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 そんなこんなで今日も主様の晩酌に私は付き合ってあげている。

 この国では16歳で男女共に成人とみなされるので、17歳の私がどんなにお酒を飲んでも法律に違反することはない。お酒は美味しい。


「ルイーズはさ、」

「はい」

「見かけによらず酒豪だよね」

「心外ですね。主様のお相手を務めるのですから度数の低いものを選んで飲んでいるだけです」

「ええ!?そんなのおいしいの?」

「私にとっては美味しいので何の問題もありません」


 主様は味覚が鈍いから、お酒の苦みや甘みはほとんど感じない。なのにアルコールだけは毎回毎回丁寧に摂取するのだから参ってしまう。いつも長椅子に向かい合って飲んでいるので、主様が寝てしまうと寝台に連れて行かなければいけないのは私なのだ。

 一応貴族令嬢でもある私を気遣って最初はロビン様も同席していたけれど、お酒が入ると眠ってしまうという酒癖の悪さから私から遠慮した。これに関しては主様もロビン様もアルマさんも渋っていたけれど、私もある程度の護身術は使えるし、何より番だけを求めている主様を相手に何かが起きることはないと断言して以降は私と主様だけの時間になった。

 私が主様を襲わないと、決して有り得ないけれど、それが不安だとみんなから言われなかったのはそんなことはしないという信頼がこの半年が築かれたのだと思うとそれが嬉しかった。


「いつも気になっていたんだけどルイーズはどんなお酒を飲んでるの?」

「ほとんどフルーツ系のお酒です。ちなみに今日はワイルドストロベリーの果実酒です」


 透明なグラスに注がれる赤い果実酒を主様はじっくり眺めている。


「赤いなあ」

「赤い実ですから赤いお酒になります」


 主様は優しい方で、晩酌が日課になってから私が好きなお酒を仕入れていいと許可してくださった。

 なので常時20種類のお酒を用意し、それを時々お菓子にも入れて有効活用している。ただ飲むだけではないのだとロビン様を説得させるために。


「それ、僕も飲んでみよう」

「お口に合うかどうか」

「いいよ。どうせ味覚よりも匂いだから、甘そうな匂いがするなあ」


 もうほろ酔いの主様が本格的に酔っぱらうのも時間の問題だ。ここ連日ずっと主様の晩酌に付き合わされているので、今日はしっかりと薬を盛っている。それが完全に効くまでにできれば寝台に移したいけれど、今回はどうやって移ってもらおうか。


 飲みかけのグラスを口に運ぼうとしたら、真正面から突然現れた大きな手がそれをさっと奪ってしまった。

 あっ、と思った時にはもう遅い。


「・・・すごい甘い匂いだね」

「砂糖も入っていますし、果実本来の甘みもあります。柑橘系のお酒以外はみんなそうですよ」

「そうなんだ?」


 そこで匂いは感知できないくせに鼻でも匂いを嗅ごうとして失敗し、二股に分かれている舌をするりと出してちゅるっと舐めた。


「・・・うん」

「そんな曖昧な顔をされるならもう返してください。私のお酒ですよ」

「僕さ、この前祖国から取り寄せた古い本の呪いをしたんだ」


 うわ、始まった。

 ほんの少しだけ熱に浮かされたような声がして顔が変わりそうになるけど、それをそっと心に押しとどめ、主様には慈しみの表情をして頷いた。

 案の定、長椅子にだらんと背をかけた主様は目元を赤くしてふにゃりと笑んだ。


「やっぱり僕の番は王都にいるんだ。僕の、僕だけの番が!」

「まあ、そうなんですね」

「僕もそれはわかっているんだ!空気に交じる番の匂いが!なのに、どこかおかしいんだ・・・どうしてなんだろう・・・」

「おかしいとは何がです?」

「彼女の匂いが強くなったり弱くなったりするんだ。弱い時なんて全く匂いがしない時もある。もしかしたら僕の番はどこかに囚われているのかもしれない」

「そうだと考えるならどうして助けに行かないのですか?主様の、唯一無二の番様なのでしょう?」

「・・・だって、僕は」


 次第に曇っていく主様の顔がついに暗く陰り、顔の半分を黒いうろこが覆う。

 感情が高ぶると主様の顔がへびそのものに近付いていくのは、あの伯爵家令嬢事件があった時に気付いた。突如響いた怒号に驚き、すれ違う令嬢を放って主様の部屋に行くと顔を両手で覆い、床に膝をついていた。

 その時、指の隙間から覗く目と目が合い、そして顔も手もへびのうろこが浮きだっていた。


 主様はいつだって怯えているのだ


「僕はへびの獣人だから」


 主様が望む、唯一無二の番に。


 誰しもがそうであるように、獣人の国では当たり前のことでも人間の国ではそうでないことが多々ある。文化の違い、体格、力の強さ、獣人それぞれの特徴、想いの強さ。

 主様は夢見る子供のまま、外の国へと旅立った。


 自分だけの番に会いたい。

 ただそれだけの願いのために、その願いが小心者の主様の心を強くしていた。


 けれど主様は間もなく現実と向き合うことになる。

 獣人の国では当たり前だった自分の容姿が、人間にとっては歪で気持ち悪い姿になることを知ってしまった。おとぎ話の中での獣人しか知らない、あるいは獣人という存在すら知らない者たちによって主様は様々な迫害を受けた。この国にやって来る頃には、主様はすっかり陰鬱な青年になって心が疲れていて、それでも鈍さばかりの感覚の中で掴み取った番の匂いだけを頼りに希望を持っていた。

 そして、主様はさらに現実を直視させられることになった。この国が獣人の存在を知っていて、初めから待遇を受けられるのは良かった。けれど、番を求めてやってきたことを公にしてしまい終いには叙爵されたばかりに、その懐に野心家な貴族たちが付け入る隙を与えてしまった。

 そうして主様の更なる苦痛の日々が続いた。主様のお世話をするためと息子や娘を送り、息子には主様の信用を得て獣人の国という大国との縁を、娘には番になって子を作り国の優遇を得続けようと画策した。

 隠しきれない嫌悪を覗かせながら、擦り寄って来る貴族たちに主様は人間不信を募らせていった。そんな中でも数少ない友人ができたのは、その人たちが主様を特別扱いしないからだ。今、お屋敷で働いている3人もへびの獣人だからと怖がったり、優遇を受けているからと言ってご機嫌伺いなんてしない。


 主様の見た目から早々に家に帰った者、尽くしているのに見返しをくれないと憤る者、獣人に仕えられるかと見下すプライドの高い者、見切りをつけて去る者・・・いろんな人間がいる中で主様が一番耐えられなかったのは色仕掛けで迫った者たちだ。


 主様はへびの獣人で、その舌で匂いを嗅ぎ取り、番かどうかを判断する。

 しかし、貴族の女性たちにとってその行為は既成事実と同じことでもある。一度でもそうした行為をすれば、強かな者たちは傷物にされたと騒ぎ出しかねない。

 あるいは恋を仕掛けた者たちもいる。獣人だって恋をする。番と出会えなかった獣人は、恋を成就させて一生を終える。番を探している主様に恋を仕掛け、まんまと獣人の妻という稀有な存在になろうとした。その瞳には嫌悪を隠して。


 もう一度言おう。

 主様は純粋で臆病な心の持ち主だ。こと、番に関しては。


 未だ見ぬ番に夢を抱きつつ、もし番が人間ならば自分の見た目を気持ち悪がって拒絶するのではないか、それともあの女性たちのように嫌悪を隠しながらも自分の付加価値だけを見て言い寄って来るのだろうか。


 ただ純粋に愛し愛されたいだけなのに。


 だから主様は早く番に会いたいと泣きつつも、その臆病さから決して自ら番を探そうとはしない。お屋敷に籠って、未だ出会えぬ番の行方を呪いで探しつつ、番と出会えた獣人の話をなぞっては自分が無事に番と出会えたらと夢に夢を重ねる。

 そうしてこんなに遠くの国にまでやって来て、近くにいるだろうことはわかっているくせに、無駄に時間を過ごしている。


 なので私は正直に主様を、臆病者と呼んでいる。


「ぼく、の・・・・・」


 いつの間にかグラスの中身を飲み干した主様は、アルコールが効いたのかそれとも薬が効いたのか、うとうとと少し体が揺れ始めて身体の力が抜けつつある。

 手から滑り落ちそうなグラスを受け取り、私は主様が寝そべる長椅子に近付いて顔を寄せた。


「主様、寝台に移ってください。こちらで眠られては困ります」

「んー・・・る、いーず?」


 元々細い目がさらに細められていく。

 完全に酔っぱらっている証拠だ。早く寝台に移そう。


「主様、お願いです。私のお願い、聞いてくださるでしょう?」

「・・・うん」


 優しく手を引いて、私よりもずっと背の高い主様をゆっくりと寝台に連れて行く。

 ぽんと軽く押せば寝そべってくれるので、後は少しだけ服を緩ませて寝やすいようにしておけば問題はない。へびは変温動物だから、主様の身体も多少の温度変化には対応できる。


 これで仕事は終了だと思い、下ろしていた腰を寝台から上げると、何故か薄目を開けている主様に手を引かれた。

 普段はうろこと同じ茶色に近い緑が赤く染まっていて、見下ろすような格好になってしまって主様と目が合った。


「主様?」

「るいーずが、つがいなら・・・いいのに」


 主様は次の瞬間には完全に意識を飛ばしていた。

 思わず腕を掴まれた手を振り払い、完全に眠りについた主様から距離を取る。


「・・・貴方が私を拒絶したくせに」


 自分の口からでた声なのに、とても冷たくて一切の感情もこもっていないその音に思わず嗤ってしまった。






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