最終話 黒薔薇王子と魔法薬師は今日も今日とて世界を守る

朝の日差しと鳥の鳴き声が、眠りの世界から引き剥がすように目と耳を刺激する。

わたしはまぶたを開けずとも、1日の始まりを感じた。

けれど、甘い眠気はわたしをもう一度眠りに誘ってくる。


んん、と口の間から声を漏らし、わたしはなんとかぼんやりとした視界を映すことができた。



季節は春から夏の間。

少しずつ暖かさが暑さに変わる頃だからか、なんだか今日は一段と朝日が眩しい。

うっかりカーテンを閉め忘れたのかもしれない。


遠くの時計の針を見るにまだ起きる時間ではないようだけれど、目覚めてしまっては最後、もうひと眠りはできなさそうだ。

ぼやけた視界のままもぞもぞと体を動かして起き上がろうとすると、



「おはよう」



声が、聞こえた。





動物と人が混ざり合ったような、多様な種族が暮らすこの世界。

やれ竜が一番偉いだの、虎が最も優秀だの、純粋な人間ヒューマンが世界を統べるべきだのと、種族間で様々な争いの歴史を紡いできた。


ここはミリステア魔王国。

そんな薄暗い歴史を辿った結果、種族を超えて手を取り合い生まれた平和の国。


王都ステラには、王族が暮らす巨大な魔王城がある。


その広大な敷地の中でも一部の人間しか入ることが許されない、王族の居住エリアの一室に、わたしの部屋はあった。




この部屋はわたし以外に誰もいないはずだ。

こんな早朝に、どうして声が……?




あっ、幻聴かな。

昨日は仕事が忙しくて夜ふかししてしまったし、起きたこと自体も夢なのかも。



「メイシィ、朝だよ、起きて僕に綺麗な赤い瞳を見せて」



……幻聴にしては、やたらはっきりしているなあ。

……え、夢じゃない?



「メイシィ、メイシィ」

「ん………?」



朝一番の戦いに勝ち、わたしはなんとかまぶたを開き直す。

その視界には、それはそれは美しい金髪碧眼の男性がいた。



そう、それはまるで、『王子様』のような――――



「…………クリード?」

「ああ、そうだよ。メイシィ。おはよう」



ベッドに肘をついてこちらをまっすぐ見つめるのは、光り輝く王子様。

……大げさな比喩ではない。



いつもの真っ白な寝巻を着て、整えられた髪が朝日に照らされて光り輝く細身の男性。

片や、たくさん寝返りをしてくしゃくしゃになったシーツで寝そべるわたし。

白い髪は寝ぐせでやりたい放題のボサボサ、寝起きのだらしない顔を見せびらかしている。



その状況は、わたしの目を完全に覚ますには十分過ぎた。



「……どうしてここにいるんでしょう……」

「どうしてって……君に朝の挨拶をしたかったからに決まっているじゃないか」



へらっと砕けた笑顔を煌めかせて、彼はさも当たり前のように言った。




ここは多くの人々が懸命に生きる、平和の国。

わたしは今日も、とともに1日が始まった。






メリアーシェ・ファン・ミリステア。

それがわたしの名前。


職業は、『魔法薬師』。

ミリステア魔王国の巨大城で働いている魔族ひとたちの健康を、『薬』の力で守るのがわたしの役目。


王族としての役目は、『ミリステア魔王国の第二王子の妻』

他国からは化け物と恐れられるほど妖精に愛され、感情によって暴走させてしまうという不思議な体質を持った第二王子の妃がわたしの役目。




「メイシィ、おはよう」



そう、この目の前にいる人物がわたしの夫である。



「……メイシィ……おはよう……?」



何でこんな朝早くからわたしの部屋にいるのだろう、わたしは完全に混乱していた。



「メイシィ、僕と朝の挨拶をしてくれないのかい?」



昨晩わたしは眠ろうと彼の寝室に行ったけれど、ベッドの真ん中でぐっすり眠っていたようなので遠慮して自室に戻ることにした。

侍従たちはそのことを知っているから、それぞれ時間になったらわたしたちを起こしてくれるしまあいいか、と。


とはいえ起こしに彼の部屋に来た侍従がもぬけの殻を見てしまったら驚くはず。

丁重に伝えてさっさと自室へお帰りいただいた方が良いだろう。



「……挨拶すらさせてもらえないなんて、どうして、どうして?メイシィ。もしかして僕のことが嫌いになったのかい?そんな…何が君を怒らせてしまったんだい?だから昨晩は一緒に眠ってくれなかったのか!?教えてくれ!君に嫌われたらこれから僕はどうやって生きていけばいい!?ああ、メイシィ、メイシィメイシィメイ」


「メリアーシェ様!」


「はっ!」



激しすぎる雨の音が聞こえてきて、わたしは勢いよく上半身をベッドから起こして声の主に身体を向けた。

すると、彼の後ろにいる女性と目が合う。

ブラウンのウェーブがかかった髪の間から同じ色のウサギの耳が垂れている。

秘書官の制服をばっちり着こなしている彼女は、じろりとわたしに橙色の目を向けてきた。

口角が上がっている。



「あ、おはようございます、クリード」

「! おはようメイシィ!今日もいい天気だ、良い一日になりそうだね!」

「そう……なのかな?ところで朝から何か……?」

「僕は君の寝顔を見ないと1日が始まらないんだ」



にっこり。

数多のご婦人お嬢様たまに殿方を落としてきたという有名な微笑み。

こんな朝一から拝めるとは……もう有難みはとっくの昔に失っている。



「それに君の1日の最初の景色を僕でいっぱいにできたと思うと……はあ、満たされる」

「え、ちょっと何言」


「クリード殿下、そろそろお時間になります。メリアーシェ様のお着換えを準備してまいりますので、先に失礼いたします」



クレアが良い切れ味で口を挟んだ。そしてわたしたちを放って颯爽と部屋を出て行ってしまう。

見事にかき消されたわたしの言葉が届かなかったのか、そうだね、とクリード様は頷く。


自然な手つきでわたしの頭に触ると、彼による朝の日課が始まった。

明らかに高級な櫛を取り出してわたしの寝癖を整える。

終わればぎゅっと抱きしめて頬をすり寄せてくるので、彼の頭をぽんぽんと撫でて返す。



「今日は北部地域から招聘しょうへいした植物学者との面会、会食と温室の案内をしてくるよ」



気持ちよさそうに頭を動かしながら、今日も1日の予定を教えてくれる。

最初は寝汗の匂いがしないか気になってすごく嫌だったのに、今となっては諦めてしまった。

どうにでもなれ、というやつである。



「はい。温室にいらした際はわたしもお出迎えする予定です」

「……ん?来てくれるのかい?学会は?」

「開催が1か月ほど後ろ倒しになったと聞きました。研究発表をする方々が乗った船が座礁して、足止めになってしまって……」

「ああ。死者がいなかったのは本当に良かったよ」

「ええ、だから午後は一緒ですね」

「一緒……ふふ、メイシィと一緒、ふふ、ははは」



クリードはそう言うと嬉しそうに首筋に顔を埋めてきた。

会えない時間の長さに比例するこの日課、今日はご機嫌なのでそんなに吸われずに済んだ。


ぽんぽんと背を叩くと、満足したのか彼は少しだけ離れて笑顔を向けてくる。



「ああ……メイシィ、僕の愛する人……好きすぎる……結婚してほしい」

「もうしてます」

「はぁ……そうだった……」



このやりとり、これからの人生であと何回繰り返すのだろう。

婚姻の儀の日、着飾ったわたしをたいそうお気に召したようで、公の場に出したくないと言い出して多方面から怒られていた思い出が懐かしくなってきた。


そんなことを考えていると、頭上からひらりと花びらが落ちてきた。



わたしたちの想いが繋がったあの日から、毎日のように降ってくる花びらはいろいろな色を纏うようになった。

悲しい時は青、嬉しい時は黄色や赤。

ものが割れたり本が飛んだりすることがほとんどなくなって、代わりに花びらが落ちてくる。


その様子をみた巨城や貴族の人々は、やがてわたしたちを『花弁の夫婦』と呼ぶようになった。

花びらは余すことなく回収されてオイルや香水、ハンドクリームになってわたしたちのもとに戻ってくるようになり、良き出会いの祈願として街中では花から作られた製品が人気だと言う。



「メイシィ、僕を見て」



そんなことを考えながら落ちてきた花びらをいじっていると、彼の不満そうな声が聞こえてきた。

ごめんごめんと離していた両手でもう一度抱きついて見上げてみる。

わたしから行動を起こすことがまだまだ少ないせいで、彼は驚いて照れた表情をする。



「ああ、もう。その上目遣いは駄目だって言ったじゃないか……」

「そう言いつつ、好きでしょう?」

「~~~~っ!」



瞳が細められて、彼はするりとわたしの頬に指を滑らせてきた。

くすぐったくてびくりと反応すれば、片手が不意に頭の後ろに回り、捕らえられる。


我慢できないとばかりに、素早く近づく夫の美しい顔は、今日も愛らしい。



「……んっ」

「……」

「…………」

「…………」

「……んんっ!」



な、長い……!


それからほんの少しして。

幸せだと言わんばかりの表情で颯爽と部屋を出ていく彼の姿を、わたしはいつまで経っても慣れないまま、息も絶え絶えに見送った。




――――――――――――――




「え、朝の豪雨って殿下の仕業だったの!?」



薬師院。わたしの職場。

執務室に着いて早々に同僚であるミカルガさんと雑談していると、近くで聞いていた同期のマリウスが素早く反応した。

今もなお、ラジアン殿下……じゃなくて、ラジアンお兄さまと一緒にわたしのこの状況を一番楽しんでいる男である。



「……そうか、朝から大変だったな」

「いえ、すぐに落ち着きましたから問題ありません」

「それならいいが、気になることがあったら相談してくれ」

「はい、お気遣いありがとうございます」



ミカルガさんは、今日も眉間の皺を刻みながら立派な羽角うかくを立たせている。

病で死別した奥様のリズ・テラー薬師はわたしに夢を与えてくれた恩人。

そして、ミカルガさんも変わらず師匠として指導してくれる大切な方。



「そういえば、最近東方の大橋が完成したって新聞に書かれてたよ。おかげで予定より早く極国との文通許可が出るらしくて、ミロクさんも大喜びだって」

「よかった。それじゃあもうすぐユリリアンナお姉さまからお手紙がくるかも」

「だね、そのためにもメイシィに世界を守ってもらわなきゃ」



あはは、とわたしは笑う。

今日も魔法薬師のメリアーシェ、略してメイシィとして温室に行く準備をしながら、口を開く。



「うん、今日もクリード殿下世界を守るよ」




どうか今日も愛する人と穏やかに過ごせますように。

執務室のドアノブは今日も滑りよく、わたしを見送った。





―――――黒薔薇王子に好かれた魔法薬師は今日も今日とて世界を守る 終わり

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