4

 貴方が私を拒絶した。私の夢を壊した。

 だから、貴方はずっと苦しめばいい。


『挨拶は不要だ。貴族の女も僕の番に成り代わろうとする人間も要らない。それでもここにいたければ一生使用人として働け。さっさと僕の前から消えろ』


 お屋敷に来て、みんなの歓迎してなさそうな雰囲気を感じながらロビン様に案内されて主様に挨拶をした時、主様が私に言い放った言葉だ。


 いつまでも夢見る少女ではいられないと理解して、ならば一生使用人として仕えようと決意した。


 主様はへびの獣人。嗅覚は舌。

 舐めて確かめなければ、私が主様の番だと気付かれることはない。


 あれは8歳の頃だったか。

 姉との確執をなんとなく理解できるようになったある日、ある獣人の番の会ったことがある。

 その人はとてもとても愛されていた。人目も憚らず、ただ一途に、互いだけしかみえていないその姿は、私が幼い頃から憧れていたおとぎ話の獣人の恋人たちと同じ姿だった。


 私は昔からおとぎ話が大好きで、毎日毎日飽きるほどおとぎ話を繰り返し読んでは憧れていた。

 唯一無二の番と出会えた獣人とやっと探して巡り合えた番が幸せな恋人になることに。


 次期侯爵当主である姉と誓約を交わし、私は侯爵家の身分を捨ててこのお屋敷にやって来た。

 主様に言われなくても私には帰る場所がないからずっとこのお屋敷で働く他ない。市井に出ることを考えたこともあるけれど、ロビン様から聞いた雇用条件がとても良く、安全面においても市井よりこのお屋敷の方が安全だ。獣人に怯えて、強盗に入ろうなどと考える者は少ない。


 小さな頃から憧れていたおとぎ話のような獣人の恋人たちに会ったことで私は憧れを強くして、自分が誰かの番だと知って、私も彼女たちのような関係になるのだと信じて疑わなかった。

 それを、最初から私を見ることもなく背中越しに嫌悪と蔑みの言葉を吐かれて、成人になるまではと待って待った挙げ句焦がれて止まなかった番のはずの相手に拒絶される番の絶望なんて、あの時の私の絶望を主様はわからない。


 だから、ずっと苦しめばいい。

 番が近くにいると知りながら、焦がれてやまない番と出会えない苦しみを。








「ルイーズ」

「はい、何でしょう?」


 翌日、偶然廊下ですれ違った主様から呼び止められた。

 目が一度会いながらも視線をうろうろとさ迷わせるのは主様の癖で、これは恥ずかしがったり申し訳なさそうな時にする表情だ。ちなみに凛々しい獣人を想像していた貴族の女性からは挙動不審に見られて、気持ち悪いと嘲笑られる原因の一つでもある。

 こんなにもかわいい仕草を見ることができるのは、晩酌に付き合って寝るところまで世話した翌日の私の特権だ。


「昨日はありがと」

「いいえ、いつものことですから」

「うん・・・本当、いつもありがとう。ルイーズといるとなんだか楽しくて、時間を忘れて飲んじゃうんだよね」

「そうですか。私もただ酒を飲むことができて嬉しいです」

「そ、そう・・・。ところで、ルイーズの部屋からなんだか異臭がするんだけど・・・あれなに?」


 するりと二股に分かれた舌で、主様は部屋から漏れ出た空気を嗅ぎ取ったらしい。

 変態ぽいなと思いながら、今朝起きてからの自分の行動を思い出してみて思い当たることに気付いた。


「あ、きっと柑橘系のルームフレグランスをかけたからでしょう。この前市井に出た時に気に入って買ったのです。忘れていたのですが今朝急に思い立って、気分転換に開けたのできっとそれだと思います。というか異臭だなんて失礼ですね。とてもいい匂いじゃないですか」

「ええー・・・僕は、なんか嫌いっていうかあまり近寄りたくないな」

「あら、でも主様はまさか使用人の部屋に夜這いに行こうだなんて思わないでしょう?」

「思うわけないだろ!」


 純情な主様は真っ赤になって叫んだ。

 何事かと驚いたロビン様が部屋から現れて、私が主様をからかっている様子を見て安堵し、また部屋に入っていった。これが日常茶飯事の光景で、主様と使用人との距離感だから何の問題もない。


「ならばいいでしょう?私に与えられた部屋ですもの。私がどのようにコーディネートしようと自由ですよ。先月の雇用条件の更新でもロビン様から許可は取っております」

「・・・・・・」

「仕事がありますので失礼いたします」


 よっぽど嫌な匂いだっただろう。

 主様は微妙な顔をしつつも、それが雇用条件に入っていることを知って納得したのだろう。


「ルイーズ」


 後ろから呼び止められて振り向くと、主様はどこか悲しそうな顔をしていた。


「もしかして、僕のこと嫌い?」


 意外な問いかけにすぐに有り得ないと思った私が声を上げて笑うと主様がむっとしたので、咳で誤魔化してきちんと居住まいを正して答えた。


「いいえ、まさか。誤解の無いように言っておきますが、主様のことは雇用主としてお慕い申し上げております。ただ・・・ちょっと私生活がだらしない点がマイナスポイントかと」

「なんだかわかるけどちょっと傷ついた」

「心中お察しいたします」

「ねぇルイーズ?僕は君の言葉で傷ついたんだけど?」

「わたくしもロビン様もアルマさんもオリヴィアも不摂生な生活を続ける主様の健康を憂いておりますわ」


 拗ねてしまった主様に、私はこれ見よがしに憂いてみせる。

 そうして互いに顔を見合わせ、少しだけおかしくなって笑い合った。


 こうして今日も、主様の番は見つからない。

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