1.企画展の準備



「大丈夫ですか、ソフィヤさん?」

「は、はいぃ……大丈夫ですぅ……」



 ソフィヤは、覚束ない足取りで山道を進む。

 普段肩口でふわふわと揺れている髪は、汗で額や首に張り付いていた。乱れた髪型を直す気力も、ずり落ちた鞄の紐を戻す元気もないようだ。



 アダムは苦笑し、被っていた中折れ帽の鍔を持ち上げる。その指で、山中へと伸びる道の先を差した。


「もう少し頑張って下さい。すぐそこに丁度いい木陰があります。そこで休憩を取りましょう」

「は、はいぃー……」



 木の下へやってくると、アダムは根っこの上へハンカチを広げた。ソフィヤを座らせ、持ってきた水筒を差し出す。


「あ、す、すみません、アダムさん」

「いえ。お気になさらず」


 アダムも木の根っこへ腰掛ける。

 ソフィヤは喉を鳴らして水を飲み、大きく息を吐き出した。


「うぅー、生き返りますぅー」

「中々の急勾配でしたからね。女性の足では堪えたでしょう」

「女性じゃなくても堪えますよぉ。なんでアダムさんは、そんなに涼しい顔をしているんですか?」

「普段から飼い犬の散歩も兼ねて、色々な場所へ行っていますので。多少の荒い道は慣れているのですよ」

「はぁー、凄い。健康的ですねぇ。私なんて、就職してからは全然運動していませんよ。ここ最近は特に」

「まぁ、企画展が近いですからね。仕方がありませんよ」



『時代の革命児』展。

 それが、次回シニツィナ美術館で行われる企画展の名前である。



 各時代を牽引した画家達が、どんな技法を生み出してきたのかを知って貰う、というテーマの元、他の美術館やコレクターなどから絵を借り、集めているのだ。


 本日も、二人はとある人物から絵を借りる為、このような山奥を歩いていた。



「ロマン先生は、なんでこんな所にアトリエを構えていらっしゃるんでしょうか。やっぱり、健康の為ですかね? 画家の方って、何となく運動不足なイメージがありますし」

「さぁ。そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。芸術家の方々は、しばしば難解な思考をされますからね。私達常人には計り知れませんよ」


 ですが、とアダムは、目の前に広がる自然を眺める。


「もしかしたら、こういった中で生活するからこそ、あのように多種多様な作品を生み出せるのかもしれませんね」

「あぁ、成程。そうかもしれませんね」



 ロマン・ジジェンコ。

 四十四歳。現代を代表する画家の一人だ。



 彼の画風は、決して変わったものではない。けれど、非常にバラエティ豊かだった。


 写実的な絵を描いたかと思えば、モデルの原型を留めないキュビズム的作品を発表する。更には、バロック調、印象派、聖像画やゴシックなど、ありとあらゆる技法を用いては、完成度の高い作品を世に送り続けた。


 その腕前と表現力、変幻自在な画風に、人々は尊敬を込めて、ロマンをこう呼んだ。



 カメレオン画伯、と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る