第5話 JKなのに苦労性

 公介が消えてもう二ヶ月。

 連日の白い炎探しにわかりやすいまでに寝不足だ。

 窓から差し込む朝日が憎らしく思いながらも、携帯の目覚ましアラームを解除する。5分毎に繰り返し設定しておかないと確実に寝坊してしまう。

 私のアラーム音と言えば最初はさざ波のような柔らかな音、次にややアップテンポな音、トリはけたたましい金属音というフルコース。

 自らの意志でわざといらつく音を選んでいるのに、言葉になり得ないうなり声を合図に不快の極みでベッドから体を起こす。

 枕元になげたままの飲みかけのペットボトルの蓋を無造作にあけて生ぬるい水を一気に喉へ流し込みながら、顔にかかったままの髪を手ではらいのけた。

 黄泉使いとして任務を果たす隙間に、アレを探索することは確実に疲労蓄積の諸悪の根源だ。身体がブリキでできているかのように動かない。軽いうなり声を上げ、ベッドに座り、軽くストレッチをする。そうでもしないときしんだままの身体が痛くてなかなか動けない。

 学校と稼業に追われ過ぎた日常を示ように、部屋は季節感ゼロだ。

 衣替えなどできる暇がないままに冬が過ぎ、春が一気に終わり、初夏へ向かう。

 ハンガーにかかったままの冬服を眺め、ため息しかできない。

 グレーのタブルボタンのブレザーに、同色のプリーツスカート。胸元にはネイビーのリボンネクタイ。このあまりにシンプル過ぎる制服は通称墓石と呼ばれている。

 花のJK。

 もっと可愛い制服の高校を目指せばよかったと今更ながらに後悔の連続。

 梅雨に入り、夏服に切り替わったものの、どうにも落ち着かない。

 肩口がふんわりとしたデザインの白のブラウスにネイビーのスカート。女性らしいシルエットが売りの制服らしいが、着心地は最悪。じっとしていれば問題はないが、過度に動こうものなら白のブラウスから簡単に腹が見えてしまう。

 稼業のせいもあり、幾分融通の利く私学が良いだろうなんて、祖父の言葉を鵜呑みにした母が決めた女子高だ。この進学に関して公介は何も口を挟まなかった。

 難なく高校入試を潜り抜け、入学したら、そこはまさに祖父の陰謀というような勉強漬けの高校生活の始まりだった。

 学校の授業に、予備校に、家庭教師なんて当たり前という諸君が目の前にいる。

 場違いな気がしてひたすらに馴染めない日々は継続中。 

 春期講習に、夏期講習、集中特訓なんたらに、冬期講習。全国統一模試に、その他つらつらと模試が続く。

 何を目指して生きているのかさっぱり見当もつかない会話に首をかしげる日々だ。

 公介に言わせたら十分すぎるほどに予想の範疇だったらしく、自分のリサーチ不足を内省する他ない。

 通学には約1時間半。

 どうしてこんなに遠い高校へ行かねばならないのかはもう問わなかった。

 最寄りの北山から京都市営烏丸線に飛び乗り京都駅を目指す。京都駅からはJRにゆられて大阪駅。さらに新鮮な空気などない淀んだ大阪の地下鉄に積み込まれ、人間だらけの乗車率120%超えるような密集空間で、嫌な汗をかきながら耐えぬいて、高校の最寄り駅につくと扉から逃げ出す。

 黄泉使いとしてならばこんな移動あっという間なのだが、お仕事以外は禁止にて非効率的な移動、もとい、ごく当たり前に通学する。

 やや小走りに、いくら金を積んだのならこんな朱塗りの校門ができあがるんだというレベルの校門を潜り抜ける。

 この成金趣味の門をもつ高校もちまたでは結構お利口さんな女子高らしい。

 牛乳瓶の底の間違いではないかと首をかしげるほどの眼鏡をつけたがり勉さんも多々おり、高校生活における四六時中が大学進学のためにあるといっても過言ではない雰囲気だ。

 経済的に恵まれているご家庭の女子が多いが、そうでない身分の方々もおり、世間の縮図を体感するにはもってこいの環境。人種のサラダボウル、その感覚だ。

 複雑な家庭環境ではあるものの、祖父が高名な大学教授、養い親である公介が一応名の通った小説家ということで、この二人の抜群の知名度という七光りを盾に、ちょっと変わっている宗像さんとして群れることもなく、一匹狼として生存権を与えられている日々だ。

 ちなみに、これは参考追加情報だが、母の富貴は大人しいことなどできるはずもなく、剣道で日本一となり、警察へGOした人だ。祖父の教育の恐ろしさを物語るように一応、キャリアなのが笑える。

 血縁の情報はこれくらいで良いとして、面倒くさい歓迎がありそうだなとげんなりとした気分で教室へ入ると、予想に反することなく、10日ぶりの登校はまさにネタの宝庫といわんばかりに奇異の目を向けられることになった。 

 何があったのか根掘り葉掘り。

 他人のゴシップは進学校の女子たちのストレス発散となる。

 その上、阿呆の担任が何がどうなったらそうなったのかはわからないが私の成績をポロリしたらしいことも、一部庶民の方々の情報網から把握済だった。

 身体を心配するようで、本当は違うポイントを攻めたいはずなのはよくわかっている。

 ひとしきり休んでいた間の件の事情聴取の後にはきっとあの話が待っている。

 進路はどうなっているのかと前の席の三上が人懐っこい笑顔で振り返って聞いてきた。だが、この笑顔、実に裏があることは百も承知だ。やっぱりきたかと肩を落とすほかない。

 入学して2年がたつが、ほぼ変わらないクラスメイトと代わり映えのしない会話に内心疲れていた。いい加減、誰がどこの大学を目指したってかまわないじゃないか、諦めろよと言いたいところだが、この女子高生活に波風立てないように生きることを最大の目標としている私は苦笑いするという技を身に着けていた。

 苦笑いして、答えない。

 そして、同意とみなされかねない動作、そう相槌を打たない。 

 これは女の世界において鉄板の技だ。

 彼女達の質問の意図するところはわかっている。

 うがったものの見方で申し訳ないが、自分の敵になるかどうか、その一点のはずだ。祖父が某有名大学の教授で外科医だという情報を奴らは取得している。

 だからこそ、質問のテンプレートまで脳裏に浮かんでくる。

 医歯薬のどこにいきますか、国公立へ行きますかと質問は続くのだ。

 国公立の医学部に進学=勝ち組。

 この方程式には人数制限があり、同レベルの椅子取りゲーム予定なのだ。

 同レベルにいる誰かに、己の人生設計を崩されては困る。

 だから、リサーチする。

 椅子取りゲームの敵を見誤れば即刻己の人生に傷を抱えることになる。己より数段上であれば問題ないが、最大の懸念は己と同程度かやや上との椅子取りゲーム。戦国時代ならば恐ろしいほどに有能な諜報能力だ。

 偏差値と経済的なゆとりがないのでそこそこのところを選ぶと受け流してみるが、三上は身を乗り出して本当のことを言えよとやや怒り気味だ。言うか阿呆と心の中で舌を出す。

「有名大学なんて私の成績では届かないよ」

 これがきっと正解の答弁だろう。これで三上の追及は収まるはず。

 小首をかしげ、小さくそうなんだとつぶやいた三上。

 なんだ、その含みのある感じはと思った途端、背後から甘ったるい声色の究極女子こと室田が私の肩をつかんだ。

「先生から聞いたけど、宗像さん、今回の順位、相当上だったんでしょう? 何判定?」

 何判定ときかれても、A判定に決まっているだろうが、どれだけあの祖父が怖いと思っているんだと言いたいところだがぐっとこらえる。

「C判定」

 曖昧なまま、お茶を濁すにはもってこいのランク。

「どこの大学よ、その判定」

 室田の執拗さにはうんざりする。薄化粧に香水、それ絶対天然じゃないだろうとつっこみたくなる校則違反のウェーブヘア。校則違反など素知らぬ顔のピアスが光る。

 そのピアスに思わず目をやりながら、私は地方大学の工学部の名を口にした。

 きっとこれも正解。

 この二人はこの大学名と学部の偏差値と私が言ったC判定とやらで私を推し量るのだ。

 そして、我々は仲間だと口々に相手をたたえあい、褒めて、まるで自分を卑下するような言葉を口にするのに、水面下は蹴りあいをしている。

 合格できる人数も限られているのは仕方がないことだが、同じ高校でこんな泥仕合をしている以上、世界が狭い。この学校の外にだってライバルは普通に存在しているのだが、そこには思い至れない様子。誤った選民思想のなれの果ての気がした。

 なんてったって偏差値No.1の女子高にいるのだ、敵はここにいるはずだという井の中の蛙大海を知らず思考。

 人間の価値はその生き方にあるのに、成績一つ、出身大学一つでその価値が左右されると思っているクラスメイト。

 この高校が全てのちっさい世界に居ればこれが普通なのだろうが、実に哀れ。

 少ない席を将来競い合うことになるのなら、今の内につぶしておきたいという卑怯千万の心理と言う奴か。

 魂をのぞき見ると、その凋落がよくわかるというものだ。

 中には純粋にやりたいことがあってまっしぐらの奴もいるが、そうでない者の多いこと。

 各地域でそこそこに賢いと言われてきたのだから、勉強でこけるなんて姿をさらすわけにはいかないのだろうが、それがどこか滑稽であることに気づけるのだろうか。

 やりたいことが定まっていない私が彼女たちを気遣うのはおこがましいとは思うけれどと、天に召されるときに答えを得ているようにと祈る。

 でも、彼女たちのような奴らに探りを入れられるたびに、内心、はっとすることが多い。

 黄泉使いという稼業が自分にとって何であるのかとか疑問に思ったこともない。

 表だってする仕事は黄泉使いの自分を覆い隠すヴェールのようなものだ。

 私の将来は、どんな職業につこうともそれが副業になる。

 大学だって、家を離れることができない以上、最初から決まり切った範囲で受けざるを得ないため実のところ選択肢などない。

 その上、大学で何を学びたいとか、どう将来を見据えるのかとか、実はこの私自身が一番人生について何も考えてないのではないかと落ち込みそうになる。

 津島の祖父は大学にだけは行けが口癖なので、それは叶えてやろうと思っているが、如何せん、この輩と同じ所へだけは行きたくないものだ。

 昼休みを知らせるチャイムを口実に、一目散に教室を抜け出す。

 屋上へ逃げ出して、カフェラテを片手に焼きそばパンを口に突っ込んでみる。

 間違えようもないくらい焼きそばの味しかしないが、余計に手のくわえられた総菜パンよりは好みだ。これは昨日の残り物を、富貴がコッペパンにぶちこんだだけの手作り弁当なのだけれど、豪快過ぎて笑いがこぼれる。

 朝一番に満面の笑みで差し出してきた富貴の様子に嫌な予感はしていたが、本人が至って楽しそうだったので突っ込むこともしなかった。

 怖いもの見たさで電車の中で包みをひらいて見た時にはさすがに愚痴しか出なかったことは言うまでもない。

 公介のおしゃれ弁当が懐かしい。インスタにアップしようものならとんでもない数のいいねがやってくる通称OL弁当。それはそれで、逆に料理名が不明すぎて、公介に聞く気も起らないが、味は抜群なので文句を言ったことはない。


「公介さんのことはおいておいても母さんのこと、実はバカにできんしな。 自分だって料理、洗濯、裁縫、何にもできんしな。 オシャレなんかしたことないしな。 甘すぎるものは苦手やから、スイーツにいちいちニコニコできんしな。 え、これ、ひょっとして致命傷か? いや、探せ! 何かあるやろ。 落ち着け、できることは? うーん、槍で殴るくらい? やばい。 ほんまにやばいかもしらん。 そろそろどうにかせんと、ガチで嫁に行けんやん。 いや、待てよ。 嫁ではなく、婿が取れんのか?」


 この梅雨の真っ只中の曇天では、好んで屋上に行く馬鹿は自分くらいなものなので大声をあげても気にならず、自由気ままで丁度良い。

 

「普通のことに疎いのは致命的だな」


 黄泉使いの世界は特殊ゆえに、性差はない。

 死なないようにひたすらに強くあれとは育てられるが女の子らしくという視点で生きることを求められたことがない。

 だけれどと、本当は思うことがある。

 オシャレをしたり、化粧をしたり、可愛らしいものを可愛らしいと思える感覚を持って、色んなことにドキドキしたりして、生きて見ることが大事なんではないかと考えてしまう。


「家事家政についての能力は胎の中に忘れてきた。 仕方ない」


 私は生まれた時から宗像の血を背負っている。

 だから、ふわりとした女の子の可愛らしさも柔らかさも持っていない。

 そう思うことでしか、やりきれない。


「恋愛だけはしてみたい気にはなってるけど、如何せん、高嶺の花すぎて、ありゃ挑み方がわからん。 笑うしかない!」


 ネイビーのリボンネクタイに焼きそばがぺたりと落ちて、あわてて手ではたき落とした瞬間、視界の端に見慣れたネイビーのひらひらしたものが入った。

 スカートじゃないかと思ったのと同時に、私はとっさにそのスカートを柵の合間から手を伸ばし力任せに引っ張っていた。

 せっかくの母渾身の焼きそばパンは見事にコンクリートの上に転がり落ちた。

 パンは死んだが、間一髪のところで、そのスカートの主のダイブは阻止に成功していた。

 急激に恐怖が襲ってきたらしい彼女は足がすくんだらしく、一歩も動かない。

 いや、動けないのか。

 絶対に離さないからとかなんとか言って、私は彼女を柵の切れ目からこちら側へ引きずり戻した。よく見るとどことなく見覚えのあるおかっぱ頭の黒縁眼鏡だった。


「どうして助けるのよ!」


 この声も聴き覚えはあるがすっきりは思い出せない。


「どうしてと言われても無駄だからだよ、そんなことしたって!」


 私は面倒なものにからんでしまったなぁと思いながら、ポリポリと頬をかいた。

 不機嫌なのは空模様も同じ。

 すっきりしないなと唇をかんだ。

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