今も
「ねぇ、ちょっといいとこって……ここ?」
「綺麗だろ? こんなに眺めがいいのに空いているんだ」
「あっ、そうか。貴方は他所から越してきたから知らないんだっけ。この辺は誰も近づかないのよ」
「えっ、なんで? 最高の夜景なのに。星が地面にもあるみたいだろ?」
「もっ、もう。すぐそういうこと言うんだから」
とぼけてはいるものの、実は知っている。
ここがどういう場所なのか。
「とっ、とにかく離れよ! ねっ!」
「なんでさー。理由くらい教えてくれてもいいじゃないか」
僕はまだここを去りたくない。
なぜならばここで彼女に対してすべきことがあるからだ。
コートのポケットの中で四角い感触を確かめる。
「……」
彼女は口をつぐむ。
「ほら、僕らの住む町が一望できる」
「確かに……ここは、眺めはいいんだけど……」
「だけど?」
彼女が口にしたくない理由はわかっている。
こんなに眺めがいい場所なのに、人が滅多に近寄らない理由は。
「……言わない方がいいって教えられたんだけど……」
「そうなんだ……寂しいな。僕はやっぱりよそ者のままなんだね」
悲しみの表情を見せ、うつむいてみせる。
「ちっ、違うの! 貴方のこと、よそ者だなんて……」
「嬉しいよ。そう言ってもらえるだけでも」
努力したかいがあった。
「わかった。言うわ……あのね、ここね、心霊スポットなの」
「えぇぇっ? 心霊スポット?」
大げさに驚いてみせる。
「何人もここで亡くなっているの」
「何人も……って、飛び降り?」
じゃないことは当然知っている。
「……その……焼身自殺で……」
そう。「焼身自殺」。
「自殺? こんな綺麗な場所で?」
「……うん」
「どうしてそんなことを、わざわざここで?」
「……出るからって聞いている」
彼女の話し方を見る限り、彼女は本当にそうだと思っているようだ。
まあ、実際そうではあるんだけど。
「出るって何が?」
「笑わない?」
「当たり前だろ。笑わないよ」
「……油すまし」
彼女がそう言った途端、背筋が凍りついた。
「今もー出るーぞー!」
僕でも彼女でもない声。
その声の主は、ちょっと離れた茂みから物凄いスピードで飛び出してきたみすぼらしい格好の老人。
ボロボロの布をまとい、素足に
彼女の背後で急停止したため、老人の持っていた油瓶の中身が彼女に大量にかかった。
なんともいえない独特の油臭が鼻をつく――僕はすかさずポケットの中からジッポーライターを取り出して火を点け、後ろへ下がりながら彼女の足元へと投げた。
このジッポーライターは彼女からのプレゼント。
煙草の火はいつも彼女に点けてもらっていたし、今もポケットの中にずっと隠していた右手には薄手のゴム手袋を着けていたから僕の指紋はついていない。
まあもっとも、この場で死んだ者はちゃんと調べられることはないだろう――そういう前例を彼女の父親が作ってきたから。
彼女は燃えながら、その場にへたり込む。
僕を見上げる彼女の表情はとても悲しそうに見える。
「……ど……して……」
「焼身自殺だなんて言うからさ。本当は知ってるんだろ? 全部油すましのせいにして、君の父親がここで何人も焼き殺していることを」
ここで死んだ者は「焼身自殺」ということにされる。
昔は本当に自殺だったのかもしれない。でも今は違う。
小さな町のちっぽけな権力者が、自分のわがままを通すためや、くだらない利益なんぞのために、自分が罪をかぶらないですむ殺人の手段としてこの場所を使っているだけ。
僕は知っている。
僕の両親がここで「焼身自殺した」現場を茂みの中に隠れて目撃していたから。
僕が目撃したことを誰かに喋りでもしていたら、きっと僕自身も「焼身自殺」させられていただろう。
あのとき僕は、警察の手ではなく自身の手で決着をつけてやると心に復讐を誓ったのだ。
名前を変え、顔も変え、入念な準備をした上で、この女に近づいた。
自分の父親が人を殺して得た利益を、何も知らずに享受しながらぬくぬくと暮らしているボケ女に。
「恨むんなら君の父親を恨むんだね。僕の両親がそこで燃やされたあの光景を忘れられないんだ。今も」
その言葉は恐らく彼女にはもう聞こえていないだろう。
地面に落ちた彼女のスマホを、手袋をした方の手で拾う。
浮気していない証拠にいつでも僕がスマホを確認できるようにと、スマホロックの方法を聞いておいたのはこのため。
『私、知っていました。焼身自殺の秘密を』
あいつの家からはここがよく見えるから、きっとこの火も見えることだろう。
この復讐の、反撃の
油すましはもう居なくなっている。
僕も次の準備をしよう。
もう一回だけ力を貸してくれ、油すまし。お前だって濡れ衣を着せられたままじゃ嫌だろう?
お前は油をこぼすだけで、決して火を点けたりはしないのだから。
最期の火は僕の手で点けてやる。
さあ来い、ここへ。
<終>
油すまし
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