第4話 父の残した命題

 泰介とは私の父の名前だ。

 宗像泰介。

 近代に彼を超える黄泉使いは存在しないだろうといわしめた天才だ。

 そして、彼はもうこの世にいない。

 10年前の記憶がフラッシュバックする。

 雪が降ったことが嬉しくて、風邪をひくからよせと伯父に止められたのに二人してそれをきかず、庭へでた。繰り返し舞い降りてくる綿雪が綺麗で父と夜空を見上げた。

 十数年ぶりの大雪で、父に買ってもらった長靴をはき、膝くらいまで積もった真新しい雪を踏んで遊んでいた。すると背後で大きな物音がした。

 屋根に積もった雪が落ちたのだろうと暢気に振り返った瞬間、父はとっさに私の身体を自分の背後へ隠し、近くにあったスコップに手を伸ばしていた。

 すばやく指先に歯をたて、血をにじませると、わずかに私の方を振り返って、何か言った気がした。

 あの時、父は何と言ったか。

 何故か今ならわかる気がした。

 根拠はないがそう思うと、まるで録画された映像が再生されるように記憶が鮮明に蘇り、動き出した。

 あの時の父の口元を読めと私の本能が誘導をかけてくる。


【志貴、宗像はこうやるんだ】


 宗像はこうやる。

 どういう意味だ。

 ただのスコップに再度血をにじませると、それはあっという間に紅の面にかわる。それをゆっくりとつける父は何か唱えている。


【瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼】


 これは知っている。

 十種神宝。

 その名を口にしているではないか。

 あの時は全く分からなかったが、記憶の中の父が行っていることは常識外れのものだ。


【一二三四五六七八九十、布留部、由良由良止布留部】


 布瑠の言を何故こんな所で口にしているのだろう。

 優美な流れで、右の指先に息を吹きかけ、ポンと左胸をはじく。

 左胸を中心に紅色の光を発する文字が父の体を這うように広がっていく。

 見たこともない光景だ。

 父は一体何をしようとしているのだろう。


【暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ】


 北風と混ざり合うように言葉が紡がれていく。それが魂の核に眠っている光を導き出すためのはじまりの言霊だと今ならわかる。

 記憶の中の父の動作にはまだその続きがあった。

 何をしようというのか。

 父は呼吸を静かに整え、瞼をゆっくりと閉じた。


【応じ出でよ】


 そして、父は何かを手にした。

 記憶が急にひどく曖昧になりそれが何だったのかわからない。


【志貴、梅はこう咲くんだ】


 危機的状況であるにもかかわらず、父は笑っていた。それも自信満々な声で。

 あの時、父は私に何をみせようとしたのだろう。

 父の戦闘準備は公介のものとは全く違う手順だ。

 退避を命じ、私の視界はすぐに狐男の掌に奪われた。

 わずかな時間だったか、それが数時間に及んでいたのかがわからない。

 ただ最後に見た景色は父の血しぶきで赤く染まった新雪だった。

 肩で息をしたまま雪の上に寝転がった父。

 私と狐男の横をかけぬけて公介が父のもとへたどり着くと、その身体を抱き起した。

 そして、父が何かを伯父に耳打ちした。すると伯父の顔色がみるみる蒼くなった。それを見て父は呆れたようにほんの少し笑っていた。

 父と伯父は二卵性双生児。

 伯父曰く、俺が兄だそうなのでそれを否定する気はない。が、父の方が格上らしかった。

 公介に近くに来るようにと手招きをされ、ようやく父の手の届くところに私は身を寄せる事を赦された。

「志貴、誰が一番好き?」

 息をするのもやっとだろうに父は私の頬に手を伸ばすとにっこりと笑う。

 当然のように泰介さんだと答えた気がする。

 私は父を何故か『泰介さん』と呼んでいた。呼ばされていたというのが真実か。

「じゃ、これからの一番は公介さんだ」

 馬鹿を言うなと泣きじゃくった気がする。

「志貴にはもう公介さんしかいないんだからね」

 泰介さんがいいんだと何回言ったことだろう。

 父は困ったように笑ったけれど、どこか嬉しそうだった。

「じゃあ、二番目で良いから公介さんの言うことだけを良く聞くんだ。 宗像には宗像の貫き方がある。 それをしっかりと受け継ぐんだよ? いいね?」

 父の袖口を力いっぱいつかんで、公介なんかあてになるかと喚いた私を背中から狐男が黙って抱きしめて居てくれた。その様子に父は軽く笑い声をあげた。

「ねぇ、志貴。 君は誰だ?」

 父に問われて、私は意味が分からないままに宗像志貴だと答えた。

「僕は君を抱き上げた時に自分が何であるかを理解できたんだ。 僕はやっぱりラッキーだね」

 それが最期の言葉だった。

 父の身体を抱きしめたまま、負けず劣らず傷だらけの公介がその名を何度も何度も悲痛なまでに叫んだ。

 それから私はどうしていたのだろうか。

 そうか、母がかけつけてきて、津島の御付きたちの制止を振り切り、父の遺体を前に我を忘れたように声をあげて泣いた。

 母は元気がとりえで、明るくて、いつも私を見つけるとわき目もふらずに笑顔でかけてくる人だ。その母がまるでそこに私がいることにも気づかず、父の傍を離れようとしなかった。

 父の血で服を真っ赤に染めたまま、雪の上から動かなくなった母を見た。

 そして、母の口から『どうしてこの人が死なねばならなかったの?』と言葉がこぼれおちた。母が私の方をわずかに振り返ったが小さく首を振り、そのまま背を向けた。それを見て、よくわからないほどにショックを受けた幼い日の私がそこにいた。何がというわけではないのに、父の言葉通り自分にはもう公介しかいないのだと認識した瞬間だったように思う。

 そんな心の隙間を見逃さなかったのは公介だった。

 狐男の腕の中から私の身体を取り上げて、身体中で抱きしめて居てくれた。

 泰介は強かったと、公介は私を抱きしめて嗚咽交じりに泣いていた。

 あの時は心が痛すぎて私は結局泣けなかった。

 宗像泰介、私の父が想定外のレベルの悪鬼と格闘し、命を落としたといわれても受け止められなかった。

 黄泉使いが私邸で悪鬼とやりあうだけでも想定外、そして、結界を超えてくる規格外の悪鬼が存在することをこの一件で皆が学ぶことになったといわれても、納得しようがない。

 父の死を黄泉使いの連中は皆、静梅散ると呼ぶ。

 宗像の静かなる猛者を失ったのは大きな痛手だと惜しみながら、さらにこう続けるのだ。

 狐の選択ミスだと。娘ではなく、父親についていたのならば命を落とさなかっただろうと。

「私が死ねばよかったんだ!」

 今頃、ようやく涙がでるなんてと乾いた笑いがこぼれ落ちる。

 狐男に梅の木の前へ突き飛ばされた。背中にその鈍痛だけが残った。

 目の前には命の木。私の木の横には枯れた梅の木がある。父である宗像泰介の木。

 かがんで手を伸ばすと、驚くほどに簡単に触れることができる。

 死者となった術者の梅の木には触れられるということか。

 あまりにもわかりやすい秩序にいっそ苦笑いだ。

 枯れても尚まっすぐに立っている梅の木に触れると涙があふれた。

 花など咲かないはずのそれに、たった一つだけ蕾みがついている。

 まるで、触れてごらん。そう誘われている気がした。


【ねぇ、君は誰なんだい?】


 指先から伝わってくる父の残した言霊がさび付いた心の扉をノックする。

 そうだ、私は宗像泰介の娘、宗像志貴。

 父の名を汚すことは許されない。無理矢理にでも、もう前を向くしかない。

 私はひょっとしたらこれまで一度もちゃんと地に足をつけていなかったのかもしれない。今頃になって足の裏にきっちりと土の感覚が届いた。

 軟弱なプライドと心の弱さに甘えていた気がした。

 今は風の音も脈打つ自分の鼓動もしっかりと耳に届いている。

 私が宗像の後継として立つしか道がない。

 狐男はもう何も口にしなかったが、すぐそばで心地よいまでに大笑いしていた。

 歩き出そうとしたその直後、突如として疑問符が浮かんだ。

 ハッとして記憶を遡る。

 全身が一気に総毛だった。そうだ、父の身体の向こう岸にはソレが居たはずだ。

 もう少し、もう少しでわかる。

 思い出せと自分の記憶に叱咤する。

 思い出そうとすればするほど、吐き気を催すほどの頭痛がする。

 靄がかかっている記憶の中の一瞬を何が何でも映像として引きずり出す他ない。

 徐々に靄が晴れていく。風景が鮮明によみがえっていく。

 白い何かがある。

 亡き父の向こうに見えた物はあの異様なまでに白い炎。

 そして、自分でもびっくりするほどに膝の力が抜けた。

 父を奪ったソレが今度は公介の腕を奪った。

 狐男がとっさに慌てて身体を支えてくれた。

 身体中の力が抜けきり、その場に膝を折るどころか、尻餅をついていた。

 狐男が抱きしめてくれるまで気づけなかったが、私は獣の咆哮のような声をあげていた。

 悲壮感漂うほどに私の名を呼ぶ大きな声で、ようやく我に返った。

 無意識に歯を食いしばりすぎて、私は唇まできずつけていた。

 いつの間にか降り出した雨が土をたたき、身体にもうちつけてくる。

 暗くなっていた空は大粒の涙を落とし、私の絶叫を打ち消そうと必死だ。

「それの使い方は良くないわ。」

 言われてようやく気が付いた。私の右腕には大蛇が絡みついたような黒い炎が巻き付いていた。慟哭がする。こんなことをしたくてしているわけじゃない。焦れば焦るほどに、炎は大きくとぐろを巻く。

「大丈夫。 静かに呼吸してごらんなさい」

 狐男に促されるように深呼吸をするとあっという間にそれは包帯だけを焼き尽くして消え去った。 

 そして、我が目を疑った。20針縫ったはずの創部が跡形もなかった。

「自分が化け物だなんて思わなくていい」

 先に落ち込みそうになるツボを未然に防がれて、今度は私が苦笑いの番だ。

 私の中には私の知らない複雑な事情がきっとある。

 知らぬ間に、無意識に出来てしまうことがあるということは昔から気づいていた。

「私には何ができて、何ができない?」

「とりあえず言えるのは、炎はあんたの敵じゃない。 ただし、注意事項がある。 何があっても白だけは使ってはならない。 アレは死した魂ではなく、凋落の一途をたどる生きた人間の命を捕食してはじめて生まれるもの。 そんな理に反した炎をあんたは使いたいの?」

 そんなつもりはないと首を横に振った。

「あんたが立ち向かう相手には理がない。 それがどういう意味かわかるわね? 公介ですら一瞬で腕を持って行かれたのが現実。 それでも、逃げられないのよ。 あんたは宗像なんだから!」

 水戸黄門の印籠のみたいな『宗像だから』という台詞。

 まるで、さがりおろうだ。

 宗像に生まれたからには血の恩恵を行使し、定められた義務を果たす他ない。

 宗像はおすと決めた瞬間には必ず詰め切る将棋をする。いや、しなくてはならないのだ。負けられない人生しか選択できないのだ。

「だけれど、たった一人で背負えとは言われていない」

 ほらと狐が指さす方に視線を移すと、縁側でバスタオルをもったまま待っている富貴がいる。あぁそうか、母は真実、知らないのだ。父があの時、私には公介しかいないと口にしたことを。私が貴女に一度絶望していることを。

 両親の関係性は未だによくわからないが、父は母よりも公介を信じろと言っていたように私には聞こえてしまった。

 秘密主義の宗像の家風通り、公介もまた津島の跡継ぎである母と腹を割って話すようなことはしない。

 母も他家の人間にあたるわけだけど、さてどうしたものかと思案する。

「不必要なまでの疑り深さは真実を隠してしまいかねないわよ。 あんなに全力で心配だと泣きそうな顔までして、いつからいたのやら」

 あれが演技なら、もう負けでいいんじゃないのと狐男が笑って言った。

 確かにと息を吐き、余計なことを考えるのはやめた。根っこの部分で私はこの母を端から信用しているわけではない。ならば裏切られたとしてもそれほどの痛手はないはずだ。

 狐男の言う通り、母は切れ長の目に涙をためて待ち構えており、思い切り抱きしめられた。

 この温もりには嘘はないはず。疑いの余地などないはずだ。裏切られるのならそれはもう敗北だ。

 父の泰介はもうこの世にはおらず、伯父である公介は行方不明。

 結果、現状、私を養えるのは母の富貴だけになっているらしい。

 だから、津島のことなんぞ知るかと言い放って津島家を飛びだしてきたらしかった。あの厳格そのもの、神経質の塊の祖父に私はまた嫌われてしまうようだ。

 黙っていると色白美人なのになと思う残念な母親だ。 

 家事全般に疎く、男勝りでどうしようもないが、愛する男にうり二つの忘れ形見の私がとてつもなく愛おしいようで、過保護に上塗りを強行するらしい。

 宗像家当主である伯父の手前、なかなか一緒に住むことができなかった分、その反動たるや半端ない。

 しかしながら、欲を言えば、公介伯父さんくらい料理がうまいと助かるんだけどなぁと思ったのは内緒にしておこうと思う。

 

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