第8話 準備万端の悪夢

「わかってなかっただろ? お前が穴に落ちてどうすんだ!」


 驚く他ない私に、冬馬はため息だ。


「穴?」


 さらに盛大なため息が幼馴染からもれた。

 蒼い面で覆われているが、その仮面の下には幼く見られがちな整った顔立ち、大きなくりくりとした眼、品の良い表情の作り方が育ちの良さをあますことなくみせる所謂美少年がいるはずだ。

 身体つきはまだ細々として子どもを脱しきれておらず、背丈もまだまだ成長過程。 しかしながら、醸し出す雰囲気には一人前の男の堂々とした風格がある。

 女子どもにかなり人気があるらしい、そのイケメン殿がかなり怒ってらっしゃる。


「どうかしてるぞ! 俺がお前に追いつけんかった!」


 普段ならこの程度の駆け足でへばるような冬馬ではない。

 だが、彼は見たこともないほどに肩で息をしている。


「お前だけがまるで何かの導きにあったみたいによくわからんルートでここへたどり着いてるんだ。 アイツですらお前に追いつけなかったんだぞ!」


 少しだけ視線をずらすと冬馬の足元には結構怒っているのだろうなという殺気交じりの白い狐がいる。


『無茶ばっかりしてるんじゃないわよ!』


 口調が変わっていないあたりで、怒りのピークは何とか超えていることを把握。

 舌を出してみせると盛大にしかめっ面をされたが、もう怖くはなかった。

 再度、穴に落ちてしまわないように境界線を今度こそは目視しながら、屋上にある貯水タンクの上まで回避して、まじまじと下を覗き込む。

 ねばりのある嫌な汗が首筋をゆっくりと滑り落ちていく。

 吹き上げてくる生ぬるい風と腐臭。見ていて気持ちの良い物など何一つない。

 腐食動物によって肉をはぎ取られた動物なのか人間なのかの骸骨があちらこちらに散らばっており、その不安定な土壌が崩壊し、岩がずり動き、見えない谷底へ引きずり込まれては落ちていく。

 アスファルトのはずの屋上の中央にぽっかり空いた穴から見える景色はとんでもない世界をのぞき見させるには十分だった。

 冬馬も同じようにのぞき込んで、苦しげな声を上げた。

 これが何であるかを知っているとしたらこの狐しかいない。

 私と冬馬は二人そろってゆっくりと背後を振り返り、その解説を待った。


『冥界の最下層。 所謂ごみ処理場ってところかしら?』


 解説を耳にして最初に感じた通りだと、唸るしかない。

 稀に起こることなのか、頻発するものなのかと詮議する以前の問題。

 間違いなく稀にも起こりえないことが起きてしまっている。こんなことが頻発されたらかなり困ると付け加えて、私は再度、穴を見下ろす。

 直径10メートル以上はあるであろう穴だ。ブラックホールなど見たことはないが、たぶんそれに近い気はする。

 貯水タンクの上に座り込んだ冬馬は首の後ろを掻いてお手上げだと言うように乾ききった笑い声をあげた。


「応援を要請したところでこれをどうにかできる人員なんて限られてる。 明確な報告が居るなら一応写メでもしておくか?」


 冬馬の横に腰を下ろして、私も空を仰ぎ見ることしか出来ない。


「そもそも、写らないんじゃないの?」


 いよいよ末期症状。感覚から現実味が失せ、ゲームの世界、映画の世界のようなどこか遠くの夢のような感覚しか残らない。これが現実逃避だとわかってはいるが、何度目をこすっても消えてくれない景色だけがそこにある。


『あんた達なら何とかできるかもよ』


 狐だけが場違いなほどにどこか楽しそうな声を上げた。

 楽観的過ぎる発言に、二人そろっていやいやいやと手を振ってみる。

 冗談でのりきれるような状況ではない。

 穴からは岩が滑り落ちていくような音とワニが地を這っているようなどう考えても対面したくないような音がひっきりなしにきこえている。私はもう難しく考えるのを拒否してみることにした。

 さっさと仮面をはずして、ポケットにいつも忍ばせているアーモンドチョコレートの包みを広げることにした。

 冬馬も同感らしく、その仮面を躊躇なくはずした。

 互いにそれ以上何も言葉にはしなかったが、考えていることは多分同じだ。

 黄泉使いとしてじゃなくて、1人の人間として思考したいのだ。

 何の特徴もない安いチョコレートの味が心地よい。

 しばらくの沈黙。これは私たちが組む際にはよくあるパターン。

 思考時間が長いのは私の方で、半分くらいの時間で思考を終える冬馬が先に立ち上がって、準備体操をはじめるのがルーチンとなっている。

 狐はそれをわかっているから何も言わずにすぐ背後に控えて空を眺めている。

 この三ヶ月、冬馬は最重要拠点である出雲へ出されていた。

 久しぶりに見る幼なじみの横顔は思った以上に力強くなっている気がした。

 同じ年齢で、誕生日もわずか二日違い。

 冬馬は抜群のセンスを誇り若手ナンバー1の呼び声も高く、時として最重要拠点への出向を命じられることもある。

 冬馬が軽いかけ声をしながら先に立ち上がった。それを横目で見ながら、かわらないなと笑う他ない。

 私がいつもより早く立ち上がると、それには驚いた様子で、早いなと冬馬が首を傾げた。

 戦略は相手がわかって立てるものだけど、相手が見えない状況ではどうにもならない。策があるのならばそれを聞いてから吟味する方が効率的だ。

 私たちの様子に狐はくくくと喉を鳴らして、実に明確な一言で方針を打ち出した。


『一時的に二人とも紅面にしてあげる』


 初耳だった。仮面一つでこの完全なる境界崩壊を何とかできるやり方があるってことかとまじまじと狐を見下ろす。


『紅面をつけていないと死んでしまうってだけよ』


 死んでしまいかねない策はもはや策と言わない。無鉄砲というものだ。

 こういう時、冬馬と組むのは心地が良い。二人して同じタイミングで却下と同じ言葉が出てくる。


『最後まで話は聞くものよ、根性のない』


 根性論ではないだろうと、冬馬と私は再び貯水槽の上に腰を下ろした。

 その時、貯水槽めがけて何かがとびかかってくる気配を察知して、二人してすばやく仮面をつけてその場から飛び退った。

 安全柵の上に見事なまでの着地を決めたが、夜風に体をあおられそうになる。

 仮面をつけていないとこんな芸当できるわけがない。

 サーカス団員顔負けのバランス感覚で持ち直すと、貯水槽の上に視線を移す。

 ついさっきまで居た場所は盛大に黒焦げな上、ど派手に空いた穴から水があふれ出している。まさに間一髪とはこのことだ。二人して、ひたすらに嫌な脇汗をかいていた。敵の姿が見えず攻撃されるパターンなどこれまでに経験がない。

 こうなってみて初めて、狐の言葉の意味がよくわかる。紅面が死ぬ気でかかる必要のあるレベルであるという判断をどうやら早々につけていたらしい。この場に居て、誰よりも経験豊富なのは狐だけ。やはり、コイツの方針に従わざるを得ない。


「さっさと策を言って!」


 狐は待ってましたと言わんばかりに声を張り上げる。


『いいでしょうとも。 この穴をコントロールしている輩を叩くのみ!』


 そりゃそうだろと突っ込みたくなる気持ちを抑えて、続きを数秒待ってはみたが本当にそれだけのようだ。

 作戦といえるかそんなものと素っ頓狂な声をあげるしかない冬馬に狐は大笑いしている。

 戦況が厳しくなるほどにこの狐のテンションは高くなる傾向がある。

 この狐、この状況をまたもや楽しんでいる。神の使いの気性はこれがあるから困りもの。


『昼間とは言え、志貴がこれに気づけないはずがない。 この穴は移動している。 いつもここに開いているわけじゃないわ。 ならば、それをコントロールしている輩がいるはず』


 確かに一理あるとは思うが、だからどうやってその輩をたたくというのか。

 嫌な予感しかない。

 公介なら確実にやるであろう方法をこんな時に限って思い出した。

 攻撃能力の高い方が戦況を読みながら、一撃必殺準備に身を潜め、その相方はデコイとなる。こういう時、餌として最大の効力を発揮するのは宗像の血。

 残念なことに餌としては私も冬馬も見事にA5だ。よりブランド肉は私か。


「まさかとは思うけど、私が餌とか言い出すの?」

『ご名答。 志貴が引きずり出して、それを私が力を貸した冬馬が背後からたたくというシンプルプラン』


「それって、俺が外したら終わりじゃないのか?」

『それもご名答!』


 互いに仮面の下で唇をかむしかない。

 連携プレイであればこの組み合わせ以上のものはないけれどと思案する。


【準備はもういいか?】


 脳裏に直接響いてくる低い声。

 狐じゃない声。

 白狐の背が一気に逆毛だった。こんなに警戒した姿はこれまで一度も見たことはない。

 アウトだと冬馬がつぶやき、一瞬で全身に殺気をまとわせた。

 冬馬の言うアウトとは人の言葉を操る悪鬼と対峙する場合の基本理念を指している。どれだけの猛者であろうとも4人以上の黄泉使いで対峙するのがルールなのだ。


『冬馬、すぐに私を身につけな』

「わかった。 逃げるための策にきりかえる!」


 狐と冬馬のやり取りをすぐそばできいていたけれど、私の頭の中で何かひっかかった。冬馬の言う通りここは引くべきなのはわかっていた。でも、どうして逃げねばならないのかという想いの方がむくむくと湧き出してきてしまうのだ。

 狐が化けた面にきりかえた冬馬の手にしている大太刀の色が紅色にかわって、異様なほど美しくみえた。私なら武器は崩壊する。そう、パリンと吹き飛んで終了だ。

 冬馬のように能力が高ければこんな芸当も容易くできてしまうのか等とうらやましく思ってながめながら、冬馬の大太刀の先端を借り、指先から血をにじませた。

 ここまではいつも通りだったが、私は自分の手にあった血を吸わせた薙刀がはじけ飛ぶ前に、それを穴の中へどうしてか放りこんでいた。

 私の匂いのついた武器を穴に放りこめばどうなるかなんて一目瞭然だった。

 それを合図にまるで巣から蟻があふれ出してくる如く這い出してくる悪鬼達。

 何をしているんだと言うような冬馬を背にして、柵から飛び降りた。

 どうしてかわからないけれど、この時、私は無性に楽しくなってしまっていた。

 武器はない。武器がないのが当たり前なのが宗像。

 宗像にしかできない戦い方がある。

 こんな時に少し眠い。あれ、ちょっとふわふわする気がする。

 何かが変だ。

 耳元で金属音がして確実に私の中で何かが壊れた。

 きっと壊れたのは恐怖心という代物だ。

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