最終章 五女と家族と妖精の薬
第1話 帰還の薬師は様子がおかしい
メイシィは、陽が落ちる赤い光に照らされてミリステアの巨大城に帰ってきた。
王族居住区の正門で背筋を伸ばし出迎えれば、簡素な馬車から降りてきたのはクリード殿下。
その腕には、ぐっすりと眠るメイシィが収まっていた。
私がそれをみて、彼女がただ眠っているなんて思うほどの
顔色は伺えないけれど、隣のローレンス様は何ひとつ言葉を発せずにいらっしゃっる。
「おかえりクリード!メイシィはお疲れのようだね」
一方、いつもの笑顔で大げさに出迎えるのはラジアン殿下。
同じような表情をしたクリード殿下の肩をたたくと、一緒にメイシィの寝顔を眺め、言葉を続ける。
「ちょうどクリードの隣の部屋が空いていただろう。そこにベッドを用意させたから使うと良い。
念のため宮医に来てもらったからメイシィを預けよう」
「……」
「はは、一緒にいたいのはわかるが、ちょ~っと聞きたいことがあると母上たちに呼び出されると思うよ。だからここは一度預けようよ」
「……」
バキュ、と謎の音が耳に入った。
思わずちらりを目線だけを向けてみれば、近くにあった木に深いヒビが入っていた。
「よ~~しこのまま隣の部屋に連れてってくれクリード!そのまま彼女を頼む!こっちは何とかする!……うん!」
「ありがとうございます、兄上。それでは失礼します」
クリード殿下は私やローレンス様に見向きもせず、無表情になるや否や歩き去ってしまった。
侍従としてついていこうかと思ったけれど、ローレンス様と一瞬目が合ったので察して思いとどまる。
「はあ……」
クリード殿下の姿が完全に見えなくなったころ、ラジアン王太子は重いため息をついた。
「あの様子じゃあ、やっちゃったなあ」
「ラジアン殿下、『惚れ薬』と聞きましたがあの様子はどういうことでしょう?」
「え、あ、ああ、あはは、ローレンス、顔が怖いよ~」
「殿下?」
「……血を混ぜて相手に飲ませれば、意のままに操れるっていう薬だよ~」
「……それが『惚れ薬』と?」
「実際そうじゃないか!クリードはメイシィに好かれたいんだ。飲ませたら叶うだろう?」
うわあ。ローレンス様が激怒されている。
いつも口に出してわかりやすく怒る方なのに、やけに冷静に見えているのは怒りが頂点を飛び越えてしまっているからに違いない。
ラジアン殿下は態度こそいつも通りひょうひょうとされているが、激しく泳いでいる瞳は事態を的確に悟っていらっしゃるようだった。
「……ともかく、ラジアン殿下。あとは後ろのおふたりへじっくりとご説明ください。
しばらく外部の面会はお断りしますので、ごゆっくり、どうぞ」
「……え?後ろ?」
「ラジアン?」
「ラジアン殿下?」
「お、おお~これはこれは母上にアーリア、ご機嫌麗しゅう」
「その言葉はあなたの方がお似合いのようね、ご機嫌麗しゅう我が息子?」
「一部始終と、薬を作らされたミカルガから話は聞いております。
ラジアン殿下、お時間をいただけますね?」
あ、はは、あはははは……。と乾いた笑い声。
どす黒いものを背負ったふたりの王族を前に、王太子はなすすべなく引きずられていく。
政務や外交はほんとうに素晴らしい才能をお持ちで、すでに次期国王としての地位も確立されていらっしゃるのに。
表情には出さないよう呆れている私に、ローレンス様の声が響いた。
「クレア、少し付き合ってくれ」
「かしこまりました」
いま間髪入れずに返事をせずに、何をする。
私だって今、怒りに身を任せたいほどなのに。
我が親友をよくも。そんな気持ちであふれているのに。
ただ、とても残念ながら、クリード殿下の想いを考えてしまうだけであふれた気持ちは別の色に変わっていくのだ。
心を動かさぬよう、誰かの陰に潜んで息を殺すような生き方をしたお方が、突如ぬくもりを得たような恋に落ちる。
想いの丈を伝え、愛を知り、それを永遠とすべく身を削ってきた矢先の、婚姻の一報。
『もう手遅れなのです。僕は唯一無二の安らぎを知ってしまいました。
失えば、もう心穏やかでいられることはないでしょう。
その時、僕は世界を守ることを優先します。自らの命を捧げる形で』
初めてメイシィのことで殿下が父王と言い合いになり、メーメラ火山が噴火したときのことを思い出す。
名の通り命がけで恋をするあの方が、この状況で願いの叶う薬を持ってしまったら。
「カナリス殿下と同じ。自分より相手の気持ちが離れるのが耐えられないお方だもの、使わないわけ、ないわよね……」
―――――――――――――――――
その後、私はローレンス様の執務室に戻ってきた。
部屋の主人はおもむろにご自身の机に溜まった書類の一番上をちらりを見て、山の中に戻す。
すべて本日渡された分だ。
まじめなお人柄であるローレンス様がこの山を作るのは珍しいと、専任の侍従が言っていたのを思い出す。
それほど何も手につかなくなってしまったのだろう。
「クレア、今の状況を見て、君はこれからの展開をどう読む?」
「私がですか……?」
侍従に意見を求めるなんて珍しい。私は思わず聞き返してしまい、あわてて無礼を詫びる。
「気にすることはない。君はクリードの侍従をしているが実際は俺と同じ側近と変わらない。俺は同じ役割を持つ君の意見を聞きたいと判断した」
「そう、ですか……ありがとうございます」
一般家庭で生まれ弟たちを養うために努力を積み重ねてきた私にとって、急な賛辞に驚いてしまう。
なんとか平静を取り戻し、考えをまとめながら口を開いてみる。
「メイシィ様の様子によりますが、クリード殿下との婚姻の調整が進むのは間違いないかと思います。
ただ、精神に及ぼす薬である以上、おそらくこれ以上の1級魔法薬師の試験はもう……厳しいかもしれません」
「くそっ……」
ガタン、と音が鳴る。
ローレンス様が机を叩いた音だ。
はらはら落ちる数枚の紙を取ろうと足を踏み出せば、ローレンス様の指先ひとつで舞い上がり、元の位置に戻っていった。
「まずい事態だ。彼女に試験を受ける意思が無くなれば、続けられない」
「まだ結論付けるのは早いかと思います。メイシィ様がお目覚めになってなんとおっしゃるかわかりませんから、今は待つべきではないでしょうか」
「そうだな。そうだが、そうなんだが。こんなところで試験をやめるなど……あとひとりなのだぞ……!」
眉間には深い皺を寄せて、苦悶の表情をなさっている。
無表情に見えて実は感情がわかりやすいローレンス様がこのような姿を見るのは初めてで、気迫を感じてしまう。
それだけに、私の中の違和感はついつい口から飛び出してしまった。
「……ローレンス様は、以前からずっと試験の合格にとても熱心でいらっしゃるのですね」
「何だと?」
「失礼な発言、大変申し訳ございません。
ただ、以前から、時によりメイシィ本人より熱量を持っていらっしゃるようにお見受けしましたので」
ローレンス様は私の言葉に怒るどころか、気迫すら失っていつもの厳しい表情に戻ってしまった。
他人に指摘されて何か感じることがあったのか、急に気が抜けたような雰囲気を感じる。
「……そうだな、確かに、知り合って間もない一般階級の薬師に対しては随分と感傷的かもしれない。
はは、俺はただ、彼女の願いをなんでも叶えてあげたいと思っているだけだ。昔からの癖は早々治らないというだろう?」
「ローレンス様……?」
なんだか自嘲めいた言葉に、私は首をかしげるだけだった。
―――――――――――――――――
「ローレンス様」
「なんだ」
「先ほど、私は『メイシィの状態による』という前提でお話をいたしましたが、改めて所感を申し上げます。
試験の継続は、厳しいかと」
「……そうだな」
翌日。同じローレンス様の執務室。
昨日と異なるのは、クリード殿下の隣室にてメイシィに会ってきたことだった。
『道中、眠ってしまって申し訳ございませんでした。クリード殿下。
あの、その……』
『どうしたんだいメイシィ?』
『久しぶりに殿下とお会いできて、その、安心してしまってつい……!』
『メイシィ……!もしや極国に行っていた時もずっと僕を想ってくれていたのか!?』
『はい、もちろんです……殿下』
目覚めたメイシィは一見違和感のない様子だった。
受け答えはしっかりしていて、薬を飲んだにもかかわらず精神的な異常は見当たらない。
と、宮医は言っていた。
『なんていじらしいんだ……!寂しい思いをしながらもしっかりと薬師の試験に取り組んできたなんて!
もうそんな思いはさせないからね、ずっと一緒にいよう』
『はい、ありがとうございます。殿下』
「メイシィは明らかに『異常』です。薬の力がかなり効いているに違いありません」
「随分と自信をもって断言するんだな、根拠は?」
「メイシィの回答はすべて肯定しているからです。
確かに本人の心からの言葉で間違いないでしょう。ただ、彼女が肯定をするときは、相手の立場を考慮する傾向があるのです」
「具体例は?」
執務室のソファに座らせていただき、反対側で鋭い視線を送るローレンス様。
その瞳には疑念がない。きっと、この方も同じようなことを推察しているのだろう。
「『ずっと一緒にいよう』と言われても、彼女は相当の決意がなければ肯定しません。
クリード殿下は第二王子であらせられます。地位の問題が解消していない以上、少しでも破れる可能性のある約束はしないと思うのです」
メイシィは慎重だ。勢いに任せることはめったにしないし、相手を思いやる気持ちが重すぎるくらいに慎重だ。
「それに、あの薬の効果である『相手を意のままに操る』が正しいのであれば、クリード殿下が嫌がることは言わないでしょう」
「……同意見だ。つまり、これからはクレアの言う通りクリードとの婚姻準備は進み、一級魔法薬師の試験は永続的に中断となる可能性が高いな」
「ローレンス様は、どうなさるのでしょうか」
「どうとは?」
「メイシィを治すのか、治さないのか、でございます」
「……」
ローレンス様は再び深い皺を眉間に作ると、腕を組んで背もたれに身体を預けてしまった。
今のままでもメイシィが幸せであることは間違いない。今までの言動からして、本人がいつ自分の気持ちに気づくのかという状態だったもの。
でも、今のままではメイシィの願いは叶わない。
一級魔法薬師として活躍する夢は
本当にそれでいいのかしら?
私の中に残る、彼女との思い出はそんなことを許すはずがない。
「ローレンス様、私はメイシィを治したいと思っております。
ただ、私ひとりではどうしようもありません」
「……そうだな」
私は手元にあるひとつのカバンを取り出した。
「そこで、こちらを読んでみてはいかがしょうか」
「それはなんだ?」
「メイシィのカバンです」
「何でそれがここにある!?」
焦る表情に、私は思わずニヤリと貴族に見せるべきでない表情を浮かべてしまった。
「部屋に持っていこうと思ったのですが、どうせなら開けてしまえと思いまして」
「どうやったらその思考に行き着くんだ!?」
「それで、こんなのを見つけたのです」
カバンの中には分厚い紙束が入っていた。
布で大切に保管されていたそれを眺めていると、見知った名前が飛び込んできたのだ。
そのうち1つを取り出して、私はローレンス様に差し出した。
「ユリリアンナ様からローレンス様への手紙です。他にもご家族あてにたくさんございます」
「なんだと!?」
「皆さまへお送りするついでに、クリード殿下の恋を応援していたサーシャ様へご意見を伺うのはどうでしょうか」
私の言葉はローレンス様に届いていなかったようだ。
すぐに封を開けて読み始めてしまったので、しばらく黙って様子をみることにする。
何が書かれているかなんて想像もつかない。
ただ、あて先はローレンス様を始めとしたご両親とサーシャ様、ナタリー様、セロエ様の合計6通。
特に、サーシャ様宛のものは触るだけでわかるほど分厚かった。
「……クレア」
10分ほど経ったころ、ローレンス様がぽつりと私の名前を呼んだ。
背筋を伸ばしなおして応えれば、決意の表情がこちらを向く。
「この手紙を家族全員に送ってこよう。
そして、ユリリアンナ姉上以外の全員をこの城へ呼び出す」
「全員……つまり、今まで試験に参加していらっしゃらなかった『メリアーシェ』様もですか?」
驚いて声を上げれば、ローレンス様は複雑な表情を浮かべていらっしゃった。
「彼女は……今は来られないだろうが、まあ、ゆくゆくはそうなるだろう」
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