第12話 乗せた事実はあまりにも遅く
メイシィが帰還するという連絡がケンから入り、無事にユリリアンナ様のお願いを叶えたことを知った私とローレンス様は、心から安堵を分かち合った。
別にメイシィを疑っていたわけではない。
信じていたけれど、いざその一報がくると安心するというもの。
ついに今日、魔法移動陣を使って城まで戻ってくるという日に、事件は起きた。
カーン陛下宛に、極国の天帝より手紙が届いたのだ。
天帝の弟との婚姻話は真っ赤な嘘であり、謝罪するという内容だ。
メイシィがそんな決断はしないと思いつつも、酷く落ち込んでいたクリード殿下にとって大きな朗報だ。
早速伝えようとお部屋へ向かったのに、すでに殿下はいらっしゃらなかった。
数人の兵士を連れて無許可で外出してしまったという。
私はひどく悪い予感がして、ローレンス様の執務室へ跳ねるように向かった。
「急な訪問となりお詫び申し上げます、ローレンス様」
「クレア?構わないが……珍しいな、いったいどうした?クリードか?」
部屋の主は丸くしていた目を細めた。また何か起こしたのかと言いたげな疲れた表情に、ソファで座っていたラジアン王太子がクスクス笑う。
「大変失礼いたしました。ラジアン殿下。お話中に大変申し訳ございません」
「構わないよ。報告を続けてくれ」
殿下がいらっしゃると思わず驚いたけれど、今回に限ってはかなり都合が良い。
私は頷くのもそこそこに声を張り上げた。
「クリード殿下が……自室にいらっしゃらないのです、薬もありません」
「……は?どういうことだ、クレア」
「……え?うそ、だよね?」
意味は違えど同じ驚愕の表情がこちらを向いた。
「護衛騎士長のアンダン様によりますと、交代前の騎士に馬車を準備させて、魔法移動陣へ向かったようでございます」
「そういえばメイシィが到着するのは今日だったね~迎えに行ったのかな」
すぐさま冷静になったラジアン殿下が、いつもの間延びする話し方でソファに背中を預けていた。
違うんです殿下、それはいいとして、問題は薬!
「ラジアン殿下、クリード殿下は極国から届いた婚姻解消の件、まだお伝えできていないのです」
「……え?」
「その状態で薬を持ち出されてメイシィ様のところへ向かったようです」
「……うそ?」
「お待ちくださいラジアン殿下、薬とは?」
ローレンス様がじっとラジアン殿下を見つめていた。
側近とは思えない妙な気迫に、殿下はすっと視線をずらす。
「この前、惚れ薬って言われる代物をクリードにあげたんだよ」
「惚れ薬……?」
「まあ、その」
言い淀み始めたお姿に、ローレンス様がしびれを切らして立ち上がる。
とてつもない悪い予感をなさっているのだろう。
恐ろしいほどお気持ちがわかる。
「至急、騎士を向かわせる!
魔法移動陣を管理する者に伝え、クリードとメイシィを引き剝がさねば……!」
慌てて部屋を出ていくローレンス様に道を開ければ、ばたばたと部屋の外が騒がしくなっていく。
ゆっくりと立ち上がったラジアン殿下は、たいそう珍しく真っ青な表情をなさっていた。
「本当にメイシィに飲ませたら……」
――――――――――――――――――
極国へ向かった時よりも晴れやかな空の下、帰路は穏やかな空気に包まれていた。
馬車の中で窓の外を見るわたしを、クリード殿下は口角を上げてただただ見つめている。
自惚れたことは考えたくないけれど、久々に会いたい人に会えて感無量といった表情に見える。
「殿下はお変わりありませんでしたか?」
あまりにじっと見つめてくるので穴が開きそう。恥ずかしくなってきたので、わたしから声をかけることにした。
肩肘をついた体勢を変えることなく、彼は小さな声を返す。
「ああ、なにも。毎日君を想っていた」
「え、あ、あ、ありがとうございます……」
面と向かってそんなことを言われると、時間によって失われた耐性じゃ恥ずかしさに抑えられない。
窓の外に助けを求めながら、わたしは口を開く。
「わたしも、毎日……ではないですが、殿下を思い出してました。何をされているのか、ですとか、研究は進んでいらっしゃるのか、ですとか……」
「嬉しいな。君はこんなに美しい服を纏って僕のことを……ね」
今のわたしは馬車に似合わない淡い
まだ言う勇気がないけれど、着慣れた白衣もワンピースも灰となってしまったから、殿下にとっては見慣れない服を着ているように見えるのだろう。
脚に何か当たる感触がした。
下を向いてみれば、クリード殿下の長い脚が伸びいつのまにかわたしの両足がはさまれている。
行儀が悪い、けれども、避難しようと本人の表情を伺ってみればほんの少しだけ機嫌が良くなった。
束縛癖は以前からあったけれど、こんなに可愛らしいものは初めてだ。
……まあ、久々の再会だし、大目に見ようかな。
「これはユリリアンナ様に仕えている侍女だけが着用を許されている色なんですよ」
「へえ、ということは、しっかり信用を得てお願いごとを叶えてきたんだね」
「はい。ケンから知らせが届いているかと思いますが、無事に終えることができました」
それから、わたしは部屋を爆破された以外の話をクリード殿下に聞かせた。
次から次へ出てくる言葉にわたし自身が驚いてしまうほど、極国の日々が大きな糧となっていることを自覚する。
クリード殿下は終始にこやかで、妖精の暴走など微塵も感じさせないほど穏やかに聞いてくださっていた。
うーん、どうしよう。
この流れで殿下に求婚の返事をしようと思ったけれど、こんな馬車で言う必要があるかというと、きっとない。
「そろそろ城に着くころだけれど……メイシィ、少し休憩しようか」
「え、そのまま向かわれないのですか?」
クリード殿下は足を引っ込めると、扉の近くにある魔法
外の従者に繋がっていて、指示を受けたのか馬車がゆっくりと速度を落としていく。
「ちょうど、以前セロエと君が一緒に王都を眺めたという草原のところにいるんだ。一緒に見ないかい?」
「いいですね!また見たいと思っていました」
わたしの言葉に、クリード殿下は満足げに頷いた。
やがて馬車は止まり、わたしは殿下の手にひかれあの日の草原に足を踏み入れていた。
だんだんと日差しが赤く染まり、巨大城や街並みは愁いを帯びたような顔を見せている。
セロエと同じように気に入っている景色。
隣に彼がいるだけでなおさら美しく見えるのは、きっとそういうことなのだろう。
「君の言う通り、美しい景色だね」
「ええ、殿下と共に見られてとても嬉しいです」
「……君はいつも、嬉しい言葉をくれるね」
少し冷たく湿ってきた風に押されるように隣を見ると、また目を細めて眩しそうな表情のクリード殿下がいた。
なんだか違和感がする。
元気いっぱいに出迎えてくださると思っていたけれど、やけに落ち着いている。
……やっぱり、再会を噛みしめたい気持ちの方が強いのだろうか。
「……わざと言ったわけではないですよ。心からの言葉です」
「はは、ほら、やっぱり」
殿下はくすくすと楽しそうに笑う。
そして後ろに控えていた騎士から、何やら筒状のものを受け取った。
黒くて模様のないそれは殿下によって2つに分かたれる。
形を見るに、遠征の時に携帯していた水分補給の道具、水筒らしい。
「君がいない間に花の紅茶を作ってみたんだ。バラの匂いがする特別なものだよ」
「バラで……紅茶……ですか?」
「ああ、ハーブティーを応用してみたんだ。本当は城に戻ってから飲ませたかったけれど、はは、我慢できなかったよ」
「そうでしたか、ぜひいただきます」
クリード殿下は嬉しそうに笑って、ふたとカップを兼ねた器に紅茶を注ぎ入れた。
わずかに黄みのある桃色が見えて、いいにおいが漂う。
屋外でもこれだけ香るのだから、きっと城に戻れば甘美な刺激が鼻をくすぐるのだろう。
わたしが器を受け取ると、殿下はつぶやいた。
「自覚してはいるんだけれどね。本当に、我慢ができないよ、僕は」
いただきます。とつぶやいて一口飲んでみれば、バラの香りが強く広がった。
酸味と甘みが絶妙に混じり、口の中で花が咲いたような感覚が広がっていく。
「おいしいです!」
「本当かい?嬉しいなあ。城に戻ったらまた入れてあげるからね。お菓子と一緒に飲もう」
「はい!楽しみにしております」
あっという間に飲み干してしまった器は、自然な流れで取り上げられると騎士が持ち去っていった。
幸せを感じながら、もう一度巨大な城を見る。
これからの人生、薬師も彼と生きる道も諦めたくない。
ずっとどちらかを犠牲にしなければいけないと思っていたけれど、この旅で遠い異国に人生を預けた女性がわたしの背中を押してくれた。
どちらも手に入れれば良い。
新しい選択肢を、自分にとって最高の未来を目指して良いのだと。
その第一歩。
想いを伝えるときは今だと、わたしの心がそう告げた。
「クリード殿下」
「何だい?」
「お伝えしたいことがあるのです」
風はより湿った空気を運び、わたしたちを揺らした。
少しだけ距離をあけたふたりの隙間をすり抜けていく。
「クリード殿下と出会うまで、わたしは仕事一筋で生きていくと決意していました。
憧れの薬師のように多くの人々を救い、役に立ち、生涯を終えたいと強く想っていたのです」
「……うん」
「でも、わたしは殿下と出会い、捨てた感情を知り、諦めていた未来の可能性に気がつきました」
緊張する。わたしは胸に手を当てて、深呼吸をする。
クリード殿下の髪が揺れている。暖かい瞳はきっと答えを待っている。
「わたしは……あなたと――――――――」
……あれ?
視界が急にぐらつき、わたしは言葉が切れたことに気がついた。
すべての感覚が自分から離れて行ってしまいそうな、この感覚はいったい何だろう?
口を動かすにも、はくはくと息が漏れるだけ。
ふいに立っている感覚すらも遠のいて、わたしは膝をついてしまった。
わずかに残っている身体の感覚すら失っていくのを感じる。
クリード殿下が抱き留めてくれたと気づくことすら、やっとだった。
「でん、か」
「メイシィ、どうやら急に疲れが出てしまったようだね」
言葉と裏腹に、心配している声色が聞こえない。
やがて視界も眠りに落ちるより遠く離れていく感覚に襲われて、わたしは瞼を閉じた。
「大丈夫、休めばすぐに良くなるよ。
早く城に戻ろう。
そして、これからはずっと一緒だ。
この国から出ることもなく、城からも、僕の腕からも出ることもなく。
ずっと、ずっと。
ねえ、最愛のメイシィ」
頬を滑る手の感触が、消えていく。
雨が、降ってきたような気がした。
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