第4話 ふた悶着に潜む恐れ
え、何かあったの?
鎧の着用は、戦時中や公式の決闘など血で血を洗う覚悟を持っていると相手に伝える正装だ。
腰にはむき出しの剣が鈍く光っている。
いつでも剣を抜ける兵士たちが6名、部屋から出てきたクリード殿下をぐるりと囲んでしまっている。
とても近づける状態じゃない。
何かトラブルでもあったのかと思って殿下を見るけれど、いつも通りの微笑みを返されてしまう。
思わず言葉を失っていると、殿下はくるりと後ろを振り向いた。
「それでは、私は先に休ませていただきます」
「ええ、今日はお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」
ダグラス様はそう言って笑顔になった。だけれど兵士を見て少し影が宿る。
ナタリー様はいらっしゃらないようだ。先にお休みになったのだろう。
対してガラム様はなぜか機嫌がよくなっているように見えた。
「では、また明日。メイシィ、部屋までよろしくね」
「は、はい。こちらでございます」
奇妙だ。
わたしが先に歩き、後ろから兵士たちの鎧が擦れる音がガシャンガシャンと響いている。
殿下の足音なんて聞こえないし、話ができる距離でもない。
ちらちら見るわけにもいかず部屋まで前を向いて歩いていると、時折すれ違う侍女たちが顔を見ないようにしつつも頬を赤らめて頭を下げている。
……これは奇妙じゃない。よく見る光景だ。
やがてクリード殿下のお部屋に着くと、前で待っていたパラノさんが扉を開いた。
「お勤めご苦労様です」
クリード殿下の言葉に兵士たちの返事はない。殿下は口を閉じて足早に部屋に入っていった。
ガシャンと音を立てて、物騒な人々は扉に背を向けて立ち尽くす。
……まさか、このまま部屋の前にいるつもり?
軟禁でもするつもりなのか、疑問に思っているとパラノさんがわたしを部屋の中へ手招きした。
「本日はお疲れ様でした。クリード殿下」
今日はパラノさんに倣って礼をしてばかりだ。
扉がしっかりとしまったのを確認してから、何度目かわからないほど頭を上げる。
殿下がわかりやすく疲れた顔で息を吐いた。
「ありがとう、パラノ」
「すぐに湯あみに行かれますか?隣のお部屋に準備しております」
「ああ、そうするよ」
さすがパラノさん。いつのまにか用意していた着替えの一式を殿下に渡した。
そういえば入浴は誰も手伝わな――――いや、無理か。
殿下の姿に耐えられる人、いないよね。
「パラノ、メイシィに説明をしておいてくれ」
一瞬だけ、わたしに目を向ける。
少なくとも笑みのなかった表情を視界に捉えきれないうちに、殿下はさっさと隣の部屋へ行ってしまった。
「……驚きましたよね、メイシィ様」
「兵士のこと、ですか?」
「ええ。
あの兵士はクリード殿下の護衛ではなく、監視役です」
なんとなくそう気づいていた。
護衛にしては注意が周囲に向けている様子がなく、明らかに内側、クリード殿下に向いていた。
ここは他国、パスカ龍王国。殿下が『化け物』の扱いを受ける地域。
最初の手厚い歓迎に安心していたけれど、やっぱり他の王族と待遇が違うんだ。
ちょっと、落ち込んだ。
「とはいえ、あれはやりすぎですね」
「そうなのですか?」
「ええ、完全武装が6人も。とはいえどのような意図か私たちの立場では推測など許されません。この会話も聞こえているでしょう。
気をつけてくださいね、メイシィ様」
「はい……」
もっとも、このくらいの小さな声なら、殿下と自由にお話しいただいて問題ありませんからね。
パラノさんはクレアと同じくわたしたちの関係を知っている。
小さい声で話しながらぱちりとウィンクした姿は、なんだかお茶目で可愛らしかった。
――――――――――――――――――
パラノさんはわたしと紅茶の準備をしたあと、先に休むため部屋を後にした。
残されたわたしはというと、窓際で仕事を失っているカーテンの紐を並べて、立ったり座ったりと手持ち無沙汰のまま過ごして数十分。
クリード殿下が戻ってきた。
紺色の絹に身を包み、わたしの顔を見つけるなり弱く微笑んで視線を逸らさない。
髪はすっかり乾いていた。きっとご自身の魔法ですべて整えられたのだろう。
立ち上がって出迎えると、殿下はソファに座ってもう一度ため息をついた。
「本日は大変お疲れさまでした。殿下。すぐに休まれますか?」
「いや、紅茶を飲んで寝るよ。君も一緒にどうかな」
「……はい、ぜひ」
パラノさん、カップを2つしか用意していなかったのはこのためか。さすが城中の政務官に尊敬されるだけある観察力と気配り上手。
ティーカートを押して殿下に近づいたわたしは、お待たせしないようにさっさと紅茶を淹れることにした。
「どうぞ、殿下」
「ありがとう、いただくよ」
机に置くや否やすぐにカップが持ち上げられて、冷たいままのソーサーが取り残された。
よほど飲みたかったのだろうか。熱くないといいなと思いながら、殿下が紅茶を飲む姿をじっと見る。
「うっ」
「なっ、殿下!?」
急に胸を押さえて苦しみだした。わたしの心臓が飛び出そうになる。
何か入れた!?さっきパラノさんとふたりでちゃんと毒見したのに!?
とりあえず吐き出させようと布を手に取れば、殿下は笑ってこちらを手招きした。
思わず警戒せずに近寄れば、腕を引かれて傍に座らされる。
秘密の話でもするように顔を近づけてきたので応じると、
「おいしい」
耳元でささやかれた。
思わず自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
「今まで飲んだ紅茶で一番おいしいよメイシィ……どうやって淹れたんだい……?今日の疲れが一気に吹き飛ぶようだよ……これから朝晩飲めると思うと僕は……僕は……うっ」
えええ。苦しんでると思ったら感動してるだけだった!
なんて人騒がせな!
声を荒げれば外に聞こえる。だからわたしは何も言えず眉間に皺を寄せた。
「あっ、メイシィ、怒った顔もかわいい」
「なっ!」
「静かに」
「……っ」
耳がくすぐったい。必死に声を抑えて殿下を睨む。
満足そうな笑顔になる。
ダメだ何にも届いてない。
「結婚したら毎晩メイシィと一緒かあ……」
ちょっとまって、急に何を言い出すのこの王子。
「一緒に湯浴みをして、メイシィが淹れた紅茶を飲んで……抱きしめて眠って……目が覚めたら君の寝顔を見ながら寝癖に触れられて……」
は!?
「いいね」
よくない!
「慣れない人に会うのはやっぱり苦手だよ……ナタリーが退席したあとは大変だった……」
肩に重い感触。殿下がわたしに少しだけ体重を預けている。
「飴と鞭ならぬ鞭と鞭……過激な賞賛と過激な嫌味、どちらも苦手だ……」
ダグラス様とガラム様のことかな。
「でも……僕にはメイシィがいる……1日頑張ればメイシィがご褒美をくれる……」
あげるつもりはないけれど!?
「これから毎晩、僕たちは小さい声でこっそりと話をして眠ることになる。素敵な逢瀬だと思わないか?」
お、逢瀬~~!?
真っ青である。集まっていた血の気が散り散りになった。
そんな表情が面白かったのか、殿下はいつもの声量で楽しそうに笑う。
「さて、今日はもう寝よう。紅茶を下げてくれ。
明日は予定通りの時間に起きる。ノックしたらそのまま入って来てくれて構わないよ」
「かしこまりました、殿下」
「おやすみ」
クリード殿下は立ち上がるとベッドへ向かってしまった。
ティーカートにカップとソーサーを片付けてから一礼するために殿下の方に顔を向ければ、ベッドに座りこちらを幸せそうに眺めている。
気づかぬうちに、一挙一動わたしのすべてを見ていたようだ。
まさに穴が開きそうなほど、じっとずっと見つめている。
もしやわたしから癒やしを得ようとしてる?
まあ、それで疲れが取れるなら別にいいか……。
「おやすみなさいませ、殿下」
ティーカートを押して扉を抜ければ、闇夜に照らされた鈍い光がふたつ、微動だにしない姿が見えた。
殿下はこのレヴェラント領を出るその時まで、1度たりとも妖精の暴走は許されない。
思ったよりとんでもない日々が始まってしまったなと、わたしは思うのだった。
――――――――――――――――
「すみません、薬師様、そこをどいていただけますか?」
「あ、いえ、申し訳ございません。この部屋の掃除は遠慮しております……」
いや、ほんとうにとんでもない日々、始まってるな。
そう改めて思ったのは、翌朝殿下を朝食の場へ見送ったあとだった。
目の前にいるのはメイド姿の女性が3人。
各々の掃除道具を持ってクリード殿下の部屋に入ろうとしていたのをわたしが止めたところだった。
「この屋敷は私たち侍女が清潔に保っております。お客様のお部屋の掃除はわたしたちの仕事です」
「おっしゃる通りですが、殿下はわたしと側近のパラノ以外は部屋に入らないよう希望されております」
「……怪しいわね」
えええ。本当のことなのに。
ただ、わたしはこの光景に既視感を覚えていた。
だからこそ、今ここで侵入を許すわけにはいかないのだ。
『ご令嬢のみなさま。どうかご承知おきを。殿下は現在執務中でございます』
『だからわたくしたちとお会いできないっていうの!?』
クリード殿下はミリステア王族の中で突出した人気がある。美貌や言動がまさに爽やかな王子様そのもの、なのに彼の周りは多くの可愛らしい(?)妖精さんたちに囲まれている。
というギャップのおかげで、多くのご令嬢の初恋を奪う恐ろしい存在として有名だ。
その影響はパーティだけでなく日々の公務にも出ており、約束なしで突撃してくるご令嬢から部屋に何かを仕掛けに来る侍女まで、ありとあらゆる悪意と興味と下心にさらされているのである。
クレアはそれを見事に跳ねのけ続けてきた。その豪胆さが評価され今の地位で仕事をしている。
今、その役目をわたしは引き受けなければならないのだ。殿下の安寧のために。
「あなた、独り占めでもしたいの?ミリステアの人間は下心を隠さない気質でもあるのかしら?」
「……はい?」
急な嫉妬を向けられた。えええ……。
「朝晩殿下に紅茶を淹れているらしいじゃない。薬師様のお仕事ではないでしょう?お忙しいでしょうからついでに頼まれてもよろしいのですよ?」
ミリステアでも言われたことない言葉が出てくる出てくる。
竜人族は誇り高きドラゴンの血の民。という本の言葉の下にあった文章を思い出す。
……誇り高いゆえに、他民族を見下してしまう傾向がある……と。
仕方ない。
わたしは大きく息を吸って、目の前の女性たちを見つめた。
「殿下が他の方々の立ち入りを遠慮されていらっしゃるのは、研究機材のためです。
みなさまは
「まこ……何ですって?」
「クリード殿下は花の研究者でいらっしゃいます。ここレヴェラント領の花々も採取してみたいと仰せで、お部屋には研究機材が多く置かれております」
わたしは一歩前に進んで侍女たちを見上げた。
「簡易調査用
どれも一級品でございますから、誤って壊したとあれば大金が動きます」
お支払いいただけますか?と聞くと侍女たちはわかりやすく
「万一侍女のみなさまにそのようなご迷惑をおかけしたら、殿下はとても悲しまれるでしょう。
どうか殿下の
「そ、そうならそうと早く言ってください、薬師様。では、失礼しますわ!」
ふう。うまくいったようだ。
侍女たちが角を曲がっていったのを見てからため息をついた。
殿下、クレアが来るまで四六時中こんな目に遭いながらで過ごしていたのか。
扉を封じる魔法をかけて、わたしはその場を後にする。
医者のみなさんがいる部屋へ向かいながら、わたしは殿下の苦労を悶々と考えるのだった。
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