覚悟

「これで今月10件目…かな?ルゼの器物破損問題は。」

「まったく…。あの子のお転婆にも困ったものね。一体誰に似たのかしら。」


 ルゼの破天荒な行動にエクスは苦笑いし、レイナは呆れ果て、ため息をつく。そんな二人の反応に、イノセもかける言葉が思い付かず、ひきつった笑顔を浮かべる他なかった。


 今、廊下を掃除している少女―――ルゼ・フィーマン―――は、エクス、レイナの子供であり、イノセの姉である。ただ、血の繋がった姉弟であるイノセとは全く正反対なタイプの人物である。勉強家で穏やかな性格のイノセに対し肉体派で猪突猛進を絵に書いたような性格で、幼い頃から母の話を聞くよりも、外で体を動かすことを好む人間だ。

 その気質は服装にも表れており、イノセが今、襟つきの白い長袖のシャツに黒い長ズボンという出で立ちに対し、ルゼはタンクトップに短パン姿…と、肌の露出が多い。動きやすさ重視なのだろう。

 彼女の普段の言動から、フィーマンの想区の住人達からは呆れられつつも「姫様」と呼ばれており、なんだかんだで慕われている。


「そ…それより、さっきの姉様の申し出は、どうするつもりですか?断っても、無理矢理ついてきそうな勢いでしたけど…。」


 すっかり逸れてしまった話を戻すために、イノセが両親に問いかける。その問いに、両親も慌てて話を再開する。


 「そうね…。私達も、誰かがあなたに付いてくれるのは好ましいわ。でも、私を含めた仲間達の殆どはこの想区を動くことはできないし、だからといって、この想区に住む空白の書の持ち主達の中で、険しい旅に耐えうる力がある人は、限られてくるわ。」

 「僕は引き続き、フォルテム学院の人達と共に、カオステラーを押さえなきゃいけないしね。シェインに頼むことも考えたけど、立候補してくれるなら、こちらとしても助かるよ。」

 「イノセの言った通り、あの子ならダメって言っても、聞かないでしょうし…。」


 ―――かつて、調律の巫女一行の仲間達。

 エクス、レイナも含めると、その数は7人。彼らもかつては、想区から想区へと渡り歩いてきた旅人達だ。今エクスが口にした「シェイン」というのも、その仲間の一人である。

 しかし、エクスとシェインを除いた仲間達は、以前の旅の最中に起こった戦いの影響で、フィーマンの想区を出ることができなくなってしまったのだ。旅を終えて以降は皆、フィーマンの想区の守護人として暮らしている。

 自分達が付いていくことができないこともあり、二人共、ルゼが付いてくることは、前向きに考えてくれるようだ。

 「ただし。」

 「…?」






 「お…終わりました~お父様~…。」


 しばらくすると、掃除を終えたであろうルゼが、先程とは打って変わって覇気のない声をあげて再び部屋に入ってきた。その足取りはふらふらで、いかに疲弊しているかが伺える。着席したルゼにエクスが声をかける。


 「お帰り。ルゼ。ちゃんと元通りにしてきたかい?」

 「ブレーメンの皆や3匹の子豚達に見張られながら片付けたから大丈夫のはずよ…。めちゃくちゃ言われながらね…。皆あそこまで怒ることないでしょ~…?」

 「…姉様、自業自得って知ってる?」

 

 ルゼが廊下を走った時に騒いでた者達の名前を連ねて愚痴をこぼす様子に、多少な呆れを見せるイノセ。今回のような騒ぎは神殿内の者達にとっては最早日常になってしまっている。

 ルゼがはしゃぎ、イノセ、レイナに止められ、エクスに咎められ、落ち込みながらルゼが後始末をする。皆、この光景に慣れてしまったものであるが、懲りるということを知らないのだろうかと、イノセはため息をもらす。


 「って、こんなことで疲れてる場合じゃないわ!お父様!イノセの旅の話の続き!私も弟に付いていくからね!!一人で行くなんてお父様とお母様が許しても、あたしが許さないから!!」


 悶々としてるイノセを尻目に、突然思い出したかのように本来の話を切り出すルゼ。先程の疲弊はどこへいってしまったのだろうか。

 

 「ルゼ!待ちなさい!!この旅がどういうものか、分かって―――」

 「レイナ、落ち着いて。ルゼも、まずは僕たちの話を聞くんだ。」


 勢いで話を通そうとするルゼに、必死に止めようとするレイナ。興奮の収まらない二人の間に割って入るエクスの言葉。一家の大黒柱であるエクスの言葉に、二人も否応なしに意識を向ける。


 「でもエクス!これは勢いで済ませていい話じゃ…。」

 「ただ怒鳴り合うだけじゃ話はいつまでも進まないよ。これじゃあただのケンカだ。僕からも話をさせて。」

 「むぅ…。」


 レイナはまだ言いたいことが山とある、と言いたげな様子だったが、エクスから諭されたことで、少し冷静になったようだ。渋々ながらも、一歩身を引くことにする。

 父の発言で頭が冷えたのだろう。ルゼも落ち着きを取り戻したようだ。姿勢を直して、エクスの発言を待つ。


 「ルゼ。改めて聞くけど、この旅がどんな旅になるのか、理解はできてるかな?」

 「…イノセが、カオステラーを調律できるようになるための旅…よね?」

 「そう。そしてその後、レイナの跡継ぎとして、本格的にカオステラーを調律する旅を始めてもらうことになる。今の段階では、調律を行えるようになるかはまだ定かではないけどね。」


 ルゼを諭すように、優しく、しかしハッキリとした口調で話を続けるエクス。そして、彼女にある事実を突きつける。


 「ルゼ。君は、フィーマンの一族としての力はあまり強くないよね。少なくとも、イノセよりは。」

 「ッ…!!」


 父の口から告げられた言葉に、ルゼは「ギクッ」とした反応を見せる。指摘を受けた彼女の表情は、この上なく気まずそうだ。

 調律を行う力は、フィーマンの一族の血筋と箱庭の王国があれば使えるというものではない。幼少の頃から、力を正しく行使するための訓練を行う必要があるのだ。

 そのための訓練というのが、「物語を聞く」という行為である。調律というのは、歪められた物語をあるべき姿に戻す儀式である。それを正確に使うためには、幼き頃から色んな物語に触れ、理解し、己の中に吸収する必要があるのだ。

 エクス、レイナが子供達に色んな物語を読み聞かせていたのは、一族の力を目覚めさせる意図もある。ただ、両親の語る物語に興味を示したイノセはともかく、ルゼはあまり興味を示さなかった。両親の話を聞くより、外で運動をする方が好きだったのだ。いくら本人に素質があっても、磨き上げなければ、開花しようもない。


 「君に調律の力が使えない以上、君の力ではカオステラーをどうすることもできない。君は、弟が心配だから旅についていきたいと、そう言ったね。ならば、この旅で何をするつもりなんだい?どんな風にイノセの助けになるつもりなんだい?」


 エクスから投げ掛けられる疑問の数々。真剣な表情での問いに、あれほど騒いでたルゼも、気圧されそうになる。

 さらにそこへ、ルゼに追い討ちをかけるエクスの厳しい言葉。


 「もし生半可な気持ちでついていくと言ったのならば、僕は動向を絶対に認めない。半端者の足手まといを連れていけば、イノセを死なせることになる。」


 先程よりも険しい顔でルゼに詰め寄るエクス。その言葉は、普段の彼からは想像もできないほどの非情なものであった。それはすなわち、この旅において、ルゼの存在がイノセを殺すかもしれないということである。


 「ちょ…ちょっとエクス!」

 「レイナ。これは子供達の命に関わる大切な問題だ。これから僕たちは、危険な戦場へ二人を向かわせるんだから。」


 抗議をするレイナだが、エクスの主張に反論もできずに押し黙るしかなかった。

 レイナも、昔の旅の最中で、幾度となくその命を危険に晒してきた。それは仲間達も同じこと。それだけではない。旅の半ばで絶望を味わったことも一度や二度とではない。己の役割に疑問を抱いたこともあった。仲間が道を違え、離れたこともあった。

 明日も知れぬ旅の辛さ、危険性、恐怖をレイナ達は嫌と言うほど知っている。エクスの言葉の重みが痛い程わかる。だからこそ、エクスの話を黙って聞くしかなかった。


 そして、当のルゼも、拳を握りしめ、口を固く閉ざすばかりで、何も言おうとしない。エクスの厳しい指摘に、言葉がでないのだろう。

 どんなに声を上げたところで、力無き者、覚悟無き者の発言には、何の重みも、説得力もない。自分の発言は軽率だった。自分のお節介は、お荷物にしかならない。それどころか、父の言ったように、たった一人の弟を自分のせいで死なせるかもしれない。それであればいっそ、家に留まったほうが懸命だろう。弟の旅の無事を祈るしかないのだろう。そんな考えが、彼女の頭の中で巡っているかもしれない。

 それが分からないほど、ルゼも馬鹿じゃない。悔しさを噛みしめながらも、己の軽率さを恥じ、諦めるのだろう。

 3人はそう思っていた。








バァァン!!!!







 

 そう、思っていた。

 だが、当の本人は…違ったようだ。







 「お父様の、大馬鹿あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 テーブルを渾身の力で叩いたあと、ルゼの口から発せられたのは、父に向けた精一杯の怒りの声。

 突然の大声に面を食らう3人を尻目に、ルゼが言葉をヤケ気味に続ける。


 「危ない旅なのは分かってるわよ!!あたしだって怖いわよ!!みんなからお転婆だの馬鹿だのよく言われてるけど、そんなこととぐらい分かるわよ!!」


 声を荒げてありったけの力で心の内をぶちまける。しかし、これだけで彼女の気は到底収まらない。


 「この旅で何をするか?どんな風にイノセを助けるか?そんなの決まってるじゃない!!イノセを傷つけようとする奴らを片っ端からやっつけてやるのよ!あたし、こう見えてもイノセの背中を守れるぐらいの力はあるんだからね!小さい頃から師匠に沢山稽古つけてもらったんだから!!この稽古の成果を今見せないでいつ見せるの!?それからイノセがへこんだりしたら私が背中ブッ叩いて気合い入れて元気付けてやるの!お母様だって、自分のやってることが正しいかすっごく悩んだんでしょ!?イノセだって旅の途中で悩んでしょげることだってあるかもしれない!そんな時に元気付けられるのは誰!?お姉ちゃんのあたししかいないでしょ!!イノセを支えてあげられるのはいつもイノセの隣にいるあたしだけなの!!!」


 一体どこからこんな声が出るのか、息継ぎもほとんどせずに力説を続ける。興奮のあまり顔が真っ赤になり、声も掠れてきてるが、ルゼは気に止める様子は全くない。おそらく、神殿中にこの声は響き渡ってることだろう。


 「あたしは絶対に足手まといになんかならない!!イノセを守って!イノセを励まして!二人でこの旅を成功させるんだ!!それがお姉ちゃんであるあたしの『役割』なんだ!!!!!!」


 シン………。


 ルゼの心からの叫びが終わった途端に訪れる静寂。何一つとして音が生まれない空間が、一瞬だけ生まれた。程なくして息切れしたのだろうルゼの激しい呼吸音が空間を支配する。

 その数秒程の静寂のあと、呆気にとられてた両親の口から飛び出たのは…。


 「くっ…あっはははははははははははは!!」

 「フフッ…あはははははははははははは!!」


 笑い声。それも腹の底から出るとびっきりの。

 突然腹を抱えて笑いだした両親に、イノセとルゼも我を忘れて呆けてしまう。

 だが程なくして正気に戻ったルゼが必死に両親に訴える。


 「って、ちょっとお父様!お母様!もうそれ以上笑わないでよ!!せっかくあたしが真剣に答えたって言うのに!!」

 「ああ、ごめんごめん。はははっ…。こ…こんなにがむしゃらに答えるなんて思わなくて…。くく…。」

 「もう…顔真っ赤にしちゃってホントに必死だったのね…ふふっ…。」

 「こ、これはあの、その…。もういいでしょ!やめてよーーーー!!」


 レイナに指摘されて急に恥ずかしくなったのか、ルゼが涙ながらも訴える。だがそれも空しく、両親の笑いをとめることはできず、しばらくの間、二人の笑い声が神殿内に響き渡ることになる。





 

 「…二人共、もういいですか…?」

 

 自分の旅の話だと言うのに、なんだか蚊帳の外にいるようななんとも言えない気分のイノセの言葉に、二人はようやく落ち着きを取り戻す。


 「いやぁ、イノセもごめんね。すっかり置いてけぼりにしちゃって…。」

 「私達は…もう大丈…夫…ふふふっ。」


 ようやく本来の話に戻ってくれそうで、少し安堵するイノセ。レイナがまだ少し吹き出しているし、ルゼはまだ羞恥心で耳まで真っ赤に染まっているが、まあなんとか話はできるだろう。多分。


 「…よし、話を戻そう。ルゼ、きついことを言ってごめんね。君がどれ程の気持ちで動向を名乗り出たのか、確かめる必要があったんだ。でも、今ので十分長旅に耐えられる覚悟が出来てるのはわかったよ。少なくとも、気持ちの面は問題ないみたいだね。」


 ひとしきり笑ったあと、いつもの穏やかな表情に戻ったエクス。その言葉に、ルゼの目にも光が灯る。


 「じゃあ―――」

 「ただし。」


 喜びを隠そうともしないルゼの言葉を遮り、エクスは続けて告げる。


 「その覚悟に実力が伴うかは別の話だ。過酷な戦いになるのは明白だからね。本当に戦う力が備わっているか、少し試させてもらう。」

 「実技テスト…ってことね。分かった。お父様からの挑戦。受けて立つわ!」

 「話が早くて助かるよ。それじゃあ…。」


 やる気十分とでも言いたげに気分を高揚させるルゼ。それを見たエクスは、何もない筈のイノセ、ルゼの後ろを見つめて…。


 「サード。いるかい?」


 誰もいない空間に声をかける。

 すると…。


 「ハイハーイ。呼ばれて飛び出てなんとやら~ってね。」

 「うわっ!!サードさん!?」


 突然、子供達の背後に、一人の女性が現れた。二人が面を食らうも、サードと呼ばれた女性は気にかける様子もない。

 肩に被る長さの銀色の髪に、大きな薔薇の装飾が付いた鍔の広いハットを被り、その下から紫の瞳を覗かせる。黒い長袖のシャツの上から、同じぐらいの長さの袖の、足首まで隠れる長さの赤いワンピースを羽織り、上着と同じく赤いブーツを履いている。彼女も、かつて「調律の巫女一行」の一員として旅をしていた仲間だ。


 「ホントに、すっかり綺麗な女性になったよね。」

 「あれあれ~?隣に自分の奥様がいるのに堂々とナンパするわけ~?そんなこと言ってると、レイナさん拗ねちゃうよ?」

 「っもう!今さらそんなことで怒らないわよ!エクスのことは、心の底から信じてるから。」


 仲間同士の他愛ない会話。さらにさりげなくレイナが惚気を挟み込む。さすがに少し気恥ずかしいのか、エクスが顔をほんのり赤く染める。そんな二人を見てサードはわざとらしく呆れ返る。

 

 「お惚気話を聞かされるために呼ばれたの~?だったら僕帰っちゃうよ?」

 「あぁ、ごめんごめん。」

 「冗談だよ。イノセとルゼのことだよね。話は聞いてるよ。」

 「ありがとう。早速頼むよ。」


 トントン拍子で話が進んでいく。状況が飲み込めないイノセは慌てて説明を求める。

 

 「ま、待って下さい父様!一体なにをさせるつもりなんですか?」

 「さっきも言ったろ?旅に加わるためのテストだよ。イノセ。君も一緒に受けるんだ。ルゼが一緒に行くなら、二人のコンビネーションも確かめないとね。」


 そう言ってエクスは自分のポケットから、あるものを取り出し、イノセの手に握らせる。握らされたそれは、縁が金色で、赤いリボンが結びつけられた茶色い栞のような変わった形の薄い板だった。


 「『導きの栞』の使い方は、言うまでもないよね?」


 その手の中にある板―――導きの栞―――を握りしめ、戸惑いながらも、イノセはとりあえず頷いてみせた。

直ぐ様サードが、イノセ、ルゼを自分の体に寄せる。


 「じゃあサード、お願いするよ。」

 「任せて!じゃあ二人とも、いっくよー!」


 サードが返事をしたと思ったら、次の瞬間には、サード、イノセ、ルゼの3人はその場から跡形もなく、部屋の中には、エクス、レイナの二人だけが残されていた。

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