英雄の子
「…って、この本はもう読んでたな。」
そう独り言を呟きながら、青年は読み上げた本を閉じる。そして、自らの机の端に置いた。
(この前にフォルテム学院から借りた本、もう全部読み終わっちゃった。今度行くときに新しい本を借りてこよう…。)
そう考えながら、椅子の背もたれに寄りかかり、赤と金の瞳を天井へ向けて、ため息を漏らす。
この世界には、「想区」と呼ばれる無数の世界が存在する。そこは童話、史実、民謡等、かつて世界中で語られてきた物語を元にして創りだされた、言うならば巨大な舞台のような世界だ。
この想区で暮らす者は皆、「運命の書」と呼ばれる本を持っている。
その本には、世界中で語られた物語に名を刻んだ英雄達に基づいた人生が記されている。
あるものは悪と戦う勇者。ある者は誰もが羨む美しき姫君。あるものは身の毛もよだつ悪役。
その書に記された運命に倣い、人々は自分の人生を全うするのである。その生き様は人々の心に深く刻まれ、語り継がれ、その役割は新たな世代へと受け継がれるのだ。
だが稀に、何の運命も記されていない真っ白な運命の書、「空白の書」を携える者が現れる。
青年が読んでいた本は、空白の書の持ち主達の旅の軌跡、「語られざる英雄」についてまとめた本だ。何も書かれてない運命を語り継ぐものはいない。この本は、そんな空白の運命を歩んだ者達の人生を語り継ぐために綴られた本だ。これに記された者達は皆、それぞれ己を貫き通し、大きな功労を成し遂げた者達だ。
世界の真理を解き明かそうとした者、数多の想区を股にかけて広大な旅をした者、世界を脅かす存在に人知れず戦った者など、その功績の数は枚挙に暇がない。
空白の書の持ち主の数は決して多くはないがこれからも生まれてくる。今後も、この書に記されることになる人間が出てくることであろう。
かつてこの世界を巡った「調律の巫女」や「再編の魔女」、そして「グリムノーツ」のように。
(僕もいずれはこんな風に、誰かに自分の人生を語られる時が来るのだろうか…?今の僕には、想像も出来ないや。)
頭の中でそんな思考を廻らせていたその時、自室の扉をノックする音が聞こえた。
「イノセ。いるかい?僕の部屋に来てくれ。大事な話がある。」
扉の向こう側から、男の声が聞こえてきた。
「はい。今向かいます。父様」
青年―――イノセ・フィーマン―――は声の主のいる方向に、そう返事をした。
グリムノーツreport
ここは、この世界の想区の中でも異質な「フィーマンの想区」。ここは、住民のほとんどが「空白の書」の持ち主であり、運命が定められた者も、大まかな記述しか持たない。そして、この想区の均衡を守る管理者、及び関係者の居住所である「調律の神殿」。イノセが暮らしている場所でもある。
イノセが、父親が待つ部屋に入るとそこに待っていたのは、金の瞳を持つ、父親とみられる男性と、薄い金の長髪の女性が、席についてイノセの到着を待っていた。二人の席からテーブルを挟んだ向かい側の席に、イノセも着席する。
「イノセ。あなたに、旅に出てもらうわ。」
席に着くや否や、薄い金色の長髪の女性―――レイナ・フィーマン―――に、そう告げられた。
「…単刀直入ですね。母様。」
そう言いつつも、イノセからは、困惑の色は見えない。
「もっと驚くかと思ったけど?」
「いつかこの日が来ると思ってました。それにしても唐突ですね。一体なぜ?」
そう問いかけるイノセに、レイナの隣の席に座っている落ち着いた雰囲気が漂う白が混ざった青髪の男性―――エクス・フィーマン―――が口を開く。
「イノセ。実はフォルテム学院のパーンから、重要な便りが来た。」
「パーン先生から?」
エクスの口から出た名前に食いぎみに身を乗り出すイノセ。
パーンというのは、フォルテム学院に所属している教師であり、かつて「再編の魔女一行」の一員として活躍していた人物である。その豊富な知識と穏やかな人柄で、学院内でも人気の教師だ。
何を隠そう、イノセもパーンの教えを受けている生徒の一人である。
幼い頃から両親であるエクスとレイナから、旅の最中で出会った色んな伝承を寝物語として聞かされてきた。
時に興奮し、時に怖く、時に微笑ましく、時に悲しい。そんな数々の物語に触れて、胸を踊らせる一時が幼いイノセは大好きだった。
そしてある日のこと、パーンから一つの連絡が届いた。それは、
―――フォルテム学院で、もっとたくさんの伝承を学んでみないか?―――
という内容だった。
突然の申し出に両親もイノセ自身も驚きを隠せなかった。イノセ自身も何日も悩んだが、ある日、両親に自分の気持ちを打ち明けた。
「僕、行ってみたい。まだ知らない物語の世界に、触れてみたい。」
そう答えたイノセの思いを汲み取り、両親は学院へ送り出したのである。
自分に学ぶ場所を与えてくれた、そんな恩師からの重要な便りとは、一体何なのか。イノセに緊張が走る。
「カオステラーのことは、知っているね?」
カオステラー。想区に混沌をもたらし、崩壊へと誘う存在。己が運命を否定した者の、成れの果て。
運命の書の持ち主達は、ストーリーテラーに与えられた役割を演じて生きる。
しかし、運命を与えられたといえど、彼らも一人の人間。時に、自分の運命に疑問を持ち、苦悩するも者が現れる。
どこかで自分の気持ちに折り合いをつけられたらそれで良いが、中には己の運命に納得がいかず、憎悪し、憤慨し、嘆き、果てに絶望する者もいる。
そうした人物は、己が運命を変えんと、役割という束縛をもたらした世界を破壊せんとする混沌の語り部、「カオステラー」へと変貌してしまう。その後、カオステラーに支配された想区は想区としてのバランスを崩し、いずれ消滅する定めである。
昔、イノセの母である「調律の巫女」―――レイナ・フィーマン―――や、その後継者である「再編の魔女」と呼ばれた少女が、カオステラーを静めるために世界中の想区を旅していた。その旅の最中、カオステラーを人為的に生み出し、世界を破壊せんとする者達が現れた。旅の果てに、その者達との永き戦いを経て、世界は平穏を取り戻した。
それからカオステラーの数は激減したものの、発生そのものが無くなったわけではない。現在はイノセの生まれ故郷である「フィーマンの想区」の管理の為に動けない母に代わり、父であるエクスが、フォルテム学院の者達と共に事の収拾にあたっているのが現状だ。
とはいえ、調律の巫女であるレイナとは違い、エクスにカオステラーを静めるための術は無いため、被害が広がらないように、フォルテムの技術を用いてなんとか押さえつけているのが現状だが。
「はい。知っています。父様達からも、学院からも学びましたし、父様が、学院の職員の方々と共に、カオステラーを封じる現場に同行したことも、何度かありましたから。」
そう答えるイノセに対し、話が早いと言わんばかりにエクスは話を進める。
「実はここ最近、カオステラーの発生数が増えてきているんだ。正直、僕らだけでは手が回らないぐらいにね。そこで、君にもカオステラーを静めるために協力してもらいたい。」
エクスは真剣な眼差しをイノセに向ける。つまり、エクスが言いたいことは―――
「…僕にカオステラーを、調律しろと?」
顔を曇らせながら聞き返したイノセに対し、エクスは頷く。
調律―――
フィーマンの一族が持ちうる力。カオステラーによって均衡を崩した想区を元に戻す、唯一の手段。
かつて、調律の巫女である母がその力を用いて、数多の想区に溢れたカオステラーを静めていた。そして自分は、その「フィーマンの一族」である母の血を引いている。
いつか、自分がその役割を背負うことになるのは、分かっていた。自分以外に、この使命をはたせる者はこの世に存在し得ない。
だが―――
「調律のためには、『箱庭の王国』という道具が必要と聞きました。それは、もうこの世には存在しないことも。一体、どうやってカオステラーを調律すれば良いのでしょうか。」
不安のこもった言葉がイノセの口から弱々しく放たれる。
―――『箱庭の王国』―――
かつて、調律の巫女であるレイナが所有していた、一冊の本。カオステラーによって荒らされた想区を調律するために使用されたと言われている。この本と、フィーマンの一族の力が揃って、初めて調律が可能となる。
その「箱庭の王国」は、後に「再編の魔女」と呼ばれた少女の手に渡り、その少女も、仲間達と箱庭の王国と共に、この世とは別の世界へ消え去ったという。
異世界へ渡った、というのは些か現実性に欠ける話ではあるが、現状、箱庭の王国を返してもらうこともできない、ということは理解できた。
そんな状況の中、如何にしてカオステラーを調律しろというのか。
「ええ。あなたの言う通りよ。イノセ。今の時点ではまだ、調律を行うことはできないわ。だから、あなたにはまず、ある想区へ行ってもらいたいの。」
「ある想区…?」
オウムのように言葉を返したイノセに、レイナは透き通った声でハッキリと答えた。
「グリムノーツの想区よ。」
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