第2話

 「計量カップは…」

 小林はキッチンの引き出しの中をごそごそと探った。

 「どうしたんですか?」

 「何か量るものありました?」

 梨奈は小林に近づいて尋ね、床磨きをしていた伊藤はモップを片手に後ろから覗き込んだ。

 「夕飯に出すインスタントスープが一人125㎖のお湯を注いでくださいって書いてあるんです。あっ…あったあった。」

 小林は計量カップを見つけると丁寧に水を注いで目盛りを見つめた。側のコンロにはやかんが置かれている。伊藤はそんな様子を見て苦笑していた。

 「そんなに正確でなくてもいいじゃないですか?適当にお湯を度いいくらいまでかければ。」

 「いや、それは良くない。味の濃い薄いが変わる。市販品にレシピが書いてあったらその通りにしないと美味しくならないもんなんだ。」

 小林は熱弁するようにいった。それに伊藤は引き気味にうなずいた。

 「そうですか…」

 「まあ…確かに私もきっちり量る派です。」

 梨奈はそう言った。彼女の目の前で500㎖の目盛りまできっちりと量られた水がやかんに静かに注がれていく。

 「全部の部屋にシーツ張ってきました。」

 「掃除も完璧でーす‼」

 岩瀬が食堂に入ってきた。後ろから木村もテンション高めでついて来た。

 「お疲れ様。お二人さん。じゃあお湯が沸いたら食事にでもしましょうか。レトルトとインスタントだけど。」

 小林はやかんの様子を見ながら言った。

 

 パーン


 「えっ。」

 一同は食堂の壁、天井、床、テーブル、椅子、キッチンと見回した。

 何かが破裂したような音が響いたのだ。

 でも、どんなに首を上下左右に動かしても破裂した物体は見当たらない。

 「やかん…?」

 「違いますよ。やかんって音じゃないです。それにお湯はまだ沸いていないですし。」

 伊藤はやかんに目を向けたが梨奈は否定した。彼女の発言に返事するものは一人もいない。全員やかんをゆっくりと見つめている。

 コンロのやかんは静かなままだった。

 全員の顔に汗がスーと落ちるような感覚に襲われた。

 「何ですか?今の…」

 伊藤は他に音の出る者はとキョロキョロと見回した。

 「ラップ音…とかじゃないですよね…心霊現象とかで聞く奴…あはは…」

 木村はふざけて言っているつもりのようだが明らかに作り笑いと分かった。

 「まさか…そんなはずは…」

 小林は否定しようとするが岩瀬が遮った。

 「でも、裏口にお花が置いてあったり…ここに来る途中にだって地元の人が『度胸ある方々ですね』なんて…」

 「落ち着いて…花は前ここに来た人が花束をプレゼントしたけど忘れて帰ったって可能性も…。地元のおじさんの言った事は悪戯ですよ…悪戯…。面白半分で人を怖がらせようとする人ていますからね。」

 小林は身振り手振りで皆をなだめようとする。

  

 ピュー

 

 その場にいた全員が肩を震わせた。

 今度はやかんが沸いただけのようだ。

 「小林さんの言う通りですよ。そう言われたら納得できるじゃないですか…きっと今のは古い建物だから、どこか軋む音がしたんですよ…幽霊の正体は大抵これなんですし。」

 木村は熱弁するように話し、一同は無理矢理納得するようにした。

 そして夕食の準備に取り掛かった。


「本当さっきのはビビっちゃいました。」

 夕食の片づけをしてると木村が言い出した。

 「確かに映画みたいな…えっと何でしたっけ…空き家に刑事さんたちが捜査で入ったら閉じ込められる奴…」

 伊藤は思い出そうと頭をひねり出した。その様子を見て小林が代わりに答えた。

 「もしかして『霊と過ごす夜』。わかばテレビの顔、吉村和彦主演の…。吉村さんが亡くなったの残念だったな…」

 「えっ吉村さん亡くなられたんですか?」

 「吉村さんが…亡くなられたの本当なんですか?」

 梨奈と岩瀬が驚きの声を上げた。小林はあれっ?という感じで驚き、岩瀬の前に飛び出て身振り手振り説明し始めた。

 (本当に…この人の行動は芝居がかっているような…)

 梨奈はあきれながら小林の説明に耳を傾けた。

 「ええ…ほら去年亡くなったって…。何でも以前から癌を抱えていたとかで。ワイドショーでも大騒ぎになってましたよね…」

 「あ…実は私仕事で二年前から今年まで海外にいたんです。だから国内で起こったことは詳しくないんです。」

 岩瀬が答えた。

 「ああそうだったんですか。」

 小林は納得し頷いた。

 「吉村さん…私好きだったのに…ショック…」

 梨奈の口から大きな溜め息と呟きがもれた。

 「でも伊藤君の言う通り、あの映画に似てないですか?あっちは都会の空き家でこっちは山小屋だけど…確か映画じゃ窓の方に…」

 木村が冗談めかして窓の方に顔を向ける。するとヒッっと声が漏れた。

 それを見た一同は恐る恐る真似して窓に顔を向けた。

 思わず言葉を失った。


 顔が…虚ろな目をした女の顔が窓の向こうに見えた。

 生気は無く、口はギっと結ばれ、髪は下ろしボウボウで乱れている。小屋の中を覗き込んでいるように見えるが目は死んで何処を見つめているのか分からない。それが恐怖をかきたてた。


 「ひゃっ…」

 岩瀬はバランスを崩し床に倒れ込んだ。伊藤は腕をガクガクと震わせている。木村は見たくないとばかりに両手で顔を覆った。そして梨奈は言葉も出ず立ち尽くした。

 「あっ…」

 小林が叫んだ。

 じいっと中の様子を窺っていた女が窓から去って行ったのだ。女は見えなくなるまで顔をこちらに向けていた。

 食堂が静寂に包まれる。

 全員一言も話さない。話そうともしない。話せなかったのだ。ただ頭を空っぽにその場に留まることしかできなかった。

 そして恐怖の対象が窓から別の物へと移り変わった。

 

 ドンドンドン…ドンドンドン…ドンドンドン………


 ドアを叩く音が響いた。その音は力強く今にもドアが破れそうな勢いだ。

 食堂では動く者はいない。梨奈が小屋の中を見渡して確かめる限り、全員足を震わせている。その時、誰かがゆっくりと動き始めた。小林だ。

 小林は神妙な面持ちでのそのそとドアへ近づいて行った。他の参加者たちは怯えながら見ることしかできなかった。木村は今にも悲鳴が上がりそうに口を大きく開けている。


 ドンドンドンドン…ドンドンドンドンドン…ドンドンドンドンドンドン…

  

 ドアを叩く勢いが増していく。

 小林はドアに近づくと震える手を伸ばしカチャカチャしている。鍵を閉めたようだ。

 

 ドンドンドンドン…ドンドン…ドン……………

 

 音が小さくなり終いには聞こえなくなっていった。

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