第2話 出会ったのは不思議な薬

「サーシャ義姉上、我々は彼女の協力者です。ラジアン殿下が差し向けた者ではありません。願いごとを伺ってはいけないのですか?」



間髪入れずに声を上げたのはクリード殿下だった。

隣で驚いた顔をするローレンス様も頷いているが、サーシャ妃は笑顔のまま首を振る。



「試験に挑んでいるのは彼女でしょう?協力者なら彼女から仰がれたときだけ力を貸せばいいじゃない」

「そ、それはそうですが」

「あなたたちのことですもの。わたしのお願いをどう叶えるか、彼女を置いて朝まで討論してしまいそうだわ」

「そ……んなことは……」



確かに。思わず頷いてしまった。

その姿を見られてしまったらしい、声を上げて笑った彼女はもう一度告げた。



「詳しくはメイシィから聞きなさい。さあ、隣の部屋の用意はできているわ」




――――――――――――




「ふふふ、あなたも大変ね」

「あ……いえ……そんな」



本の匂いが鼻をかすめる客間で、わたしはついにサーシャ妃殿下をふたりきりになった。

粗相のないようにしないと、とぎこちなくティーカップに口をつける。

味はまったくしない。



「クリードがあんなに心配するなんて、昔の彼を思うと笑ってしまうわ」

「そこまで変わられたのですか?」



わたしと出会ってから、クリード殿下に変化が起きたのは誰でも知っていることだった。

薬師院に通うわ変なハンカチを作るわハンドクリームを開発するわ、活発になったのだから。



「ええ。昔はとても大人しかったのよ。静かに微笑むだけで必要以上は口を開かない。兄たちを立てて影に隠れたがる方だったの。

そうせざるを得なかったのよ。妖精たちが暴走しないよう、心の平穏を保つためにはね」



想像がつかない。が、わたしと出会う前のクリード殿下のことをここまで具体的に聞いたのは初めてかもしれない。

わたしと周りで随分と殿下の印象が違うようだ。きっとずれているのはわたしの方なのだろう。自覚はある。



「さて、あなたの試験の課題、わたしのお願いごとなのだけれど」



来た。わたしが1級魔法薬師になるための最初の試練、次女 サーシャ妃殿下のお願いごと。

思わず生唾を飲み込めば、目の前の妃はもう一度優しく微笑んだ。



「その前に昔話をしてもいいかしら?」

「あ、はい、もちろんでございます」



了承の言葉を発すれば、サーシャ妃は嬉しそうに立ち上がる。

やがてひとつの本を持ってくるとわたしの隣に座り、大きな大きな分厚い本の表紙をめくった。



アルバム写真記録本ですか?」

「ええ、わたしの半生がここにあるの。カナリスとわたしのすべてが、ここに」



もう一枚めくると、小さな男の子と女の子の写真が出てきた。

色褪せたように薄いけれど、手をつないでこちらを緊張した表情で見つめている。



「婚約したときの写真よ」

「えっ」



こんなに小さいのに!?思わず声を漏らしてしまうとサーシャ妃はくすくすと笑い声を漏らした。



「ラジアン殿下の婚約者争いはずいぶんと酷かったらしいの。たまたま先に相手を決めていた第二王子は貴族の争いに巻き込まれずに済んだようね」

「それにしても随分と幼い時期に決まったのですね」

「ええ、だからわたしにとってカナリスの隣にいることが当たり前だったの、カナリス自身もそうだったと言っていたわ」

「当時から仲がよろしかったんですか?」

「そうねぇ……良くも悪くもなかったわ。そんなことを意識しなかったから」



写真が貼られたページは固い。それが積み重なって閉じきれない本の装丁そうていもまた分厚かった。

よく見ると、表紙と裏表紙に不思議な囲い線が付いている。

もしかして、閉じきれなくなったから装飾を施しなおして重くしたのかもしれない。


それほど想いの詰まったページが数枚めくられた。



「美しいドレスですね」

「デビュタントの写真よ」



少年少女が大人になる途中の姿だ。幼いころと変わらず手をつなぎ、同じ表情をしているサーシャ妃とは違い、長い金髪を束ねるカナリス殿下はにこやかだ。

紺色に合わせたドレスは、写真の中でも美しさがわかるほど繊細に見える。



「このころからカナリスは様子が変わってしまったわ」

「と、いいますと……?」

「その……随分と積極的になったというのかしら……距離が近いというか……愛情を込めた言葉が増えたというのかしら……」

「ああ、よく抱きしめられていたという」

「その話どこから聞いたの!?」



サーシャ妃は本を持ったまま飛び上がるような声を上げた。

この話は秘密だったのだろうか、クリード殿下が言っていたと伝えるとさらに驚かれた。



「クリード、見てたの……!?」

「ご本人がおっしゃっていたので、おそらくは」

「まあ、なんてこと、あの子、もう……」



顔が真っ赤だ。不敬だけれどかわいい。

確かに毎回こんな表情をされたら構いたくなる気持ちがわかってしまう。



「と、とにかく。このころからわたしたちは大切な存在として想い合うようになったの」

「素敵ですね」



サーシャ妃はそう言って本を閉じた。

まだまだページが残っているのにどうしたのだろうと思っていたら、ひっくり返して、背面からページをめくる。


それは最後のページ。

幸せそうに微笑む姿。白いドレス。これは、



「結婚式の写真よ」

「綺麗ですね……ほんとうに……」



ふたりともにこやかな表情をしている。ぴったりと寄り添ってこちらを見つめてくるので、わたしまで高揚する。

愛する者同士の幸せな結婚、そのものだった。


だけれど、その写真だけが載せられたページは他のものと違い、歪んでいた。

くしゃくしゃにされた折れた跡も、染みが乾いた跡も。


幸せの写真は、その後のふたりの未来に彩られていた。



「わたしとカナリスの写真はここまでなの。それからはもう1枚もない」

「……そう、ですか」

「ねえ、メイシィ」



写真をなぞる手。いったい何度繰り返されたのだろう。



「わたしは今でも治療薬を作ろうとしているの。知識も経験もないのに、ずっと、ずっと。

治したい人はもういないのに。完成しても残るのは苦しみだけなのに。


あなたは、そんなわたしを哀れだと思う?」



生きとし生けるものは、必ず終わりがくる。

その早さは人によって違う。種族によって違う。

人は失っても前に進むことを良しとする。けれど、



「わたしはそうは思いません。完成したとしても妃殿下のお心に残るのは後悔だけです。

『より良い治療法があったかもしれない』から『あの頃に薬が完成していれば』と、中身がすり替わるだけです」

「……」

「でも、未来は変わります。

いつかわたしがカナリス殿下と同じ病気にかかってしまったら、」

「……っ!」



サーシャ妃が青い顔をしてわたしを見た。



「サーシャ妃殿下が見つけた治療薬を飲んで生きられるかもしれないじゃないですか」

「……ええ、ええ、そうね……」



本はぱたりと音を立てて閉じられた。

サーシャ妃の望む答えを伝えられたのかはわからないけれど、わたし自身として言えるのはこのくらいしかない。



「長話をしてしまったわね。そろそろお願いごとの話をしましょうか」

「あ、はい、見せていただきありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとう」



今頃クリードとローレンスがやきもきしてそうね。

一周まわった長針を見て、サーシャ妃は微笑んだ。



「わたしが長年取り込んでいる治療薬の完成、とは言わないわ。あれは他の1級魔法薬師と1級魔法術師に協力してもらっているから。


わたしがあなたに頼みたいのは、『思い出の薬の調合』よ」



思い出の薬?

そのまま聞き返したわたしに彼女はひとつ頷いた。



「カナリスが今まで飲んできた薬の中で、唯一わたしも一緒に飲んだものがあるの。

おぼろげだけれど、悪い思い出ではないからまた飲んでみたいと思っているのよ」

「どのような薬ですか?」

「それがね……『健康な時に飲んだ薬』なの」



怪我でも病気でもなく、健康な時?

いきなり難しい課題になってしまったかしら、と妃殿下は困った顔をした。

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