アマグモバナ
「花も人も老いて枯れる。心に咲き形を持たぬ愛の花でさえ、枯れることがある」
それが口癖だったおばあちゃんを思い出したのは久々にアマグモバナを見たから。
アマグモバナが正式名称なのかどうかは知らない。
雨上がり、蜘蛛の巣にまるで花のように溜まった雫のことを、おばあちゃんがアマグモバナと呼んでいたから私もそう呼んでいるだけ。
でも大切なのはその先。アマグモバナはお
実際、私はそれで危機的な状況を乗り切ることができた。
当時、私に比べて断然スペックが高い彼に二股をかけられていたことは自覚していた。
本当は体目当てだってことも。
股向こうは社長令嬢。結婚までは固い身持ち。彼はそのはけ口を私に求めただけ。
ただ彼は私と居るときは嘘かもしれないけれど優しく接してくれたから、私はそんな状況から抜け出せないでいた。
そんな中、ご令嬢がご友人に彼との婚約を発表をしたいと相談しているのを偶然聞いてしまった。
翌日、傷心の私は仕事を休んで実家へと逃げた。
彼と会うのが、彼から別れを告げられるのが、怖かったから。
実家の最寄り駅で改札を出た時、懐かしい景色は雨に包まれていた。
ほんの少しの距離なら走れば濡れずに済むかもと思えるほど静かで細かな雨。
この雨に濡れたなら、泣き腫らした顔もごまかせるかな、なんて考えながら駅前の小さなロータリーでどんよりと曇った空を見上げた。
幸い今日は化粧もしていない――そんなだから彼に捨てられるのよ、と私を責める私が心の中に現れて、哀しくなってその場にしゃがみ込んだ。
しかもこういう時に限ってお腹も痛くなる。
ああもう全部しんどい。
何もかも、どうでもいいかな。
そんな打ちひしがれている私に誰かが声をかけた。
肩を叩いて何か言っている。
何? 私に何か用なの?
……。
…………。
まだ誰か呼んでる。
私の名前を呼んでるのは――お母さん?
「良かった。目を覚ました!」
お母さんの横には弟とおばあちゃんまで居た。
私はいつの間にか病院の一室に寝かされていた。
どうやら駅前でうずくまっている私を見つけた駅員さんが救急車を呼んでくれたみたい。
とりあえず私はすぐに退院し、弟の運転する車に乗って実家へと向かう。
帰りの車の中で、お父さんも仕事を早退して帰宅中だと聞かされる。
なんだか申し訳ない気持ちと、こんなにも私のことを心配してくれる家族の温かさに癒やされる気持ちとの間で揺られながら、久々の実家へと到着した。
雨はもうあがっていて、虹が見えた。
気持ちもだいぶ落ち着いてきた。
とりあえず自分の部屋へと向かう。
ドアを明けると通販のダンボールが幾つか増えているのが目についた。
ま、しょうがないか。
荷物を傍らに置き、ベッドへと腰掛けて――お母さんが部屋の入口に立ったままなのに気付いた。
心配してくれるのは嬉しいけれど、心配させ過ぎたくはない。
「お母さん、もう大丈夫だから」
私がなんとか作った笑顔は、お母さんの一言で引きつって崩れた。
「お腹の中の子、父親は誰なの?」
私を捨てようとしている彼以外に、そんなことをする相手は居ない。
再び絶望に囚われる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
よりにもよって、こんなタイミングで。
頭がグラグラする。
座っていられなくなって、ベッドに倒れ込んだ私の視界に、おばあちゃんまでが居た。
お母さんとおばあちゃんは部屋の中へ。
ドアを閉め、ベッドサイドまで来て、それからこう言った。
「アマグモバナのこと、覚えているかい?」
小さい頃に名前を教えてもらったことは覚えている。
お
だけど、肝心のお
もっと大きくなったら教えてくれるって言われたっきりだった。
「……私……大きくなったよ?」
おばあちゃんは私の頭をふんわりと撫でてくれた。
それから話してくれた。
アマグモバナのお
アマグモバナの糸と雫を集めて料理に入れて食べさせたなら、その相手から自分への愛情が枯れていたとしてもその想いに潤いを与え、蜘蛛の糸でつなぎとめることができるというお
「今ね、庭にアマグモバナがあるのよ」
おばあちゃんは私に新品のビニール袋を一枚手渡してくれた。
私は飛び起きて庭へと急ぐ。
そしてアマグモバナをそっとビニール袋で包んだ。
食べきってもらう必要があるからと、私は唐揚げにした。
別れ話をしにきた彼になんとか食べさせたら、美味しい美味しいと作ったのを全部食べてくれた。
それがお気に入り料理になって、それ以来、今でも週に一度は必ず唐揚げを作っている。
お腹の子も今ではすっかり青春を謳歌して――ああそういえば、最近失恋したとか言っていたっけ。
急いで娘へと連絡する。ビニール袋を持っておいでと。
アマグモバナはそれを採った者にしか効果がないから。
<終>
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