第11話 失うもの、取り戻せるのは黒薔薇王子

「あらー」

「サーシャお姉さま大丈夫!?」

「どうしましょうナタリー、わたし、魔力全然足りないんじゃないかしら」

「私のいる?」

「のんびり会話してんじゃねえよちゃんとやれ!!」



そんな声が響く謁見の間。

足元の大きな魔法陣が黄色く光りだした瞬間、地鳴りはすっと消えていった。

少し顔を背ければローレンスお兄さまがひときわ大きい杖を持って術をコントロールしている。


驚いた。こんな一瞬で妖精たちが暴走をやめてしまった。

それだけじゃない。

周りを見てみれば、割れ落ちていた窓も、ひび割れた柱も、シャンデリアさえ何事もなかったかのように直っている。


昨晩見せてくれた魔法陣は光の妖精にかかわるものだった。

きっと、魔力を光の力に変換して、妖精に流し込む魔法だったんだ。


光の妖精の作用は『元に戻す力』

……そうか、『妖精たちを落ち着かせる』という意味でこの特性が発揮されたついでに、巻き込まれた壊れたものが元に戻ったのだろう。



やがて静かになった謁見室で、カーン陛下が口を開いた。



「メイシィ、いやメリアーシェ。君はユーファステア家に戻り薬師としての職は捨てるのだな?」

「それは……」


「駄目だ」



わたしの返答に反応したのはクリード殿下だった。

微妙に空いていた距離を速足で詰めると、わたしの両肩を掴んで自分に向ける。



「メイシィ、もう一度考えるんだ。

君が何年もかけて目指してきた夢をこんな簡単に捨ててはいけない」

「クリード殿下、簡単ではありません。ちゃんと考えて決めたことです」

「嫌だ」

「殿下」



しっかりと掴まれていて動けない。けれど、以前のように捕まったからといって逃げるわたしはもういない。

意を決して見上げれば、心に刺さるほど辛い表情をする彼がいた。



「クリード殿下はわたしと婚姻したいと思っていたのですよね?どうしてそのような顔をなさるのですか?」

「確かに僕は君と一緒に生きていきたいと思っていた。でも、それは強引に事を進めるものじゃない。

僕はそれを犯した。そんな人間が、幸せになる権利は……ない……」

「わたしは罪だと思っておりませんし、殿下に罰を与えたくありません。

ようやく殿下の隣に立てる立場になれたのに、殿下はチャンスを逃すのですか?」

「……僕は……」



クリード殿下はそう言うと、片手でわたしの頬に触れた。

かつて指先で摘まむだけだったそれは、頬をなぞり、やがて手のひらでわたしの左頬を覆う。

まるで割れ物を触るような手つきは心からわたしを大切だと訴えてくるようで、少し泣けてくる。



「君のすべてを愛している。メイシィ。

僕に笑いかけてくれる顔も、照れる顔も、髪も瞳も手も身体もすべて。

そして、一生懸命に薬を作る背中も愛しているんだ」


「……」

「お願いだ、お願いだから、1級魔法薬師の道を諦めないで」

「クリード殿下……」


「僕のことはもうどうでもいいんだ」



体温が失われた。

頬から、身体から、彼の存在がわたしから離れていき、ただただ優しい顔だけがこちらを見つめている。

遠い、遠すぎる、心の距離そのもののようで、手を出して掴みたくなる。



「ひとときの甘い夢をありがとう、メイシィ。

この思い出があれば、僕はこれからの人生を穏やかに暮らしていける。

感情を平穏に、心温かく、誰にも迷惑をかけずに最期まで、巨城の中で」


「いい加減にしてください!!」



わたしの大声は謁見の間にひどく響き渡っていった。

誰ひとりとして声をあげることもなく、布が擦り切れる音すら響き渡るほどの静寂。

わたしは頭に血が上っていた。



「勝手に一目惚れしておいて!

勝手に人の職場に出入りして会いに来ておいて!

あれだけたくさん贈り物と、優しい言葉と、幸せそうな表情を見せておいて!

こっちが覚悟を決めた矢先に手放すですって?

冗談じゃない!!」



カン!と足元のヒールが鋭い音を立てた。

何度も鳴らしてクリード殿下に近づいて、目の前で光る襟を思い切り掴む。



「わたしの心はあなたが作った『シトリナイト』と同じです」

「……!」



殿下は驚いた様子でわたしの頭に輝く2輪の花を見た。

丸くまとめた白い髪には、黄色と深い青色の花――――かつで殿下が手ずから育てた『シトリナイト』が飾られている。

巨城の侍従からユーファステア侯爵家にこっそりと預けられたものだった。

殿下のご両親への贈り物がわたしの元に届いた意味は、きっと。



「種を植え、水をかけ、愛情をたっぷりと注ぎながら、自らの魔力で作った人工花。

それだけ手間暇かけて作ったものを、あなたという人は勝手に捨てようとしている!


自分で芽吹かせたものでしょう!?責任をもって最期まで世話してもらわないと困ります!!」



どうせ押しても引いても倒れやしない頑固者だ。

思い切り突き飛ばしながら襟を離せば、一歩だけ後ろに下がってわたしを呆然と眺めてきた。



「そもそも!」



わたしは渾身の力を込めて大声を放った。



「わたしが、いつ、薬師を辞めると言ったんですか!!」

「……え?」



クリード殿下は青い瞳をこれでもかと言うほど大きく開けた。

言葉も思考回路も失って立ち尽くしている、棒立ちでちょっと滑稽に見えてしまうが笑えない。


その原因である怒りを、わたしはぐるりと回して標的を見定めた。



「そろそろお願いできますかラジアン殿下!」

「わっ!」



急に振られて飛び上がるラジアン殿下。

謁見の間でなんですかそのひょうきんな声は!と言いたくなるのをぐっとこらえて見つめれば、ごめんごめんと殿下は余裕の笑顔を浮かべた。



「ついやりとりが面白……いやごめんってメリアーシェ、怒らないで。周りの家族たち、魔力を使い切って転がってるよ」



そういえばサーシャお姉さまやナタリーお姉さまたちの声が聞こえない。

ふと視界をずらしてみれば、座り込んでぐったりしている面々が見えた。



「もう限界ねー」

「そうだな……」


「後は頼みます……ミリシアおばあさま……」



クリード殿下があれだけ感情を乱しても、わたしがこれだけ怒りをあらわにしても妖精は暴走する気配がない。

つまり、この空間は光の妖精がすべての妖精の力を抑え、掌握したということだ。


兎の耳が生えた妖精を思い出したのは、なぜだろう。



ともあれ、ローレンスお兄さまの作戦が成功したのは間違いない。

思わず彼を振り返れば、少し疲れた表情で微笑み、そして深く頷いた。



わたしも頷きを返す。


あとはクリード殿下とお話をして、


みんなが望む『最高の結末』を迎える、だけ。




「父上。ここで私からメリアーシェ嬢に関するご報告がございます!」

「……なんだ。聞こうか」



許可を得て水も得た魚のようなラジアン殿下は、意気揚々とわたしの前に立ち、背を向いた。

片腕を挙げると、そこには見覚えのあるバッジが赤いリボンの先に留められ、ゆらゆらと揺れている。



「こちらは極国の天帝より彼女が賜った、徽章きしょうと言われる贈与品です。

かの地でメリアーシェ嬢はユリリアンナ妃の息子を薬と魔法で救い、危険にさらされた時には命をかけて守り抜いたそうです。


ユリリアンナ妃を現す緑青ろくしょうの紋に極国久遠賓きょくごくくおんひんの文字。

これは極国への自由な出入りを認められた証です」


「なんだと!?それは本当かメリアーシェ嬢」

「はい。ユリリアンナ妃の立ち合いのもと、天帝より直接賜りました」

「なんということだ。建国以来、鎖国を続けてきたかの国が、突然文通網を整えたいと言ってきたのには驚いていたが……まさかこのようなものまで……」


「これはミリステア魔王国の未来の吉兆きっちょうそのもの!

ですから、褒美として、王太子の権限で『メリアーシェ・ユーファステア侯爵令嬢』に『メイシィ』と同等の薬師資格を与える特例措置を行うことにしました」



いったい……どういう……というつぶやくようなひ弱な声が耳に届いた。

クリード殿下だ。たいそう混乱されている。


貴族が薬師の資格を持つことに問題はない。リズ・テラー魔法薬師のように。

けれど、普通は多くの検討と承認が必要なもの。ユリリアンナお姉さまのがあればこそこの短時間で叶えられたのだ。



「そして、もうひとつ。こちらの手紙をご覧ください。父上」



その声に登場したのは、侍従の姿をしたクレアだった。

わたしを治すために朝から晩まで連日奔走してくれたクレア。

今回の謁見でも特別に参加できたはずなのにどうしていないのかと思っていたら、影に隠れていたなんて。


クレアは何も言わずトレイに乗せた手紙を陛下に差し出した。

開封されていて、紙が1枚置かれただけのシンプルな状態。

だけれど、陛下はその紙を覗くなり目を丸くした。



「こちらは、パスカ龍王国 王太子のリアム殿から贈られた公的文書です。

ついさきほどちょうど良い運び屋ガラム・レヴェラント殿が献上しに来たようです」

「『先日のミリステア魔王国の往訪、手厚い歓待に感謝する。特に妹フィクスの治療にあたってくれたには厚く感謝を』……か。

はは……ははは!なるほどな」



カーン陛下の言葉と笑い声に、初めて隣のカロリーナ王妃が反応した。

わずかに目を見開き、思わずといった様子でわたしに微笑みを向けてくる。



「そもそも、今回の1級魔法薬師の試験は、リアム王太子への歓待に対する褒美がきっかけだったはずですね?父上」

「はは、ああ、そうだな」

「つまり『メイシィ』は薬師と言う職を辞して貴族になったものの、

私が彼女を薬師の資格を与えておりますし、この通り感謝状もいただいておりますので、今回の褒美は


『ユーファステア家の5人の令嬢の願いを叶えれば1級魔法薬師の資格を授与する』条件は生きているということになりますね?父上」


「ああ!そうなるだろうな!」




「嘘だ……そんな……こんなことが……」



わたしはラジアン殿下が願いごとを叶えてくださったことを見届けて、クリード殿下に向き直った。

小さな声で繰り返す戸惑いの声は、わたしの姿を映して止まる。


わたしはもう1歩、彼に向って踏み出すと、片手を差し出した。



「最後の令嬢、メリアーシェ・ユーファステアの願いは、『クリード殿下と共に生きること』


さあ、クリード殿下、お選びください。


感情を平穏に、心温かく、誰にも迷惑をかけずに最期まで、巨城の中で生きるのか。


わたしの1級魔法薬師の夢を叶えて、あなたの望みを叶えるのか」



「僕は……」



煮え切らない様子の殿下に、わたしは大きく息を吸った。


あの日、恐ろしさに震える夜に気づき。


美しい巨城が見える丘で、伝えたかった言葉を。



いま、あなたに告げる時が来た。




「わたしはあなたが好きです。


感情豊かなところも、


つい考えすぎて止められなくなってしまうところも、


ふとした優しい微笑みも、温かいてのひらも、


どうしようもなく、わたしを好きすぎるところも。



わたしはあなたの想いに応えたい。

あなたと生きていきたいのです、クリード殿下」




ひと呼吸、肺が震える。

今になって足がふらついてきた。頭もぼうっとしてくる。

気力だけで立っている。


わたしができることは、もう、このを渡すだけだ。




「わたしと、結婚してくださいませんか?」




見せたのは、ラジアン殿下が本来使うはずだった別離薬。

今や不要なそれをいただけないかお願いし、わたし自身で渡そうと決めていた。



あなたは生まれた時から苦難の日々を過ごしてきた。


子どもらしく友人と街中を走り回ることもなく、

青年らしく各地を巡り多くの人々と出会うこともなく、


小さな檻の中で、ただただ自分の心を殺して死んでいく人生。



もう、そんな日々は今日で終わり。


あなたの目の前にいる人物は、どんなわがまま毒薬だって受け入れてくれる。


だから、自分の心を抑えて生きる必要はないんだ。



そう、伝えたかったから。





答えなど、言葉に出さなくても十分に伝わっていた。

広間すべてを覆い尽くしてしまいそうなほどの花びらが、頭上から舞い落ちる。

あっという間に地面を埋めていく色彩。

それはまるで祝福のようで。


彼の頬を伝う涙に吸い寄せられた白い1枚に手を伸ばして空中に放れば、その手が強い力で掴まれた。



きつく抱きしめられた体温は熱い、ひどく震えていて、脆い。

何度もされてきた抱擁。

今までは彼を受け入れて来たけれど、これからのわたしは違う。


その大きな背に手を回して、彼の願いを叶える手始めと言わんばかりに、ぎゅっと力を込めてみる。


わたしだって、もう身分で我慢する必要などないんだ。




「僕のすべてを、君に」




やっと聞こえてきた言葉に、わたしも思わず、頬を濡らしていた。

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