砂守り

 これが二日酔いというものなのか――と痛む頭を抑えながら起き上がる。

 とりあえず顔を洗って、とベッドから下ろした足の裏にざらっとした感覚。

 驚いて足の裏を見ると靴下が砂まみれ。

 というか部屋中が砂だらけ。ベッドの下も、上すらも。

 しかも謎のスラックスとトランクス――このスラックスには見覚えがある。

 確か昨晩、コンパで寄った私を送ってくれるとか言い出した先輩の――待って待って。

 慌てて自分の体を確認する。

 デニムのボタンが外され、ジッパーが半開きだったけれど、それ以外に服を脱がされた形跡はない。

 というか昨晩の私、コンパに行った時のまま風呂にも入らずメイクも落とさずコンタクトすら外さずに寝ちゃっていたのか。

 記憶も全くないし、色々と終わってる。

 昨晩、ここで何があったのかを考えるのはとても怖いのだけれど、そうは言ってもとりあえず部屋の片付けを始めた。


 掃除機で砂を吸い取るうち、ノズルの先端に何かが当たった。

 スマホだ。私のじゃないから、先輩のかな?

 ロックがかかっているから確認はできないけれど。

 というか先輩はどこ?

 顔を洗うときに部屋の中全部見たけど、どこにも姿はない。

 玄関の鍵は開けっ放しだった――危ないな。それにしても靴もスマホも残っているし。

 というか下半身全裸で外へ?

 まさかまだ家の中に居ないよね?

 念のためにもう一回、家の中をしらみ潰しに調べてみたものの、先輩の姿はなかった。

 先輩の靴とスラックスとトランクスとスマホは一緒くたに半透明のゴミ袋に突っ込んだ。

 昨日着ていた服とシーツは洗濯&乾燥しながら、自分の体もシャワーで綺麗にする。

 冷蔵庫のアイスコーヒーを飲んでようやく一息。

 今日の講義は二限からだったけど、結局、午前中のは全滅。

 午後の語学は行かざるを得ないか。

 あとこのゴミ袋を家に置いておきたくなくて、大きめのリュックに放り込んで大学に向かうことにした。

 サークル部室にこっそり置いてこようと思って。


「昨日、大丈夫だった?」

 午後一発目の講義。教室に着くなりサークルの友人から声をかけられた。

「あー……なんかすごい酔っちゃって……」

「だよねー。ちょっと心配してたんだー」

「そっか。ごめんね」

 何で謝るの、自分、とは思った。

 心配してたって言う割には、途中で飲み過ぎとか言ってもらえた記憶はないんだよね。

「でさ。そっちもなんだけど、あっちはどうだったの?」

「あっち?」

「ほら、例の先輩に送ってもらってたじゃない?」

「あー、そうなの? そのあたりはあまり覚えてなくて」

 これは本当。お開きの頃はかなり記憶が飛んでいる、ような。

「心配してたんだよー。あの先輩、手が早いって有名だから」

 イラッとした。

 さっきから心配心配言う割にはずっと放置だったよね。

 しかも「手が早い」なんて言葉を濁しているけど性犯罪者同然なその先輩に送られてゆく意識朦朧とした私を見送った挙げ句、翌日に何があったか聞いてくるこの神経。

 こんな奴を今まで「友人」だと思っていた自分が情けないし、腹が立つ。

 あとそんな状況を一緒に見守っていたサークルの他の人たちも。

 せっかく友達も何人かできたと思っていたサークルだったけど、私はその日きっぱりと辞めることにした。

 となるとこのゴミ袋は早々にサークル部室へ置いてこなくちゃ――と、部室に着いた私を待ち構えていたのは警察の人だった。

 サークルの人たちは口々に、例の先輩と最後に一緒だったのはこの人です、と私を指さした。




 人生初の取り調べというのを受けた。

 もちろん、例のゴミ袋は警察の方々へお渡しした。

 状況を説明して、記憶がないことも説明した。

 サークルの人たちが彼らの非人道的な放置を包み隠さず、というか悪びれもせず話していたことで、私の証言と一致し、先輩の荷物についても一応は信じていただけたっぽい。

 暗くなってようやく私は解放された――はずなのに、翌日も警察署に召喚されてしまった。


 まず最初に、似顔絵を見せられた。

 見知らぬお婆さんの。

「ご家族とか、お知り合いとかですか?」

「……いえ、初めて見ます」

 大家さんの奥さんもけっこうなお歳だけど、特に似ては居ないし。

 なんでこんなこと聞かれるのかわからないけれど、嘘はつかず誠実に答えた。

 警察の人たちは私の部屋まで押しかけてきたし、鑑識って人たちに隅々まで部屋の中を調べられたりした。

 困惑している私に、女刑事さんが遠回しに少しだけ教えてくれた。

 あの先輩があの夜、下半身丸出しのまま車にかれたこと。

 車道には一人で自らフラフラと飛び出してきたし、体内からアルコールも検出されたので、自殺というよりは不慮の事故の方向で片付けられる予定だと。

 私が疑われているのかと尋ねると、私がぐったりとしたまま先輩に肩を貸されて帰ってきている様子を、二つ隣の部屋の人が見ていたらしいことを教えてくれた。

 酔っ払った私は、「一人で帰れますから」をずっと繰り返していたらしい。

 疑われているのは私ではなく、私の部屋で先輩に向かって砂を投げていた老婆であるとのこと。

 先輩のスマホには「酔った女の子に悪戯する」動画が幾つも残っており、その中の一つに泥酔状態の私が映っていたので、私の無実は照明されている、と。

 で、その動画の途中からお婆さんが画面に突然現れて、先輩に向けて砂を投げつけてきたのだそうだ。

「待ってください。私の部屋に居たんですか? その人!」

 私の貞操を守ってくれたのはとっても有り難いんだけど、そのお婆さんはどうやって入って来たのだろうか。

 先輩の眼球に残っていた砂と、私の部屋から採取された砂とが同じものだと判明しているので、警察はそのお婆さんの行方を追っているのだそうだ。

 念のため、似顔絵じゃなく本物の画像も見せてもらったんだけど、やっぱり知らないお婆さんだった。

 数々の状況証拠や先輩が性犯罪の常習犯であることから、結果的に私は本当の無罪放免になったのだけれど、気持ち悪いモヤモヤも残った。

 大家さんのご厚意で、たまたま空いていた別の部屋へ敷金・礼金なしで引っ越させていただけたのが幸い。




 お盆に帰省したとき、事の顛末を母に話したら、とあるお社へと連れて行かれた。

 地元の小さな神社の境内に、そのお社はあった。

「あんたを守ってくださったのは、砂かけさまだよ」

 母は砂かけさまについて話してくれた。


 かつてこの近くには美しい娘が住んでいて、多くの男に言い寄られたが、娘には心を通わせている相手が居た。

 相手は大きな商家の若旦那で、二人は身分違いながらも互いを想っていた。

 ところが商家の大旦那はそれをこころよくは思わず、ゴロツキを使って娘を襲わせることにした。

 二人が逢瀬に使っていた竹藪の奥の廃寺に娘を呼び出したゴロツキは、娘を手籠めにしようとした。

 娘は笹を千切り砂をつかんでは投げ、必死に抵抗したが、かよわき女の腕力ではどうにもならなかった。

 その事実を知った若旦那は娘を守れなかった自身の不甲斐なさを悔いて自死を選んだ。

 以来、娘はその廃寺へと引きこもり、誰が近づいても砂を投げつけるようになってしまった。

 唯一、砂を投げつけられないで済んだのは、男から逃げてきた女たち。

 その廃寺はやがて男から逃げる女たちの駆け込み寺となった。

 例の大旦那も財産を全て売り払い、その寺の建て替えに尽力した。

 娘は年老いて亡くなるまでずっと尼僧としてその寺で過ごした。

 彼女が亡くなったとき、その死を悼んだ尼僧たちによってお社が作られ、「砂かけさま」として大切に祀られたという。

 その「砂かけさま」は、砂かけ婆のモデルとも言われているそうだ。


 残念ながらその寺は、時代の流れと共に再び廃寺となりはしたが、砂かけさまのお社だけは、この神社の境内へと移され残されたとのこと。

 以来ここの神社の「砂守り」には女性を性被害から守ってくれるご利益があるとされているそうで、一人暮らしを始める私のために母が持たせてくれたお守りが、ここの砂守りだったのだ。

 私は砂かけさまのために心から祈った。

 助けていただいたことへの感謝と、そしてその哀しみが癒えますようにと。




 その後、私は真っ当な恋愛をし、結婚もした。

 これも全部、砂かけさまのおかげ。

 砂守りはいまだに毎年、新しいのをいただいている。

 実は旦那にも持たせている。

 いや、旦那が他の男から狙われているとかいう話ではなく、砂守りの入ったカバンを旦那に持たせておいたときに「口の中がじゃりじゃりする」と言い出したのがきっかけ。

 問い詰めたら、旦那のスマホに職場の後輩と二人だけで飲みに行くやり取りを発見して――未遂だったのだけど、そういう被害も防いでくれるというのが分かったから。

 砂かけさま、凄いよね。砂かけ婆が正義の妖怪として描かれるのもわかる。




<終>

砂かけ婆

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