第7話 萌ゆる命は希望のあかり
ナタリー様のご出産がうまくいったのは、卵型であったことが大きかった。
正直人型だったとしても、この出血量ではどうなっていたか。
そう繰り返しながら寝落ちしそうな産科医に、わたしは疲労回復の錠剤を無理やり飲ませた。
どこまで効くかは知らないけれど、竜人族も人である限り問題はない。
彼がこのまえこっそり余った薬を飲んでみていたのを知っている。
助産師と産科医のペア体制で交互に分娩室に入り、3日が経っていた。
陣痛が始まって早々、1日目に卵は無事に生まれた。それから今も昼夜問わずナタリー様の経過観察と治療を行っている。
出産の段階に入れば、薬師としての役割はほとんどなかった。
事前にみんなと相談しできる限り絞り出した症状と対応できる薬を準備する。薬師としてできたのはそれだけ。
あとはその薬たちが医師とナタリー様の手助けになることを願うのみ。
もちろん、追加の調合依頼があれば最優先で動くけれど。
ただただ疲弊していく仲間たちの世話が今できる最大の役割だ。
眠っている助産師の身ぐるみを剥がして腰に湿布を貼り付け、何事もなかったかのように服を整える。
向こうではザルンさんが黙々と卵担当の医師と会話しつつ、投薬記録を残す作業をしていた。
医師間の引継ぎの際には、かなり容体が安定したこと、最初の母乳が落ち着けば命の危険は去ったといっていいだろう。と話しているのを聞いた。
竜人族が卵型で産まれた場合は、日の光があたるところに何日か置いておくと、ゆっくりと殻を割って生まれてくるらしい。
最初の母乳を飲ませた後は、ザルンさんがしばらく滞在して食事を作るそうだ。
「メイシィさん、今日は休むと良い。最後にクリード殿下に伝言を頼めるかい?」
ナタリー様のお部屋から戻ってきた助産師の言葉に、わたしはひとつ頷いてお言葉に甘えることにした。
実は毎晩休んでるわたしとは違い、最初の陣痛からまだ1度しか担当交代をしていない。
竜人族の強靭さは驚きだ、わたしたちヒューマンはとてもついていけそうにない。
逆に明確な種族差のおかげで、気兼ねなく休めているのはある。
「わかりました。それではまた朝戻ります」
「ええ、ゆっくりおやすみ」
外はもういつのまにか真っ暗。夜ご飯は軽食で済ませているし、湯あみして寝るだけだ。
でも、
「今日は殿下に紅茶を持っていこうかな」
昨日は1日顔も見れなかったし。とわたしは自室の手前の角を曲がった。
コンコン
「はい」
「クリード殿下、失礼いたします」
「メイシィ!?」
ふと念のためパラノさんを訪ねてみたら、ちょうど紅茶を準備していたらしい。
ついでによろしくとティーカートを受け取ったわたしは、殿下の了承を得てお部屋に入っていった。
予想通りクリード殿下は驚いて立ち上がった。寝巻で片手に紙束を持っている。
「おやすみ前の紅茶をお持ちしました」
「ありがとう、メイシィ。疲れているだろうにどうしてここへ?」
「ナタリー様のご体調が落ち着いてきましたので、今日はおやすみすることにしました。昨日殿下にお会いできませんでしたし、伝言を預かっているのです」
「ふふ……それは……嬉しいな……。ん?伝言?」
はいとひとつ返事をして、わたしはすぐに紅茶の準備を始めようとポットからティーコージーを取り外す。
「明日のお昼ごろ、ナタリー様がお目覚めでしたら是非クリード殿下にいらしてほしいそうです」
保温用のカバーの役割をしっかりと果たしているようで、程よい熱さだ。
パラノさんの魔力を感じる。
ふいに、ポットが勝手に持ち上がったのに気がついた。
「私に?まだ体調が回復していないだろうに。外部の人間が訪れてよいのだろうか」
クリード殿下の仕業だ。自分でとぽとぽとティーカップに注ぎ始めてしまった。
仕方ないので砂糖とミルクの小皿を手に取り、テーブルに並べることにする。
「ええ。リアム王太子にも同じ時間帯にぜひと伝言が届いていると思います」
「そうなのか、それなら伺おう」
「はい。時間になりましたら迎えを呼ぶよう伝えます」
「ああ、頼むよ」
殿下はソーサーを掴んで2つの紅茶をテーブルに置いてしまった。
ひとつは自分に、ひとつは隣に。今日もわたしは殿下の向かいに座るのを失敗している。
スプーンを殿下のティーカップに添えると、わたしは諦めて腰を掛けた。
「さて、メイシィ。今日は砂糖とミルク、どちらにしようか」
レヴェラント家に来てから数日、しっかり朝晩と紅茶を飲む殿下は、必ずわたしにも飲ませるようになった。
その度に何を入れるのか聞いて、自分も同じ量を入れる。
「今日は砂糖ひとつにします」
「うん、わかった」
今日は殿下がとてもよく率先して手を出す、きっとわたしの疲労を気遣っているのだろう。
砂糖を入れてゆっくりと溶かしているひとつでもきれいな所作だ。
わざと遠いところにティーカップを置いて、わたしに手を出させないようにしているのは目を
手作りケーキをプレゼントできない代わりに何かしたいのだろうと思って、そっとしている。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、殿下」
おいしい、と伝えるまで殿下が待ち続けるのを学んでいるので、わたしは早々に口をつけて微笑んでみせた。
奥深い味だ。砂糖ひとつは大正解。絶妙な甘さ加減は疲れた身体に染み渡る。
口に運ぶ手が止まらない。殿下が満足げにわたしの頭を撫でる手も。
……この時間を悪く思っていないのは、別にクリード殿下に喜んでもらうためではない、王族ご用達の紅茶にハズレがないだけ。
「うれしい」
クリード殿下は満面の笑顔を見せた。
好きな人に何かをしたい、喜んでもらえてとても嬉しい。と言わんばかりの様子。
思わず心がじわりとうごめいた。
ミリステアに戻るまで、殿下はずっと自らの心と戦っていらっしゃる。
この時間が至福のひとときであるなら、まあいいか、と結局今晩も甘やかしてしまうのだった。
―――――――――――――――――――――
「失礼します。ナタリー夫人」
翌日。お昼が過ぎて暖かな日差しが降り注ぐころ、クリード殿下の後ろについてナタリー様の部屋を訪れた。
深緑色を基調とした落ち着いた色合いの寝室で、ナタリー様は上半身を起こした状態で顔色よく来訪を迎えてくれた。
「お時間をいただきありがとうございます。クリード殿下」
殿下はすでにそばで腰掛けていたリアム王太子に軽く一礼してから、隣の椅子に腰かけた。
「ご出産おめでとうございます。体調はいかがですか?」
「おかげさまでとても良くなりました。あとは無事に孵ってくれればと願うばかりです」
ナタリー様はそう言うと視線を窓の方に向けた。
リアム王太子、クリード殿下と共にその視線を追うと、そこには大きな卵がひとつ。
「竜人族の卵、恥ずかしながら初めて拝見します」
濃い緑色と白い色のまだら模様の卵は、ヒューマンの赤子と同じくらいの大きさだ。
椅子の上、柔らかそうなクッションにぽつりと置かれておりすこし心許ないように見えるけれど、ザルンさん曰く『できる限り日光が必要だからだいたいは椅子の上に置いている』らしい。
殻はかなり固いので、うっかり落としても良いとかなんとか……今回も同じとは限らないけれど。
「俺もこの目で見たのは妹のフィクス以来だ。生まれること自体が珍しいからね」
リアム王太子はそう言って目を細めた。
「嬉しいよ。守るべき者として背筋が伸びる思いだ」
「ええ、私も同じ思いです」
「ああ、そうだわ!」
パン、と両手を叩いてナタリー様は笑った。
「せっかくの機会ですもの。リアム殿下、クリード殿下、卵を抱っこしてくださいな」
「「……え?」」
それから、ナタリー様の部屋はやいのやいのと騒ぎになっていた。
ミリステアで暮らすどの民族でも、出産をしたらみんなで赤子を抱き上げる行為はよくある。
ただ、竜人族はそういう文化はまったくなかったようで、卵を抱き上げる!?と絶句していた。
だからといってクリード殿下が困っていないかと言うと、かなり困っている。
殿下は末っ子だから兄弟を抱っこすることなんてなかったもんね……。
「とても暖かくて、動く音がするんですよ」
試しに、昨日勝手に湿布を貼り付けた助産師がナタリー様の膝に卵を乗せた。
両手でやさしく抱きしめると、片耳を卵につけて幸せそうな笑顔を浮かべる。
緊張したリアム殿下のご様子は初めて見る。後ろにいた自分の側近に目配せしている。
「はい、どうぞ、リアム殿下」
「あ、え、あ、ああ……」
結局側近に助けを求めることを失敗したリアム殿下は、座ったまま卵を膝に乗せられることになった。
「……」
「いかがですか、リアム殿下」
ナタリー様はにこにこしているけれど、リアム殿下の表情は硬いまま。
わたしはちょっと笑いそうになるのをこらえている。
「その……温かいな」
「ふふ、そうでしょう。ダグラス様と私の子ですよ、殿下」
「っ!? 今、内側から固い音がしたぞ!」
「爪で殻をつついているのでしょうね、確か元気な証拠だったかしら?」
「はい、その通りでございます。奥様」
さあ、次はクリード殿下ですよ。
その言葉に、今度はクリード殿下の方の顔が強張ることになった。
こちらに助けを呼ぶ視線を寄こしてくるけれど、あいにくわたしは止める理由がまったくないのでにっこりと笑顔を返す。
むしろ、ぜひ抱いてみてほしいと思う。
有無を言わさずに、卵は殿下の膝の上に移動した。
「確かに……温かいですね」
「ふふ、クリード殿下、緊張しすぎですよ」
「私はミリステアの赤子すら抱き上げたことがないんだ……!」
「あはは!」
ナタリー様がとても楽しそうだ。涙を拭うほど笑っていて、思わずわたしもリアム殿下も笑っている。
やがてすぐに慣れたクリード殿下は、ゆっくりと卵の殻を撫でた。
「これが、命の重さなのですね」
「はい、そうですよ」
「……こんなに、こんなに重いのですね」
殿下が卵を見る目は優しかった。
わたしは学校で薬師の勉強をしていたときに、たまたま出産の手伝いをすることがあって赤子を抱き上げたことがある。
ヒューマンと
クリード殿下にも味わっていただきたかった。
仮面を被り、自分の心に蓋をして、他人と距離を取ってきたこの方は何を思うのだろう。
「……ナタリー夫人、生まれてくる命へ感謝と共にひとつだけ小さな祈りをさせてもらえないだろうか」
「もちろんです。殿下」
ナタリー様は即答した。その表情には、幼少期から交友を深めてきたからこその深い信頼が見て取れる。
この場にいる誰も反対はしなかった。
クリード殿下の暖かい表情は、今まで見たこともないほど美しかったのだ。
まるで慈愛を司る存在のような、息をのむほどの光景。
人を超越してしまったような姿に、誰もが言葉を失っていた。
「もうすぐこの世界に生を受ける君。
きっと多くの悲しみと、喜びが待っているだろう。
どうか雄大で自由な空を駆けまわり、
多くの人々に愛される子でありますように」
「……!」
ナタリー様は何かを感じ取ったように目を丸くさせると、心から幸せそうに微笑んだ。
「君のためにも、私はすべきことをしなければいけないですね」
卵が椅子の上に戻されたとき。クリード殿下は決意を固めた瞳で言った。
「明日、カーライル山へ向かいます。ドラゴンゾンビのかつての住処へ」
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