第9話 偉大なる父の封を解く!

 ふわふわ心地がする。

 あったはずの恐怖は本当にどこにもない。

 戦闘を楽しもうとしている自分がいる。


【宗像はこうするんだ】

 

 父、泰介の声が聴こえた気がした。

 幻聴なのか何なのかもわからないが、それでも良かった。


「できることがたった今わかったよ、泰介さん」


 これはもう本能だ。

 血を滴らせた地面に小さな梅の花を描いてみる。


「瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼」


 父の声をまねるように声を重ねると十種神宝の名が驚くほどにすらすらと出てくる。


「一二三四五六七八九十、布留部、由良由良止布留部」


 布瑠の言を恐れもなく口にすることもできる。

 血のにじむ右の指先に息を吹きかけ、ポンと左胸をはじく。

 左胸を中心に紅色の光を発する文字が自分の体を這うように広がっていく。

 遠くから冬馬が何かを叫んだ気はするが、今はこれがしたいのだ、邪魔をしないでくれと首を振るしかできない。


「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ」


 あの時、父は呼吸を静かに整え、瞼をゆっくりと閉じた。

 そうか、こんなに気持ちの良い感覚だったのか。


「応じ出でよ。 布津御魂」


 私は今、何と言ったか。自分で言葉を紡いでおきながら呆然とした。


『汝は何者であるか?』

「吾は宗像の当主」


 いやいや当主は公介ですけれどと突っ込んでいるもう一人の自分もいるのだが、もうどうにもこのやり取りを止められない。

 私は誰と話しているのだ。やけに他人事のように自分を見ているもう一人の自分。

 右手が熱い。だが皮膚が焼けるような熱さではない。何とも表現しがたい熱さ。次いで血液が熱湯に変わってしまったかのように身体の内側が熱い。もう耐えられそうにない限界だと思った。


『受けとれ、梅の主』


 何をと言葉にしようとした瞬間、右手にずしりと重い千鳥十文字槍があった。

 これは昔話にしかきいたことがない神宝だ。

 おとぎ話にしかでてこない天叢雲、天羽々斬と並ぶ神代三剣の一つ。

 ほんの少しだけ自分に冷静さが戻ってくる。


「知ってる」


 どうしてこれを忘れることができていたのか。

 記憶の欠落していた部分が鮮やかに蘇ってくる。

 父の手にあった物はこれだ。

 あの日の父がゆっくりと振り返り、千鳥十字槍をみせていたずらっぽく笑っている。表情が見えるということは、泰介が仮面を外している。

 その目の色が琥珀色に見える。なんて美しい色なんだろう。


【君にプレゼントだ】


 泰介が自分の唇に指をそえて、わざとその口元を読ませようとしている。

 ようやく、この記憶が泰介が残してくれた一種のマニュアルだと悟った。

 ならば、記憶の中の泰介の口元を読め!


【サ】

【ク】

【オ】

【ヨ】

【ベ】


「サ、ク、オ、ヨ、ベ? さくをよべ。 サクを呼べ?」


 サク、さく。何のことだ?

 でも、わかっている、知っているのにわからない。

 無茶苦茶な感覚だ。焦りだけが先走り、呼吸と鼓動が速くなる。

 息苦しいものなど取って捨ててしまいたいと仮面に手をかけた瞬間だった。


『それをとればどこまでも自由だが、今のお前では全てを失うぞ』


 なんだろう、この魂の奥底にまで響いてくるような声は。

 わけがわからなかったが、一も二もなく素直に従ってしまう声だ。

 心地よすぎる響きのある声。

 あれ、知っている大好きな声の気もしてくる。心地よすぎて瞼がおりてくる。


『目を覚ませ、この阿呆!』


 バケツの水を頭から思いっきりかけられたような目の覚めるような響きのある声。

 あわてて、瞼を持ち上げると、今度は恐ろしいほどにすっきりとした感じがした。

 熟眠した後の頭の中がすっきりした感じと同じだ。


 サク。

 そうだ、サクってなんだったっけ、考えなくちゃ。


「ちょっと待てよ、サク、さく、この音の響きを私は知ってる!」


 まるで術を掛けられ、ある特定の記憶と知識へたどり着くことができないように強引に封じ込められているような感覚がした。


「封じられている?」


 言葉に出してみるとようやく腑に落ちた。

 父はあの時、耳元でささやいた。


『いずれはすべてを君に返すと約束するから、今はごめんね』


 あの場にいたというのに、父が戦っている姿も何もかもを私は知らない。


「泰介さん! 約束だ! 記憶を返して!」

 

 ふわりと全身を温かな風が包み込み、枷がはずされたような音が聞こえた。

 それは鈴の音とともに金属が砕け散ったような音だった。


『黄泉使いのはじまり、はじまり……』


 泰介の笑い声が聴こえる。

 小さい時に良く聴いた昔話じゃないか。

 そういうことか、昔話を思い出せ!

 大昔、黄泉使いには王がいた。

 最後の玉座に座っていたのは王族の中でも最も強い女王だった。

 彼女には志を誓い合った友が居た。

 春風のような清廉な魂と夏の強い陽光のような気高さ、秋の実りを護れるだけの逞しさ、長い冬を耐え忍ぶことのできる強い意志をもって、その友である神の獣と手を携えていた。

 呪術と潜在能力は抜群であったが戦闘には不向きだった女王。

 女王は己の弱点を補いあえる猛者を各血統から選抜し、戦闘特化の一族として二つの家を建てさせる。そして、その当主に愛しい獣を下賜することにしたのだ。しかし、これには当の守り神たちはさすがに臍をまげてしまった。

 吾らは眠る、真の主の呼びかけにのみ応じると梃でも言うことを聞いてはくれなかった。

 それでも、女王は諦めず未来永劫、この役目を果たすためだと懇願した。

 すると、根負けした守り神たちはある提案した。


 一つ、守り神はどちらにもつかず、真の主の呼びかけにのみ応じる自由があること。

 二つ、各々には分身をつけ、黄泉使いの本分を果たせるよう守護する役目を請け負うこと。

 三つ、各々の当主と跡継ぎの命は守り神が預かり、如何様にもできるようにすること。


 愛しい友たちの気を静めるために、女王はそれに同意する。

 三つ目の約束通り、守り神たちがいつでもその命をどうにでもできるように、万年枯れることのない命を宿らせた梅の木と桜の木を彼らに捧げ、誓いを立てた。

 加護を受けるかわりに理と時に離反せず、護り抜く誓いを示したのだ。


 理の狼は始まり、未完、静止、未来を意味し、梅の木をもって理を操作する。

 時の狐は終わり、完結、流転、過去を意味し、桜の木をもって時間を操作する。


 黄泉使いは夜の番人、月の加護をこの身に受けていることから、それを守護する神である狼は始まりの月、狐は終わりの月をそれぞれの名にいただいている。


「サク、そうか、朔月の朔!」


 今頃になってようやく思いだせた。

 欠落していた記憶のピースがカチリとはまり、一つの流れとして動き出す。


【朔を呼べ】


 泰介の笑顔。

 とても忘れられそうにないあの笑顔。

 泰介さん、わかったよと、頷く。


「応じよ、吾が血に連なる友、朔!」


 記憶の中の泰介に促されるようにその名を呼ぶ。

 地鳴りのような轟音の後、竜巻が目の前に立ち上った。


『ようやくか! 阿呆が!』


 声の主を探すと、白なのか銀なのかたとえようのないほどの美しい毛並みのとてつもなく大きな狼がすぐそばで私をみあげていた。


『呼びだせたことだけは褒めてやる』


 なかなかに高飛車な物言いに、頬がひきつるのが分かったが今はそれどころじゃない。


「これの使い方を教えて欲しい!」


 布津御魂を使いこなすなど、自分の実力に見合わないなんてことは百も承知だった。


『ただふるう、それだけだ』


 拍子抜けする言葉だったので、私は小首をかしげるしかなかった。


『今のお前では数十分が限度だろうが、やりたいようにやればいい。 お前は未熟で、至らないがそれでも梅の主だ。 目覚めの時だ、志貴』


 意味はよくわからなかったが、千鳥十文字槍が自分の身体の一部のようでうれしくて仕方がない。

 最初に握った時ほどもう重みも何も感じはしないが、確実に手にあるそれは脳内麻薬と似た成分を出しているようでやけに気分が高揚する。


『お前はあれらを斬るのではない。 宗像の本分を悟るんだ』


 宗像の本分と言われてもと思考を巡らせるが答えはでない。


『単純に、ごく単純にあれ。 純粋にあれらを見ろ』


 悪鬼を純粋に見ろと言われても、悪鬼は悪鬼だ。

 触れるのも嫌な存在。だって、悪鬼だ。罪深い存在でしかないじゃないか。

 やっぱりどこからどうみたって悪鬼だ。罰され、狩られてしかるべきだ。

 でも、何かが聴こえはじめた。

 悪鬼なのに、その皮膚の下で泣いている魂の声が耳に初めて届いた。

 喰いたくない、苦しい、助けてという声が聴こえる。

 こんなこと、今まで一度だってなかった。

 どうしてこれまで一度だって気づいてやれなかったのかと頬を涙が滑り落ちていく。

 そうか、ただ喰いたくて集まってきているのではないのかとようやく思い至った。


『それでいい、理はお前の中にある。 お前の命、確かに受け取った。 これ以降、如何なる者もお前の命には干渉させん。 好きなだけ暴れて来い』 


 朔の言葉にゆっくりとうなずいた。

 呼吸を整えるために瞼をとじる。

 瞼の裏に泰介が写る。少しだけ意地の悪い笑みを浮かべている。

 その右手には私が得意とする形と同じ千鳥十文字槍がある。

 今、ここで理を手に取れと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 そして、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 無風の空間は消え去り、夜闇から降り注ぐ雨がようやく感じられた。




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