第10話 未来のために失うもの
自分の部屋に戻ると、ベッドの脇に置かれた明かりだけが辺りを照らしていた。
いつのまにか侍従たちが整えてくれていたらしい。着替えも服を入れる籠も準備されていて、ほのかに湯気の匂いがする。
薬師としての人生の方が長い今となっては、手ずからお世話されるのはちょっと気恥ずかしい。
そんなわたしの考えを侍従たちが察してくれたのだろう。
感謝しながら明かりに近づいたわたしは、待ちきれないとばかりに手紙の封を開けた。
部屋の中は紙が擦れる音しかしない。
小さな小さな音はやがて自分の心の音にかき消されて、消えていった。
――――――愛するメリアーシェへ
あなたがどの未来を選ぶか決心して極国を出ていったのだから、きっとこの手紙はナタリーから手渡されてあなたの目に届くはず。
この手紙を読むまでどんなことがあったのか、私にはわからないわ。
だからせめてものはなむけとして、家族それぞれの手紙に私が知るすべてのことを書いておいたの。
あなたの役に立ったかしら?
「役に立ったどころじゃないよ、ユリリアンナお姉さま、ありがとう」
わたしの魂を戻す術もまた『離別薬』だったこと。
ユリリアンナお姉さまがミリシアおばあさまの最期の意思を伝えなければ、たどり着くまでかなりの時間がかかっていたはず。
サーシャお姉さまはずっとユリリアンナお姉さまの手紙を持ち歩いている。
きっと足を前に出して歩かざるを得ないような言葉が連なっているのだろう。
ナタリーお姉さまとセロエへの手紙だって、自らの生き方を強く肯定したものだったはずだ。
ふたりとも様子が変わっていないことが何よりの証拠。
――――――もうあなたに伝えるべきことは直接言ってしまったわ。
だからこの手紙で伝えられることはひとつだけ。
あなたはユーファステア侯爵家の五女、自由奔放な姉妹の末っ子よ。
困ったことは親とローレンスに任せなさい。あなたはもう十分我慢も苦労も重ねたのだから。
自由にやりたいことをして、万一ミリステアにいられなくなったらいつでも極国へ来なさい。
先の心配は起きてから考えるのが一番!
あとは私に任せなさい。誰だろうがボコボコにしてやるわ。
追伸:私があげた切り札。ちゃんと有効活用しなさい。
「ふふっ」
音のしない部屋に、ひとつ、紙が折れる音が響く。
両手で手紙を包んでみれば、毛をまとめた独特な筆と、すっかり慣れた墨の匂いと、手のぬくもりが感じられる気がした。
ユリリアンナお姉さまは兄姉の中で最もわたしの記憶がはっきりしている人だった。
わたしが産まれた瞬間、病が発覚した瞬間、癒える直前まで知っている。
わたしの姉であり、もうひとりの親にも近い大きな存在。
また、会いたいな。きっと会えるよね。
手紙を抱きしめていると、部屋のノック音が響いた。
こんな時間に誰だろう。
返事をすれば、入ってきたのはローレンスお兄さまだった。
「夜分にすまない。眠るところだったか?」
「いえ!……ううん、まだ起きてるよ」
手の指をくるりと回せば、照明が反応して光が灯っていった。
扉を開いた兄は楽な格好をしていて髪の結び方も緩い。いつもの姿よりもずっと懐かしく見えるのはなぜだろう。
椅子を指し示せば、ひとつ頷いて彼は部屋の中に歩みを進めた。
「他の姉たちとは話せたか?」
「うん。あとはローレンスお兄さまだけ」
「お兄さま、か……はは、今更そう言われると照れくさいな」
お兄さまは眉尻を下げて困った表情をした。
今まで薬師のわたしに見せることのなかった顔、いや、今までずっと我慢してくれていたのだろう。
「クリードの件で久々に会った時を覚えているか?俺が名乗り、お前が『初めまして』なんて言ってきたな」
「うん、そうだね……ごめんなさい。どうしても『薬師のメイシィ』として接してほしかったの」
「だろうな。だから今の今までお前の意思に従ってきた」
「それにしてはずいぶん厳しいことばかり言っていたような……」
「ふん。みんな揃ってお前に甘やかすのは良くない。俺くらいは厳しくあらねば」
「……それでも、いちばんわたしを甘やかした
試験の準備はもちろん、クリード殿下の暴走の後処理、絶えず渡してくる課題図書にあの極国との送迎の調整まで。
他人には絶対にここまでしない。
だからこそ、
「本当にありがとう。ローレンスお兄さま。お兄さまがいなければどの試験も突破できなかった」
「それは違う。すべてお前の力だ」
「ううん。そんなことは絶対にない」
「……はあ、わかった。堂々巡りになりそうだからもうやめる」
また困った顔をされてしまった。けれど、口角は上がっていてまんざらでもなさそう。
不器用な正直者というかなんというか。ふいに見せる可愛らしい一面は昔からだ。
試験中、何度吹き出しそうになったことか。
「それで、お兄さまはどうしてここへ?」
「大した用じゃないんだが、明日のことで相談がある」
「相談?」
ローレンスお兄さまは頷くと、片手を上にあげて光の玉を生み出した。
夜には眩しすぎるそれに目を細めていると、やがて巻物のような紙束を吐き出して消えていく。
……普通、空間に関わる魔法は魔法陣を描いてようやく発動する。陣どころか杖もなしでぱっと出せるものではないんだけどなあ。
「これを見てくれ」
ふたりの間にある机に紙束が解かれ、羊皮紙が姿を現した。
少し古いもののようで、見たこともないほど細かすぎる魔法陣が書かれている。
『光の妖精』の文字だけなんとか読み取れたけれど、何がどう起きるのか全く見当がつかない。
見たことのない層の厚さと文字の量、恐ろしいほど高度な魔法であることは間違いない。
「明日、お前はクリードと大切な話をしようとしているんだろう?
お前たちのことだから、十中八九、妖精が暴走する。なんなら城が崩れかねないほどの大暴走かもしれない」
「そ、それは……」
明日、謁見にて最後の試験に挑む。
ユーファステア侯爵家に戻る道中でわたしは兄姉たちに告げていた。
嬉しそうにする姉たちとは反対に、心配そうな表情をしてローレンスお兄さまは言っていた。
クリード殿下の妖精の暴走が邪魔をしてしまうかもしれない、その対策が必要だと。
「今まではお前の言葉で落ち着かせてきたが、今回その手段はお前の気持ちを伝えるためだけに使うべきだ。
だから、暴走については俺に、いや俺たち
「これはそのための魔法陣?」
「ああ、そうだ」
魔力も技術も豊富な
壮大な話になってきた。妹として思わず参加してみたいという欲求に駆られるが、我慢する。
「おい、お前は参加するなよ」
「あ、はい」
バレてた。
「おそらくサーシャ姉上はもたない」
「どういうこと!?」
「死ぬ意味じゃないぞ、一時的に魔力が枯渇するという意味だ。セロエはまだましだろうが、ナタリー姉上はぐったりするだろう。
それだけ大規模な魔法を展開する。お前は気にせず、お前のやりたい事をしろ」
「……ありがとう、ローレンスお兄さま。
みんなそう言ってくれるんだ。自分のしたいことをしろって」
「はは、当たり前じゃないか」
紙束をしまいながら、ローレンスお兄さまは飽きれたように声を上げた。
「生きてくれたんだ。
夜な夜な苦しみ叫ぶお前に何ひとつしてやれなかった無力な俺たちが、毎日あれだけ願って、あれだけ涙を流し、あれだけ祈り続けた『奇跡』が、ここにいる。
ようやくお前に何かしてやれるんだぞ、これほど幸福なことがあるか」
「……ありがとう、本当に」
「礼はもう良い。俺たちの人生はこれからも続くんだ。明日で終わるわけじゃない。
そうだろう。……『メリアーシェ』」
「うん。これからもよろしくね、ローレンスお兄さま」
「……っ」
その言葉に満足したのか、お兄さまは眼鏡を外しながら急に部屋を出て行ってしまった。
締まった扉は動かない。わたしはそっと手を添えて、額を当てる。
今までとは違う、新しい感情の涙を流しているだろう兄を想いながら。
家族の言葉で、すっかり心配も不安もなくなってしまった。
わたしは幸せ者だ。
世界中で最も頼もしい人々に支えられているのだから。
さあ、寝よう。
明日はわたしの人生をかけた。大きな賭けになる。
――――――――――――――――――
ミリステア魔王城の謁見の間。来るのはこれで3度目となる。
1度目は戸惑い、2度目は驚き、3度目はどうなることやら。
それはわたし次第になる。
ユーファステア侯爵家からは両親を含めた全員が同席を許された。
サーシャお姉さまの手にはユリリアンナお姉さまの手紙が握られていた。
お願いしてわたし宛のものも混ぜてもらっている。
「カーン陛下、並びにみなさまへご挨拶と御礼を申し上げます。
この度はお時間を賜りまして、誠にありがとうございます」
わたしの恰好だけは2度目と変わらず、装飾された白衣にワンピースの薬師姿だった。
やっぱり最初は落ち着く格好が一番だ。震えそうな声をうまく抑えられている。
目の前のカーン陛下は表情ひとつ変えることも、となりのカロリーナ王妃に視線をよこすこともなくこちらを見つめていらっしゃる。
「構わぬ、メイシィ嬢。此度は『1級魔法薬師試験』について話があると聞いておる」
「はい。わたしは今、ユリリアンナ様、サーシャ様、ナタリー様、セロエ様の願いを叶え、あとひとりとなっております。
この度はこの場をお借りして、最後の試験、『メリアーシェ』の願いを叶える場に立ち会っていただきたく、お時間を頂戴しました」
「ふむ。続けなさい」
「ありがとうございます。そのためにひとつお願いがございます。
――――クリード・ファン・ミリステア第二王子殿下、どうかこちらへいらしてはいただけませんでしょうか?」
第二王子へ下げた頭の向こう側から、靴の音が響いてきた。
顔を上げてみれば、何も言わず静かにわたしの前に立ったクリード殿下が瞳を向けていた。
ああ、ひどい隈だ。いつもより白い肌に光も感情もない瞳。
動かなければ美しい人形と思ってしまいそう。
少し会わない間にお痩せになってしまったのではないだろうか、お召し物にどことなく皺の多さを感じてしまう。
「まず、カーン陛下、クリード殿下ならびにご同席のみなさまへ、ひとつご報告がございます」
わたしは言葉を止めると、両手を前に出して魔力を込めた。
身体から出ていく魔力は、てのひらに紫色の塊を浮かべていく。
塊の中に、お母さまと練習した魔法陣を刻む。
「わたしはもともととある貴族の娘でございました。かつで自分を支えてくれた恩人に憧れ、薬師になるため姓を捨てて出奔したのです」
「……やめてくれ」
いちはやく気づいたクリード殿下が初めて声を出した。小さな小さなそれをわたしは無視をする。
「名を『メイシィ』に変え、今日までずっと1級魔法薬師を目指して精進してまいりました」
「やめてくれ、やめるんだメイシィ」
紫色の塊の中に描いた魔法陣が完成する。
わたしの足元に展開された円陣は、同じ色を放ち始めた。
「ですが、わたしは本日をもって生まれの家へ戻ることといたします」
「やめろ……頼む……そんなことをしたら君は、君の『夢』は。僕の『願い』は!!」
瞬間、円陣が炎のような光を放った。
その真ん中で心地よい暖かさに包まれたわたしは
消えていく白衣の白と、
紺色のワンピースを、
『薬師だった彼女』に別れを告げ、彼方へ見送る。
光が消えた。
ずしりと感じる重たい身体と、久々に感じる首周りの涼しさ。
お母さまが用意してくれた赤いドレスの裾を少し持ち上げて、わたしは深く腰を下げて一礼した。
「改めてご挨拶を申し上げます。
わたしの名は『メリアーシェ・ユーファステア』
ユーファステア侯爵家の五女でございます」
「う……ああ……!」
クリード殿下が唸り声をあげて頭を抱えた。
突如、謁見の間を襲う身体が揺れるほどの地鳴り。
柱がひび割れていく。
頭上のシャンデリアが割れていく音がする。
窓が耐え切れず粉々となって地面に落ちていく。
知っていた。
クリード殿下は『薬師のわたし』に恋していたこと。
今まで一度も『メリアーシェ』の話をしなかったのは、わたしの夢ごと愛してくださったからであること。
そのわたしが『メリアーシェ』に戻り、夢が潰えることを、何よりも恐れていたと。
「今だ!全員、発動しろ!!」
ローレンスお兄さまの大声が響き渡っていった。
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