ヘレナ  3

「僕の奥さん、考え事かな?」


 後ろから聞こえてきた声に振り返るとヘレナの夫がグラスを両手に持って立っていた。


「ええ、まあ。ところで貴方が持ってきたものの中身は何かしら?」

「これは普通の葡萄酒だよ。仕事で疲れているだろう奥さんに休んでもらいたくて、ね。どうだい?久しぶりに一杯飲もう」

「・・・そうね」


 断ろうかと一瞬思ったけれど、一気に疲労がやって来たのでそのままグラスを受け取った。一口飲んで、ヘレナは頭一つ分高い夫を見上げた。


「貴方のご実家のもの?」

「ご名答。どう?美味しい?7年前の葡萄酒でね、まだ若いけれど出来が良かったみたいだから味見したくて我慢できなかったんだ」

「7年前の・・・貴方と出会った年ね。美味しいわ」


 デリックは嬉しそうに笑い、ヘレナの髪を撫でた。


 ヘレナの夫であるデリックは農耕に優れた領地を持っている伯爵家の次男で、学園で出会った同級生だ。彼の実家では葡萄酒を始めとした様々なお酒を造っていて、国内に流通しているお酒のほとんどは伯爵家の領地産だ。


 学園に入学した当初、ヘレナには友人がいなかった。何故ならルイーズという矛先を失い、入学した当初のヘレナは感情赴くままに話し、その言葉の鋭さから避けられていたからだ。それまで時々遊んでいた子も学園に入って派閥というものをわかってからは疎遠になっていた。


 全寮制という全く環境の変わった場所で、毎日たった一人で過ごさなければいけないことはとても辛くて寂しかった。


 食堂では席で食べるかランチボックスで食べるかの二択があり、食堂で一人寂しく食べる姿を見られるのが嫌で、いつもランチボックスを頼むと人気の無い場所のそのまた茂みに隠れた場所でそれこそ一人寂しく食べていた。昼間の寮は閉められていて戻ることができなかった。


 そんな過ごし方で2カ月経ち、授業のグループでもまるで厄介な扱いを受けて、移動教室でもいつも一人で移動し、早くもホームシックになって帰りたいと思っていた時、ヘレナはデリックに出会った。いつものように一人寂しく茂みの奥の隠れた場所でサンドイッチを食べていたら、がさごそと音を立てて彼は現れた。


『ヘレナ嬢!』


 いつか見た大型犬のように尻尾を振って喜んでいる姿が彼に重なった。


 それからデリックは何故かヘレナに付きまとい、ヘレナも素直に感情を表現する彼にいつしかほだされて友人となった。そんな二人の打ち解けた姿にいつしか同級生も話しかけてくれるようになって、今でも付き合いがあるほどの友人ができた。


 中でもデリックとは親友と呼べるほどの仲になった。

 好きな食べ物、好きな本、勉強でわからないことがあればお互いに聞いて、友人と喧嘩をしてしまった時は仲直りの方法を。休日には友人たちと共に一緒に街を巡り、お祭りに参加したり、クラスが離れると不安になって一緒に食事をとってもらった。

 他の誰にもしたことのない妹との話を嫌われる覚悟で彼に話した時、彼は静かにヘレナの頭を撫でてくれた。それから小さな頃からのコンプレックスも、町で見かけた青年に恋をしたこともその恋が破れて泣いたことも、ヘレナの全てをデリックは知っていた。


 対面させられるまで婚姻相手がデリックとは知らなかったけれど、ずっと君が好きだったんだと告白されて、ヘレナはデリックと離れたくないと思った。

 そうしてヘレナは3年の婚約期間を経て、デリックと結婚した。


「私、あの子に謝ることができなかったの」

「うん」

「おとぎ話に憧れているのは知っていたけれど、まさかあそこまでとは思わなくて」

「心配?それとも・・・不安?」


 全て飲み、グラスの底に残っているワインを揺らめかせる妻を抱き寄せ、デリックはその艶やかな髪に口づけを落とす。


「・・・・・・」


 答えらない妻のささやかなプライドにかわいらしいと思わず笑みを零しつつ、デリックは未だ少女のような危うさを残した初恋の相手を優しく抱きしめた。



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