二人で。

 目の前の相手に飛びかかるイノセとルゼ。

 だがジャックは二人に槍を向けることはせず、その槍を逆手に持ち、その切っ先を植物に覆われた地面に力一杯刺し込む。

 すると、槍を刺したところから何本もの太い蔦が伸びてきた。蔦はジャックの頭程の高さまで伸びたところで、彼の正面。すなわち、イノセとルゼのいる方へ向きを変えて、急激に速度を上げて突っ込んでいく。

 蔦は二人を巻き込み、飲み込みながら成長を続け、やがてその動きを落ち着かせる。

 その様子を最後まで見届けたジャック。これで勝利は確定だろう。だというのにどこか浮かない顔をしながら小さくため息をつく。


 「死んだか…。まあ、しょうがないね。」






 だが、その確信はすぐに覆った。






 あの二人を飲み込んだ蔦の内部から、怪しく輝く紫色の光が微かに漏れ出す。間もなくしてその光は炎となって、蔦全体に燃え広がった。炎はそのまま蔦を飲み込み、ただの灰に変えていく。

 炎は消える様子を見せないが、少しずつ落ち着いていく。すると紫の炎を隔てて二人のしゃがみこむ人影が見えた。もちろんイノセとルゼの二人であるはずだが、その姿には些か違和感を感じられた。

 二人は同じぐらいの背丈のはずだったが、目の前にいる二人の片割れの背丈が異様に高い。もう片方を庇うように包み込める位には。 

 盾を構えながらも、目を凝らしてその姿を捉えようとするジャック。


 だがすぐにそんな余裕はなくなった。


 突然二人のいる方向から一枚の板のようなものが飛んできたのだ。

 ジャックは咄嗟に構えた盾で受け止める。なんとか防御が間に合い、そのまま飛んできた物体を力で弾き返す。


「……??」


 だが何かがおかしい。弾き返した際に腕に伝わる感覚に違和感を感じた。

 その一撃は、確かに重かった。反応が間に合わなかったら、こちらが押しきられたかもしれないくらいには。しかし最初に腕に掛かった負荷に比べて、押し返した感触が不自然な程に軽かった。

 それはまるで…。


(ひとりでに離れたような…?)


 ジャックが盾を引いて前を向くと、そこに正体があった。

 蔦を燃やし尽くした炎よりもさらに深く、暗い紫色の大剣。その長さは、ジャックが背筋を伸ばしてもなお届かなさそうな程。その中心に刻むように引かれた縦長の深紅の線が、より一層、不気味さを醸し出している。

 だが、そんなことはどうでもいい。それよりもずっと気になることが…。


(浮いてる!?)


 そう。その大剣は、誰に振るわれてるでもなく、宙に浮いてひとりでにその刃を振るっていたのだ。まるで意志があるように、その剣は自らの刀身を、目の前のジャックに再び振るう。

 咄嗟に後ろに下がり、その凶刃をかわした後、自分の盾で剣を突き飛ばす。弾き飛ばされた剣は、奥にいるイノセであろう人物の手に吸い寄せられるように収まった。

 そこでようやく、さっきはうまく捉えられなかった全貌を自分の目に納められた。


 その目に映ったのは、少なくともジャックより頭一つ分以上は高いであろう背丈の、痩せた体の男。肩まで伸びた青みがかった紫の髪の下から見せる、にやりとした笑みを浮かべる口とは対照的に、全く笑っていない青い瞳の眼。その痩せた体をさらに強調するかのようなゆとりのない白いシャツに、髪の色と酷似した色合いのコートを羽織り、その肩にさらに羽織った毛の長い白色のファー。だがなによりも目を引くのは、男の顔の片側だけを覆うマスク。その風貌の全てが男の得体の知れない不気味さを全面的に押し出している。

 男は受け止めた剣をその場で軽く上に放る。だが剣は重力を受けてないかのようにそのまま宙に留まり、微動だにせず浮き続けている。

 その光景を見たジャックが呆然とした顔をしているのを見て、男は先程よりもほんの僅かに笑みを目立たせた。






 手応えは感じられた。

 剣を投げた男---にコネクトしたイノセ---はそう確信する。

 あの蔦を処理できて、ジャックの守りを突破できるパワーを持つ者。なおかつ、あの変な実を使う暇を与えないように遠距離から攻め立てられる手段を持つヒーロー。ヒーローの魂の種類は数あれど、これほどの条件を全て満たせる者となると、人数はそれなりに絞られてくる。土壇場でこのヒーローにコネクトしたが、解答としては正解と言えるのではなかろうか。そんなことを考え、心の中でほくそ笑むイノセ。


 ---忌々しい。


 そんな僅かに浮かれた気持ちを、冷や水を浴びせるように冷静な思考に引きずり戻す、怪しげな声。それがイノセの頭の中に響き渡る。


 ---よもやこの私があのレイナ様のご子息に力を貸すことになるとは。なんともまあタチの悪い冗談でしょうか。


 コネクトしたヒーローの声が若干軽い雰囲気に変わる。だが、その言葉は、イノセに呼ばれたことに対する不服に溢れており、さらにそれを全く隠そうとしない。


 ---挙げ句の果てにはこの私に、ストーリーテラーの支配から逃れ、自由を得たカオステラーを倒せなどと。…あなた、よもや私のことを何も知らないとでも言うのですか?


 また、カオステラーとの戦いにも不本意である様子。

 総区の調和を乱し、混沌に陥れるカオステラー。この存在が生み出すものはなにもなく、ただ全てを破滅へと導くのみ。そのカオステラーに敵対するどころか、まるで擁護するかのような物言い。たったこれだけのやり取りで、彼の異常なまでの悪性が窺い知れる。

 邪悪さの滲み出る発言を、吐くように、立て続けに吹き掛けるヒーローに、イノセは臆することなく答える。


(まさか。聞き及んでいます。父と母からもあなたの話は聞いていますし、なにより…。)


 ---なにより?






(僕も、あなた達が設立した学院の生徒なんですから。)







 散々イノセに呪詛にも似た嫌みをこぼしていたヒーローが、その言葉に一瞬押し黙る。


 ---クフッ…クフフフ…ハハハハハハッ…!!!


 そして、笑いだした。

 必死に声を押し殺してはいるものの、余程イノセの言葉が可笑しかったのか、次第に押さえきれずに、笑い声が大きなものになっていく。


 ---かつて敵対関係にあった「調律の巫女」と我ら「フォルテム教団」!一行の皆様を排除するため、暗躍し、和を乱させ、命を狙ったことなど、一度や二度ではない!「調律の巫女」を憎み、殺そうとした我々の傘下に、よもやそのご子息が下ろうとは!!


 ヒーローは嗤うことをやめない。まるでイノセのことを狂人だとでも言うように。彼の嘲笑を、イノセは何も言わずに、黙って聞いていた。

 次第にヒーローの笑い声が落ち着いていき、やがて静まったとき、ヒーローからまた言葉が紡がれる。


 ---怒らないのですか?


 ひどく淡々とした様子で問いかけるヒーロー。というよりも、思った程反応がなく、拍子抜けしたようにも聞こえる。


(あなた達のことは、聞き及んでいます。その所業も、僕は一通り把握しています。でも、知識として知っているだけです。実際にあなたと出会った訳ではない。会ったこともない人間を、どうやって恨めと言うのです?)


 ヒーローの問いに応じ、告げられた言葉は、彼の予想とは大きくかけ離れたものだった。「調律の巫女」である母を何度も殺そうとした男のことを、恨まないというのだ。ヒーローの呪詛とも言える言葉や嘲笑にも動じず、取り乱した様子もないことから、平静を取り繕ったり、嘘を言ったわけでもなさそうだ。ただ純粋に、自身のヒーローとしての力を求めて、コネクトをしたのだ。


 ---…いいでしょう。


 そこまでハッキリと言われてしまえば、もう何も言うことはない。ヒーローは観念したように、ため息混じりにイノセに応える。


 ---そもそも私は、あなたの母君に害をなした本人ではなく、その人物の生涯を原典とした存在に過ぎません。先ほどの嫌みも、少々筋違いだったかもしれません。


 コネクトするヒーローは皆、かつて語られた英雄達の物語を元に人々の思いから生み出された存在。たとえその人物と同じ運命を持った存在だったとしても。実際に生きた当人そのものではない。であれば、当人に代わり、今を生きるもの達を恨み続けるのは違うかもしれない。


 ヒーローは改めて、自身と繋がった空白の書の持ち主に向けて宣言する。






 ---「混沌の巫女」カーリー様の忠実なる僕、ロキ。今だけは、あなたの味方をして差し上げましょう。






 ロキとコネクトしたイノセが、再びその剣を手放す。主の手を離れ、自由となった剣はそのままジャックに向かって飛んでいく。

 それをジャックは再び盾で受け止めようとするが、剣は盾の存在など意に介さず上空に飛び、回転しながらジャックの頭に向けて落ちていく。ジャックはすぐさま盾を上に掲げ、直後に刃が振り下ろされる。

 下半身に力を入れ、その剣を受け止める。

 その勢いと重さに任せた一撃は、さすがに体がそれ程大きくないジャックでは荷が重いようだ。槍を持っていた手も、咄嗟に盾を支えるために上に上げざるを得なかった。なんとか攻撃を防ぎきったが、振り下ろされた大剣は未だその力を緩めない。さっきまでと打って変わって劣勢に追い込まれる。だがジャックもこの程度で根を上げたりはしない。腰を落として下半身の踏ん張りを利かせて、剣の重さに対抗する。


 しかし、


「そのまま押さえてて!!」


 女性のものであろう高い声が聞こえてきた。

 と同時に、周囲の植物の影から一人の女性が現れ、すぐ横まで迫り、ジャックの顔面に向けて蹴りを見舞った。


「ぶッ!!??」


 人の体の中でも特に守りの薄い部分に一撃をもらい、思わず苦痛の声を漏らすジャック。

 それは、先ほどまでイノセに庇われていたはずの少女、ルゼであった。

 ジャックが宙を舞う剣に気をとられていた隙に、気づかれないように物陰に隠れて近づいていたのであろう。

 顔面にハイキックをまともに受けたことで、大きくよろけて体勢を崩す。それに連鎖するように、盾を支えるために込めた力も崩れる。そして、


 バキッ!!


 今まで剣を防いでいた盾が悲鳴を上げた。どうやら、イノセの振るう剣による猛攻は、思ったよりも響いていたようだ。そこに使用者の支えまで失ったことで、刃がぶつかった部分を中心にして、盾が真っ二つに割れてしまった。

 盾を貫通した剣はジャックの鎧にまで到達し、そのまま彼の鎧も力任せに砕く。体までその刃は届かなかったものの、その威力に負けて、ジャックは背中から地面に叩きつけられてしまった。

 

 (まずい!すぐに立て直さないと…!)


 すぐに手を動かそうとするが、ルゼの蹴りに加え、倒れたときに頭を強く打ったようで、体が思うように動かない。それでもなんとか倒れたまま手探りで辺りを探り、割れた盾の片割れを探り当てると、すがるようにそれを強く握る。

 だが、その手はすぐ離されることになった。

 自分のもとに盾を引き寄せようとしたジャックの両手首がルゼの両足によって踏みつけられ、その動きを封じられてしまったからだ。


「もう二度と変なことをさせないわよ!」

「ぐっ…。」


 仁王立ちした状態で眼下のジャックを見下ろし、睨み付けるルゼ。なんとか抵抗しようとじたばたして足掻いてみるも、肝心の両腕を踏みつけられて、まともに動かすことができない。


 こうなってしまったら、もはや積みと言っていいだろう。


 ひとしきり抵抗してみせたものの、諦めたのか、大人しくなったジャック。それでもルゼは、警戒を解くことはなく、未だ足元の少年を睨み付けている。

 イノセはジャックが握っていた盾を拾い上げて、裏返してみると、小さな袋が盾にくくりつけられているのに気づいた。

 袋の中身を覗いてみると、球状の、植物の実と思われるものがいくつも入っていた。戦ってる最中に何度も使っていた植物の実は、おそらくこれだろう。

 イノセは自分の手に、先ほど発生させた紫色の炎を出して、それを燃やし尽くした。


「これで本当におしまいだね。」

「…あぁ。そうみたいだね。悔しいなぁ…。」


 これ以上の足掻くのを諦めたジャックは、イノセの言葉に億劫そうに返事をする。

 相手が抵抗する素振りを見せなくなったのを確認したイノセは、終戦と判断して、コネクトを解いた。

 だが、戦闘のダメージに加えて、今まで張っていた緊張がほぐれたことが祟ったのか、元の姿に戻った瞬間に膝から崩れ落ちる。激しい痛みと倦怠感が身体中を襲い、倒れそうになるのを地に手をつけることで辛うじて耐える。


「イノセ!!大丈夫!?」


 突然疲弊した様を見せた弟が心配になったのか、背後の弟に顔を向けるルゼ。






 それと同時に足元から大きな爆発音が聞こえてきた。


 さらにそれに連鎖するように足元が突然ひび割れ、崩れだした。






「え?なに?どうなってるの!?」


 何が起こったのかわからないと、狼狽えだすルゼ。しかし、その問いに答えを渡せるものはいないだろう。

 その場にいた皆が、あまりにも突然のことで困惑し、ルゼと同じく狼狽えるしかなかったからだ。


 ただ一人、披露困憊したジャックを除いては。


「ああ…。時間か…。」


 ジャックの呟きは、誰にも聞こえてはいなかった。

 否、その場にいた皆が、その呟きを聞き取れるほどの余裕がなかった。


「せめてイノセだけでも…!!」


 弟だけは助けようとジャックから足をどけてイノセの元に駆け寄ろうとするルゼ。だが、足場が崩れゆくせいで思うように動くことができない。


(駄目ッ!間に合わない!)


 やがて崩壊の規模は、戦っていた3人を巻き込んでしまうほどに大きくなり、イノセ、ルゼ、ジャックの三人はなす術もなく、地面の崩壊に巻き込まれ、その下の空間へと落ちていく。


「イノセ!!!ルゼ!!!」

「イノセさん!!!ルゼさん!!!」


 残されたレイナとキュベリエの悲痛な叫び声が、崩れた大穴に響く。

 だがそれも空しく、応えてくれるものは大穴の下には誰一人としていなかった…。

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