Section5『人喰い獣』~時系列『現在』~

 アメリカには古くからこういう都市伝説がある。「下水道に巨大なワニがいる」と。


 元々はペットとして飼われていたが、日に日に体積を増していき飼いきれなくなった飼い主が下水道に放したというわけだ。

 ワニは下水道で突然変異的な進化を遂げ、やがてその図体は計り知れないものとなった。

 巨大化したワニは下水道を住処にしているホームレスや工事員を食べ、徘徊しているという話だ。




 ジェーン・ナカトミはレイ・スピードと共に不時着した後、目的地の研究所を目指し急勾配な坂を登っていた。

 軍用防雨着が完全にボロ雑巾になるほど雨が激しく打ち付けていた。



「こんなはずじゃなかったのに」


 雨音に混じって背後からぽつりとつぶやきが聞こえる。

 ジェーンは眉間に力が入るのを知覚した。

 背後を見やればレイが今にも泣きそうな顔をして、おぼつかない足で弱々しく地面を踏みしめている。


 ジェーンはため息をつきたいのをなんとか堪える。レイについてのプロファイルはざっと目を通していたものの、任務前からしていた予感が的中してしまった。


 やはり、この子には実戦は早すぎる、と。


「こんなはずじゃなかった」


 レイが次にそういった時にはジェーンは振り向き、彼の胸ぐらを掴んでいた。


「いつまで過去のことを後悔してるんだ、おまえは? 作戦開始時間はとうに過ぎてんだよ」


 恐怖に目を見開く顔に自分の顔を近づけ、静かにドスを利かせる。


「作戦前の同意書にサインをしたよな? ご丁寧に紙とインクのペンで記すあれだよ」


 レイはジェーンの目を見、恐怖に突き動かされたように何度もうなずいた。


「……だったら作戦を完遂するか、死ぬかのどっちかだ。言っとくが、あたしゃ貴様に死んでほしいと思っているよ。お荷物が減るんだからな」


 そこまで言って手を放し、再び坂を登り始めた。


 背後に追従する気配が伝わり、ジェーンはホッと胸を撫で下ろした。

 弱気な新兵を喝によって奮い立たせるのは、古来より来る手段だ。逆に言うと、そこまでしないとこの若造を動かせないことに若干失望を抱くが、奮起させた結果をまずはよろこぼう。


 そう思い、坂のてっぺんまで登る。

 断崖絶壁からはるか下に覗くのは、黒い森とそして森。


 ジェーンは双眼鏡を取り出し、覗き見た。

 森の遥か彼方に雷雨の打ちつける建物がある。バーンズ一派が極悪な天候にも対応できるように改修したという研究所だ。


「おい、レイ。ウイング機能は使えるか?」

 新兵に聞く。


 ジェーン達、ドールズが着ている防雨着にはモモンガのように高所から滑空できる機能も備え付けられていた。それがウイング機能だ。


「ハイ! 大丈夫です」

 レイがまだ自分のことを怖じているように、反射的に応じる。


 ジェーンは手首に付けたデバイスに「ウイング機能、展開(オープン)」と吹き込んだ。

 レイも同じようにウイング機能を起動させる。


 ジェーンはお前から先だ、とレイに崖の外を顎でしゃくり指した。


 彼は怖じるような視線を崖下に向けた後、手を広げ飛び降りる。

 滑空していくレイを見て機能の正常性をあらためて確認した後、ジェーンも後に続いた。





 ジョンは研究所を目指して一人歩いていた。

 出端を挫く、とはまさにこの事である。

 任務前から薄々無謀すぎる作戦だと思っていた。でも、なんで初っ端から仲間と逸れなきゃならないのだ。


「くそ……!」


 ジョンは苛立ち、足元にあった石ころを蹴飛ばす。

 石は雨の飛沫と一緒に先にあった草むらの陰に、弧を描き飛んでいった。

 草むらからグオオ……と唸りのような音が聞こえる。

 グオオ?


 ジョンは訝しみ、草むらを覗き込んだ。

 苛立っていたとは言え、完全に油断していた。

 草むらから『何か』の目が見えた刹那、ジョンは激しい衝撃が全身に打ち付け、今まで来た道を逆走する形でふっ飛ばされていた。


 木に体を打ちつけ、雨飛沫とともに地面に転がる。


 泥の味が、口いっぱいに広がる。


「なんなんだ?」


 ジョンは狼狽えて立ち上がる。

 今しがた自分の胸に打ち付けた鱗のようなごてっとした感覚……そして飛ばされる瞬間に見た爬虫類のような目……まさかとは思うが……。


 そのまさかだった。


 裂け目のような赤い口内を覗かせるワニの群れがジョンに迫りきていた。

 それもただのワニではない。『世界最大のワニ』と言われるインドのカリアと呼ばれるそれをとうに越していた。要するにとてつもなくデカい。


「冗談じゃないぞ、都市伝説かよ?」


 ジョンはマニアックを第二形態「防御モード」に移行させる。

 何を喰らい育ってきたのかわからないワニ達は、貴重な餌を逃すまいとゆっくりとジョンに歩み寄ってきていた。

 この数、とても自分一人では相手できそうにない。


 ジョンは踵を返し、逃げた。

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