第3話 ジュニアという重荷

 健康優良児、生傷は絶えなかったが、望んだところで風邪もひかなければ、熱も出ない。そんな私がこの度の怪我で生まれて初めて学校を病欠することになった。

 驚くほどに過保護千万だったと判明した母によって、徹底的な自宅安静を強いられることとなってしまった。

 お久しぶりの母の父、もとい、母方の祖父がやってきては傷の状態を確認し、痛み止めは要らんのかと聞かれること早3日。

 痛むのは痛むものの、痛み止めはさほど必要ではなかったけれど、孫としての申し訳程度の可愛さを準備せねばならず、問われるたびに一応薬を所望することにしていた。

 祖父は腕の良い外科医だ。故に、黄泉使いの怪我には重宝されている。

 伯父の公介の腕も祖父がきっと何とかしたのだろう。

「何か気になることでもあるのか?」

 はっとして顔を上げると祖父の顔がすぐそこにあった。

 眼鏡の奥には母と似た目。母との違いは、祖父は私を100%受け入れてはいないそんな感じがする距離感を維持していること。当然のように私との会話がはずむわけもなく、しきりに髪をかき上げては落ち着かないそんな様子だ。

「何でもありません」

 祖父と孫である私の関係性はお客様同士の域を脱することはない。

 どうしてこの神経質そうな祖父の娘があの母なのかとため息が出てしまう。

 ルーチン通りに祖父を玄関口まで見送った後、あまりに暇すぎて縁側にすわりこみ、今にもまた雨を落としてきそうな空をぼんやりと眺め、思考停止。

 梅雨は嫌いじゃない。長雨も苦にならない性分だとこの数年で気が付いた。

 滴に濡れる青々と茂った木々、縁石のすぐ近くに自生したクローバー。

 独特の雨の匂いの中に当たり前にあるそれらを眺めるとホッとする。

 石庭真っ青の丁寧に手入れの行き届いた日本庭園も今は貸し切り状態だ。

 小さな池まである宗像家の自慢の庭には街中では到底見ることのできない野鳥だって来てしまう。だから、雨に濡れる季節もそう悪くない。

 でも、その片隅に庭のコンセプトとは違った独特の場所がある。

 一般人の目には映らない一風変わった梅の木があるのだ。

 只今の季節に活躍するわけがないのに、不思議と花をつけている。

 そして、その梅の花は一年中散ることがない。

 そのことに気が付いたのは5歳だったか、6歳だったかの頃だ。

 まだ生きていた父に聞いたことがある。

「どうしてずっと咲いているの?」

 あの時と同じように同じ台詞を口にしてみると、父の顔がぼんやりと蘇ってくる。

 父の声は穏やかで、凪いだ海のよう。覚えているのは静かな印象ばかりだ。

 少し薄い唇で形の良い笑みを浮かべ、父はこう言った。

「あれは咲いていないといけないんだよ。 散る時は持ち主が去る時だから。 まるで、美女と野獣だね」

 美女と野獣なんて説明されても、当時の私にはわかるわけがない。

 ひたすらに首をかしげていた私に苦笑いして、ずっと咲いていなさいって魔法をかけてとかなんとか言っていたっけ。

 その半年後、父が急死し、1本の梅の木が枯れた。そして、よくやく美女と野獣の意味が分かった。梅の木は私たちの命そのものだったのだ。今ここにある梅の木は2本。私と伯父のものというわけだ。

 裸足のまま庭へ降り、梅の木の傍へ歩いてみる。

 力強い梅の木が伯父のもので、その横にあるひょろりしたのが私のだ。

 己の梅の木にしか触れられない不思議な空間にそれはある。

 見るだけなら容易いが、触れるのは困難。

 この世にあるようにみえて、この世にないのだろうと今ならよくわかる。

 指先で木肌に触れると不思議な拍動を感じる。

 それはまるで自分の心臓に触れているように衝撃的な感覚が訪れ、思わず目を閉じてぐっとこらえてしまう。

 この梅には理の梅という名前がある。

 それは宗像家の通り名みたいなものだ。

 元々、黄泉使いはそれぞれの家系に特化される能力があり、役割分担のされた組織構成だった。

 だったというには理由がある。時の流れの中でその組織構成は変貌を遂げざるを得なかったのだ。

 各血統がその特殊性維持のために純血を貫いた結果、数が激減した。慌てて外へ血を求めたが歯止めをかけることはもはや不可能だった。一般の血族との婚姻をすすめたことにより、同じ兄弟姉妹であっても黄泉使いの適性がある者ない者が生まれ、さらに混迷を極めることとなってしまった。

 故に、出自に関せず、実力主義とならざるを得なくなり、各家のお家芸も通り名も今は過去の遺産となってしまったというわけだ。

「黄泉使い筆頭のはずの梅がわずか2本とは悲しいわねぇ」

 声色は青年なのに、言葉遣いは女性的。

 伯父の公介に負けず劣らずの堂々たる偉丈夫のくせに、仕草は繊細で、所謂、オネエ系。

 背後から抱きしめられても、ときめきなどありやしない。

 私と同じシャンプーの香りがした。

 あきれ果てるしかないが、泥まみれにしたのはそれを命じた私なのでため息で終了にする。

 絡まったままの腕をほどき、振り返ってみる。

 濡れた長い黒髪に無造作にタオルをのせたまま、浴衣姿でにっこりと笑う青年一人。世間一般的には三十前と言ったところだろうが、こいつの本当の年齢などきいてみたことがない。

「予想通り追えなかったわ」

 わざとらしいまでにお手上げだと両腕を持ち上げ、苦笑い。だが、本心は隠せない。尻尾がゆらゆらと揺れているということは新たに何かを見つけたということだ。

 齢数百年の妖狐というか、その域を軽く脱している天狐は公介同様にヘラヘラとした緊張感のない笑みを浮かべたままに尻尾を器用に隠してしまう。

 この天狐は何故か幼い頃から私の世話係だ。

 頼みもしなかったのに、勝手に守護役についたと伯父と父が困り顔をするほど、私のそばにずっといてくれる姉のような兄という複雑な輩だ。これが抜群の戦闘能力を誇る大天狐なのだから世の中はわからないものだ。

「でも、それなりの収穫はあったんでしょう?」

 急激に黙り込んで、わざと軽くうなったあたりで、だいたいの想像はついた。

 強力な神通力をもっているはずのコレがうなるのならばその相手は一つだ。

 黄泉使いの同志ともいえるこの神の獣は二種類いる。

 狐と狼。

 狐は人に近く、人と共にあることを選んだ。だが、狼はそれを嫌った。

 狼は自分自身が主と定めた者のためにしか動かない。つまり、黄泉使いが全滅したとしても、主さえ生き残れば良いといった類いだ。実に扱いの困る神の獣といえる。

 元来、この狼は宗像家から主を選出している傾向にあったが、この100年、誰一人として選出された者はいないはずだ。狼は値しない者ばかりの代では姿すら現さない。

 狼が姿を現したということは今現在の黄泉使いの中にその選抜対象が居るということになる。わかりきっている。私は俯くしかないんだ。

 選出される者は必ずとんでもない定めを背負わされると決まっている。

「間違いなく、あんたよ」

 その言葉を振り払うように、望むわけがないだろうと大声を出した。

 自分だけが守られ、自分だけが生き残る。そんな世界に何が待っているというんだ。

 狼が守護した宗像の主達は皆悔やんで生きるというのに。

「富貴は喜びそうだけとね」

 富貴とは母の名前だ。

「手をかけたくてもかけてやれなかったもう一人の娘ちゃんなんだからさ」

「そんなこと、黄泉使いの家にうまれて、たいしたことでもないだろう?」 

 二大巨頭の津島と宗像、それぞれの跡継ぎ同士だった両親は事実婚という奴で、私は娘なのだが母とは実際に一緒に暮らしたことはない。それは黄泉使いの家に生まれた子としては決して珍しいことではなく、よくある程度のことだ。

 両家の膝を突き合わせ、適正のある嫡出子を順位付けして、家同士の格を優先してどちらで育てるかを決めるなんてことはざらにある。

 宗像の方が格上だったため、父が先に私を選び、私の姓は宗像となった。

 私には双子の妹がいるが彼女の姓は津島で、母と一緒に暮らしている。

 人生においてたったの一度も姉妹らしく育ったこともなければ教育方針も違う中で暮らしているため、恐ろしいほどに接点がないまま十七歳になってしまった。

 別に不仲というわけではないが、互いにほとんど何も知らない状態の姉妹というわけだ。

 顔を合わせば話もするし冗談も言い合うが、私達は本当の意味で互いを知らない。

 各家のしきたりや方針、生活圏の違い等が遠い親戚同志のような感覚を私達に植え付け、互いに必要以上干渉しないように生きてきた。

 一族の人数の多い津島家で育った妹はいつでも自信に満ちて闊達、人に好かれる質だが、当の私はこの通りのひねくれ資質。全く嫌になるほどの差だと日々鬱展開になる。

 話がそれてしまったが母である津島富貴は津島家の後継で、紅面の一人でもあり、伯父の宗像公介と肩を並べる猛者だ。

 その母が喜ぶというのは、父を失った痛みが彼女をそうさせているといっても言い過ぎではないだろう。

 父そっくりの私がルーキーとしてデビューしてからというもの、母は過保護も過保護。難易度の高い任務をことごとく私から取り上げてしまう。ゆえに、伯父の公介と大喧嘩するのが日常茶飯事。

 つまり、母は今すぐにでも私を生業から遠ざけてしまいたいくらいの勢いというわけだ。

 はたから見れば狼はある意味で最強の防御壁となるから、母からすれば願ったり叶ったり。

 だが、狼が守るのはそれがある種の核となる人材であることを意味している。背負う大きな荷物の中身は宗像本家の人間しか知らない。母は何も知らないから小躍りしてひ喜べるのだ。私はその中身を知っているからこそ、知らない顔をしていたくなった。

「まだ決まったわけじゃない。 咲貴かもしれないでしょう?」

 咲貴とは双子の妹の名前だ。

 狐男は驚いたというようにわざとらしく目を大きく見張った。

 男が言いたいことはよくわかっている。

 それでも、首を振りたかった。自分じゃないんだとひたすらに首を横に振りたかった。

「何人もお前にはなり得ない」

 男の口調が変わった。声色が静かに低くなり、どこか私を責め立てるようなニュアンスがこめられた。

 わかっていると小さく小さくつぶやいた。

 男の大きな掌が頬に伸びてくる。

「誰にも遠慮するな」

 頭脳明晰な上、才能にあふれ、抜群の戦闘能力を誇る双子の妹が津島にいる。

 嫌でも聞こえてくる言葉達。

『志貴ではないだろう』

『志貴のはずがない』

『宗像は見る目がない』

 うつむくと簡単に涙がこぼれ落ちる。

 その度に、泣くなと公介とこの狐男に怒鳴られてきた。

 何かあればすぐに胃が痛くなり、食事も喉を通らなくなるのに、その上、消えてしまいたいと思うような自分が名門の後継。何度も何度も自問自答した。真実は間違っていて、咲貴が宗像だったのではないかと。

「そろそろ良い報告を?」

 負のスパイラルをいつも通りにスパッと切り捨てる狐男はにっこり笑った。

「出雲から冬馬が戻ってくる」

 自然に口角が持ち上がったのが自分でもよくわかった。

 冬馬は私の幼なじみで、昔からのバディでもある。これは公介の仕業だと鈍い私でもさすがに気がついた。

「自分の代わりってことだろうか?」

 狐男はたぶんねと小さく頷いた。

「さて、泥まみれになった理由についてはどう説明してくれるの?」

「先客がいたから芝居を打っただけよ」

 口調を変えた男の返事をきいて一番に出てきた言葉は悔しいだけだった。

 自分より先に動くことのできる誰かが居たという現実。

 そして、その人間は私よりも数段上のクラス。

 私と同じ発想で行動する事のできた者。思いつくのはもはやたった一人、咲貴だ。

 母にそっくりで目鼻立ちくっきり、すらりと伸びた手足、何よりも色白でお姫様みたいな双子の妹。

 明朗快活で、誰かの心を温かくすることがうまい。その上、私が宗像であることについて、これまで一度も毒を吐かれたこともない。むしろ、いつも先を見据えて心配されてばかりだ。

 狐男が私の顔を覗き込むように身をかがめ、そっと手を取ってきた。

 心の一番奥にある小さな小箱には私が隠しこんだ弱みが眠っている。

 今、どうかそれを引きずり出さないでと願った。

「でてきちゃいかん」

 首を振るのに蘇ってくる。

 夢ならば良かったのにと、受け止め切れなかったあの日。

 あの例えようのないほどの哀しみさえ、あの日の苦しみさえ手放せたのならば、おそらく私は何の憂いもなく堂々としていたはず。

 一番の味方である狐男の顔を悲し気に歪ませてしまうのはわかっているのに、どうしても一人にして欲しかった。そうでもしなけりゃ、不必要な言葉達が飛び出してしまう。そんな言葉を吐くくらいなら一人で閉じこもった方がましだ。

 こんな時に限って腕の傷が嫌なうずき方を始めた。痛みが強くなるよといわんばかりに脈打つ血流がわかる。腕に仰々しく巻かれている包帯の上からさすってみるも、その痛みは強くなる一方だ。

 気が付くと心配そうに手を伸ばしてくれた男の手をとっさによけていた。

 もう自分の意固地具合にうつむくしかできなかった。

 暗闇に居た時、そこから引きずり出してくれたのは公介とこの狐だったのに、私は聞き分けのないガキみたいにだだをこねて、うじうじして。

 ぐいっと顎をもちあげられ、私は強制的に狐の目をみることになった。

 やるのか、やらないのかという挑戦的な目を直視することができなかった。

 与えられた者はその与えられた物でやるべきことがあるのだと伯父から幾度となく言われてきた。

 良い人間だから与えられて、悪い人間だから奪われるのでもない。

 才というのはその人の良し悪しではなく、その人が成すべきことがあるから与えられるのだと幾度も説教された。

 わかっているのに、わかりたくない。

 身震いしながら、私は首を横に振るしかない。

 望んだことなんかない。望みもしないものを強引に与えられただけ。

 誰が立ち向かいたいと願ったと言うんだ。

 狼に誰が護ってくれと頼んだと言うんだ。

 もう心は限界だ。

「あの時、父さんを殺したのは私だ」

 言わずに済むのならば言いたくなかったどす黒い言葉が飛び出してしまった。

「何で私を護った? 皆には父さんの方が大切だったはずだ!」

 声は徐々に大きくなり、狐男の伸ばした手を苛立ち紛れに払いのけた。

 私が大きな声を上げた瞬間、ぐっと男の顔が私に近づいた。

 力一杯に胸倉をつかまれたのだとわかるまでに数秒要した。

「当たり前のことを言うんじゃねぇぞ!」

 平素から穏やかそのものの男が青筋を立てている顔など見たことはなかった。

「泰介がお前より自分を護れと言うと思うのか?」

 言葉が詰まってうまく言葉が出てこなくなった。

 その名前は私を硬直させるには十分すぎた。

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