第8話 あかりが、見えない

翌朝、クリード殿下はガラム様の私兵と共にドラゴンに乗って飛び立っていった。

この私兵、もともとの目的はカーライル山へ視察へ行く殿下の護衛だったらしい。

朝の紅茶を飲みながら、殿下はわたしに教えてくれた。



「3日で戻る予定だけれど、山の天候によってもう数日かかるかもしれない。寂しいだろうけど待っててね」

「はい、お気をつけて」



そこまで寂しくないと言ったら病むのでぐっとこらえていると、知るよしもないクリード殿下は目を伏せた。

明らかに殿下の方が寂しそうである。



「戻ってきたら、ご褒美をくれるかい?」

「ご褒美ですか?……うーん、普通ので良ければクッキーでも作りましょうか」

「それもほしい。あと……その……」



もごもご何かを言っている。部屋の扉の隙間から慌ただしい気配が漏れ始め、出立の時は迫っている。

じっと見つめていると、殿下は顔を近づけてきて、小さな声を出した。



「ぎゅってしていい?」



!!?

久々かつ不意打ち……!

あまりに胸が苦しくて呼吸が止まった。

この王子、いい歳してなんてことを!くっ!顔がいいから許されるなんてずるい!


先にわたしの胸がぎゅってされてしまった。



「け、けけけ」

「け?」

「検討しておきます!もうお時間ですよね!?いってらっしゃいませ!!」

「……はは、ははは!わかった、行ってくるよ」



思いきり顔を背けて応える。明るい声が聞こえる。

ちらりと様子を伺ってみれば、殿下はすでにご褒美を得たように満足そうな顔をしていた。





この時はどうせすぐに帰ってくると、根拠もないのに余裕な心持ちだった。

だから、それから連絡もないまま5日が経ってしまうとは思わなかったのである。




―――――――――――――――





最初の3日くらいはひたすら薬を作ったり、ナタリー様のご様子を見に行って話し相手をしたり、竜人族の医師たちと情報交換をしたり。

ドラゴンの卵は内側からカリカリとつつく音が大きくなり、揺れるようになったので椅子からベビーベッドに移動した。

クッションに囲まれているものの、少し目を離したうちに右に左に転がっている。


卵のころから寝返りが上手とは。





クリード殿下が戻ってくるまでレヴェラント家に滞在すると宣言したリアム王太子は、持ち込んだ仕事の傍らわたしとおやつの時間を過ごしていた。


今日もリアム王太子が淹れたコーヒーはおいしい。

最近はミルクを入れて完成するコーヒー、苦いのが嫌いな方向けの淹れ方を考えているらしい。



「……おや、今日のメイシィは心ここにあらずだね。うれう表情も可愛らしくて良い」

「あ、殿下、申し訳ございません……」



リアム殿下の甘ったるい言葉は今日も調子が良いようだ。

慌てて謝罪すると、殿下は首を振った。



「そうなるのも頷ける。クリード王子は少し時間がかかっているようだ」

「はい、短くても3日とおっしゃっていたので、想定内だとは思うのですが……」

「……ふむ」



リアム殿下は思案顔になった。窓の外を見てすこし首をかしげている。



「今の時期のカーライル山は天候がとても不安定でね。大雪と日照りが不定期に繰り返されるから、雪崩が多くて登山を禁止しているんだ。

今は弱い日照りの時期のはずだから許可したんだが……不思議な空だ」



視線を追って振り返ると、窓の外は青空が広がっていた。

雲が遠くに浮かんでいて、冷たい空気が清々すがすがしい。

あらゆる自然が空を自由気ままに舞っているように感じるパスカの空に、わたしは違和感を得ることができない。



「ドラゴンは翼を操る生き物だから、空気や風の様子に敏感なんだ。湿り気があれば翼が重くなるし、乾いていれば風を掴みにくくなる。その日の空と自分の波長を合わせるように意識して飛ぶんだ。

今の空はずいぶんと……湿っている気がする」



リアム殿下の嫌な予感は、翌日に的中することになった。






「カーライル山で大規模な竜巻?」

「そうらしいよ」



朝、いつもの集合部屋を訪れるとザルンさんが暗い顔をして教えてくれた。

天候が不安定な時期とはいえ、竜巻が起きるなんて。



「カーライル山で竜巻が起こるの自体は珍しくないんだけど。クリード殿下がまだ滞在されているはずだし、すぐにやむといいね」



竜巻は移動しながら多くのものを巻き上げてふるい落とす。

拠点に頑丈な家や洞窟があるそうだから、今は通り過ぎるのを待っているのだろう。




そうしてさらに翌朝。わたしたちはリアム殿下とダグラス様に呼ばれ、ナタリー様の部屋に集合することになった。



「カーライル山で発生した雪の竜巻が、全く動かない」



リアム殿下の真剣な表情に、ぴりと背筋に緊張を感じた。

ザルンさんだけでなくナタリー様も暗い顔をしている。よほどの事態が起きていると察した。



「もう今日で6日が経つ。明日以降はいつ持ち込んだ食料が尽きてしまってもおかしくない。

あまり大事にしたくないが、明日止まなければ救助隊の手配を準備した方がよさそうだ」

「……」



動かない竜巻、か。

異常現象にはある意味慣れているけれど、よりによってクリード殿下がいらっしゃるところで起きるなんて。


まさか……殿下が作り出した、なんてことはないよね?



どうしても気になってしまったわたしは、解散後、ザルンさんに声をかけた。





「メイシィさん~~~……ほんとにやるの?」

「はい、ぜひお願いします!」



いくつかある庭の中でもいちばん広い場所で、わたしはザルンさんを見上げていた。

いつものゆったりとした声が聞こえるけれど、それははるか遠くから響いてくる。



それもそうだ。ザルンさんにドラゴンの姿になってもらったのだから。



ドラゴンのウロコの色は髪の色と同じだという。ザルンさんの銀色の髪は冷たそうで綺麗なウロコに覆われていた。

筋肉質な足に小さな手、翼を開くと巻き起こされた風に自分の身体が揺れる。



「ちょっと翼を開いただけなのに吹き飛びそうになるなんて……かわいい、鼻息だけでもいけそう」

「え、えーと。防寒のバリアをまとって、背中に乗ればいいんですよね?」

「そうだよ。振り落とされないように定着させるのは僕がやるから、寒さ対策だけよろしくね。ほんとに、ほんとに寒いからね?」



ザルンさんは身体に比べてとても小さい両手でもじもじしていた。

わたしは白く長い棒きれのような杖を顕現させると、詠唱を唱えて振る。

魔法陣が球に広がりわたしを包み込み、赤く光ったと思えばすっと消えていった。

外気温の影響をある程度遮断できるバリアだ。天高いところでも地上の気温のまま空間を保つことができる。



「君……魔術師と勘違いされない?」

「……たまーに、ありますね」



わたしは目を逸らして言った。



―――――――――――――――――




「……寒そうですね」

「寒いよおお」



ザルンさんはわたしを乗せて飛び立ち、あっという間に上空へ登りきると、まるで一陣の風となったように空を滑っていた。

目的はカーライル山、正しくは例の竜巻をこの目で確認することだ。



どうしても気になったわたしはザルンさんに頼んで、様子を見に行くことにしたのだ。

クリード殿下と違って身軽なわたしは、誰かに同行してもらえれば自由な散策が許されている。



「この低い山の頂上までくれば、ちょっと遠いけどカーライル山が見えるよ」

「わかりました。その頂上までお願いできますか?」

「うん、問題ないよ」



ザルンさんの銀の翼が大きく動く。

固く分厚いウロコが滑らかに動き、速度が上がっていく。

もちろんドラゴンに乗るのは初めてだけど、この背中に固定する魔法の質がとても良い。

球体のバリアを背中に貼りつけるだけではなく、中にいるわたしを水中にいるように浮かせている。

一般の人々や荷物を乗せるため、軋むウロコに足が挟まれないよう生まれたパスカ特有の魔法らしい。



「おまたせ!……ってうわあ!これはすごいね!」



緑生い茂る低い山の頂上に着くと、そこから雄大な景色が見えた。

大きくくぼんでいる地域らしい。いくつも流れる川が繋がり、大きな湖が見える。

その外周の半分以上が白い建物で囲まれており、大きな街が広がっている。

せきもの小さな小さな船たちが、ぶつからないように器用な動きで湖を進んでいる光景。

まるで緻密ちみつで精巧な作品のようだった。



「あの街はレヴェラント領のカーライルだよ。でその向こうのすんごい竜巻がいるのがカーライル山だ」



その白い山は見るものを圧倒する大きさだった。

大きく誇張された絵のようにそびえる巨大さに、本物なのかと自分の目を疑ってしまう。

遠いはずなのにとても近くにいるような迫力、何か得体のしれない神聖な存在がいそうな荘厳そうごんさ。



「すごい……」



見たことも感じたこともない景色だった。

きっとわたしは間違いなく生涯この光景を忘れられなくなるだろう。



「竜巻、すごいね」



カーライル山の中腹に、白い柱のようなものが突き刺さっていた。

ザルンさん曰く、あの場所はすこし平らになっていて、登山客や研究者の休息所として発展し、今や小さな村といっても過言ではないらしい。

とはいえ、山が白い間は全員降りているそうだ。



「どう、メイシィさん、何かわかる?」

「……いや、すみません、良くはわからないんですが……」



綺麗な空に雪の竜巻。

わたしは妖精の気配を感じ取ることはできないけれど、どうしてこんなにもクリード殿下が起こしていると不思議な確信があるのだろう。



「とても嫌な予感がする竜巻ですね」

「そっか。うーん、もうちょっと近づいてみたいけど風がすごく湿ってて、翼が重いな……」



ザルンさんに無理はさせられない。

わたしはいちど引き返そうと口を開いた時だった。



「メイシィ!」

「え……ええ!?」



遠くから聞こえてきた声。振り返ると見知った顔があった。



「ナタリー様!?どうしてここに!?」



まだ体調が安定してそう経ってないのに、しっかりとドラゴンに乗りこなしているナタリー様が目に入った。

長い黒髪は高いところにひとつにまとめられ、右手には大ぶりの槍がある。

直接ドラゴンの背に立ち、乗馬の騎乗服に似た格好をしていると気づくころには、すぐそばに来てしまっていた。



「メイシィが様子を見に行ったっていうから来ちゃったわ。もう、急に驚かせることをするんだから~」

「も、申し訳ございません!これから戻るところでした。

ナタリー様、すぐに帰りましょう」

「待って」



ナタリー様はそう言うと、竜巻の方に顔を向けた。

その横顔は険しく、ひとりの崇高すうこうな騎士に見えて思わず緊張する。



「……このまま竜巻の近くまで行きましょう。メイシィ、こちらに乗って」

「え」



ふわりと身体がバリアごと宙に浮いた。

あっというまにザルンさんから引きはがされて、ナタリー様がいる真っ赤で巨大なドラゴンの背に降ろされる。



「ザルンはこのまま屋敷に戻って待機を。我が子をよろしくね」

「な、ナタリー様!お身体を大事にしてください、危険です!」

「いいえ、私たちは行かなければいけないわ」



気迫に押されたのか、こちらをちらりとみて心配そうな表情をしたザルンさん。

早々に説得することを諦めて頷くと、そのままきびすを返して飛んでいった。


ちょっと背中が丸まって見える姿を申し訳ない気持ちで見送ってから、わたしは隣にいるナタリー様に声をかける。



「メイシィ、あなたも予感があってここに来たのでしょう?」

「……はい」



ナタリー様はわずかでも妖精の気配がわかると言っていた。

もしかして。



「きっと間違ってないわ。

これはクリードが起こしたものよ。竜巻に妖精の気配がたくさん感じるの」

「そ、そんな……!殿下がどうして……!」



何かあったのよ。彼の心が雪に覆われてしまうほどの何かが。

ナタリー様はそう言うと、確信した様子で竜巻を睨みつけている。



「こうなったらあなたの力が必要よ、メイシィ。

私も一緒に行くから、クリードをわよ」

「……わかりました。防寒のバリアはわたしが引き継ぎますので、ナタリー様は少しでも温存してください」

「わかったわ。……じゃあ、よろしくお願いいたしますね」



ナタリー様は下を向いて声をかけた。

ザルンさんと同じ型だけれど、3倍は大きい真っ赤なドラゴン。

頭から大きく太い角が無数に生えていて、底知れない畏怖いふに震えてしまいそうな重い圧が、ウロコの隙間からにじみ出てしまっている。

うっかり乗ってしまったけれど、このドラゴンも相当な大物だ。

ナタリー様をつれてきたということは、実はダグラス様だったり?



「えっと……この方は?」

「俺だよ」

「……え?」

「リアム殿下よ」

「……え??」



わたしの動揺は見事に無視されて、すさまじい速さでこのやんごとなきドラゴンは飛び立っていった。





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