第9章 薬師と次女妃と思い出の薬

第1話 薬師、次女の妃と出会う

「だからお前たちはどういう状況なんだ?」

「あはは……毎度申し訳ございません……」



クリード殿下の執務室に入ってきたローレンス様は、わたしたちの姿を見て呆れた顔をした。

なにせわたしの足は地面におらず、ぶらぶらと漂っている。

殿下に持ち上げられているからだ。

俗にいう、お姫様抱っこ、というやつ。



「殿下、そろそろ降ろしていただけると……」

「もうかい?困ったな……ローレンスのせいだぞ」

「どうして俺のせいになる。さっさとやめろ」

「まったく、また気が短くなったんじゃないか?兄上の下で働いているなら仕方ないか」

「おい」



事の発端は、サーシャ妃殿下の面会の話題から、クリード殿下へ彼女の人となりを伺ったことだった。



『サーシャ・ファン・ミステリア妃殿下。ユーファステア侯爵家の次女で、苗字の通りミリステア魔王国の王族に嫁ぎ、第二王子カリナス兄上の妻となった人だ』

『カナリス殿下、確かあのお方は……』


『ああ、5年前にこの世を去られた』



カナリス・ファン・ミステリア第二王子はとても温厚な性格で、幼いころにサーシャ・ユーファステアと婚約した。

貴族の結婚は家柄やいろいろな事情によって決まるもの。もちろん彼らも同じ経緯ではあったけれど、珍しく深い愛情で結ばれていたという。



順風満帆に見えた結婚生活はあっという間に終わりを告げた。

カナリス殿下が不治の病に伏したからだ。



国を挙げて治療を尽くしたという。様々な治療法を試し、他国を巻き込んで文献を漁り、国一番の医師と薬師が心血を注いだ。

なによりサーシャ様ご自身が強い熱意を持ち、カナリス殿下に寄り添い戦い続けた。


でも、ダメだった。

病の進行をわずかに遅くできたけれど、カナリス殿下の力は尽きてしまった。




それから、サーシャ妃殿下は喪に服したまま5年。表舞台に顔を出すことなく今でも治療薬を探し続けているという。

クリード殿下は、自分が今も第三王子を名乗っているのはサーシャ妃殿下の熱意と想いを汲み、彼の痕跡を無くさないためだと言っていた。



『カナリス兄上は本当にサーシャ妃が好きで、病に伏せる前はいつも一緒にいたよ。特に抱きしめることが好みだったみたいでね、あまりにべったりなものだから呆れたサーシャ妃が逃げようとすると捕まえて抱き上げていたな』



こんな感じでね。

と、わたしをあっという間に持ち上げたタイミングでローレンス様が来たのである。

殿下は嫌でもわたしにとっては救世主。

ありがとうローレンス様!



「殿下……そろそろ……わたし重いので……」

「仕方ない、また抱っこさせてね」

「えぇぇ……検討しま、わっ!?」

「でも私から逃げるのはだめだよ絶対にだめ」

「はな、離してください!?」


「サーシャ妃についてどこまで話したかよくわかった」



眼鏡を押し上げながら彼はため息交じりに言った。






「それで、サーシャ妃殿下との面会はいつになったのですか?」

「明日だよ。場所は王城から離れた旧王都 スタットの別邸になる」



スタット。馬車で2時間くらいのところにある大きな街だ。

旧王都と呼ばれる通り大昔は国の中心地で、巨城が完成した際に遷都された。

今は地方の貴族の別邸が並び、王族の墓がある。


おそらくカナリス殿下が眠っている地だからこそサーシャ妃はお住まいになっているのだろう。



「午後に向かうことになる。一緒に行こう、メイシィ」

「え、クリード殿下もいらっしゃるのですか?」

「……私が同行しては駄目だろうか……」



どこからかゴトリと重い置物が落ちた音が聞こえたので、わたしは慌てて否定する。



「いえ!急な訪問になりますから殿下のご予定と合わないかと思いまして!」

「それなら問題ないよ。調整してある」



クリード殿下の目線がクレアに注がれる。

垂れ耳を揺らして彼女は深く頷いて見せた。

侍従の恰好をしているけれど、クレアは突撃してくるご令嬢除けと秘書を担っている。秘書らしい格好をしていないのは貴族ではないので正式に採用できないからだとか。



「それならぜひお願いいたします。サーシャ妃殿下としばらくお会いできていないと伺っていますから」

「ああ、5年前の式で会ってからは一度も。私にとっても大切な義姉上だから会えるのが楽しみだよ」

「俺もいくぞ。様子が気になるからな」

「ご様子ですか?」

「どうせ本に囲まれた生活をしているはずだ。食事や睡眠、規則正しい生活をしているのか探ってくるよう父に言われている」



娘とはいえ王族となった子に随分と気にかけているようだ。



「カリナス殿下がいない今、サーシャ妃の貴族社会での影響力はほとんどないに等しい。できれば不要な争いに巻き込まれる前に生家に帰ってきてほしい。それが両親の望みなんだがな」

「そう……ですか」



生家の人間としては、血のつながらない王族の一員としての役目を終え、新たな道を歩んでほしいと願っているのだろう。

それは王族の人間としても同じなのではないだろうか。

クリード殿下の伏せた瞳が揺れていた。



――――――――――――――――――



翌日。豪勢な馬車に乗せられたわたしは、クリード殿下、ローレンス様と共にスタットへ向かった。

現在の王都と似た作りとなっているこの都市は、雰囲気は似ているものの遷都がきっかけで一般国民が多く暮らすようになったため、人も流通も多く活気に包まれている。


その喧騒を越えた先、同じ地域とは思えないほど静かな場所がある。

歴代の王族が眠る場所だ。

そこから馬車で30分ほどのところに、サーシャ妃が住まう屋敷があった。



「ようこそおいでくださいました。クリード殿下」



先に馬車を降りたわたしは、御者ぎょしゃの傍に控えていたクレアの隣に立ち、頭を下げる。

背後にローレンス様を従えたクリード殿下は、迎えの執事に挨拶の言葉をかけた。



「中でサーシャ妃殿下がお待ちです。どうぞこちらへ」



執事は白髪で老年の男性だった。長年仕えていたのだろう貫禄が見て取れる。

質素な屋敷の中で働く侍従たちも王都よりずっと年齢が高いみたいだ。

夫を亡くした妃の心に波風を立てまいとする人選なのだろう。陛下の深い心遣いを感じる。





「よくいらっしゃいました。クリード王子」



木製の扉を開けた先に、ひとりの女性が立っていた。

クリード殿下に合わせた一礼から直ると、穏やかに微笑む姿が目に入った。


身長はわたしと同じくらいか少し上、茶色の髪はまとめられ装飾品はつけていない。

青とも緑ともいえる不思議な瞳は暖かい色を宿していた。

服装は深い紺色に統一されていて一見地味な格好だけれど、凛とした雰囲気に背筋が伸びるのはおそらく彼女が纏っているものなのだろう。



「お久しぶりです。サーシャ義姉上あねうえ

「ええ、それにローレンスも。そしてあなたがメイシィね」

「お元気そうで何よりです」

「サーシャ妃殿下にご挨拶を申し上げます。メイシィと申します」



カーン陛下と謁見した時と同じ、装飾具付きの白衣の裾を持ち上げて挨拶をする。

サーシャ妃殿下は笑みを深くして、わたしたちを招き入れた。



「サーシャ義姉上、最近のお加減はいかがですか?」

「おかげさまで元気よ。去年の年初めの謁見は欠席してしまって申し訳なかったわ」

「いえ、体調を崩されたと聞いたので、母上が大変心配されていました」

「変わらず慈悲深い方でいらっしゃるのね。戻ったら元気にしていると伝えてもらえる?」

「もちろんです」



ローレンス様にとっては血のつながった姉、クリード殿下にとっては血のつながらない姉。

おふたりとも陛下以外でかしこまった姿勢を取る姿はなかなか見られない。心なしか緊張している様子だ。



「ローレンスはまた眉間の皺が深くなった?」

「なっ、急に何をおっしゃるのですか」

「ラジアン殿下の話はこちらにも届いているのよ。苦労しているわね」

「それは……否定できませんが」



サーシャ妃殿下の口調は思った以上に軽やかだ。

この屋敷で暮らすいきさつを考えれば暗い一面が強いのかと思ったけれど、笑う姿はとても過去に留まっている方とは思えない。


にしても、ローレンス様が苦労しているのは共通認識なんだなあ。

具体的な話は聞いたことがないけれど、やっぱり政策や外交だろうか。



「ふふ、この前のラジアン殿下とアーリア様が『いくら罪を犯したとしても一家斬首刑は厳しすぎる』って夫婦喧嘩をされたそうね?

巻き込まれてユーファステア家の離れが吹き飛んだ件はさすがに笑ったわ」



え、そっち?

ローレンス様が頭を抱え始めた。クリード殿下は遠い目をしている。

どんな反応をすべきか迷っていると、ふいにサーシャ妃殿下と目があった。



「さて、そろそろ本題に入りましょう。カーン陛下からあなたの試験内容は伺っています。

ユーファステア侯爵家の5人の娘の願いを叶えること、そしてわたしが最初のひとりですね?」

「はい。わたしの個人的な事情に巻き込んでしまい、大変申し訳ございません。ぜひお聞かせいただけたらと思います」



わかったわ。そう言うサーシャ妃の表情は明るく、前向きに協力する意思を感じる。

ほっとしたのもつかの間、その表情のままサーシャ妃は口を開いた。



「まずクリードとローレンスは部屋から出てってちょうだい」



でっ……?

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