撮影を邪魔するもの

 ある天気の良い日に、都心からアクセスの良いとある山へ登ったときの話です。

 とは言っても本格的な登山ではなく、ケーブルカーやリフトもあり日常的な格好でもゆるく楽しめる山で、その日私が登ったのも初心者向けの舗装された登山道でした。

 自分のペースで路傍の植物や景色を撮りつつ、のんびりと散歩を楽しむ、そんな登山でした。

 そしてそれは、その日の目的地までの八割がた歩いたあたりで起きました。


 私がゆるやかな登山道の途中で立ち止まったとき、視界には誰も居ませんでした。

 ちゃんと確認したので間違いありません。

 なぜ確認したかというと、私がそこで撮りたかったものをカメラのフレームに収めるためには、地面近くでカメラを構える必要があったからです。

 それは道の脇にそびえていた立派な大樹でした。

 大きく枝葉を広げたその姿があまりにも雄大で、逆光気味の木漏れ日に包まれたその大樹には神々しさすら感じました。

 片膝と片肘を地面に付け、顔も地面スレスレに近づけてカメラを構えてもまだ全体を収めきることはできません。

 道の途中にカメラを持った人がほぼ這いつくばるような姿でいたら、嫌ですよね?

 だから他の登山客の方々の邪魔にならないよう周囲を確認してからベストアングルを探していたのです。


 私が使っていたのはデジタルカメラですが、モニターがカメラの背面にしかなく、地面近くから大樹を見上げる角度で撮ろうとすると、かなり無理な体勢になってしまいます。

 カメラのポジショニングだけではなく、自分の体のポジショニングにも苦労しながらモニターを覗き込んでいたので、それにはすぐには気付きませんでした。

 それ――モニターにチラチラ映り込んでいる白い何かに。

 最初のうちは風に揺れた木漏れ日の光が差し込んできているのかなと気にも留めませんでした。

 しかし次第にその白い何かはフレームの中を大きく占領し始めます。

 モニターの半分が白い何かに覆われたとき、私はいったん撮影を止めました。

 もしかしたら私がポジショニングに時間を掛けている間に他の登山客の方がいらして、撮影が終わるのを待たせてしまっているかもしれないと、そんなご迷惑をおかけしてしまっている方が映り込んでいるのかもと思ったからです。

 膝は地面につけたままでしたが上半身を起こし、周囲を見回しました。

 しかし相変わらず誰も居ません。


 やはり木漏れ日だったのかなとふとカメラのモニターを見た私の手に、ぶわっと鳥肌が立ちました。

 本来そこには、あの大樹の幹と、登山道脇の茂みが映っているはずでした。

 でも人の後ろ姿が映り込んでいるんです。

 モニターから目を離し、実際の風景を肉眼で見ると、そこには誰もいません。

 しかしモニターには、真っ白い服の、山伏みたいな格好をした後ろ姿がしっかりと映っています。しかも裸足です。

 反射的にカメラの電源を落とし、立ち上がりました。

 本当はすぐにその場を立ち去りたかったのですが、その明らかに生きた人とは思えない何かが憑いてきたら嫌だなと思うと、しばらくそこから動けないでいました。


 やがて明るく楽しげなしゃべり声が聞こえてきました。

 若い男女の五人組。大学生くらいでしょうか。

 私がカメラを持っていたことに気付いたのか、私の正面にあるあの大樹に注目した彼らは、撮影大会を始めました。

 特に驚く様子も怯えた様子もなく互いを撮ったり、自撮りをしたり。

 さっき自分の目で見たことは気のせいだったのかもと思えるくらい賑やかでした。

 あの山伏姿の人は、彼らのスマホカメラには映っていないのしょうか?

 私はまだ震えている指で、もう一度カメラの電源を入れてみました。

 モニターに映る彼らと大樹、そしてあの山伏姿の人。

 まだ、居ました。

 相変わらず後ろ姿です。

 そしてさっきは気付きませんでしたが、手に枝のようなものを持っていました。まだ葉もたくさんついています。

 その人はその枝で、撮影に夢中になっている若者たちを叩いているように見えました。

 特に、大樹の幹へ触れた手や、大樹の根を踏んだ足を、念入りに。

 今思えば、神主さんがお祓いをするのに似ていたようにも思えます。

 とにかく私はそれをただボーッと見てしまっていました。

 恐らく自分にだけ見えているものについての理解が追いついてこなくて、思考が停止していたんだと思います。

 不意に、ずっと後ろ姿だったその山伏姿の人が振り返ろうとして、ようやく私はハッとしてカメラのモニターから目を離しました。

 そしてカメラの電源を再び切りながら、その場を離れました。

 あの若者たちはまだ、楽しげに騒いでました。


 今まで、まだこちらの撮影が終わっていないのに割り込んでくる人たちへはいらつきくらいしか感じたことはありませんでしたが、今回ばかりは助けられた気持ちになりました。

 もちろん苛ついたとはいっても、ごくたまにです。

 こちらがカメラを持っていることに気付いて「撮影中ですか?」と声をかけてくださる方は少なくありませんし、私に気付かない人たちだって、悪気があるわけじゃないのはわかっています。

 普段自撮りばかりする人にとっては、自撮りできない位置にポジショニングする人は「撮影しない人」だと思ってしまうのだろう、とも思うからです。

 私は自分が写真を撮るときに自分を含めた人物を入れたくないだけで、自撮りに対する批判の気持ちは全くありません。

 ただ、じっくり構図を決めて撮りたいときに、目についた自撮りしたそうな人へ「お先にどうぞ」と譲ったら、それを見た他の人たちが我も我もとつめかけて行列ができ、結果的に十分以上経ち、待ち疲れてその場での撮影を止めたことがありました。そのときくらいです。

 話がそれましたが、とにかく私は、人が居る間にそこを離れたかったのです。

 本当はすぐにでも下山したかったのですが、その場所からだと、少し登ったところに麓とつながるケーブルカーの乗り場があったため、私は登山道を登ることにしました。

 不安と恐怖とでかなりハイペースだったと思います。

 何人もの登山客を追い抜きました。

 ケーブルカー乗り場まで到着したとき、脇腹が痛かったのを覚えています。

 日頃の運動不足を実感しました。

 そもそも私は登山が趣味というわけではなく、当初の目的も山登りを楽しむというよりはそのケーブルカー乗り場の向かいにあるビアガーデン目当てでした。

 喉が乾いてから飲むビールは美味いだろうと歩いて登ったわけですが、その日はもう飲む気にはなれず、すぐにケーブルカー乗り場へと移動して早々に下山しました。

 ケーブルカーが斜面を下っている間も窓の外は見れず、ずっとスマホの時計だけを見つめていました。

 車体の振動が止み、麓へと到着したケーブルカーを降り、駅舎から出てようやく肩の力が抜けたのを覚えています。


 さっき自分が体験したアレはいったい何だったのか、自分は本当に戻ってこれたのか、アレは憑いてきちゃったりしていないだろうか。

 山の方を振り返り、それから周囲に人がたくさん居るのを確認してから、私はカメラの電源を再び入れました。

 恐る恐るモニターを覗いてみます。

 カメラのフレームの中には、自分の肉眼で見ているのと同じ景色。

 あの山伏姿の人は映っていません。

 念のためあちこちへカメラを向けてみました。少し迷ってからケーブルカーの麓駅の駅舎へも。

 特に異常はありません。

 となると次は、あの場所で撮影した画像です。

 カメラのモードを撮影モードから確認モードへと切り替えた、ちょうどそのタイミングで、救急車のサイレンが聞こえました。

 偶然だとは思いますが嫌な感じがして、無意識に目は音の方向を探しました。

 カメラのモニターに映し出されているであろう、最後に撮った画像はまだ見ずに。

 救急車が一台、私のすぐ近くを通過し、駅舎の前へと停車しました。

 にわかに騒がしくなった駅舎から、声の大きな会話が聞こえてきます。

 その会話の全てが聞こえたわけではありませんが、「骨折」と「何人もいる」という言葉だけはやけに耳に残りました。

 すぐに彼らを思い出しました。

 私が立ち止まったせいであの大樹に注目して写真を撮り始めた若者たち。

 山伏姿の人に枝で手足を叩かれていた彼ら。

 これから救急車へ乗るであろう人たちが彼らだと決まったわけではありません。

 でもそれがもし彼らだったとしたら、私は……。


 恥ずかしい話ですが、私はその場をすぐに立ち去りました。

 救急車に誰が乗ったかは確認しないままです。

 あの山で撮った画像も画像を見ないようにして全て削除しました。

 その後、私自身は骨折するようなこともなく、現在まで無事に過ごしております。

 ただ、あの山へはあれから一度も近づいていません。

 この話はこれでおしまいです。




<終>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る