3
鵜ノ沢は目眩を感じ始めていた。
「だから僕はフィールドワーク向きじゃないって何度も何度も言ったのに僕がいると何かと便利だからとかって言って」
「あの」
「今の時代そんなの道具で何とでもなるのに荷物が減るからって連れ出されたはいいけどこれじゃあ僕がお荷物じゃないか」
「すんませーん」
「しかも鷹野くんってば僕を置いてどんどん先に行っちゃってあっという間に姿が見えなくなっちゃって追いかける途中で何かに足を引っ掛けたと思ったら落ち」
「あの!」
肩を揺すられ続けていた鵜ノ沢は、男の腕を掴み押さえつけた。はっとした男はひとつ瞬きをして、鵜ノ沢に頭を下げた。
「……ごめんね。ちょっと……混乱していて」
「いや……こっちこそ、さっきは思いっきり踏んでたし……悪かった」
鵜ノ沢は膝を支えに立ち上がり、男に手を差し伸べる。男は手を取り、鵜ノ沢に並んだ。
「こんなとこにいて普通にしてるってことは、あんたも能力者、なんだよな」
「そうだよ。僕は……ああ、失礼。自己紹介がまだだった」
男は白衣の下で肩に掛けた鞄から、名刺入れを取り出した。
「国立生体安全研究所、所長の
「え、っと、頂戴いたします」
鵜ノ沢は差し出された名刺を両手で受け取る。
「ここって……!?」
風早は柔らかく微笑んだ。
「そう、生体安全保証システムを管理しているところ。……といっても知っての通り、作り上げたのはだいぶ前の所長だし、僕らはほとんどメンテナンス係みたいなものだけどね」
風早は照れたように頰を掻いた。鵜ノ沢は慌ててポケットを探るも、徒労に終わる。
「……申し訳ございません。生憎名刺を切らしておりまして……」
気まずげな鵜ノ沢を見て、風早は軽快な笑い声を上げた。
「気にしないで、仕事鞄そのままで出て来て、たまたま持ってただけだから。とりあえず名前だけでも教えて貰えると助かるかな」
「申し遅れました。暎和出版主任、鵜ノ沢夏生、と申します」
「ふふ、硬くならなくていいのに」
「あー……じゃあ、普通に」
風早は名刺入れを鞄に仕舞い、頭を掻く鵜ノ沢と目を合わせた。変わらず穏やかな笑みを浮かべる風早に、鵜ノ沢の緊張が和らいでいく。
「……いやいや和んでる場合じゃねえ。早いとこあいつら探さねえと」
「僕も鷹野くんを探しに行かないと……」
互いに眉を顰めた鵜ノ沢と風早の間に沈黙が落ちる。間を置いて、風早は鵜ノ沢に遠慮がちな視線を送った。
「あの、鵜ノ沢くん。提案があるんだけど、いいかな」
「俺の想像が合ってんなら、むしろありがたいっす」
鵜ノ沢はジャケットの内ポケットに名刺を入れ、口元を緩める。風早は胸を撫で下ろした。
「よかった。じゃあ、お互いに仲間と合流できるまで。協力しよう、鵜ノ沢くん」
「こちらこそ。よろしく」
風早の握手に応えて、鵜ノ沢はにっと笑った。
鵜ノ沢は改めて周囲を観察する。部屋は広々としており、壊れた木製のベッドが部屋の隅に散乱するのみだった。天井に穴は空いておらず、扉らしき出入口も無い。壁を蹴るが、かなり丈夫なようで傷一つつかず、衝撃は蠢く肉に吸収された。
「……早速詰んでないすか、これ」
鵜ノ沢は風早を振り向いた。部屋の隅に屈み込んだ風早はベッドの残骸を手に持ち、考え込む素振りを見せた。
「壁は何とかなるんだけど……どこを壊しても別の部屋に繋がっているのかな。だとしたらありがたい」
「は? 壊す?」
鵜ノ沢には、風早が武器を所持しているようにも、この壁を破壊できるだけの怪力の持ち主にも見えなかった。風早は諦めたように深く息を吐き、鵜ノ沢へと顔を向けた。
「試してみなきゃ分からないよね。とにかくここを抜け出さないと話にならないし」
そう言って風早は部屋の中央へ歩くと、木片を握る手に力を込める。鵜ノ沢が立つ壁の反対側に向かって木片を投げつけ、鵜ノ沢に駆け寄った。
「鵜ノ沢くん、衝撃に備えて! 目閉じて耳塞いで!」
「え、」
「早く!」
言われるがまま、鵜ノ沢は風早の指示に従った。風早もまた耳を塞ぎ、鵜ノ沢の元へ辿り着いたところで、爆発音と爆風が部屋を満たした。
「うお、っ」
鵜ノ沢が思わず目を開くと、飛び散る肉片と砂煙の隙間から、風早が木片を投げた壁に大穴が開いているのが見えた。
「は……?」
やがて視界が明瞭になり、鵜ノ沢は穴の奥に続く部屋を視界に捉えた。同じ光景を目にしたらしい風早は警戒を解き、鵜ノ沢に笑顔を向けた。
「よし、これで大丈夫そうだね。行こうか、鵜ノ沢くん」
「は、はあ……」
風早の能力によるものだと察した鵜ノ沢は、ぶるりと体を震わせた。出会って間もないが、風早と敵対することにならなくて良かったと、鵜ノ沢は顔を引き攣らせた。
大穴を潜り、鵜ノ沢と風早は隣り合う部屋へ移動した。異形の姿は無く、ひび割れたコンクリートの通路が続いていた。左右に等間隔で並ぶ扉はひしゃげており、開きそうなものは見当たらない。先導しつつ風早の歩調に合わせた鵜ノ沢は、そっと口を開いた。
「……さっきの、って」
「ああ、急だったよね。ごめん、びっくりさせちゃったかな」
「驚きはしましたけど」
衝撃を思い出し、鵜ノ沢は苦笑した。風早は躊躇いがちに口を開いた。
「僕の能力なんだ。爆弾を作り出す能力でね」
「は」
「物騒であまり好みじゃないんだけど、この状況じゃ我儘は言っていられないし」
困ったように言う風早に、鵜ノ沢は再び身震いした。言葉を返すことができず、鵜ノ沢の喉からは乾いた笑いのみが漏れた。
「これで全部ぶち破れば大将のところまですぐに行けるーって鷹野くんは言ってたんだけど、はぐれたら意味ないじゃないか……ねえ?」
「は、はは……そっすね……」
笑顔を繕う鵜ノ沢に微笑んだ風早は、壁に手をつき目を伏せた。鵜ノ沢の眉尻が下がる。
「……心配、ですよね」
「え。いや?」
「はぇ?」
当然のように放たれた否定に、鵜ノ沢は間抜けな声を上げた。
「だって、鷹野くんは僕よりずっと強いから。彼女が本気を出したら、むしろ僕がお邪魔虫になっちゃうよ」
風早がにこやかに言い、鵜ノ沢の描きかけていた鷹野像がぼやけていく。鵜ノ沢は改めて考えるが、女であることと強いらしいことしか残らなかった。
風早と鵜ノ沢は再び歩き出す。ひとつだけ、変形していない扉を見つけた風早が、ドアノブに手をかける。
「だから、僕自身のことのほうが不安だったかな。僕、運動とかあまり得意じゃないから。異形の大群にでも遭ったりしたら」
開かれた扉の先、床を埋め尽くす程の小型の異形と、最奥に立つ三体のⅢ型の姿。Ⅲ型は鵜ノ沢と風早を発見すると、愉しそうに嗤った。
風早は、そっと扉を閉めた。
「……こんな風に、困ったことになる」
「現実逃避しないでください!?」
鵜ノ沢は、笑顔のまま震える風早に思わず突っ込んだ。
「えーと、情報を整理しましょう。進める道はここしかない」
鵜ノ沢が扉を指差す。風早は力なく頷いた。
「……んで、この部屋には小さいのとはいえ異形がうじゃうじゃいる」
風早が再び頷く。がっくりと落とされた肩を、鵜ノ沢が軽く叩いた。
「ま、あんたの能力がありゃ超えられるでしょ。幸い材料には困らないだろうし」
「あー、うん……」
鵜ノ沢が浮かない様子の風早に首を傾げる。風早は、観念したように呟いた。
「さっきは、部屋が広かったからなんとかなったけど。こんな狭い部屋で使ったら」
「……俺達も無事じゃ済まない、っつーことっすか」
「ごめんね……」
またも落胆する風早を前に、鵜ノ沢は考える。
「僕達だけ爆風を回避できたらいいんだけど……」
「……それだ。それですよ、風早さん」
はっとしたように顔を上げた鵜ノ沢は、風早の手を掴んだ。今度は、風早が首を傾げる番であった。
「良いんだね。……行くよ」
風早に頷き、鵜ノ沢は扉を大きく開けた。風早が部屋の中に爆弾と化した瓦礫を投げ込み、強く目を閉じる。鵜ノ沢は這い寄る異形を睨み、風早の前に立った。
爆発音が二人の耳に届くことは、なかった。
「……え?」
目を開けた風早は、呆然と立ち尽くす。部屋の中は焼け焦げ、異形の多くは四散しているにも関わらず、風早の白衣がはためくことすらなかった。
「まだ、
奥に立つⅢ型は、一体は肉片となった小型の異形の死骸に混ざって倒れていた。その奥、不自然に積み上がった死骸の山が崩れ、陰から手を取り合い向かい合うⅢ型が二体、姿を現した。
「へえ」
Ⅲ型の笑い声が響く。鵜ノ沢の口の端が吊り上がり、駆けた。勢いのままⅢ型を蹴ると同時、転がっていた小型の異形の幾つかが再び積み重なり、Ⅲ型を守るように壁を作り上げた。鵜ノ沢は肉の壁を蹴り破り、距離を取る。崩れ落ちる壁と、耳障りな喚声。
「狡い真似してくれるぜ」
「鵜ノ沢くん……っ!」
「あんたは下がってな、あとは俺が
鵜ノ沢は風早に見向きすることも無く、笑いながらⅢ型を睨んだ。一体が足を突き出し、回転しながら鵜ノ沢に飛び掛かる。鵜ノ沢はⅢ型を叩き落とすと、奥に立つもう一体に向けて蹴り飛ばした。
「蹴っ、た……鵜ノ沢くんを見て、学習した……?」
呆然とする風早に構わず、鵜ノ沢は倒れ込んだ異形に駆け寄る。もう一体が横から腕を振りかぶり、鵜ノ沢は飛び退いて爪を躱した。
「おっと。テメーらみたいなのでも、お仲間が大事ってか?」
──ナカマ、ナカマ、アハハハハッ
──キャハハ、ナカマ、ダイジ
「そうかい」
「……対話。言語の学習……?」
風早が目を見開く。
「そんな機能が異形にあるなんて」
「そんじゃあ仲良く、地獄に送ってやんよ!」
攻撃し損ね転んだ異形の首を片手で掴み上げ、締める。
──ナカマ
異形の笑い声は止まない。しかし、死骸を揺すり起こそうとするそれは。
「死を、悼んでる」
仲間を倒され、事実を受け入れられず、その体を揺すりながらただ起きるのを待つ。風早の目には、そう映った。
「安心しろよ。すぐにお前もおんなじところに逝かせてやるからよォ!」
鵜ノ沢が一歩を踏み出す。死骸の側で屈み込んだ異形が、小さく床を叩いた。はっとした風早が、鵜ノ沢を追う。
「待って、鵜ノ沢くん──」
鵜ノ沢が振り向き、風早が駆け寄った。瞬間、ぐちゃりと音を立てて、床が割れる。
「嘘でしょ!?」
「またかよっ!」
肉の床は、鵜ノ沢と風早を階下に叩き落とした。
落下した二人は、柔らかいものの上に、尻から着地した。
「痛っ……」
「……お互い、無事っぽいっすね」
大きな怪我が無いことを確認し、鵜ノ沢は軽く息を吐く。風早は呼吸を整え、鵜ノ沢に視線を向けた。
「さっきの。君の能力、だよね」
「ああ、そうっす。俺の能力は反転。さっきのは、爆風の勢いを」
「……反転させて異形に向けた、のか」
得意げに風早に頷き立ち上がろうとした鵜ノ沢は、バランスを崩し手をついた。
「え」
妙に足場が悪い。傾いた歪な床だと思っていたもの。鵜ノ沢が目を落とすと、自身が支えとしたのは、巨大なⅠ型の異形、その背であった。
「うおおおお!?」
「な、何!?」
肩を跳ねさせた風早に、鵜ノ沢は地を指差した。
「か、かかか風早さんっ!」
「え……うわああああ!?」
気付いた風早が鵜ノ沢の腕に縋り付く。鵜ノ沢も思わず風早の手を取った。半狂乱になりながらも、互いに手を放さない。大混乱である。
身を寄せ合う二人を振り落とすかのように、巨大な異形が大きく震えた。
「ささささっきの! さっきのやりましょう風早さん!」
「だだだ大丈夫!? すごい狭い! しかも周り! ガラス!」
「全部反転させますから! 早く!」
大混乱である。知らぬ間に片言になっている風早の肩を揺さぶり、鵜ノ沢がその手に無理やり肉片を握らせた。風早は慌てて肉片を握り締め、巨体に向かって雑に投げつけた。
音の無い爆風が渦巻く中、飛び散る赤黒い液体と肉片、ガラスの破片が二人に向かっては跳ね返る。しばらくの間固まっていた鵜ノ沢はガラスの破片が落ち切ったと判断し、巨大なⅠ型の死亡を確認して警戒を解いた。
「でかいけど脆い……助かった……」
深く溜息を吐く二人に、異形の体液がべちゃりと降り注ぐ。風早の白衣は赤く染まり、先の戦いで返り血を浴びていた鵜ノ沢も、更に赤に塗れることとなった。
「……すんません。油断しました」
「いや、仕方ないよ。怪我が無いのが何よりだから。ありがとうね」
「いえ……」
風早が立ち上がり、服についた肉片を払い落とす。鵜ノ沢もそれに倣いながら部屋の中央に降り、辺りを見回した。青緑色の淡い光が照らす部屋の左手に、大きさの異なるⅠ型の異形が入れられたガラスケースが規則正しく並び、奥へと続いていた。右には数歩の距離に扉がある。鵜ノ沢は再び左を向き、並ぶ異形達に遠い目を投げた。
「あっちは、通りたくねぇっすね」
「同感だよ」
鵜ノ沢の隣に立った風早は、早々にガラスケースに背を向けた。鵜ノ沢が風早に続き、物音がしないことを確かめて扉を開く。気配は無い。二人は、研究室と思しき部屋に足を踏み入れた。
じり、と明滅する蛍光灯に、鵜ノ沢が叫びながら拳を突き出した。
「っあー! もう無理! 疲れた! 休憩しましょう休憩!」
「……それも、同感かな」
疲れ切った様子の風早が重く頷く。鵜ノ沢は肉片と液体がこびりついたジャケットを脱ぎ、勢いよく払う。腐臭は拭えないまま、体裁を気にかける余裕も無く、二人はタイル張りの床に寝転んだ。投げ出した足がじわりと痺れるのを感じ、鵜ノ沢は深く息を吐きながら、そっと目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます