第6話 折れぬまま心につき刺さる
彼方に飛び立ちそうだった意識は案外早く戻ってきた。
瞼を閉じても眩しいほどの光に包まれていたはずなのに、すぐに真っ暗な世界に放り出されたような感覚がする。
不快な魔物の声も、木々の喧騒も聞こえない。
ゆっくりと瞼を開けてみれば、木目の壁が見えた。
ここはどこ?
首を左右に振れば、すぐ目の前に天井があり、長椅子のような段差があることに気がついた。
赤い布で塞がれている先はガラスだ。赤い光が漏れている。夕日?
過去の経験から推測すれば、ここは馬車の中のようだ。
自分の体に視線を落とせば、2本の震える腕に捕まれ、2本の脚に挟まれていた。
耳元にはかすかな吐息。吸っては震える息が頬を通り過ぎていく。
わたしを後ろから抱きしめて座る人物のものだろう。
誰かなんてすぐにわかる。今一番会いたくなかったあのお方で間違いない。
またやってしまった。
どう弁明しようと頭を回転させるべきなのに、錆びついた音が返ってきて役に立たない。
「殿下」
返事はない。ただ震える腕だけが感情を伝えてくる。
彼の立場で考えれば、至極当然だ。
セロエのお願いを聞くためにギルドで事務仕事をしてると思っていたら、前線で魔物と対峙していた上に魔物の巣窟の真ん中で怪我をしていたのだから。
「クリード殿下」
彼がどうやって真実を知り、わたしの元にたどり着いたのかはわからない。
けれど、わたしは今できることを、こちらの経緯をしっかりと話そう。
「嘘をついていました。申し訳ございません。
セロエの願いはわたしが依頼に同行し、手伝うことだったのです」
「……」
「殿下が嫌がることはわかっておりました。けれど、わたしの夢を叶えることを優先したくて……。
わたしは魔物討伐の同行で成果を出し主席卒業した身なので、ある程度は問題ないと思っていたのです」
「わかってる……君ならそうするはずだ」
耳元で小さな声が返ってきた。強く抱きしめられているので振り返ることはできないけれど、わたしの中の良心がそっとしておくよう促してくる。
「でも……でも、好きな人が危険な目に遭うのは辛いんだ」
「っ」
怒るでもなく、病むでもなく。弱ったクリード殿下を見るのは初めてだった。
「私は生まれた時から妖精たちを暴走させて、多くの人を苦しめてきた。だからできる限り感情を押し殺して、心を潰して、静かに生きることだけを考えてきたんだ。
君はね、メイシィ。僕が初めて心から好きだと思った人なんだよ」
「殿下……」
「わがままを言っているのはわかってるんだ。でも……ようやく出会えた大切な人を失うのは、耐えられそうにない」
「……」
「どうしたら君を安全なところに留められるのかな。どうしたら僕は安心できるんだ……」
何て、何て返せばいいのだろう。錆びついた思考回路は何も吐き出さない。
わたしの人生も、クレアが貸してくれた恋愛小説も、誰も答えを授けてはくれない。
わたしには答えを見つけることはできないんだ。
クリード殿下にとっての安心は、きっとわたしの想像しうるものとは違うから。
「はあ……ごめんね、困ったことを聞いてしまった」
「え……」
「こんなに格好の悪い姿、見せたくなかったんだけどな」
「クリード殿下、そんな、そんなことはないです。
わたしが悪かったんです。殿下は悪くありません、なんて、言えばいいのか、わかりませんけど、」
「メイシィ……」
どうしても顔が見たくなったわたしは、無理やり身体をひねってクリード殿下を横から見上げる体勢をとった。
足を椅子に上げることになったけれど気にしない。
彼の表情は予想通り悲しみに染まっていた。
あまりに似合わない表情に、心がどきりと音を鳴らす。
花びらが落ちないほどに深い感情に、わたしの口はからからと回り始めた。
「セロエと話してきます。もういちどお願いごとを聞いてみます」
「それは無茶だ。願いごとを曲げるのは願った人だけができることだ」
「それでもです!わたしが魔法薬師になったのは、多くの人々を救いたいからです。
もちろんクリード殿下も入っているんですよ?殿下を悲しませたら意味がありません」
「え……」
え?えって何?
なぜか目を丸くする殿下に、思わずわたしの目も丸くなった。
「殿下も人でしょう?」
あれ?殿下が固まってしまった。何か変なことを言ったっけ?
思わず思考停止していると、外から声が耳に入ってきた。
「メイシィ!!メイシィ、そこにいるのか!?」
「……この声、ローレンス様?」
「……そ、そのようだね、出よう」
動揺したままの殿下の腕はだらんと下がっている。
自由になったわたしは、外からの気迫に押されて馬車の扉を開いてみた。
「ここです、ローレンス様」
「メイシィ!!!」
「ぐえ」
急に引っ張られる自分の腕。
なだれ込むように馬車から降りれば、見知った人の胸板にぎゅうぎゅうに締め付けられた。
「無事でよかった。本当に、本当によかったメイシィ……!」
「く、苦しいですローレンス様!」
「まったく心配したぞこのバッッッッカ!!」
「あれ、セロエもそこに?」
十数秒してようやくローレンス様の胸板から解放されると、怒り心頭のセロエが目に飛び込んできた。
光に包まれて消えてしまったと思っていたけれど、どうやら怪我はないみたいだ。ただ眩しかっただけらしい。
「急に転移魔法でいなくなりやがって!お前が意図してやったわけじゃねえけどさ!」
「ごめんなさい。心配をかけてしまって……え?転送魔法?」
急に場所が変わったのはそういうことだったんだ。
気絶したにしては体感が短かった。転送したなら納得だ。
転送魔法はあらかじめ始点と終点に同じ陣を組み立てておかないと発動しない魔法。
きっと馬車の中に仕込んであったんだ。
「そーだよ!あの光は転送魔法の一種!まあ、それだけじゃねえけど。
お前を馬車の中に転移させたんだろ、こいつが!」
「クリード!!」
ローレンス様の怒号が響いて思わず飛び上がってしまった。
振り返ると、馬車の入り口でばつが悪そうにこちらを見ている殿下が目に入る。
「お前はそのまま馬車に戻れ!!俺から話がある!!!」
「あ、ああ……その前にメイシィ、君に」
クリード殿下が手を伸ばしてきたので、わたしは思わず彼に近寄ろうとして―――――ものすごい勢いで後ろに引っ張られた。
「ちょっと、セロエ、急に何を」
「触るな!!
メイシィに触るんじゃねえ、この『化け物』!!!」
ば、化け物!?
そのままセロエはわたしの腕を掴み、どんどんとクリード殿下から遠ざけてしまう。
一方の殿下は、ショックを受けることもなくただ無表情でセロエを見つめていた。
第二王子に対してなんて言い方!
ローレンス様に助けを求めて目線を送っても、彼は何の反応もしてくれなかった。
まるで、それが『当たり前』のように。
「待って!違うの、わたしが殿下に、わたしのせいで」
「いいからお前はついてこい」
「クリード、さっさと馬車に戻れ」
「……ああ、わかった」
「あ、ちょっと、まっ、殿下!?」
わたしがようやくセロエの方を向いたのは、その馬車の扉が閉まった後だった。
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