干渉~ルゼside~


 日の光が少しずつ衰え、やがてランプの灯火に頼る者が現れ始めた頃。宮殿内に、静寂を守り続ける一室があった。


「はぁ…。」


 一人が寝るには広すぎるベッドの中に一人、ため息をつきながら天蓋を眺めているルゼ。そのベッドの両端にはそれぞれ召し使い達が待機しており、扉の向こう側には二人の兵士が相も変わらず両端に立っている。


 あの騒動からルゼは、兵士に見張られながらも、召し使い達から甲斐甲斐しく看病を受けた。監視されているのに加え、見ず知らずの他人から世話をされることに居心地の悪さを感じていたが、その看病の甲斐あってか、ひとまず体の調子は取り戻したようだ。


 しかし今の彼女の目に覇気は籠らず、今はただ呆けているのみであった。

 だが、何も出来ないわけではない。今の彼女にも、考えることは山ほどある。


(こんなところで油を売ってる場合じゃない。早くイノセを探しに行かないと。)


 彼女が考えているのはやはりと言うべきか、はぐれた弟のことである。想区に入って間もなく人混みの中に消えてしまった、自分の大事な家族。体に力は籠らずとも、彼の安否を考えると、いても立ってもいられなかった。


(どこに行っちゃったんだろう。こんな見ず知らずの国で一人で大丈夫かな。私がいなくて寂しい思いをしていないかな。どこかで私のことを待っているかな。でも、どこにいるんだろう。広い町だけど、片っ端から調べるしかないかな。体力は戻ってきたし、すぐにでも出発したいな。)


 弟の安否の心配で頭が一杯になる。こうなったら今すぐに飛び出してしまおうか。いつもの服がないのは落ち着かないが、体の調子も戻ったし、出ようと思えばいつでも外へ出られる。


「全く、あの女を本当に娶る気なのかね陛下は。」


 …などと思っていたら、扉の向こう側から男の声が聞こえてきた。おそらくは見張りの兵士の片割れであろう。


「私語は慎めよ。任務中だぞ。」

「だってあんなじゃじゃ馬が宮殿に来られたら、いつ陛下の怒りが爆発するのやら気が気じゃないぜ。陛下に付く俺たちの身にもなってくれってんだよ。」


 もう一人の兵士が窘めるも、無遠慮に愚痴を溢し続ける片割れの兵士。夜の静かな一時を水を差す、なんとも無粋な雑音を、片割れの兵士は止めようとしない。


「そもそも俺は奴隷の女が妃になるなんて端から気にくわないんだよ。陛下に色目使ってまんまと玉の輿しやがって。それで簡単に王族になれるんだから楽な人生だよな。」

「やめろよ。もし陛下に聞こえたら…!」

「お前も優等生ぶるのはよせよ。考えてもみろ。元奴隷の卑しい女が俺たちのことを顎で使ってくるんだぜ?『運命の書』に記されてるとはいえ、そんなの耐えられるわけないだろ?」

「む…だがな…。」


 兵士の男の愚痴はますますヒートアップしていく。ここまでくると聞き耳立てる必要もない、嫌でも響いてくる耳障りな雑音だ。最早聞くに絶えないその下品な声と話、ルゼはもう我慢ならなかった。

 ルゼは体を起こし体をのけ反らせ、その反動でベッドから飛び降りる。軽快なその動きに周りの召し使い達は驚愕するも、気に留めることなくすたすたと歩いて扉を勢いよく開く。


「個人の好き嫌いは勝手だけど、夜は静かにしてもらえないかしら?」


 後ろの扉が急に開かれ、それと同時に廊下に響く女性の声。突然の出来事に目を丸くして驚き、思考と体が停止する兵士達。


「…っ!も、申し訳ない…。」


 すぐに正気に戻り、ピシッと姿勢を正して謝罪をする兵士。

 別にそこまで畏まることはないんじゃないかと思ったが、彼もルゼのことを王の伴侶になる女だと認識しているのだろう。


 だが謝ったのは一人だけ。

 もう一人の兵士は気だるそうにルゼを見下し、わざとらしいため息をつきながら視線を逸らすだけだった。

 ルゼはその兵士の様子に顔をしかめながらも、その兵士に向かって再び問いかける。


「あら、あなたは何も言わないの?あなたにも言ったつもりなんだけど?」

「…奴隷のいうことなんか聞いていられるかよ。」

「…なによ?」


 姿勢を崩したままの兵士がポツリと一言だけ呟く。それは決して大きな声で言ったわけではないが、ちゃんと彼女の耳には聞こえていた。兵士は兵士でルゼに恨めしそうな視線を向けているところをみると、自分のボヤキを隠すつもりはないらしい。


「お前な。口の利き方に気をつけろよ?俺はファラオ直属に使える正当な兵士だ。お前のような薄汚いガキとは身分ってものが違うんだよ。陛下に気に入られたからって調子に乗りやがってよお?『運命の書』に妃になるって記されているからってちやほやされると思ったら大間違いだぜ?わかったらさっさと部屋に引きこもってろ奴隷風情が。」


 ルゼの額に人差し指を付きたてながらネチネチと嫌味を垂れる兵士。その態度と目線は、彼女を見下して馬鹿にしているものであることはだれの目から見ても明らかだ。

 その様子を隣で聞いていた、先ほどまで畏まった兵士が嫌味をこぼした兵士の肩を掴み、廊下に響かないように声を極力抑えながら咎める。


「おい!いい加減にしろ!相手が誰だかわかっているのか!?」

「誰だと?ファラオに色目を使って取り入った女狐だろ?こんなのに国の将来を預けるなんて、ストーリーテラーも酔狂だよなぁ?」

「お前…!!」


 相方の注意も余所に口を閉じるのをやめようとしない嫌味な兵士。その態度に業を煮やしたのか、相方の兵士は激しく憤慨し、今にも掴みかかる勢いだ。うるさい声を静めるために彼女が注意したというのに、二人の醜いやり取りは全く治まるどころか、むしろどんどん騒がしくなっていく。

 ルゼは、嫌味をやめない相方に掴みかかろうとした兵士を手のひらを差し出して制し、嫌味な兵士に向けてはっきりと告げる。


「別にあたしのことを無理に好いてくれなくて結構よ。あたしはロードピスって子じゃないし、ここにいるつもりもないから。でもね。」


 兵士の顔を見上げ、制した手を引くことのないまま言葉を続けるルゼ


「あなたさっき「奴隷風情が」って言ってたわよね?自分よりも弱い人にしか威張れないのかしら?その弱い民を守るのもあなた達兵士の仕事なんじゃないの?お城の兵士ともあろうものが自分よりも立場の弱そうな人にしか威張れないなんて、あなた、ものすごくみっともないわよ?」


「…あ?」


 ルゼが言い終えたところで、嫌味な兵士の眉がピクっと痙攣して、その顔のあちこちに青白い線が浮かび上がってくる。その目には明らかな怒りの感情が込められていた。


 その兵士は手に持った槍を構え、その切っ先をルゼに躊躇なく向ける。

 慌てて相方の兵士が抑えるが、構えた槍を引っ込める気配はない。


「よせ!お前自分が何やっているのかわかって…ぐおっ!!」


 槍を構えたまま、もう片方の腕で相方を払いのけて突き飛ばす嫌味な兵士。自分の邪魔をするものがいなくなったその切っ先は、今か今かとその凶刃をふるう時を待ち構えている。


「女と思って手加減してたけどもう我慢できねえわ。この場で手前の立場ってもんを教えてやるよクソガキが。今更誤ったって許さねえからな?昼間よりもひどい目に合わせてやるよ。」


 兵士の顔は青筋を引く様子を見せないどころか、ますますくっきりと浮かび上がってきている。だがその顔は薄ら笑いが浮かび上がっており、これから目の前の獲物をいたぶるのを楽しみにしている獣のようにギラギラと目を輝かせている。槍を構えているその手は怒りに震えており、いつ襲い掛かってもおかしくない。


 だがルゼはその男を恐れる素振りは全く見せない。それどころか、自分から兵士に近づいて、その槍の切っ先を、親指と人差し指でつまむ。兵士はその行動を鼻で笑い、すぐに振りほどこうとする。


(…え?)


 だがそれが叶うことはなかった。振りほどくどころか、摘まれた槍はどれだけ力を入れても微動だにしない。すかさずもう片方の手で槍の柄を持ち、腰を入れて力いっぱい動かそうとする。それでも槍は動くことはなかった。


「やれるものなら、やってみなさいよ。」


 彼女から告げられたのは、兵士に対する宣戦布告。

 すでに兵士の顔からは、先ほどまでの余裕は跡形もなく消え失せていた。


 ~~~~~


 宮殿の中でも特に広い間取りの玉座の間。その奥に位置する玉座に、ファラオは座っていた。ここで貴族等の高い身分のもの達と謁見をするのだが、今は自分と護衛の兵士以外に人の姿はない。頬杖をついて小休止する彼の心は、ここにあらずと言うべき心境だった。

 彼が今考えているのは、ストーリーテラーによって決められた自分の許嫁のこと。


(彼女は、確かに異なる国の者だ。神の使いより預かったサンダルを履けた。彼女こそがロードピスであるのは間違いないと思っていた。しかし、なぜあそこまで余の確信を否定する…?)


 自分の元に届いたサンダルを履く者と夫婦の契りを結ぶ。それは自分の『運命の書』にも書かれている。彼女だって同じのはずだ。しかし彼女はそれでもなお頑なに否を示し、自分を拒絶した。

 初めは自分に至らぬところがあったから拒んだのかとも思った。しかし、気分が舞い上がっていたのと互いの言い合いで頭に血が昇っていたために気づかなかったが、彼女は気になることを言っていた。


 彼女は、自分に弟がいると言っていた。


 血の繋がりのある者達が共に奴隷として売り出されること自体は決して珍しいことではない。だが、家族となった奴隷同士が共に過ごせるかは、市場の買い手次第だ。

 仮に血族が二人いたと仮定して、それぞれ別の買い手が決まったとき、または片方のみ欲してもう片方が売れ残ったときは、その時点で離ればなれだ。そうなってしまえば、再開は諦めるしかない。同じ買い手が二人とも買うといった前例もないわけではないが…。


(歴代のロードピスの中に弟がいた者など、聞いたことがない…。)


 ファラオたる運命を持って生まれた自分は、幼い頃より、王としてのありとあらゆる知識を教わってきた。その中には、歴代のファラオや妃のことも含まれる。だが歴代のロードピスはいずれも天涯孤独。血を分けた家族がいるものなど、一人もいなかった。


 頑なな運命への拒絶。姉弟の存在。確かに彼女は、歴代のロードピスのどれにも当てはまらない異質な存在と言えよう。


(しかし、それでも…自分は…。)


 ふと、彼女を初めて見た時のことを思い出す。その美しい顔立ち。安らかな表情。日の光を反射して輝く金の髪。そしてただ美しいだけではない、荒れつつもその生き様を刻んだかのような手。その全てが、自分の心を奪い去るには十分すぎた。


 そして何より…。


 だが今は耽っている場合ではない。彼女があそこまで拒むことの真相を確かめないことには、なにも始まらない。かといって、ここでいつまで考えても明確な答えは出なさそうだ。


(あの娘、昼間は頭の熱が上がっていたようだが…さすがにもう落ち着いたであろう。)


 ファラオは玉座から立ち上がった。


 砂漠の夜は、肌を刺す程に寒い。

 彼女の頭も今ならもう冷えているだろう。


 そう思ったファラオは、護衛の兵士を連れて彼女の様子を見に行くために、玉座を後にした。


 ~~~~~


 ファラオと護衛達は、物音もない、ただ静かな廊下を歩いている。

 …そのはずだった。


 先ほどから廊下に人の声が響いてくる。男と女のもの。どうやら両方が言い合っているようだ。せっかくの静かな夜に無粋なものだと機嫌を傾けるが、その女の声に聞き覚えがあった。


 自分の、未来の妃の声だ。


 気づいた矢先に、廊下に響く音に変化が生じ始めた。

 肉が何かにぶつかるような、低く、鈍い音。

 その音に続くように奏でられる、聞くに絶えない男の短いうめき声。それも一度や二度ではなく、複数回にわたり、廊下に響き渡り続けた。


 明らかに荒事であることがわかった。護衛達を置いて急いで廊下を駆けるファラオ。行儀の悪いことではあるが、そうも言ってられない。まさか自分の婚約者に何かあったのではあるまいか。ファラオはいても立ってもいられなかった。


「おい!何をしている…!?」


 彼女の寝室へ続く曲がり角に差し掛かり、すぐに飛び出すと、そこには信じられない光景が広がっていた。


 部屋を見張っていた二人の兵士と、なぜか監視されているはずの自身の婚約者がいた。


 どうすることも出来ないとでもいうように壁に背中を預けて立ちすくみ、その光景を見ているばかりの兵士が。

 床に伏せられて身動きが取れなくなり、全身打撲傷まみれの見るに堪えない痛々しい姿に変わり果てた二人目の兵士が。

 そして、床に伏した兵士の背と片腕を自身の足で同時に抑え、もう片方の腕を引きちぎらん勢いで捻り上げる婚約者の姿が。


「もう降参なの?さっきまでの減らず口はどうしたのかしら?」

「な…なんレ…昼間はこんな力、なハったのに…。」


 顔中が殴打で腫れるあまり、まともに口が回らなくなってしまった兵士が、弱々しく疑問の声を挙げる。確かに昼間は容易く取り押さえられた。二人掛かりだったことを差し引いても、ただのか弱い少女だった。だからこそ容易いと思って殴りかかったというのに、なぜ自分がこんなにも圧倒されているのか。とても納得がいくものではない。


「あの時は暑さでやられてただけだもの。今はもう万全よ。それよりも、あなたも兵士ならもっと踏ん張ってみてくれないかしら?これじゃウォーミングアップにもならないんだけ…どっ!!」

「いヒャい!いヒャいいヒャいいヒャい!!ごめんなヒャいごめんなヒャい!!勘弁ヒてくラヒャい!!」


 捻り上げた兵士の腕にさらに圧力をかける婚約者へ、大粒の涙を流して許しを乞う兵士という異様な光景に、その場にいた誰もが言葉を失った。だが兵士の悲鳴を引き金にファラオはすぐに正気に戻る。


「おい!!夜中にこれ以上の騒ぎは…ええい!お前達!!早く止めさせよ!!」


 すぐに止めさせようとするが、止まる気がないというのが見ただけで伝わったため、護衛をさせていた兵士達に仲裁を命じる。


 その後は見張りの兵達、護衛達、婚約者、ファラオによって、静かなはずの夜の宮殿が阿鼻叫喚の大騒ぎに包まれることになる。


 ~~~~~


 夜も遅くだというのに、玉座の間には多数の召し使い達や兵士達が集まっていた。皆、廊下の騒ぎを聞き、駆けつけてきたのである。


 あれから見張りの兵士とルゼをなんとか引き剥がし、その場にいたもの達に事情を聞いて回る羽目になった。

 立ち尽くしていたもう一人の見張りと、部屋の中で驚いて出られなかった召し使い達、さらにはこっそり影から除いていた野次馬達を一先ず玉座の間へと通し、今それぞれから詳しい事情を聞いている最中である。


 大広間の奥で玉座に座って頭を抱えているファラオと、その様子を見上げているルゼ。非常に疲れきった声で、彼はルゼに問いかける。


「…何か弁解することはあるか?」

「あの兵士から売られた喧嘩を買った。ただそれだけよ。」

「はぁ…。」


 さも当たり前かのようにあっけらかんと答える彼女の態度に、ただただため息をつくしかなかった。


(よもや自分の妃がここまで破天荒な人物だったとは…。)


 玉座の間で自分と謁見する者の取る反応は、萎縮するか自分に媚を売るかのどちらかだ。ましてや今回のような騒ぎを起こした主犯の一人とあらば、どのような刑罰が下されるか、皆等しく青ざめた顔になるものである。だというのに臆することもなく悪びれもなく堂々と話す彼女の胆力に言葉を失うが、同時にある種の尊敬の念すら感じてしまう。


 因みにルゼによって叩きのめされたもう一人の主犯である兵士は、現在別室で応急処置を受けている。しかし事情が明らかになった今、復帰しても厳罰な処分が下されるのは想像に難くないだろう。なにせ、自分の主の婚約者を侮辱し、刃を向けてしまったのだから。


 しかし、城の兵士をあそこまで一方的に叩きのめしてしまえるほどの武術の心得が彼女にあったとは。

 彼女のことを知れば知るほど、彼女が『ロードピス』の特徴からかけ離れた存在だというのが嫌でも理解出来てしまう。実際、この場に集めた家臣たちも、怪訝や畏怖等、複雑な視線でルゼを見てる。

 一体この状況を、どうやって治めればよいのだろうか


「陛下。僭越ながら、申し上げさせていただきたいのですが…。」


 想像だにしなかった大事に頭を痛めていたその時、ファラオの傍に立っていた家臣の一人が、恐る恐る発言の許可を求める。ファラオは横でチラリと家臣を見て、それに対して控えめな口調で家臣が答える。


「此度のような事件を妃となるものが起こしたとあらば、民に示しがつきません。事が収まるまで数日後に控えた婚姻の儀は、見送った方がよろしいかと…。」






 その瞬間、ファラオが玉座の肘掛けに己の拳を叩きつけ、広間中にその衝撃の音が響き渡る。

 その衝撃に、発言した家臣が驚きのあまりひっくり返り、そのまま尻餅をついてしまう。


「ならん!!余はなんとしても彼女と契りを結ぶ!! 民たちにも、余が直々に伝えた!!その言葉を覆すつもりは毛頭ない!!たとえ民たちが認めずとも、余は余の認めた女と添い遂げる!!誰であろうとも余の決定を曲げることは許さんぞ!!!」

「ひぃっ!!」


 一国の王の心からの怒り、それは家臣の腰を抜かすには十分すぎる圧力を秘めていた。あまりの圧力に家臣は床にへたりこんだまま後ずさりをしてしまう。

 広間ひに集まった者達も、その怒号に皆体を震え上がらせ、誰もが己の顔を真っ青に染め上げる。


 ただ一人を除いては───


「ちょっと!!何勝手に決めてんの!!私はただの旅人で、今離ればなれになった家族を探さなきゃなんないって、何度いったらわかるの!!」


 王の決定と怒号に皆が縮こまる中、一人だけ異議を唱えるルゼ。このままでは本当にこの男と結婚することになってしまう。そうなってしまえば、旅をするどころではない。それだけは避けなければならなかった。


「お前!ファラオになんて口を!!」

「謝りなさい!今すぐ!!」

「あたしには大事な役目がある!!それを捨てて嫁ぐなんて冗談じゃない!!それに…!」


 ルゼの無礼さに、周りの兵士や召し使いが半ば錯乱気味に彼女へ耳打ちするが、ルゼは聞く耳を持たない。この国の王への態度を改めず、噛みつくような訴えを止めようとしない。

 それだけではない。彼女には気になることがある。


「あたしがあなたと結婚したら。そのロードピスって子はどうなるの。」


 自分が嫁いだ後の、ロードピスの末路である。自分が叩きのめした兵士が言っていた。

 元々ロードピスは奴隷だと。


「『この国の王と結婚する』ってのが、ロードピスの運命なんでしょ。あなたがこのままあたしと結婚したら、本来妃になるはずのロードピスって子の立場を奪うことになるんじゃないの?。」


 ここで本当に二人が結ばれたら、本来のロードピスは結婚はおろか、城に来ることすら叶わなくなるだろう。それどころか、本来なら終止符を打たれるはずの奴隷としての人生を、引き続き歩み続ける羽目になるだろう。

 誰にも省みられることなく、幸せになることもなく。


 見ず知らずの他人と言えど、自分のせいでその人を不幸にしてしまうのは目に余るものがある。


 ───他所の想区にとっては僕たちは『異物』なんだ!───


 この想区に入ったばかりの時に、イノセが言っていた言葉が脳裏をよぎる。彼が言っていたのは、おそらくこういうことなのだろう。もしそうなのだとしたら、尚更これ以上ここにいるわけにはいかなかった。


 怒り狂っていたファラオもルゼの訴えに落ち着きを取り戻したようで、今はルゼの目を見つめながらその訴えを静かに聞いていた。


「…だが、最早婚姻の儀は決定事項だ。覆すことは許されない。」


 だがそれでも、ファラオは以前として険しい表情のままだ。引き下がる様子は見せない。王が直々に開くと宣言した結婚式だ。今さら中止とするとあらば、それこそ民に示しがつかない。一国の王として、譲れないところではあった。


「…。」


 ルゼからしてみれば迷惑極まりない話ではあった。しかしその決断を頭ごなしに否定もできなかった。

 彼女の脳裏に、自分の母であり、故郷である『フィーマンの想区』の管理者。つまりトップの存在でもある母───レイナの姿が浮かび上がったのだ。


 彼女も想区の管理者として、自分が一度言ったことは決して曲げない、(人によっては、強情とも言える)責任感の強い人だった。

 ただ彼女の場合は所々で詰めの甘さが目立ち、それで仲間たちから呆れられてムキになるのが定番であったが…。


 人の上に立つものとは、それだけ強情でなければいけないのだろう。だからなのか、ファラオの言葉にルゼはさっきのように強く拒むことはしなかった。


「…わかったわ。」


 やがてルゼは、なにかを決意したかのようにファラオへ返事を返す。その言葉を聞いた、ファラオを含む広間の人間達は、一斉にルゼを注目する。


「あなたの妻にはなれないけど、倒れたところ助けてくれたことの恩はあるし、助けてくれた貴方を殴っちゃったことへのお詫びもしなきゃいけないと思っているわ。」


 あくまでも添い遂げるつもりはないし、最初はすぐにでも出ていくつもりだった。

 だが考えてみれば、自分はこの王様に一度助けてもらっている。しかも動機や経緯はどうあれ、その恩を仇で返すような真似をしてしまっているのだ。その借りを返さないままというのは、いささか悔いが残る。

 それに、結婚式の騒ぎを広められれば、どこからか弟が嗅ぎ付けてくれるかもしれない。後で確実に怒られるだろうが、背に腹は代えられない。


 ルゼの決心は、固まった。


「だから、本物の『ロードピス』が現れるまで、弟が見つかるまで、あたしが『ロードピス』の代わりを勤める!」


 ルゼはファラオに向かって声高に宣言する。

 自分が本来の妃の代理になるという、宣言を。


 彼女の宣言を聞いた広間の人間達は、一気にざわめきだす。だがそれも無理からぬことであろう。

 彼女が申し出たのは正式な婚約ではなく、花嫁の代理である。そんな申し出、たとえ相手が王でなくとも、人を馬鹿にしてるとしか思えない。


 段々とざわめきが大きくなっていくが、それにはね除けるようにファラオは自身の片手を、まるで挙手するかのように自分の頭の上に掲げる。

 すると周囲の荒ぶりつつあった声は、その掲げられた手で払われるように一瞬にして静まり返った。


 周りが落ち着いたところでファラオは自分の眼下の娘を見下ろし、その目を見つめる。


 彼女の目は、淀みは欠片も見当たらない。それだけで、先の言葉に嘘やハッタリはないことがわかった。


 その気持ちを汲み取ってか、ファラオは突如として立ち上がり、広間に集まった家臣達に向かって宣言する。


「皆の者!結婚の儀は予定どおり行う!!遅れは許さん!!今宵は明日に向けて備えよ!夜が明けたらすぐ準備に取りかかるがよい!!!」


 その高らかな宣言に、そわそわしっぱなしだった広間の家臣達は、眠気から覚めたかのように目を見開き、気をつけをする。

 さらに家臣達が一斉に「はいっ!」と返事を返すと、皆それぞれ広間を次々と出ていき、あっという間に広間には人がいなくなった。


 残ったルゼは、ファラオが座る玉座に向けて振り返り、その場で深々と頭を下げる。


「ごめんなさい。勝手なことを言って。でも、今のあたしにこれ以上のことは出来ない。」


 目の前の王に謝罪の言葉を述べる。

 すぐにその場で振り返り、そのまま広間を出ていこうとする。

 するとルゼの背後から、「待て」と呼び止める声が聞こえた。背後にいるのはファラオのみ。再びファラオの方へ向いたルゼに、ファラオはとある宣告をする。


「そこまでいうのならば、余の要求も聞いてもらう。」


 ファラオは頬杖をついたまま僅かに口角を上げ、続ける。


「もしも其方の言う『本物のロードピス』が現れなかったその時は、其方を正式に余の花嫁として迎え入れさせてもらう。」


 異論はないな?と言外に含ませて告げるファラオ。それはルゼにとっては、ある意味死刑宣告に近しい言葉であった。


 ロードピスが現れなければ、この想区で、この国の王妃として永遠に添い遂げろと、彼は言っているのだ。

 だが、今のルゼにその要求を断るという選択肢はなかった。


 先ほどの宣言がどれ程常識外れなのか、言い出しっぺの自分でも分かってるつもりだ。彼は、そんなめちゃくちゃな要求を受けてくれたのだ。ならばこちらもこれくらいの要求を飲まなければ、筋が通らない。

 それにどのみち、弟が見つからなければ想区を出られないのだ。

 ならば、同じことである。


「…いいわ。乗ってあげる。」


 それだけを告げて、今度こそルゼは出口へと振り返り、広間を後にする。

 広間には、ファラオと周囲の護衛だけが取り残されることになった。


「よ…よろしいのですか?あのような娘の言うがままになってしまって…。」


 傍らの家臣が、及び腰になりながらもファラオにものを申す。ファラオは再び、家臣の顔をチラリと見やる。


「構わん。それよりも、我々も戻るぞ。」

「は…はぁ…。」


 手短に伝えると玉座から立ち上がり、さっさと部屋を出ていくファラオ。護衛達も続き、家臣も慌ててその後を追う。

 自室へと向かう彼の脳裏に浮かぶのは、彼女の姿。


(『運命の書』には確かに我が妃は、どこかの孤島に住む貴族に遣えている奴隷の娘と記されていた。しかし…。)


 王を全く恐れずに啖呵を切る肝。深々と頭を下げる素直さ。条件を持ち出されたときに見せた覚悟の決まった笑み。


 その全てが、彼にはとても愛おしく感じてしまったのだ。


(あのような娘こそ、余の妃としてふさわしい者ではないだろうか。)


 今までのやり取りで、彼女がロードピスとは違う存在だというのは察していた。それと同時に、自分が本来妃に迎えるロードピスが、未だに例の島の屋敷にいることも、予想している。


 だが、それがどうでもいいと思えてしまう程に、彼女に強く惹かれてしまった。


 今まで会った者は皆、王である自分にひれ伏すか、媚を売り、機嫌を窺う者ばかりであった。

 しかし彼女は、身分など関係なく対等に自分と接してくれた。

 普通の人間のように怒ってくれた。笑ってくれた。目を逸らさずに向かい合ってくれた。彼女は自分のことを、あくまでも一人の人間として見てくれたのである。

 それだけで、彼がルゼを見初める理由としては十分だったのだ。

 たとえロードピスがどれ程美しくても、どれ程聡明だったとしても、婚約者の器としてはルゼに及ばないと、今の彼は断言することができた。

 だが、自分に定められた運命は、きっとそれを許さないだろう。本当に彼女と添い遂げた時、ストーリーテラーは一体何を思うのか。


(余が自分で選んだ女と添い遂げたい…というのは、過ぎた願いだというのか。ストーリーテラーよ。)


 決して届きはしないであろう心の声。それでもファラオは、どこにいるとも知れぬ万能の存在に訴えられずにはいられなかった。


 運命に従うだけだった自分が初めて抱いた、淡く、ささやかな願いを。

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