運命との出会い~ルゼside~
砂漠の町の城。その門をくぐった先に、また青空と、人の両の目で捉えられるか定かではない程の広さの中庭があった。規則正しく敷き詰められた石畳の道、その周囲には砂漠の中とは思えない程の緑豊かな芝生が綺麗に整えられ、持ち主の権力を誇示するように、大きな噴水が中央に佇む。
その庭の遥か先に、真っ白に輝く宮殿が建てられていた。すぐそばまで近づけば見上げるほどに大きなそれは、外壁の表面が細長い円型に等間隔でくりぬかれ、てっぺんが尖った丸い屋根を宮殿の上部に携える。
宮殿の中は非常に慌ただしかった。
黄と青の縞模様の頭巾を被った男が早足で宮殿の廊下を早歩きで駆ける。男が歩く先には宮殿内にいた兵士や、家臣らしき人々が慌てて廊下の壁にそって並び、揃って男に頭を垂れる。
男は自分に向けて下げられた無数の頭を尻目に廊下を落ち着かない様子で歩を進める。そして廊下の途中にあった一つの扉の前に立ち止まる。男の背丈よりも大きく、廊下に並ぶ他の扉よりも立派なそれを見据える。すると男が立ち止まった姿を捉えた家臣の一人が待ち望んだと言わんばかりに駆け寄った。
「お待ちしておりました。ファラオよ。」
「挨拶はいい。彼女の様子はどうだ?」
臣下の礼を余所に、ファラオと呼ばれた男は臣下に問う。
「体の熱も大分引いたようです。皮膚の火傷と脱水症状がまだ少し残っていますが、いずれ落ち着くかと。」
「そうか、ご苦労。彼女と顔合わせをしたいのだが、構わぬか?」
「かしこまりました。では私共は暫し席を外します。ですが彼女はお休み中ですので、決してご負担はかけませぬよう…。」
「分かっておる。下がってよいぞ。」
ファラオの命令に家臣は黙って頭を下げ、その場を去る。
廊下にいた他の家臣達もそれに続くようにその場を離れ、扉の両脇に武装をした兵士が一人ずつ残るだけとなった。ファラオは家臣がいなくなったのを見計らい扉をそっと開け、静かに中に入る。
部屋の中は美しく整えられている。規則正しく並べられ磨き上げられた大理石の床、汚れ一つ無い真っ白な壁、部屋の各所に置かれた華やかな家具。
2~3人は暮らせるであろう広さの部屋の奥に、天蓋つきの豪華な広いベッド。その中に金髪の女性が一人仰向けになって眠っている。
ファラオは女性を起こさないように静かにベッドへ歩みより、女性の側へ寄り添う。
女性は白いローブで身を包んでおり、露出した手足が赤く染まっている。外の日差しに肌を焼かれたのだろう。これでも運び込まれた時よりも比較的落ち着いたほうだ。臣下達がこの女性を運び込んだ時には身体中が日に焼けて真っ赤だったのだから。もし臣下達が気づくのが遅れていたら、命に関わることになったかもしれない。
だがファラオにとって、それ以上に重要な事がある。
彼女は、自分たちのような黒い肌ではなかったのだ。
この国に暮らすものは肌が黒い者ばかり。今は火傷で出来た赤みが残っているが、彼女がこの国の者ではないことはその肌の色が証明している。
今は安らかな寝息を立てている女性の顔。それを己の目に焼き付けるように、しばし呼吸を忘れるほどに夢中になって見つめるファラオ。
(まるで天より舞い降りた女神のようではないか…。斯様に美しい娘がこの世に存在するとは…。)
ふと、ファラオは未だ目覚めない女性の手を自分の手で優しく掬う。まだ火照りの残るその手は、女性らしからぬゴツゴツとした感触が感じられる。
その手をよく見てみると、女性の手のあちこちにタコができており、指の関節が固く膨れていることに気づいた。女性の手を己のもう片方の手で優しく包み込み、憂いを含めた笑みを女性に向ける。
(この荒れた手、この肌の色、恐らくはこの者こそが、余の『運命の書』に記された…。)
すると女性の体が身動ぎをしだし、うめき声をあげ始める。それに気づいたファラオはすぐに身を乗り出して女性の顔を覗き込む。
「イノセっ!!!」
ゴンッ!!
「ぐぁっ!?」
「あいたぁっ!!?」
しかし女性は目にも止まらぬ早さで起き上がり、覗き込んだファラオの顔に自身の顔を激突させてしまう。
あまりにも突然の事にファラオはただ痛みに悶絶するしかなかったが、それは女性も同じだったようだ。お互いにぶつかった部分を手で押さえ、痛みをこらえることに精一杯で、それ以外のことを考えてる余裕など微塵も無かった。
「陛下!いかがなさいましたか!!」
間もなくして、外で待機していた兵士が部屋の扉を勢いよく飛び出してきた。ファラオと女性の苦痛の叫び声に反応したのだろう。あれほど大きな声を上げれば、当然の事である。
そして兵士の目の前に広がっているのは、ファラオが痛みに悶える姿だ。その光景を見れば、兵が取る行動は一つ。
「貴様ァ!我等がファラオに何をした!!」
二人の兵士はすぐさま女性に向けて手に持った槍の切っ先を向ける。仕える主を含む二人しかいない部屋で、主の苦しむ姿を見れば、同じ部屋にいる女性を疑うのは当然であろう。
そこでようやく女性が顔を上げた。まだ顔を押さえてはいるものの、自分の周囲を見渡し始める。
「…は?なにこれ!?えっ?どこよここ!?」
「とぼけるな!貴様がファラオに危害を加えたのは明白!!その罪、貴様の首をもって───」
「って、何で服変わってんの!?あ、いやそんなことより急いでイノセを探さないと!」
目覚めたばかりで今の状況を把握できていない女性はただ混乱するばかり。だがすぐに思い立ったようにベッドから飛び出そうとする。自分に向けて槍を構える兵士が目の前にいるのに、そのことなど気にも止めずに。
「おい!勝手に動くなと…こら!勝手に出ようとするな!こっちの話を聞け!!」
一瞬呆気に取られつつも急いで押さえつけようとする二人の兵士。咄嗟に彼女の前に立ちはだかり、仁王立ちをするが───
「…あれ?」
ベッドから降りた瞬間、女性は膝を折り、その場で崩れ落ちる。咄嗟に両手をつくことで転倒はしなかったものの、目の前が揺れてまともにたつことすらおぼつかない。
「やっとおとなしくなったか!この…!」
兵士がため息混じりに言葉を吐きながら膝をついた女性に再び槍を突きつけたところで、
「よせ!!お前たち!!」
ようやくファラオが頭を上げて兵士に向けて怒鳴った。
部屋中に響いた声に反応した兵士達が武器を引き、ファラオの方へ向き直る。
頭を抱えたままだが、目線は兵士に向けているファラオ。一呼吸おいた後、ようやく顔から手を離し、再び口を開ける。
「その者は余の命を狙ったわけではない。ただの事故だ。武器を納め、下がるがいい。」
兵士たちを戒め、引かせようとするファラオ。
だが兵士も納得がいかない様子だ。
「し、しかし…!」
「下がれと言っている。」
食い下がる兵士に業を煮やしたファラオは強い口調で一喝する。
喝を受けた兵士は渋々武器を納めて頭を下げ、そのまま部屋を出ていった。
「陛下!いかがなさいましたか!?」
その兵士たちと入れ替わる形で部屋に召し使いであろう二人の女性が駆け込んできた。二人とも白いローブの上から上等なエプロンを纏っている。
ファラオは、騒ぎなどなかったとでも言うように平然とした態度で召し使い達に答える。
「例の娘が目を覚ました。だがまだ万全ではないようだ。」
「まあ!大変ですわ!!すぐにベッドへお戻ししないと!」
召し使いの一人が手をついた体勢の女性に急いで寄り添い、抱える。間もなくして再び女性は元のベッドへ寝かせられることになった。
一人が女性を看ている間に、ファラオはもう一人の召し使いに顔を向ける。
「例の物は持ってきたか?」
「はい。こちらに。」
問われた召し使いは両手で大事そうに持っていたクッションをファラオに差し出す。そのクッションの上には、薔薇の花の装飾がサンダルが置かれていた。
「どうだろう。落ち着いただろうか。」
ファラオがベッドに再び寝かせられた女性に問いかける。まだ力なくベッドに横たわっているが、呼吸が整っているところを見ると、幾分か楽にはなったのか。
「えっと…ありがと。助けてくれて。」
「構わない。其方に寄り添い、手を取るのも余の役目だ。」
横たわった状態で顔だけをファラオの方へ向けて礼を言う女性。まだ身体の調子が戻らないようだが、意識ははっきりしているようだ。ファラオは、自分の発言に合わせて女性の手を取り、静かに微笑みかける。
「あ…それと、ごめんなさい。多分あたし、あなたに頭ぶつけたわよね。おもいっきり…。」
「それも気にするな。多少の粗相を許すのも、夫たる者の度量よ。」
「あははは…はは…。」
さっきのやり取りを思い出したのか、罰が悪そうな様子でファラオに謝る女性。だがファラオはまたしても笑って流してくれた。寛大なその心に、女性は気まずそうに乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
だが、先ほどから何かが引っ掛かる女性。
会話の節々になにやら聞き捨てならない単語が聞こえてきた。
曰く、寄り添うだの、夫だの…。
「おい。サンダルをここへ。」
召し使いに向き直り、命令を下すファラオ。命令を言い渡された召し使いはすぐに手にもったクッションの上のサンダルを持ち、床へ置く。女性に履かせるつもりであろう。そのサンダルの位置を整えて、再び後ろへと下がる。
「起き上がれるか?さあ。履いてみせてみよ。」
「…?」
全く話が見えない女性は、ただ言われるがままに上半身を起こしてベッドの脇へすり寄るように移動する。そして片足を伸ばし、添えられたサンダルに足を入れる。
「まあ…!!」
「おお…!!」
サンダルは女性の足にぴったりと収まった。その様を間近で見たファラオと召し使い達は驚きとも感激ともとれる声をあげた。サンダルの一つや二つ、履けたところでなんだと言うのだろうか。どう考えても大袈裟な反応であるだろう。
女性が心のなかで呟くが、口に出すことは出来なかった。よく分からないが、目の前の人たちの喜びに、水を差してしまいそうな気がしたからだ。
「…?もういいわよね?じゃあ、これ…。」
だから黙って己の足に手を伸ばし、サンダルを脱いで召し使いに差し出す。だが、ファラオによって、それは制されてしまう。
「待て。それは其方のものだ。其方が持つべきだろう。」
「へ?」
予想だにしなかったファラオの言葉に、女性は間の抜けた声をあげてしまった。
このサンダルは、間違いなく自分の物ではない。見覚えもない。
もしかして誰かと勘違いしているのではないだろうか?
するとファラオは片ひざを床に突き、女性の手をそっと取る。
まるで惚れた女に求婚をするかのように。
「我が運命に倣い、其方を余の妃として迎えよう。ロードピス嬢。」
否、求婚をするかのようにではない。
ファラオのその行為はまさしく惚れた女に対する求婚であった。
それから静寂が部屋を支配した。
ファラオは女性をただ見つめ、女性はただ目をぱちくりさせて、召し使い達はただ黙ってその様子を見ていた。
時間としてはほんの数秒、しかし、当人達には永遠とも感じられる、誰一人として動かず、音もない世界がそこにあった。
未だ女性からは全く反応が無い。その表情から、自分の求婚を受けて、面を食らっているのは明白であった。だが…。
(余と婚姻を結ぶことは、彼女の『運命の書』にも記されているはず…。よもや予想だにしなかったわけではあるまい…。)
次第に痺れを切らし、自分から話の続きを切り出そうとする―——
「いやいやいやいや!!!待って待って!!ストップストーップ!!!」
だがファラオが喋りだす前に我に返ったのか、目の前の女性がようやく口を開いた。
だがどうも様子がおかしい。まさか自分の求婚が受け入れられないとでも言うのだろうか?全く想定していなかった事態に一瞬迷ってしまったが、すぐに思い直す。
『運命の書』の記述通りとはいえ、今まで接点のなかった男からの求婚だ。
故に、戸惑いを隠せないのはさもありなんと言える。と。
「…まだ心の準備が出来ぬか。すまない。『運命の書』の通りとはいえ、少々不躾だったか。ならば今しばらく其方の決意が固まるのを───」
「違う違うそうじゃなーい!!とにかく話を聞いて話を!!!」
自分の不甲斐なさを心の中で恥じ、謝罪するファラオ。
だが、女性が言いたいことはまた違ったようだ。
「あなたは人違いをしてる!私の名前はルゼ!!あなたのお嫁さんじゃない!!」
女性が告げたのは、ファラオにとっては信じがたい言葉だった。なんと、自分はファラオの運命の相手───ロードピス───ではないと言うのだ。
ファラオの手を払いのけてベッドの上で後退りをする『ルゼ』と名乗る女性。それでもなおファラオは彼女に対して食い下がる。
「隠さずともよい。なぜ其方が己が身分を偽るのかは分からぬが、余に嘘偽りは不必要だ。」
「だから人違いだって言ってるでしょ!!なんで正体を隠してることになってるのよ!?」
仮にも王に対して無礼な物言いだが、相当余裕がないのか、それとも目の前の相手が誰なのか分かっていないのか、彼女は砕けた口調を改める事なく喚く。彼女の歯に衣着せぬ物言いに、傍らの召し使い達おろおろ慌て出している。
正直なところ、想定外の出来事ばかりで驚きを隠せず、心の中で狼狽えてばかりだ。だが、ここまで言われてもなお彼女がロードピスだという発想を捨てるには至らなかった。
彼女が『ロードピス』だと言う確証が、彼の中にはあったからだ。
「ロードピスは外の国にて生まれ、この国に奴隷として渡った娘だ。その肌の色、この土地に住まうものではないだろう?」
「確かに私はここの国民じゃないけど、私はただの旅人よ!そのロードピスって子以外に外国人がいないわけじゃないでしょ!?」
「ならばその手はどうだ?妙齢のおなごの手がそれ程に荒れているのは、奴隷として日々耐え忍んで生きてきた証ではないのか?」
「あたし格闘家だから!!毎日の稽古でこうなったの!!小間使いなんてしていないわよ!!」
「何より…。」
「まだなんかあるの!?」
先ほどから問答と否定の繰り返しで埒が明かない。だがまだファラオは引き下がらない。
彼女こそが己の運命の相手であることに間違いはない。
その証拠は、彼女の手の中にある。
「そのサンダルは、神の使いの隼が余へ届けたもの。そのサンダルが履けたことこそ、其方が『ロードピス』である証だ。」
そう。彼女が履いたサンダルだ。自分の元にあの隼が運んできたそれのサイズが、彼女の足にピッタリと合う。それこそが彼女をロードピスと決定づける何よりの証拠だった。
そのサンダルが届いてからというものの、国を挙げて足が合う女性を片っ端からあたってみた。国中の女達の中には一人として入るものがいなかった。仮に入るものがいたとしても、ロードピスは異国の者だ。自国の女性を娶るなど端から選択肢には無い。
自分は彼女と共に添い遂げる。
それが自分の運命なのだから。
「余に将来を預けるのは不安か。しかし、余と結ばれるのは変えようのない運命。せめて其方が認めてくれるよう、余は余の全てを賭すまで。何より…。」
ファラオは立ち上がり、ルゼと名乗る女性の頬に自らの手のひらを添える。
「君を一目見ただけで『僕』の心は焦がれてしまった。この思い、なかったことにするのはあまりにも惨い。」
それは目の前の人間にしか聞こえないであろう小さな声。
目の前の彼女にだけに聞いてもらいたい、ファラオとして、王としてではなく、一人の男性としての愛の告白。
自分の心は貴方に奪われたのだと。貴方に尽くしたいのだと。
今自分が言える、初心な男の精一杯の気持ち。
パァン!!!
部屋中に響き渡る乾いた音。
その音の正体は、愛を告げた男に贈られた、女性からの無情な平手打ち。
「馬鹿言ってんじゃないわよ!サンダルを履ける人なんて探せばいくらでもいるでしょ!!しかも初対面の人の身体をいきなり触ってナンパしだすなんてアンタなに考えてるの!?」
酷い程に怒り狂い、捲し立てるように怒鳴る女性。
しかし、彼女の目の前の男は、仮にもこの国の王だ。その王に対しての無礼極まりない行為に、激昂する様子は見せないものの、ファラオ自身もさすがに腹に据えかねるようだった。傍らで召し使いが顔面蒼白になりながら、口をあんぐりと開けながら恐怖に震えている。
「…婚約者と言えど、あまり礼を失しすぎると余も寛大にはなりきれぬぞ。」
「だからあたしはあなたのの婚約者じゃないって言ってるでしょ!!あたしは『ルゼ』!ただの旅人!!人の話はちゃんと聞きなさい!!助けてくれたのは感謝するけど、私はあなたの婚約者じゃないし、なるつもりもない!!あたしは、この国ではぐれた弟を探さなきゃいけないの!!こんなところで道草食ってる場合じゃないの!!」
そういうと女性──ルゼ──はまたベッドを飛び出し、部屋の扉に向かって急ぐ。さっき飛び出した時はまともに歩けず膝をついていたはずなのだが、身体がダメージに慣れたのか、今度はなんとか歩を進められていた。
しかし、その足にはまだおぼつかなさが滲み出ている。無理をしていることは明白だった。
ガシャッ!!
「いっ…!!」
部屋の出口に差し掛かったところで、彼女は再び床に倒れこんだ。しかし、身体の不調で倒れたのではない。
「ニ度目は許さんぞ。すぐ牢屋にぶちこんでやる!」
外で待機していた二人の兵が部屋に入り込み、彼女を床に組み伏せたのだ。倒れた彼女のくびに自分達の槍を交差させて、身動きを封じる。
ルゼを取り押さえたまま兵達はファラオに顔を向けて今度は強気な態度で彼に告げる。
「この女を牢屋に連行致します。王を守ることこそ、我々の『役割』ですゆえ。」
淡々とファラオに告げる兵。自分の命令よりも、自分の命を優先する、と言うことだろう。仮にもこの国の王に対してこの物言い。彼女のせいで相当頭に血が上っているとみえた。
兵たちの発言に、ファラオは疲れたかのように頭を抱えてため息混じりに兵達に告げる。
「…ならば牢ではなく、この部屋で監視しておけ。余が戻るまで部屋から一歩も出すな。それと、水を一杯持ってこさせろ。」
「え…?しかし…!」
「余の命令が聞けぬと?」
「!…。」
そういってファラオは部屋から出ていった。
後には、ファラオの命令にただ体を強ばらせ、黙るしかなかった兵達と、ずっと動けなかった召し使い、そして体が弱り、床に伏せられてなお、覇気を失わない強い眼差しでファラオを見上げるルゼだけが残された。
しかし、組伏せられた彼女も大概であるが、兵士達の自分に対する物言いも、本来であればなんとも無礼きわまる発言であろうか。自分が一喝したことで頭が冷えたようだが、恐らく内心では自分の命令に納得はしていないだろう。
だが、彼らの主張も頭ごなしに否定することも忍びない。己に課せられた『役割』に従う。それ自体は、決して間違いではない。ましてや彼らは王を守る兵士なのだ。主に害をなす可能性のあるものを野放しにはしたくはないのだろう。
しかし、自身にも譲れないことがある。
仮にも相手は衰弱した人間。それも、自分の婚約者であるのだ。その人物に、他者が害をなすところなど、とても見ていられなかった。
彼女は強く否定していたが、『運命の書』の記述の相違など、とてもではないが信じられないというのが正直なところ。
仮に間違っていたとしても…。
「陛下!いかがなさいましたか!!」
「宮殿中に女の声が響いてましたぞ!!一体何が?」
「まあ大変!!陛下の頬が赤く腫れていますわ!!」
「まさかあの女が!?ファラオに何たる無礼を!!」
考え事をしながら廊下に出たところであっという間に家臣や召使たちに囲まれてしまう。皆、先の騒ぎを聞きつけて飛び出してきたのだろう。その顔には自分に対する心配の色で埋め尽くされていた。
自分の身に少しでも何かあれば、皆血相を変えて駆けつけてくれる。その度に自分がいかに皆から慕われているのかが理解できる。
そう。自分は、皆から慕われる『ファラオ』なのだ。
ファラオは、また痛みの引かない頬に手を軽く当ててみる。その行為と頬の痛みだけで、あの女性の姿が鮮明に思い出される。
「あのような反応は、初めてだったな…。」
群がる家臣達に聞こえないように、一人ポツリと呟いた。
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