ヘレナ  1

 ドゥルイット侯爵家次期当主である長女、ヘレナは幼い頃から自分の感情を抑えておくことが苦手だった。しかし、本人もそれは自覚していた。そして、それは貴族として生まれたからには難点であり、そんな自分が侯爵家の当主となるのは不向きだということもわかっていた。


 けれど、長子が家を継ぐことは当然の常識だ。

 3つ下に生まれた妹をお姉さんらしくあやしながら、ヘレナはこの小さな存在を守るために次期当主としての教育を頑張ろうと思った。


 幼い頃は仲の良い姉妹だった。

 表情の薄い妹はおとぎ話が好きでいつもぼーっとしているような夢見がちな少女だったけれど、ヘレナの後ろをとことこと付いてきてはふにゃっと笑ってみせる様がとてもかわいかった。

 ヘレナは吊り上がったような目をしていてそれもコンプレックスだったけれど妹が笑ってくれるとどうでもよくなって、他の貴族と上手く関係を築けないと落ち込んでいると妹が慰めてくれて一緒に謝ってくれる。そしてルイーズはヘレナが友達を作るといつの間にかその輪から消えている。

 気の強いヘレナと姉の心の機微に敏感なルイーズは、見た目や性格からも正反対の姉妹だと言われることが多かったけれど、確かに仲は良かった。


 姉妹の仲に亀裂が入ったのは、父親のたった一言の冗談だ。

 家族の食事の席で、『ルイーズの方がドゥルイット侯爵家の当主にふさわしいかもな』なんて言ってのけたのだ。母親はそれを微笑みと共に賛同し、当主の教育についていけていなかった10歳のヘレナの自尊心を大きく傷つけた。たとえ7歳でもヘレナよりも頭の良さの片鱗のあったルイーズが食事に気を取られて聞いていなかった振りをしていたとしても、そんなこと姉であるヘレナは気付いていて、それが無性に腹が立った。

 父のそれは8割がたは冗談で、残りの2割では本気だった。当然だ。国政の一端を担う者として、侯爵家当主として、より優秀な人物を選ぶことはヘレナだってそうする。


 けれど、当時のヘレナにとっては何よりも代えがたい屈辱だった。

 今まで妹にしてもらって感謝していたことが出来損ないな姉に対する同情心からにしか思えなくなり、それまでも小さくあった自分より優秀な妹に対する嫉妬心と今まで頑張ってきた当主の座を奪われるかもしれない恐怖心が膨れて、それまで愛おしいと思っていたルイーズを攻撃するようになった。

 両親にも使用人にも見つからないように陰湿に、苛烈に、ヘレナのストレスはルイーズに向かった。

 ルイーズに話しかけられても無視して睨みつけ、ルイーズのお気に入りだった服を遊んでいる振りをして汚した。ぼーっとしているルイーズを後ろから小突いたり、向かいから歩いているとつまづかせたり、料理長に言ってヘレナだけが知っている苦手な物ばかりを出してもらった。時には苛立ちに任せて頬を叩くこともあったし、書庫でおとぎ話を読んでいるルイーズからそれを突然叩き落としたこともあった。


 ルイーズは当初、姉のすっかり変わった態度に呆然としていてどうして?という視線で見ることが多かったけれど、長くない時間でその理由もなんとなく悟ったようでされるがままだった。それもまた、ヘレナは気に入らなかった。


 ヘレナは知られないようにとしていたし、ルイーズが泣きつくこともなかったけれど、そんな姉妹の雰囲気に使用人は少しずつ気付いていた。それを両親に言ったのか、ちょうどいい時期だったのか、ヘレナは13歳の時に跡取りの貴族だけが通う全寮制の学園に入学させられた。

 そこで4年学び、成人して卒業と共にヘレナは侯爵家に帰ってきた。


『お姉さま、お帰りなさい』


 ヘレナを迎えたルイーズはその顔に笑みを浮かべながら、その目は笑っていなかった。


 ヘレナは昔のようにルイーズをいじめることはしなかったが、姉妹が口をきくことは片手で数えるほどしかなく、ルイーズの婚約者を先に決めようとした両親に物申したことで姉妹の仲が元通りになることは永遠にないと侯爵家の使用人たちは悟った。


 以降、ヘレナとルイーズは犬猿の仲だ。

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