姉弟

 「グリムノーツ…って、まさかあの!?」


 想区の名前を聞いた瞬間、イノセは思わず目を丸くした。


 グリムノーツ―――

 

 調律の巫女が生まれる前に存在した、空白の書の持ち主達によって結成された一団の名前。この世界の成り立ちを解き明かさんと、様々な想区を渡り歩いた者達。

 彼らは旅の最中で出会いや別れを繰り返しながら世界を巡り、その果てに「フィーマンの想区」に根を下ろし、解散したという。


 「ええ。そうよ。箱庭の王国は、元々グリムノーツに所属していた創造主達が健在だった頃に作られた物なの。」

 「創造主…。物語の語り部達のこと…ですよね。」


 レイナから明かされたのは、箱庭の王国のルーツ。そしてこの世界の根底に関わるもの達の名前。


 「そう。以前、あなたにも話した私の育ての親でもある『おじいさま』…ヴィルヘルム・グリムもその一人よ。」


 昔のことを思い出し、懐かしむ様子を見せながら語るレイナ。

 

 創造主―――


 この世界に存在する伝承を描き、語り、詠った存在。想区の中で演じられる物語は、彼らが語った物語が元になっているものも多い。かつてグリムノーツは彼らの魂を召喚し、仮初の肉体を与え、仲間として迎え入れた。

 グリムノーツが解散した後も、世界を蝕むカオステラーや、それを産み出す混沌からこの世界を救うため、調律の巫女や再編の魔女達と共に戦ったという。

 イノセ自身も、この事は両親や学院を通じて学んでいる。


 「創造主達は、僕達の旅の最後に自分達の使命を終えて、この世を去った。だけど、その後も僅かに生き残った創造主達によって、グリムノーツの想区が創られ、その中で蘇ることができたんだ。再編の魔女達が、旅をしていた頃の話だよ。」

 「人が…、生き返ったってことですか?」


 イノセの問いに、エクスは頷いた。

 エクスの話の壮大さに、イノセはただただ呆然とするばかりだった。

 創造主は、想区の元となった物語を綴った、言わばこの世界の神とも言える存在。

 そんな人達であれば、想区を創るなんてことも可能ではあるだろうが、それでも、自分達の手で新たな想区を創るなどという真似が人に出来るのか。更にそこで、一度消滅した魂が蘇るという、あまりに常識から逸脱した所業か起こったというのか。

 一体、そのグリムノーツの想区とはどんなところなのだろうか。イノセにはとても想像がつかない。


 「色々と混乱しているだろうが、今は置いといて。とにかく、グリムノーツの想区へ行って、創造主達に相談してほしいんだ。箱庭の王国なんて物が、そうそう作れるとも思えないけど、グリムノーツに所属していた彼らなら、調律を行うための他の方法を思い付くかもしれない。」


 つまり、その想区へお使いに行ってきてほしいというこということなのだろう。お使いと言うには、些かスケールが大きすぎる話ではあるが。


 「…グリムノーツの想区にたどり着く前に、カオステラーに遭遇することも考えられますよね。」

 「そうだね。今、調律の力が使えない以上、逃げるしかできないだろう。ただ倒すだけではカオステラーを静めることはできないから。悔しいかもしれないけど。」

 

 カオステラーにとりつかれた者を仮に殺したとしても、その者に宿った混沌の力が、想区内の別の誰かに乗り移り、またカオステラーとなるだけ。倒すだけでは、何の解決にもならないのだ。仮に出くわしたところで、今のイノセにはどうすることもできない。

 

 「まずは生きてグリムノーツの想区へ向かうことが先決よ。それにもし襲われたとしても、抗う術はあなたに叩き込んだはずよ?」

 「確かにそうですけど―――」


 不安を隠せないイノセをレイナが叱咤したその時、なにやら廊下で人の走る音が聞こえてきた。

 その音はどんどん大きくなっていって、しまいには物がぶつかる音や人の叫び声が聞こえてくる。


 「うわっ危なっ!ちょっと走らないで姫様!」

 「あらあら、相変わらず元気なこと。若いわね~。」

 「あーっ!!そこせっかく直したのにー!!」

 「ごめんなさーーい!!」


 驚いた声や怒りの声などか響き、さらに今走っているであろう女性の謝罪の声が聞こえてきた。足音が止まないことから、走りながら謝っているのであろう。

 走る音がイノセ達の部屋の前までたどり着くと、扉が壊れそうな程の勢いで開かれ、一人の少女が部屋に突っ込んできた。


 「お父様ーーーーー!!お母様ーーーーー!!」


 鼓膜が破けそうな程の大きな声をあげながら、であるが。

 部屋に押し掛けたその少女は団子状にまとめた金髪を煌めかせながら、勢いはそのままにエクスとレイナに詰め寄る。


 「食堂のテーブルの上にパーン先生からの手紙があったんだけど、この内容どういうこと!?話に聞いてた調律の旅をまた始めるの!?いや、お母様は管理の仕事があるから無理よね!!じゃあ誰がカオステラーをしばきたおすの!?もしかしてイノセが旅をするの!?一人で!?ならあたしも一緒について…」

 「ちょ、ちょっとルゼ待ちなさい!!一方的に喋らないで!!一回落ち着きなさい!!」


 いきなり部屋に入るなり、興奮しながら矢継ぎ早に問いを投げ掛ける「ルゼ」と呼ばれた少女に、レイナは気圧されながらも必死に諌める。

 その様子に呆気にとられてるイノセに、ルゼはいきなり抱きつき、その場にいる3人に声を大にして訴えかける。


 「とにかく!!可愛い弟を危険な目に遭わせるわけには行かないでしょ!あたしもついていくんだからね!」

 「うわっ!?ちょっと姉様!いきなり抱きつかないで!」


 いきなり抱きつかれて慌ててるイノセの訴えを意に介さず、勝手に話を進めようとする。

 すると、ルゼが乱入してから沈黙を通してきたエクスの口が開かれる。


 「ルゼ。君の言いたいことはわかる。旅の道中、イノセの身になにかあったときのために、誰かがその場にいてくれるのならば安心できる。イノセ自身が目的地に辿り着けなければ、どうしようもないからね。」


 落ち着いた態度を崩さず、リュセの主張を拒むこと無く聞き入れるエクス。その言葉を聞いて、ルゼの表情が一気に明るくなる。


 「それじゃあーーー」

 「その前に。」


 ルゼの言葉を、先程より張り詰めた声で遮ったエクス。そして、扉の方を指差して、


 「…廊下を片付けなさい。」


 ただ一言、そう告げた。

 エクスの指の先の方向からは、ガヤガヤとした声や、物を動かす音が聞こえている。おそらく、廊下にいた者達が、先程ルゼが全速力で走ったことで壊れた内装や備品を片付けているのだろう。


 「で…でもお父様!今、大事な話の最中じゃあ―――」


 「片 付 け な さ い。」


 先程ルゼに告げた言葉を、強めのトーンで再び彼女に突きつける。

 その顔は、笑顔ではあるが、いかんせん目が笑っていない。


 「あ、はい、すみません…。」


 その笑顔から溢れる気迫に、すっかり気圧されたルゼは、素直にエクスの言葉を聞き入れる。

 普段は穏やかな性格で、滅多に怒らないエクスであるが、その分、怒らせたら家族の中でも一番怖いのも彼である。こうなってしまったら、その気迫に誰も逆らえないのだ。


 その後暫くの間、廊下から力無く謝罪をする少女の声と、片付けをする音が鳴り響くことになった。

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