2.カメレオン画伯のアトリエ
「――しかし、本当に光栄です。まさか、名だたる画家達に混ざって、私の絵を展示して頂けるだなんて」
アトリエにやってきたアダム達を出迎えたロマンは、企画展の趣旨を改めて説明されると、感慨深げに笑った。応接間のソファーに凭れ、深く息を吐き出す。
「憧れのパーヴェルと肩を並べられる日がくるとは、まるで夢のようですよ。まぁ、時代の革命児、と言われるには、些か実力が及びませんが」
「そんな事はございません。私達は、ロマン先生こそが、現代美術における革命児だと、確信を持っております。近代のパーヴェルは勿論、中世のエドアルトや古代のサーヴァにも引けを取りません。百年後、二百年後にも、名画として親しまれている事でしょう。カメレオン画伯というニックネームと共に」
「いやはや。そこまで評価して頂けるだなんて、恐縮です。当人は、ただ浮気性なだけなんですけどね」
はは、と頬を綻ばせ、ロマンは頭をかいた。その仕草はどこか子供っぽく、四十代のわりに若々しい見た目も相まって、可愛らしい印象を与える。
「それで、ロマン先生。私達の企画展に、参加して頂けるでしょうか?」
「えぇ、勿論です。是非よろしくお願いします」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致します」
アダムとロマンは、テーブル越しに握手を交わす。ソフィヤも感謝を述べながら、両手でロマンの手を握った。
「失礼します」
応接間に、眼鏡を掛けた若い女が入ってくる。トレイに乗せた三つのコーヒーカップを、それぞれの前へ置いていく。
「こちらの女性は、お弟子さんですか?」
「えぇ、そうです。ジーナ君、ご挨拶を」
「弟子兼助手の、ジーナ・ポポヴァです。よろしくお願いします」
ジーナと呼ばれた女は、控えめに微笑み、会釈をした。
「ジーナ君には、アトリエの管理もして貰っています。なので、もし私がここにいなかった場合は、彼女に伝言をお願いします。まぁ、大抵の事はジーナ君の方で対処出来ますから、必要ないとは思いますが」
「そうなのですか?」
「えぇ。彼女は、私よりもこの場所に詳しいんです。何がどこにあるのか全て把握していますし、私の予定もきちんと頭に入っている。加えて絵だけでなく、料理の腕も素晴らしい。正に完璧な女性ですよ。私の弟子をしているのが勿体ない位です」
「そんな事ありません、先生。私は、先生の元で勉強したいんです。勿体ないだなんて言わないで下さい」
「ありがとう、ジーナ君。君がいてくれて、本当に助かるよ」
ジーナは、ほんのりと頬を赤らめ、はにかんだ。
そんな二人を見て、ソフィヤは、アダムへそっと視線を流す。アダムは軽く頷き、口角を持ち上げた。
「では、ロマン先生。早速ですが、企画展に展示する作品について、ご相談させて頂いてもよろしいですか?」
「あぁ、そうですね。そちらの希望は、ある程度決まっているんですか?」
「えぇ。ソフィヤさん、お願いします」
「はい」
ソフィヤは、鞄から取り出したリストを、ロマンへ手渡す。
「私達の希望は、そちらに纏めてあります。ロマン先生の過去の個展や、コンクール作品、現代美術館への貸し出しなどの際に作られた図録を元に、構成させて頂きました」
リストを受け取ったロマンは、上から順に眺めていく。
「どう、でしょうか? 何かご要望がありましたら、是非お聞きしたいんですが」
「いや、素晴らしい構成です。私の遍歴と言いますか、色んなものに手を出していった過程が分かりやすく並べられていて、なんだか恥ずかしいですね。自分の浮気歴を知られるみたいで」
ロマンは肩を竦め、おどけてみせる。
「私から言う事は何もありません。これでお願いします」
ソフィヤはほっと胸を撫で下ろし、顔を綻ばせた。アダムも「ありがとうございます」と一礼する。
「実物はご覧になりますか?」
「お願いしてもよろしいですか? 出来れば、他の作品も見せて頂けるとありがたいのですが」
アダムがそう言うと、「勿論ですよ」とロマンは立ち上がった。アダム達を連れ、所蔵庫へと移動する。
「うわぁー、凄い……」
所狭しと置かれたキャンバスに、ソフィヤはぽかんと口を開ける。
アダムも、画風の異なる作品を見回し、感嘆の息を零した。
「素晴らしい。全ての作品を、これだけ描き切ってしまうだなんて……こちらには、ジーナさんの書かれたものも保管してあるのですか?」
「いえ。ここには私のものだけですよ」
「ほぅ、それは益々凄い。流石はカメレオン画伯ですね」
「ありがとうございます。さぁ、どうぞこちらへお座り下さい。ジーナ君は、ここに書かれている絵を持ってきてくれ」
「分かりました」
ジーナは、リスト片手に所蔵庫の奥へと入っていった。
彼女が持ってくる作品を、アダム達は所蔵庫の隅に置かれた椅子へ座りながら、一つ一つ鑑賞していく。
ロマンが解説をする度、ソフィヤはこれでもかと目を輝かせた。
「気に入って頂けましたか?」
「気に入った所の話じゃありませんよ、ロマン先生っ。感動ですっ。実物をこんなに間近で見られたのは勿論ですが、先生から直接お話を聞けるなんて、贅沢な時間を堪能させて頂きました。特に、あの有名な『聖母三部作』は、何と言うか、もう、何て言えばいいのか分かりません。私の語彙力では表現し切れない位力強く、圧倒的な作品でしたっ」
「そう言って貰えると嬉しいです。私にとっても、この三部作は思い入れが強いですから」
「えぇえぇ、そうでしょうともっ。なんせ『聖母三部作』は、先生の名を世に轟かせた切っ掛けですもんねっ。
まるで生きているかのように写実的な聖母、寓意と象徴を盛り込んだ聖像画の聖母、そして原色と抽象に彩られたキュビズム的聖母と、三作とも全て同じ題材なのに、これ程異なった表現で描かれた先生の作品。通称『聖母三部作』。
私も初めてロマン先生の作品を拝見した時は、そりゃあもう衝撃を受けました。だって筆致や構図、色彩センスなどが、三つとも違っているんですもの。だから私、てっきりそれぞれ別の人間が描いたと思っていたんです。それがどうですか。蓋を開けてみれば、作者は全て同じだったなんてっ。
実を申しますと、私、先生は多重人格なんじゃないかって密かに疑っていたんです。それ程の違いを見事描き切っておられて、とても感動しましたっ。もう画面から先生の情熱がひしひしと伝わってきて、本当に本当に素晴らしいとしか言いようが――」
「あの」
不意に、ジーナが声を上げる。
「ご希望の絵は全てお出ししましたが、どうしますか? 他に見たい作品がありましたら、こちらへ持ってきますが」
「え、あ、えっと……ど、どうでしょうか、アダムさん?」
「では、『ひまわりの君』をお願い出来ますか? それから、『習作・森』と、『パーヴェルに敬意を込めて』も見せて頂けるとありがたいです」
「『ひまわりの君』と『習作・森』と『パーヴェルに敬意を込めて』ですね。少々お待ち下さい」
軽く頷き、ジーナは踵を返した。
その際、一瞬ソフィヤを見やる。
どこか厳しい目付きに、ソフィヤは身を縮ませた。
「あ、あの、申し訳ありません。一人で長々と喋ってしまって」
「いえ。嬉しかったですよ。私の作品を、こんなに可愛らしいお嬢さんに褒めて頂けるだなんて。光栄です」
ロマンは、人好きのする笑みを浮かべる。
ソフィヤもぎこちなく笑い返し、無意識にロマンへ近付いていた体を、椅子ごと後ろに引いた。
その分、ロマンが詰める。
「所で、ソフィヤさんは、絵画を描く方には興味ないんですか?」
「え、えっと、そう、ですねぇ。嫌いではありませんが、でも、私は、そっち方面の才能はありませんから」
「そうでしょうか? あなたは美術を愛する心があります。知識の方も大変あるようだ。練習を重ねれば、眠っている才能が目覚める可能性もあると思いますが」
「いやぁ、どうでしょう。例え開花したとしても、私みたいな凡人の才能なんて、大したものじゃありませんよ」
「やる前から諦めるのは勿体ないですよ。どうですか? もしよろしければ、うちの絵画教室で少し絵を習ってみては」
「申し訳ございません、ロマン先生」
徐に、アダムが口を開く。
「実は、彼女への講義は、既に予約が入っておりまして」
「おや、そうなんですか?」
「えぇ。ね、ソフィヤさん?」
アダムは、ソフィヤの手をそっと握る。
どこか甘い眼差しを送られ、ソフィヤは顔を赤らめながら、何度も首を上下に揺らした。
「そうでしたか。それは失礼しました。因みにアダムさんも、絵の心得が?」
「一応、学生時代は、コンクールで何度か賞を頂きました」
「それは凄い。何故画家の道へ進まなかったんですか?」
「単純に、描くよりも観る方が好きだからです。こちらにある作品のように、まるで画家の魂が宿っているかの如く素晴らしい絵は、特に」
「ふふ、成程。確かに単純ですね。しかし、己の好きを突き通す事も、また大切です。私もよく教え子達に言いますよ」
「そういえば、ロマン先生には、ジーナさん以外のお弟子さんはいらっしゃらないのですか?」
「絵画教室の生徒はいますが、正式に弟子として付いているのは、今はジーナ君だけです」
「では、ジーナさんは運がいいですね。ロマン先生を独り占め出来て」
と、アダムは、戻ってきたジーナへ微笑み掛ける。
ジーナは、はにかむように唇を窄め、「えぇ」と眼鏡を押し上げた。
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