EpisodeⅣ『王権-Royalty-』

Section1『死の臭い』~時系列『現在』~

 バーンズは捕らえたミラ・クラークの居る部屋へと足を急がせていた。大股で歩き、すれ違った兵士らが敬礼を返す。バーンズも敬礼を返した。

 共に闘ってくれる兵士だ。彼らのひとりひとりに礼を返すのは至極当然のこと。敬意を表さず司令官面をしているリーダーは、もはやリーダーではない。

 そしてバーンズは「ここまでたどり着いてくれた」ドールズの面々にも敬意を払っていた。そのうえでミラ・クラークが気になるのだ。


 ミラのDNA検査の結果は陽性であった。ああ、やはりか……そういう納得があると同時に彼女に対する憎悪も高まる。

 なにしろ、無断で自分の遺伝子データを元に戦闘に特化されて人為的に生み出された少女兵だ。そのうえ、自分の娘といえる女の子が戦場に出されているとなると、彼女を産み落としたと思われるアンジェリカ・クラークの気を疑わずを得ない。


 気を、疑うか……長らく自分が忘れ去っていた感情だ。


 バーンズはミラが居る部屋の前に立ち、ドアノッカーを使ってノックを二回した。返事はなかった。

 違和感を覚える。先刻から鼻につくこのにおい……。なぜこのような調味料のようなにおいがする?


 バーンズはドアを開いた。早朝の仄かな朝日の光が部屋を静かに照らしている。


 ミラ・クラークは部屋の中央で倒れていた。その下には赤々とした粘り気のある液体がある。

 ケチャップか、とバーンズはすぐ確信する。


「私に戯れは通用しないぞ、ミラ嬢」バーンズがつぶやく。


 ミラはそれでも無言で死んだふりをしていた。


「起きろ、エイプリルフールにはまだ早いぞ」ジョークを交えて言ったところにも、反応がない。


 バーンズは溜息をひとつ吐き、片足を上げ、地面を踏みしめた。


 地面の振動に驚いた死体は飛び上がった。


「うわ! もう、おじさんの勘するどすぎだよぉ!!」ミラはいたずらに失敗した子供のように目を丸くしてバーンズを見る。


「戯れは通用しない、と言ったはずだが?」頭を掻いた。まったく、あのアンジェリカがどんな育て方をすればこのようないたずら好きに育つのだ?


「君は、敵地にいる、という自覚は持ったほうがいい」


「でもびっくりしたでしょ? 正直に言いなって!」


「いいや、ぜんぜん」即答する。


 ミラは「ちぇー」と言いながら、起き上がった。


「それでなんのよう? 遺伝子検査の結果がわかったとか?」


 それはとうにわかっていることだが、あえてミラには真実を伏せておくことにした。


「結果はネガだ。君と私は他人同士だ」機械的に棒読みをする。


「あっそ、まぁどうでもいいね」ミラはあっさりと流した。


「そうだな……。真の目的を言おう」バーンズはそう言って、溜める。


「なにさ、真の目的って」ミラは眉をきっと吊り上げ、表情を険しくした。


 沈黙が流れる。バーンズは彼女を睨み、ミラは彼を睨んでいた。


「風呂に、入りたまえ」バーンズはやがて言う。


「風呂ぉ……?」ミラが驚いた。


「君からは悪臭がする。獣のような、とてつもないやつだ」


「おじさんまでそんなこと言っちゃうの?」


 いや違う、とバーンズは手を上げて言う。


「そうじゃない。もともとの体臭もあるだろうが。君からは『死のかおり』がするのだよ」


 ミラはオウム返しに「死のかおり……」と続かせた。


「私は戦地から帰った兵士のひとりひとりにシャワーを浴びるように指導している。被った血のニオイやアドレナリンに塗れた汗、そして硝煙の悪臭をいつまでも身につけていると何も感じない人間になってしまう。それではいかないのだよ」


「よくわからない理屈だけど」ミラは小首をかしげ言った。


「戦場の悪霊に引っ張られる、と言えばわかるかな? いつまでも不精になっていると戦場で殺すひとの痛みや苦しみさえもわからなくなる。それは非常によくない」


「まぁとにかく入ればいいんでしょ」ごたくを並べているとミラが観念したように自棄を起こす。


「あぁ。風呂場は二階の東だ。誰も来ないと思うが、間違えるなよ」バーンズは満足げに笑いささやいた。



 風呂に入れ、なんてバーンズの気を疑う。

 風呂場に行きながらミラはそう思った。


 ただただ気持ちが悪かった。生理的にではない。

 そりゃ、知らないところで裸になるのには抵抗がある。腐ってもあたしは女性という認識がミラの中にはあった。

 でも、よりにもよってこれから人体実験の検体にされようとする自分によもやそういう事を抜かす彼の神経が信じられない。

 そう、研究者が実験用動物モルモットを可愛がるのと同じ理屈か。


 ミラはそう納得する。


 風呂場に着いた。ミラは着ているジャージ上着のファスナーを乱暴に引き裂く。

 黒いジャージから輝かしい乳房があらわになる。ジャンクフードばかり食べてきたので、少々不格好ではあるが女性軍人らしいなかなかの締まりの良い体躯だった。エルシュ島の研究所でバーンズから受けた銃創も、ミラの持つ回復力でほぼ塞がっていた。


 服をケースに入れると隣の棚の衣服が目に留まる。血塗られた服だった。おそらく服の持ち主だけのものではないおびただしい量の凝固した黒い血。女性用の軍服だったがもはや胸のタグの血液型を指し示す「Arh+」の文字しか判別できない。


 風呂場に行くと誰かが裸で犬を洗っていた。ミラも見覚えがあるジャーマン・シェパードの雄犬。


「フィオラさん……?」ミラがつぶやく。


 先刻ミラが見た服の持ち主であるフィオラ・ウィリアムズは振り向くと、「やぁミラ」と短く挨拶をして再び愛犬ブルックスを洗うのに入念した。


「……? なにボーとしてるのさ。血を流しに来たんでしょう? 入りなよ」


 ミラが唖然としていると、フィオラはそれを察して入浴を促す。

 彼女は敵対している所謂裏切り者であるが、いまの状態からは敵意は感じられなかった。


「う、うん……」


 ミラがシャワーをかかり、バスタブに腰を落とすまでフィオラは愛犬を擦っていた。

 やがて石鹸を流すとブルックスはぶるぶると水を払い落とし、風呂場から出ていった。


 フィオラはすらりとした裸体を立たせると、ミラのいるバスタブまで近寄った。


「いいかな? となり……」


「え……? いいけど、ブルックスは大丈夫なの?」ミラが慌てた様子で言う。


「あいつは大丈夫だ。訓練されているから私の部屋まで行ってるはずだよ」

 フィオラがほほえみ言う。


「大丈夫、安心して。ミラ」


「安心はできないよ。だってあたし達、敵に捕まっちゃったんだもん」


 思っていたことを言うとフィオラはばつが悪そうに視線を逸した。ミラの口からたった今放たれた「敵」という単語。それが自分も含まれていることはフィオラも重々承知であろう。


「ミラ……」


「フィオラさん。ヴィック・バンに居てしあわせ?」ミラが訊く。


「……正直どうとも言えないよ。バーンズに惹かれてはないと言えば嘘になるけどね。でもあなたが今思っている通り、私が望んでいたのは『彼との決着』だった……それは事実」


ミラが沈黙を返事にする。


「もう後戻りはできない……それはわかっているけれど……。一時の判断で動いて、ごめんね」


 フィオラがミラの目を見てはっきりと謝る。彼女が謝罪することなど滅多になく、ミラは嬉しさと複雑さがないまぜになる思いで目をそらした。


「あたし、バーンズの間接的な娘だって言ったらフィオラさんはどうする?」


 ミラがつぶやく。フィオラは話がうまく呑み込めない様子で「それって……」とミラの方を見た。


「ずっと気になっていたんだ。クラーク司令……あたしの母さんが「あなた似てきたわね」と最初に言った頃からずっと……」


 フィオラは黙って彼女の方を見続けた。


「でもそうとわかって、なにもかもすっきりしたよ。髪色を赤に染め続けてたのも、自分の地毛の黒がバーンズの髪色を思い起こさせるものでいやだったのかもしれない」


 フィオラはどう声かけたらいいかわからずに湯船を見つめている。

 ミラはなおも続けた。


「でもその答えを知った後、あたしはどうするべきなのかな……。わかんないよ……」

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