山小屋に誰かさんがいる
桐生文香
第1話
田んぼが広がる堤防道を一台の軽自動車が真っすぐ進んでいた。
車は散歩中の地元住民らしき中年男を見つけるとスピードを落とし、ゆっくりと男の横に止めた。
男は怪訝に車を見つめた。すると運転手の男が窓から顔を出した。
「あのう…山小屋にまで行きたいんですけど。この道で会っていますか?」
運転手の目的が分かり安心したのか男は笑顔になり始めた。
「ああ…山小屋ね…。このまま真っすぐ進めば着きますよ。」
「ありがとうございます。」
運転手はお礼を言い軽く会釈した。
「しかし皆さんあそこへ行くんですか?度胸ある方々ですね。」
「えっ?」
運転手は顔を歪めた。聞き返そうとしたが、その前に男は「失礼します」とだけ言い去ってしまった。
運転手は茫然として男の後姿が小さくなっていくのを見つめた。そして顔を車内に引っ込めて同乗者たちを見回した。今のやり取りを見ていたからか全員の顔に不安が見えていた。
運転手は気を取り直すようにわざとらしく明るい声で言った。
「まあ…あのおっさんの悪戯でしょう。じゃあ出発!」
軽自動車は山小屋までの一本道を止まることなく進んでいった。
「広ーい‼」
茶色い帽子を深く被った女性が興奮するように叫んだ。その声の大きさに梨奈は驚かされた。
一同は山小屋に着くと車を降りてすぐに小屋の中に入っていた。ドアを開けると大きい玄関が出迎え、その先に食堂なのかテーブルと椅子が見える。壁際には小さなキッチンがあり、奥には廊下が続き部屋が並んでいるのが見える。
全員山小屋の中を冒険したくなったのか食堂中の家具、キッチンの設備を見て回った。梨奈は皆があちこち動き回るのを眺め、ネズミみたいと思った。
「あれが俺たちの部屋ですか?」
パーカーを来た若い男性が廊下を見て言った。それに答えたのが二人しかいない男性メンバーのもう一人だった。
「ええ。皆さんあちらの部屋で一人ずつ泊まります。あっそうだ、自己紹介がまだでしたね…。今しましょうか。」
「すみません…私が遅れたせいで…自己紹介は参加者全員が待ち合わせ場所に揃った時にする予定だったのに…時間が無くなって後回しになってしまいましたね…」
ショートカットの女性がすまなさそうに頭を下げた。
「いえいえ…まずは僕から運転手を務めた小林達也です。ネットで『一泊二日山小屋で自然と触れ合おう』と募集をかけた主催者でもあります。会社員です。どこの会社かはまだ内緒です。ここは静かな森ですので自然を満喫したいと思います。よろしくお願いします。」
小林はにこやかな笑顔が印象的だ。梨奈には晴天のようだと思った。
彼の着るポロシャツの胸ポケットはハンカチやティッシュにメモ帳で膨れ上がっている。
「次は私行きます。」
茶色い帽子の女性が弾んだ声で手を挙げた。
「私は木村眞子と言います。美容師をしてます。前から森林浴に興味があったので楽しみです。ネットで見て思わず応募しました。」
木村はリズミカルな喋りだった。それは職業柄のせいだろうと梨奈は結論付けた。
「伊藤龍太です。」
パーカーの若者が答えた。
「大学で社会学を専攻しています。」
伊藤は初対面の相手に緊張しているのか、どこかぎこちなかった。
「岩瀬友美です。会社員です。よろしくお願いします。」
岩瀬が軽く会釈をするとショートカットが揺れた。
少し自信なさげで小林が晴天のような顔なら彼女は曇り所により晴れという感じだろう。梨奈はそう思った。
梨奈は黙って全員の紹介を聞くと今度は彼女が自己紹介を始めた。
「久保田梨奈です。大学生です。」
これで山小屋にいる者、全員の自己紹介が終わった。
「さあて自己紹介が終わったことですし。小屋の中を探検してみましょうか。」
小林が号令をかけた。その声を聞いて梨奈は思った。
(本当にこの人は陽気な…)
小林という男の話し方はテレビのバラエティのような大げさ感を思わせた。
「なんか小屋って言う割には広いですね。」
伊藤は軽く伸びをしながら呟いた。
「客室とシャワールームも付いていますからね。快適じゃないですか。」
梨奈は見回しながら言った。
「それより掃除とかしたほうが良くないですか?一応掃除はされてるみたいですけど。隅っこのほうとかよく見ると…」
木村は食堂を見渡して言った。小林もつられて見渡すと「確かに…」と呟いた。
実際に壁際には埃が溜まっている。その点は梨奈も気にしていた事だった。
「じゃあ探検が終わったら拭き掃除ぐらいはしましょうか。」
一同はぞろぞろと奥の廊下を歩いて行った。
「掃除と一緒にシーツを張りましょうか。」
「そうですね。夕食の準備と掃除、部屋の準備をしなくては。」
歩きながら岩瀬の提案に小林は大きく頷いた。
「すぐに人が泊まれるような感じじゃないですからね。この小屋。」
列の一番後ろの梨奈が言った。
全員はぞろぞろと並んで各客室、シャワールーム、物置を見て回って行った。
「最後はあのドアだけじゃないですか?」
伊藤の指をさす先には赤い塗料が塗られたドアがあった。裏口らしい。
先頭の小林がゆっくりとドアを押した。
生暖かい風が山小屋の中に入り込んだ。日が暮れて太陽の光がほのかに黄色みを帯びている。ドアの外には先端の尖った雑木林が広がる。風が吹くたびに木の茂みが揺らぐ。
その光景を前に並ぶ四人の隙間から梨奈は眺めた。
「何か寂しい感じがしませんか?」
木村が言うと全員静かに頷いた。
烏の鳴き声が悲鳴のように聞こえる。
小林がドアを閉めようとした。その途中、彼の手が止まった。
「どうしたんですか?」
木村が尋ねると小林は地面を指さした。
梨奈はその先を見ようと後ろから覗き込んだ。
小さな花束が置かれていた。花はほぼ枯れており数日は立っているだろう。裏口に向かって置かれているようで、まるで献花のように感じられた。
「何ですかね?これ。」
小林は閉めかけたドアを再び大きく開けて屈み花束に手を伸ばした。じっくりと眺めると後ろにいる参加者たちにも見せた。
全員怪訝な顔をする。
「ここってヤバイ所じゃないですよね…」
さっきまで明るかった木村の顔が曇り始める。
「まるで…僕たちの他に誰かさんがいるみたいですね…」
伊藤は口を大きく開け笑ってみせたが顔と声はどことなく沈んでいた。
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