第9話 見えなくなった心に、ぎゅっ

ドラゴンの姿で大空を進むリアム殿下。その背に乗るわたしたちは雪混じりの強風にさらされていた。

わたしの防寒のバリアはまだまだ耐えられるけれど、ぶつかる雪が積もり積もって、視界はどんどん悪くなっている。



「くっ……いったんここで停止する」



リアム殿下が何かに気づいて進むのをやめた。

大きく後脚を出して立つ姿勢になったので、わたしは下を見ないように殿下の肩から前を覗く。

真っ白な景色の中に、大小黒いものがぽつぽつみえた。なんだろう。



「周りのものを巻き込んでいるようですわね」

「ああ、中には根こそぎ抜かれた木も混ざっているようだ。翼に当たればひとたまりもないだろうね」



海上で発生した竜巻は、取り込んだ魚を遥か遠方へ降らせるという。

雪上であれば雪どころか地面の土や木々を巻き込んでいてもおかしくない。



「だが、本当に一瞬だけど、向こうに明かりが見えるね。地理的に小屋に間違いないだろう」

「えっ」



そこにクリード殿下がいる!?

思わず前かがみになったわたしに、リアム殿下の頭の角が視界を遮ってきた。

あまり前に出てはいけないよ、と注意される。



「竜巻の中央は安全と見える。だけど上から降りようにも防寒のバリアじゃ耐えられない気温になるだろう。翼が凍りつく可能性もある」

「それなら、この竜巻の壁を突破するしかありませんわね!」



ナタリー様は元気いっぱいにそう言うと、自然な動作で左腕でわたしを俵抱きをした。



「……あれ?」

「待て、待てナタリー夫人、君が槍を持ち直した気配がするのだが」

「嫌ですわ殿下、持ち直して何か困ることでもありますの?」

「別に困らないがとても嫌な予感がするよ」

「嫌な予感?この竜巻がクリードの仕業という予感なら的中してますわ。さすがです殿下」

「そっちじゃない、そっちじゃない予感だ。とりあえず槍をしまわないか?」

「わかりましたわ、殿下」



リアム殿下の声が焦っている。わたしは視界をひっくり返された動揺から何も言えずにいる。

ナタリー様は槍を逆手に持った。

片足を後ろに大きく下げて、重心を後ろに置く。



「屋敷に戻られましたらダグラスに救援を依頼いただけますか、あといただければと。


これが終わったら、槍をしまいます!!」



ヒュ、と風を切る音が聞こえた。

上下反転した視界で、槍が恐ろしい速さで竜巻に向かっていく。

すぐにバチンと大きな音を立てたと思えば、開いていられないほどの強い光に視界を覆われた。



閉じた瞼を開けてみれば、向こうの雪原が良く見える大穴がひとつ。


お腹に強い圧迫感。


そして急に落下していく気持ち悪い浮遊感。



「おい!待てっ、ナタリー夫人!!メイシィさん!!」



乗っていたはずの大きなドラゴンがあっというまに小さくなり、雪に覆われ、消えていく。

それはナタリー様がわたしを抱きかかえながら飛び降りたことを示していた。




―――――――――――――――――





「メイシィ~、大丈夫かしら?」

「な、なんとか……」



ぼすっという音を全身で聞いてから数十秒。

腕を掴まれ強引に釣り上げられたわたしは、立ったまま放心していた。


え、今わたし、ドラゴンから飛び降りた?

それでふかふかの雪にすっぽり埋まった?


なんてことだ、今更ながら震えそう。

ナタリー様に恨みを込めて見つめると、にっこりと笑顔を返された。



「無事に竜巻内部に到着よ。ここは無風ね。

それより小屋はあそこかしら?」

「はっ、クリード殿下っ!」



足が埋まるほどの雪に絡めとられながら、わたしは必死に小屋を目指す。

さきほどまでの悪天候とは別世界のような青空の下にある小屋は、住むにはほどほど大きな木造の家だった。


やっとの思いで扉の前に着き、勢いよく開ける。



「クリード殿下!!」

「……え……?」



そこには目当ての人物がいた。



「ご無事ですか、殿下!!」



クリード殿下は暖炉の近くに敷かれた絨毯の上に座りこんでいた。

見てるだけで震えてしまいそうなほど薄い白シャツの姿だけれど、異常なほど汚れていて茶色い土が全身にこびりついている。



「お召し物が汚れています……!お怪我はございませんか?!寒くはありませんか!」

「……私は」



生気のない表情。うつろな瞳。

首筋に触れて体温を確認したけれど、熱もなければ異常な発汗も見当たらない。

すぐに魔法で全身を調べてみても健康そのものだった。

身綺麗なのに洋服だけがどろどろだ。



「異国で大変なことを……僕は……そんなつもりでは……」



クリード殿下はわたしの言葉に応えることなく、ぶつぶつと独りごとを零している。



「痛い……痛い……やめて……ぼくは……そんなつもりじゃ」

「うっ……うぅ」

「……え?」



ぽたり、とわたしの頬から雫が落ちた。

耐えられない。どんどん流れ出るそれを、今のわたしに我慢する力はない。

視界がぼやけて何も見えない。けれど、薄く汚れた金の髪、青い瞳はなぜだかよく見えた。



「メイ、シィ……?」



無事だ。生きている。殿下がちゃんと生きている。

自分でも驚くくらい安堵してしまっている。

心から温かいものがあふれるような感覚が、苦しくて苦しくて、呼吸の仕方を忘れそうだ。



「メイシィ、メイシィ!どうして泣いているんだ?どうして!?」

「ひっく……クリード殿下が……無事で……ほんとうによかった……」



殿下がわたしの両肩を掴んでいるみたいだ。わたしは涙が止まらなくてもう何も言葉が出てこない。



「あら、ようやく正気になったようね。クリード」

「ナタリー!?君までどうしてここに」


「当たり前でしょう?あなたを助けに来たのよ。を持ってね」



ひとまず休憩しましょう。

そう言ってナタリー様は気にとめることなくわたしの隣、地面に腰を下ろす。

何も見えない視界の中、クリード殿下がわたしの背中をやさしくさすっていた。




――――――――――――――――――




「ドラゴンゾンビの旧住処の視察は順調に終わっていたんだ」



わたしが落ち着いたころ、クリード殿下はことの経緯を教えてくれた。

座り込むわたしの身体を脚の間において、背中をさする手はとまらない。遠慮したけれど殿下ではなくナタリー様に止められた。

特効薬は特効薬として静かにしてなさい、と言われたからだ。

……まるでわたしがあやされているこどもみたいだ。



「この小屋で一晩過ごしてから戻る予定だったんだけれど、翌朝、眠っているときに急に胸倉を掴まれてここまで引きずられたんだ」

「え……!?」

「……」



わたしの反応をよそに、ナタリー様は無言を貫いている。



「そのあとは私兵たちに散々殴られたよ。剣は早々に妖精に折られたらしい。私の立場上、戦えば国際問題になりかねないから、黙って受け入れるしかなくてね。

こっそり眠りの魔法をしかけて無力化したんだ」



おかげで服がぼろぼろだよ。と苦笑いするクリード殿下。

周りに転がっている鎧たちは眠っているのか。今更気づいたわたしは言葉を失った。



「我が家の者がこんな無礼を働くなんて……クリード殿下、どのような言葉を紡げば謝罪の想いが伝わるのか、わたしにはわかりません」

「やめてくれナタリー。君が起こしたことではないし、僕を呼び捨てしておいて今更夫人気どりは困る」

「……悪かったわ」

「いいんだ。僕にしかるべき役目だよ」



クリード殿下はもう一度苦笑いの声を漏らすと、背中を撫でる手を止めた。



「ドラゴンゾンビを還したときも、同じ目に遭ったんだ」

「……噂で聞いたことはあったけれど、本当だったのね」



思わず頭を上げたわたしは、クリード殿下を至近距離で見つめてしまった。

あわてて下げると、ぽんぽんと頭を撫でられる。



「あのころは幼くてまだ愛想の仕方もわかっていなかった。それに各国から暗殺者に狙われていた時期だったから、ドラゴンゾンビを還した僕は用済みだったんだろうね。

相打ちになったと言って『処理』できる絶好の機会だったんだよ」

「そんな……ひどすぎます」

「そうだね、メイシィ。僕も頑張って抵抗した。だから今ここにいるんだ」


「その場に、ガラムがいたのでしょう?」



ナタリー様の言葉に、殿下は躊躇ちゅうちょすることなく頷いた。



「すこし手荒な抵抗をしてしまった。もちろん命までは取っていないけれど、それからガラム殿の態度が一変したのは確かだよ」

「少年に命を奪われそうになった恐怖、ってところかしらね」



この事件のすべてが明るみになったような気がする。

それでも、心に大きな重りが落ちて気持ちが悪い。



「……さて、この後は屋敷に戻ってからお話ししましょうね~。

まずはこの竜巻を止めないといけないわ」

「……すまない。僕は妖精を制御できないから意識的に止めることはできないんだ……本当にすまない、僕は……最低だ……」

「そんなことわかっているわ。今さら何をいってるの?

だからメイシィ、さっそく治療をよろしくね」

「えっと……薬は確か」

「違う違う」



わたしはピンとこなくてナタリー様を見た。

殿下も心当たりがなくてナタリー様を見る。


それがおかしかったのか、ナタリー様は大きな笑い声を響かせた。



「過去の記憶がよみがえって心が凍るほどの竜巻。つまり心を溶かせばいいのよ。

さあ、ここでイチャイチャしなさい!」

「イチャ……はい!?」

「……!」



そんなの無理!絶対無理!

顔が赤くなるのを自覚しながらわたしは必死に否定するけれど、ナタリー様は笑い声を大きくしただけだった。

一方のクリード殿下は黙って――――いや、顔を輝かせている。

ええ……。



「ねえ、ねえ!メイシィ」



さっきの暗い顔は竜巻に巻き上げられたのか。と言いたくなるほどにキラキラ生き生きした表情の殿下が、わたしの頭上から声をかけた。



「僕が無事に戻ってきたら、お願いしたことがあったよね?今叶えてくれるかい?」

「ああ、クッキーですね。でもここでは作れませんよ」

「違うよ。もうひとつのほう、覚えてるよね?」

「……」



え、あれのほう?あっちのほう?今やれと?

ナタリー様が見ているのに??


せめて向こう見ててくれないかな、とナタリー様に目線を送っても笑顔で跳ね返された。

ああ、これは久々に腹をくくらなきゃいけないか。



「さあ、メイシィ、さあさあ」

「わ、わかりました殿下、わかりましたから」



わたしは殿下と正面から向き合うように態勢を変えた。

わくわくしている顔が眩しすぎて見られないので、なんとなく右側に視線をさけつつ、両手を少しだけ広げる。


一瞬だけ視線を合わせて。



「ぎゅっ、って、して?」


「「~~~!!」」



途端に覆われる視界。全身いっぱいのぬくもり。強い圧迫感。

言葉にならない悲鳴がなぜかふたり分聞こえた気がするけれど、真っ赤な顔を隠せるならもうなんでもいいやどうにでもなれ!!



「はーーーーーー可愛い最高メイシィ大好き。大好き、愛してる!」

「んな!?」

「ひゃあああああやだもうカワイイ~~~!!」

「ナタリー様!?」



数日続いた竜巻は、こうしてわたしの羞恥心を犠牲に30分足らずで止むことになった。


物音ひとつしなくなった小屋を3人で出てみれば、どこまでも広がっていく美しい青空。

遥か遠くには、ぽつりぽつりとドラゴンの影が見えた。


冷たい空気が火照った身体を心地よく撫でていく。

重苦しい気持ちも、恥ずかしかった心の熱も、すうっと青に溶けていく。



隣で満ち足りた表情をする瞳と、似ている気がした。

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