第6話 昼日中の災難

「宗像さんにはわからないわ!」


 苗字を呼ばれて、思わずあんぐりと口を開けてしまった。

 何故、この子が名前を知っているんだと私の頭の中をはてなマークが占拠した。


「どうして私のことを知ってるの?」


 この切りかえしがいたくお気に召さなかった黒縁眼鏡の顔がみるみると赤くなっていく。


「同じクラスなんだから、知ってるわ!」


 これにはさすがに申し訳なく、目をそらすしかない。

 1クラス45名。たいして興味がないから、クラスメイトに誰がいるなんて気に留めたことがなかった。頭の中が稼業のことでいっぱいいっぱいの私は残念ながらこの黒縁さんがクラスメイトで何という名前かすらわからなかった。

 一応の礼儀だなと名前を記憶するつもりで問うたがさらに火に油を注いだようで、烈火のごとく随分とひどい言われようの罵声を浴びた気がする。

 藍野と名乗った黒縁眼鏡。名前を聞いてもやっぱり思い出せない自分が悪に思えて心よりの苦笑いだ。クラスメイトに興味がなさ過ぎた自分に猛省。


「では、藍野さん。 まず、五十音順で私はム、あんたはアで間違いはないかな? 席順は五十音だ。 しかも、私は休憩はここにいるか、睡眠にいそしむと決めてる。 接点がなくても仕方がないとは思わない?」


 記憶していなかったことに関して反省はしていても、それがたいした問題であるようには実のところ思えなかった。


「それって、覚えてなくても当然だと言いたいわけ?」


 だって、想う以上に印象の残らない藍野なのだ。仕方ないだろうがと一気にいらだちがこみ上げてきた。からくも生き残ったカフェラテを拾い上げ、ため息。

 面倒くさい。本当に面倒くさい。そもそもクラスメイトとかどうでも良い。

 こいつが飛び降りようとしたことの方が大問題であり、絡まれる必要など本来ない。逆ギレされたことに怒りすら覚え始める。


「あんたの苦しみは死んでも変わらないよ」


 以上ですとつぶやきながらストローを通して、無造作にそれを口に含む。

 説明が長くなりそうな気がして、のどを潤すことを優先することにした。


「本当に死に損だからさ」


 自然と声は柔らかなものとなり、さとすような口調になっている自分に驚いた。

 自分にもこんな芸当ができるとは思ってもみなかったが、今はそれを大いに利用しよう。

 何度も同じことを繰り返されたら結果として私の仕事が増えるだけだしねと一呼吸ついたところで藍野でもわかるように説明をしてやることにした。いかに死んでも無駄であるかということを徹底的に理解してもらえるように。


「あんたは自分が何者かと問われて、すぐに答えが出せる? 出せるなら、今度は邪魔しないからすぐにそこから飛び降りたらいいよ。 でも、答えがないなら、喰われてしまうから取りやめることを進言する」


 私史上最大級のわかりやすい説明に対し藍野は理解しがたいとなかなか飲み込むことはしなかった。おかしいな、わかりやすいはずなのにと今度はこちらが首をかしげる番だ。

 名前すら憶えていなかった不義理なクラスメイトとしての詫びを込めて、再度、懇切丁寧に説明してやろうとしたところで、湿気をはらんだ生ぬるい風の中に、事態を一変させるだけの独特のあの異臭がした。当然のことながら、本来これは昼日中にかぐはずの臭いではない。

 しかし、残念なことにこれは新しく堕ちた魂を見つけた獣たちが集まってくる合図だ。

 ここに来てようやく、向かい合っている相手の姿を凝視した。

 そして、藍野の身体の一部が薄く透けていることにようやく気が付いた。

 どうりでがっつりと身体をつかんだ感覚がしたのに、重さがそれほどでもなかったわけだ。

 私がこっち側に引き留めたのは、彼女の魂だけだったということか。

 すぐに屋上から見下ろすと、花壇に横たわっている藍野の身体がある。

 今頃、しくじったのだと自覚し、我ながら間抜けな自分に嘲笑。

 だが、待てよと再度ながめる。どうみても、死者の身体には見えない。

 花壇がクッションになったらしく、即死と言うわけではなさそうだ。

 それでも中身の魂が喰われてしまっては元も子もないが。


「今ならまだ間に合うかもしれない」


 手短に、雑極まりない説明でタイムアップだ。

 背後に確実に殺気を感じ、振り返ると招かざる客がすでに3匹。

 初めて見る景色に藍野の顔色が一気に蒼白になる。


「あんたを喰いにきた悪鬼だ。 自らの手で命を殺すってのはこういうことだ」


 藍野は嫌だと首を振る。

 首を振っていやがるくらいなら最初からするなよなと独りごちた。

 不快指数だけがやたらと跳ね上がる湿度に髪が皮膚に張り付いた。

 昼日中のイレギュラーさにも胸の中がざわつく。いつもと違うと言うことがいずれ大きな難題となりそうな予感すらする。

 怯えている藍野をみても、可哀想になんていう感覚は微塵もない自分に再度自嘲気味になった。


「アレに喰われたら喰われている間は意識も痛みもばっちりあるよ。 その上、食い散らかされて欠片になっても自ら消えることはできない。 つまり、死など、終わりなど来やしない」


 なかなか冷ややかな言葉たちが並んでしまったのは私自身、ほんの少しパニックになっていたせいかもしれない。これまで一度だって昼に悪鬼退治などしたことがない。その上、武器も仮面もない、相方もいない。徹底的に丸腰というわけだ。故に藍野などに気を遣っていられるわけがない。助けを乞うてきたクラスメイトを冷たくあしらい、視線をすばやく切り替える。


「戻ると念じて飛び込め! 食い止めておいてやるから!」


 対峙しているものからなるだけ目を離さぬようにしながら、藍野の身体を今度は屋上から突き飛ばした。大絶叫しながら落下する彼女を見届けて、髪をすばやく後頭部高く結い上げる。

 もう猶予はない。背に腹はかえられぬ。

 面白くないけど仕方ないかと、舌打ちした。

 指先に歯を立てて、血をにじませる。

 まさか高校でこんなことになるなんて予想外すぎた。何度確認してみてもこの手の中に武器などあるわけがないのだから、問答無用でこれをするしかない。

 手短に武器となりそうなものはないかと物色すると用務員の片付け忘れたおんぼろホウキ一本だけが目に入った。かっこ悪いが仕方ない。

 仮面のかわりは狐を使うしかない。呼びかけに応じるまでもなく、狐はくるりと身を丸め、面に化けていてくれた。

 しっかりと仮面をつけて、腹の底まで深く息を吸い込み、ほうと息を吐いた。


「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ」


 自分の声であって、自分の声ではない。

 どんなトリックだよと毎回思うが深く追求することはもうやめた。

 血をホウキの柄に塗り込む。ホウキかよとため息をもらしたくなる寸手のところでなんとかこらえた。

 宗像の血は強し。

 ホウキであってもその役目を果たすには十分だ。

 強度がない分、はじけ飛ぶ音は気が抜けるほどに軽かったがこの際よしとした。はじけ飛んだ赤いしずくを浴びたらしい狐が迷惑そうな声をあげていたが、それも無視してやった。


「吾は望む、時を静やかに」


 例外なく、悪鬼の動きがぴたりとやむ。


「汝、何であるかを悟れ。 悟れぬ者は……。」


 終わりの合図に指をパチンと鳴らす。


「汝ら永訣の鳥となれ!」


 たった三匹のために、これを使うとはとがっくり来るが、その燃え行く姿を見て息をのんだ。その中の1匹が制服を着ていたのだ。かぶりを振って目を凝らすがやはり私と同じ制服を着ている。朽ちることもなく、原形をとどめている制服。焦りを伴うほどの違和感が一気におしよせてきた。

 先刻からの違和感の元凶にここにきてようやくたどり着いた。

 藍野の状況から、彼女はまだ死に切れていなかった。

 それなのに、待っていましたと言わんばかりに登場した悪鬼たち。


「朽ちる時間も要さないなんておかしすぎる」


 悪鬼の多くはそれが人間だとはっきりわかる物は限りなく少ない。

 人型の悪鬼であれば格段にややこしいはずなのに、楽々と消し去ることができるレベルの物だったのもおかしい。

 あの人型は悪鬼であることは間違いがないが、制服を着ていると一目でわかるほどのフレッシュさ、まるでさっき死んだ魂を一足飛びに悪鬼へと転成させたかのようだ。

 足元にゴールデンレトリバーほどの純白の毛並みの狐が現れる。尻尾をゆらゆらさせてやけに上機嫌そうだ。


「この敷地内を隈なくみてきてくれ。 ここが巣になっていないか知りたい。 これはあまりに早すぎる」

『巣だったらどうするの?』


 この緊急事態に遭ってもこの狐は状況を楽しんでいるとしか思えない余裕っぷりだ。


「一人じゃ手に負えない。 どう考えても、悪鬼の促成栽培してる奴がいるとしか思えん! このやりようじゃ、とんでもない数を出荷するつもりだろう。 報告がいる」

『とりあえず、了解』


 緊張感のない暢気な返事に、膝の力が抜けそうになる。

 何とか気を取り直して、ポケットからバンドエイドをとりだす。無理に裂いた皮膚から生々しい赤い血がにじみでてくる。

 藍野のせいで、せっかくの昼休みも焼きそばパンも消失したわけだが、花壇に堕ちて死にかけている彼女を無視するわけにもいかないので、駆け足で職員室に飛び込んでみることにした。面倒はこの一度で十分だ。

 この先に続いていくさらなる面倒事は容易に想像がつくので、教員に発見者が私であることはしっかりと口止めはしたつもりだ。

 救急車が到着、全館にカーテンを閉じるように命じた校内放送は当然のことながら、学内は騒然だ。翌日の新聞に何も出なかったのはさすがの私学と言うか、誰が封じ込めたのだろうと苦笑いしか出なかった。

 藍野は全治3か月だったらしいが、結局、命に別状はなかったそうだ。感謝しやがれと言ってやりたかったが面倒なのでやめておく。

 二、三日ほど過ぎた頃に警察から私も事情聴取をされたのだが、そこは富貴がでばってきてくれたのでそれほどまでに長くはならなかった。腐ってもキャリア、流石と褒めたら拳骨をいただいたのは不服の極み。

 ドタバタが落ち着きを見せた頃、担任から、藍野がいじめられていたことを聞いて驚いたが、さらなる驚きは1ヶ月ほど前に退学届けをだしており、クラスメイトへの嫌がらせのためにわざわざ制服を着て登校、飛び降りを試みたというその経緯だ。

 それだけの根性があれば、いじめていた相手を殴るくらいのことはできただろうにと思うけれど、そんなに簡単な話でもなさそうなので首を突っ込むことはしなかった。

 

 自殺。


 自ら死んで良いことなど何一つない。

 天寿、寿命というのは天を寿ぐ、命を寿ぐと書く。書いて字の如くだ。

 天と命を寿ぐことが許される状態。つまり、もう答えがある者にしか訪れない。

 それが事故であれ、災害であれ、病であれ、老衰であれだ。

 死してその答えを得られないということは、理を破っているか、自ら天寿を放棄したかのどちらかだ。

 死の後にあるこの悪鬼とのやり取りを知っていたのなら、自殺する勇気があればなんだってできると思えるだろうにとため息だ。

 死後の悪鬼とのやりとりを知っているのは得なのか損なのか。

 思わず哲学しそうだ。しかしながら、この教室でいじめがあったとはと、さらに大ため息。


『志貴、興味なさすぎるからって知らなさすぎじゃない?』


 手のりサイズの白狐が、授業中を無視して、机の上でだらりと伸びをしながらつぶやいてくる。黙れと誰にも聞こえない程度の声で言い返す。

 狐がおもしろがっているのがわかり苛立ちは倍増だ。

 言われなくたって、それを嫌と言うほど痛感している。

 私の脳裏にある世界は黄泉使いの人間しか居住権がないほど閉鎖的なのだ。

 その小さな世界の外にいる人間には興味がないというより、興味を持ちたくない自分がいる。興味をもってしまった人間の魂が墜ちてしまったら、私はそれを狩らねばならない。

 不必要な感情の一つが稼業を邪魔しかねない。その怯えからかバリアを張ってしまう癖が抜けなくなった。


『いじめ、気づけなかったの?』


 狐男の言葉が頭痛を引き起こしそうだ。

 知らなかったというのは無視をした、見ないことにした、助けなかったと同意だ。

 自分が嫌になる。つまらんことをしていた奴らと私自身が同じ立ち位置に居たと言うことなのだから。

 狐団子にしてやると丸めてみたところで、指にかみつかれて、思わず声に出してしまった。

 ぴっちり七三分けの英語教師の目がドストライクにこちらへ向かってくる。

 手をひらひらさせて、わざとらしい笑顔で謝罪。

 白い狐は赤い舌を出して、こちらを見ている。

 小さく舌打ちをして、指先で尻のあたりをはじいてやったら、勢い余って狐団子は床へ転がり落ちていった。

 構文をひたすら読み上げていく単調すぎる教師の声は空腹と眠りをいざなう。

 けけけと声をあげて笑いながら再度机の上に戻ってきた狐を軽くにらみつけた。

 そして、小さくため息だ。こうして狐がなんやかんやとそばに居るあたり、どうやら我が母校は悪鬼の巣か工場の一つに認定されたらしい。

 これだけ嫉妬や絶望、孤独、葛藤が垂れ流されているのだ、陰気な場になることは想像に難くない。再度、夜に出直さねばならないと思うと余計に居眠り決行だ。

 花のJK生活はどこへやら。

 双子の妹の通う女子校は兵庫の高級住宅街にあるらしく、カフェやらなんやらと話を聞いているが、それに比べて私の現実はなんだこれと肩を落とすしかない。

 窓の外に目をやると、いつのまにか滝のような雨が降り注いでいた。

 全部洗い流してくれたらよいのにと聖人君子のような思いに駆られながら居眠り開始。



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