていたが、イメージ通りにコントロールできることを初めて体感した。

 花びらが舞い散るように小さな小さな赤の炎が夜空に舞い上がる。永遠に続く冬のような世界にいるのならば、花ある春を思い出して去れ。

 終わりの合図に指をパチンと鳴らす。


「汝ら永訣の鳥となれ!」


 きっと泰介ならばもっと優雅な最期にしてやれるのだろうが、私は花の宴には到底及びもつかない。さしずめ花火大会か。この花火大会を幾度となく繰り返して冬馬の声がようやく聞こえたのは、半時ほどした後だった。

 名を呼ばれ肩口を力いっぱいつかまれて、私はようやく足を止めることができた。

 冬馬が紅面か、すごいじゃないかなんて普通に喜んだ瞬間、急に現実に引き戻された。

 意に反してがくりと膝の力が抜け、吉本新喜劇真っ青なほどに綺麗に地面に倒れ込んだ。慟哭と強烈な息苦しさに胸がおさえつけられ、ちゃんと息ができない。


『限度を超えたんだ。 数十分が活動限界だと言ったのを忘れていたのか? まったく手のかかる奴だ。 頭の中で、月から滴が落ちてくるイメージをしてみろ』


 朔がまたそばに現れた。

 私の身体のまわりを幾度も幾度も繰り返し歩き回り言葉を投げてくる。


『制御するんだ。 天上にある月が滴をお前の頭に落す。 それは冷たいか?』


 声に導かれるように水の音が聞こえる。

 見上げると紅の月。美しい涙のような滴が落ちてくる。頭のてっぺんに水の冷たさが確かに感じられた。すると嘘のように呼吸ができるようになった。早鐘を打っていた心臓もやや速い程度の鼓動で落ち着いてきている。

 一息ついて、左側に目をやると冬馬が困惑している。

 この朔の登場におののいて言葉を失っているその様子がどこかおかしい。


「これも後で説明する。 で、特定できた?」

「当たり前だ!」


 冬馬の声が上ずっている。何せ伝説の狼がそばに居て、突き刺さるような目で見上げているのだから当然と言えば当然の反応か。


「お前には聞きたいことも、言いたいことも山ほどあるが、まずは叩くのが先だ!」


 私は身体を起こし、冬馬の前に背を向けてかがんだ。そして、目を閉じた。

 冬馬は朔にびびっている感じではあるが、恐れを振り切ったのか、いつも通りに私の背に手をぴたりとつけて、深呼吸した。冬馬の手からゆっくりとビジョンが流れ込んでくる。彼の思念をそのまま飲み込む形だが、痛みもきつさもない。


「11時方向で間違いなし?」

「間違いない。 ただ、11時方向が本星だが場合によっては2時方向に移動する。 穴から悪鬼がはい出てくるにもリズムがある。 悪鬼がでてくる瞬間にだけ奴は2時方向へ動く。 宝くじの当選はどちらかわからん」


 この組み合わせにおいて、私はパワー、冬馬は頭脳を担当する。

 振り返って、司令塔の冬馬に指示を仰ぐ。


「俺が11時、お前が2時。 2時方向には貯水槽。 足を取られるなよ? やばいと思ったら速攻で退けよ、頼むから!」


 ポンっと冬馬に背を押されると同時に私は右方向へ駆け出す。

 冬馬も同時に左方向へ駆け出す。

 冬馬に与えられたビジョンにはあるトリックが仕込まれている。

 時間をかけて、彼はもう罠を特定の場所に仕掛け終わっており、その罠に私がかからないようにマーキングされた箇所が真っ赤なサークルとして目視できるのだ。

 その罠にかからぬようにうまくよけていく。

 追い込み漁みたいなものだ。

 相手をその真っ赤なサークルへ追い込むように動いていけばよいだけ。

 冬馬は11時方向がより危険だと判断し、指示を出していたはずだ。

 だが、私は2時方向に相手が来ることを予感していた。

 よりやばい方には、本来、格上の黄泉使いが向かうのは鉄則。

 だが、それを覆してしまうかもしれないと、私は口には出さなかった。

 今回ばかりは冬馬より私の本能に判断の利があるとしか思えなかったがそれでも口に出さなかった。


『お前の勘は正しい。 だから、先に穴をふさげ。 ギャラリーは少ない方がいい』


 並走していた朔の言葉に息を飲んだ。

 あんな穴を防ぐ芸当などあるはずないと、思わず足が絡まりそうになる。


『この程度の穴ならお前一人で塞げる。 方法は身体に聞け』


 身体に聞けというのならば、あの穴へ近づけばいい。

 しかしながら、それはあまりに無謀な気もした。穴を挟んで対岸に見える冬馬の背中に視線を移す。穴を閉じれば、四方八方敵という状況は一気に打開できる。

 私の方へ例の奴が来なければ、悪鬼の山とこれを生み出した輩を冬馬がまずは一人で食らうことになる。選択する余地などなかった。

 穴の淵で足を止め、その場に片膝をつき、淵をそっと手でなぞってみた。

 確かに、朔の言葉のままだ。

 誰も教えてなどくれないのに生まれたばかりの赤ん坊が乳を吸える程度のことで、あっさりと回答が得られた。それが何故なんて質問は愚問だと知った。

 仕方ないんだ。

 知っていたのだからと小さく息を吐き出した。

 方法は明確。

 穴が閉じていくイメージを浮かべる、以上終わり。

 ただし、これは後に自分の身体にダメージが来る方法だともわかった。

 未熟ゆえに、私にはまだダメージを防ぐ方法がわからない。

 それでも、朔がやれというからには命を取られるほどのダメージは来ないのだろうと高をくくってみた。


「理に反した時の狭間よ、理の主である吾の前より早々に去れ」


 地響きなどない、自動扉がしまる程度の音をたてていともたやすく穴は閉じていく。

 これにはさすがに対岸の距離に居た冬馬も振り返ってこちらを見ている。

 あの仮面の下には100%の困惑顔があるに違いない。


『志貴、この穴を開けた者は生者であり、最も罪深い魂だ。 お前ならどうする?』


 それだけ言うと朔は再び闇に姿を溶かし込んで消えていった。

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