一回戦 前編
二人が言い合いをしていたあの場から離れたあと、ひとまずは町中を歩き、混沌の気配を探るということでお互いの意見が一致した。
しかし、ルゼは混沌の気配を探る力は鈍く、察知が困難である。現在は、イノセの感知を頼りに混沌のコインを探している。
なので今はルゼに出来ることは何もないのだが…。
「足手まといのままあたしは終わらないわ。コインの場所が割れたら、そこの番人の相手は任せて!」
この通り本人は全く気にする様子もなく、気合い十分である。両親に「弟を支えたい」と啖呵をきったその心意気は伊達ではないようだ。戦う時が来たら、存分に頼らせてもらおう。
そんなことを考えながら歩いていくと、だんだん混沌の気配が強くなっていくのを感じる。周囲を注意深く観察しながら歩を進めていく。そして、町の外れまで歩いたところで、気配の
大元があるであろう場所に辿り着いた。
そこは広い面積の更地であった。おそらく、相当立派な家が建っていたであろう。イノセの視界では、両端を捉えることは叶わない広さ。
その土地の中心に、二人の人影がイノセ達の視界に入ってきた。
一人はイノセ達よりも大柄な男。ボサボサな銀の短髪に黄色い瞳。裾が足の半ばまで伸びた白い羽織の下には簡素な甲冑が見える。両腕には頑強そうな籠手を装備しており、足には脛当が装着されている。額に白い生地に桃の絵が描かれている鉢巻を巻くその姿は、東洋の武将を連想させる。
もう一人は逆にこの場の誰よりも小柄で幼い顔つきの女性。見た目だけなら女の子と言っても差し支えないが、その姿からは不釣り合いな貫禄を醸し出している。その身に纏うのは上下共に茶色い作業着。顔や服には所々黒く煤けている。長い黒髪を一つに縛り上げたポニーテール、その髪の下から、黄色い瞳が見え隠れする。
大男はイノセ達の姿を確認すると、待ちくたびれたと言わんばかりに気だるそうに口を開く。
「やっと来やがったか。こちとらお嬢に頼まれて大急ぎで準備してきたってのによ。」
「…サードさんが言っていた番人って、タオさんとシェインさんだったんですね。」
タオ、シェインと呼ばれた男女二人を前にして少し目を丸くしたものの、すぐに調子を取り戻して話しかけるイノセ。
タオとシェインはかつて、調律の巫女であるレイナと旅をしていた仲間だ。この二人は一行の中でも古株で、レイナとの付き合いも一層長い。
元々この二人は「桃太郎の想区」と呼ばれる想区の出身で、タオは桃太郎の相棒として、シェインは鬼ヶ島で生まれた鬼の娘として暮らしていた。だが、二人の空白の書の持ち主が想区の運命に関わったことで、その想区の運命は大きく狂ってしまった。
戦いの最中で桃太郎は死に、鬼ヶ島も壊滅状態にまで陥った。本来なら存在しないはずの自分達のせいで、こんな凄惨な結末を招いてしまった。満身創痍になりながらその事実を前にして、自暴自棄になった二人は出会い、共に想区を出た経緯がある。
イノセやルゼも、幼い頃から世話を焼いてもらってることもあり、すっかり気の置けない中である。
「でも、何でシェインさん作業着姿なの?着替えてからでも良かったんじゃない?」
「神殿の施設のメンテナンスをしてたんですよ。どこぞのお転婆さんが仕事を増やさなければ、そのぐらいの余裕もあったんですがね。」
「あぅ…。」
ルゼから服装のことをを突っ込まれたシェインは、恨みやら怒りやら呆れやら色んな負の感情を込めた言葉で彼女に突っ込み返す。この恨み言を受けて、さすがのルゼも大層気まずそうだ。
シェインは一行の中でも手先が器用であり、旅先でもそのスキルを遺憾なく発揮してきた。現在はこの想区で主に神殿内の施設等の整備をしているのだが、今朝のルゼが起こした騒動のせいで、彼女が壊した装飾や備品など、諸々の復旧に追われる羽目になってしまったのだ。であれば、彼女が嫌みを言いたくなるのも当然である。
このままではシェインの小言が長くなってしまいそうだと感じたタオは、自身の隣の小鬼を制止する。
「まあその辺で勘弁してやれよシェイン。今はもっと大事な仕事があるだろ?」
そう言ってタオが取り出したのは、サードが見せてくれたものと同じコイン。取り出した「それ」からは、変わらずおぞましい気配を感じる。
「こいつが欲しいんだろ?」
タオの言葉にイノセは真剣に頷く。ルゼも真顔で、力強く何度も頷いてみせる。あんなに頭を激しく動かして、目眩でも起こさなければいいのだが。二人の反応を見たタオはコインを再びしまい、不適な笑みを浮かべる。
タオは身の丈程の大きさの幅広の太刀を。シェインは腰の脇差しを抜き取り、構える。
「分かってるだろ?欲しけりゃ力ずくで奪いな!」
「今回は試験ですからね。私は栞は使わないであげます。捻り潰してあげますから存分にかかってきなさい。」
「上等よ!やってやるわ!!」
「…いきます!」
タオの啖呵と、シェインの挑発に応えるように、イノセも受け取った栞を手に取ると、自らの空白の書に挟み込んだ。その瞬間、彼の体は光に包まれ、その姿を変える。人々によって語られ、伝えられてきたヒーローと一つになるーーコネクトーーが始まる。
それは獣を狩り、か弱い女の子を助ける一人の中年の男。筋骨隆々とした身体と、手に持つ剣と背中の銃が、彼が猟師であることを伺わせる。彼に定められた名は無く、後の人々によってこう呼ばれることになる。
「狼の森の猟師」と―――
光が収まり、その場に姿を見せたのはイノセの姿ではなく、そのヒーローの姿であった。
イノセは猟師ではないが、まるで普段から慣れ親しんだかのように、慣れた手付きで剣を持ち、構える。頭の中に、ヒーローの声が木霊する。
―――相手は狼…ではないようだな。だが、私の力が必要なのだろう?この力、存分に奮うがいい。
(はい。お願いします。猟師さん)
頭に響くヒーローの声に答えながら戦闘態勢に入る。そのまま、隣にいる姉にも声をかける。
「姉様!姉様も早く栞を!!」
隣でコネクトを終わらせて、戦闘準備万全の状態の弟。ルゼも遅れを取るまいと、サードから受け取った栞を使い、弟に続いてコネクトを開始する。
「チェストォォォォォォォォォォォォ!!!!」
…そうすると思っていた。少なくとも、その場にいたルゼ以外の3人は。
あろうことかルゼは受け取った運命の栞には目もくれず、そのままタオに向かって飛び蹴りをお見舞いしたのだ。
生身で戦いに挑んでくるなど露程も想像していなかったタオは、反応が間に合わず、ルゼの飛び蹴りをまともにくらい、後ろへ大きく吹き飛ばされてしまう。
突然の予期せぬ光景にその場にいた者達は皆、呆然とするしかなかった。
だが、すぐに正気に戻ったシェインは、あわててルゼを諌める。
「な…何しているんですかあなたは!!なんのために栞を貰ったんですか!そこまでおバカだったんですか!?」
慌てた様子のシェインの言葉。だがルゼ本人は、さも当然のように言い返す。
「だってコネクトするのにも時間掛かるじゃない!!栞を手にとって挟んで変身して…って!そんなまどろっこしいことやってられないわ!!だったら最初から自分の体で戦った方が早いわ!なんのために師匠に稽古をつけてもらったのよ!!そうよ!師匠との稽古の成果をみせるのは今なの!!」
「そのまどろっこしい手段で、私たちは今まで生きてきたのですがね…。」
あまりの暴論に力が抜けたシェインを余所に、自分が蹴り飛ばし、仰向けになったままのタオに言葉を続ける。
「さあタオさん!早く立ち上がらないと、このままコイン奪っちゃうわよ!このくらいの攻撃、あなたならどうってことないんでしょ!」
相手はかつて世界を混沌から救った調律の巫女一行の一人。立派な英雄の一人である。そんな相手に対しても欠片も臆すること無くルゼは高らかに叫ぶ。
その声を糧に動くかのように、痛みで顔を歪ませながらも不敵に笑いながらタオは立ち上がる。
「あったり前だよ、くそっ…いきなり手荒な挨拶してくれるぜ…!」
身体に力を入れて立ち上がると、再び太刀を構え、気合いを込めて啖呵を切る。
「おもしれぇ!このケンカ、勝ちは俺が絶対いただくぜ!!」
「いいえ!勝ちはあたしのものよ!」
お互いに我が勝鬨を上げんと宣言し合い、ルゼは強く地面を踏み込み、タオは太刀を持つ手に力を込めて、激突し合う。
その様子を傍らで見ていたシェインが、呆れながらも一人ごちる。
「あの二人、この戦いの主旨ちゃんと分かってるんですかね…。ただのケンカになっちゃってますよ。…仕方ありません。私もお転婆姫をつついてきますか…ッ!」
タオに加勢しようとしたシェインを、一つの剣筋が襲いかかり、とっさに脇差しで受け止める。それは他でもない、イノセが振るった剣によるものであった。二人は鍔迫り合いの状態を保ったまま、互いに目を離そうとしない。
「姉様の邪魔はさせません…!あなたの相手は、僕がします…!」
相手はあの調律の巫女、両親の仲間の一人。そう思い、本気の力を込めて剣を振り下ろしたつもりだ。だのに当のシェインは、その場から一歩も動くこと無く、涼しい顔で対応する。
「あくまであなたの姉の援護に徹するつもりですか。いいでしょう。一秒でも長く、私をてこずらせてみせなさい。」
タオと違い、不意打ちに狼狽える素振りすら見せずに淡々と答えるシェイン。今の鍔迫り合いだけでも、彼女と自分の実力の差を感じさせられるイノセ。だが、臆してる場合ではない、そんなことでは、これから先の旅を成し遂げるなど夢のまた夢。
今はただ、自分の役割ーー姉の戦いを邪魔させないことーーに専念する以外に選択肢は無い。緊張やプレッシャーで頭がいっぱいになりながらも、そう心に決めたイノセであった。
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